
安芸といえば、史実伝承共に平家所縁の土地!というイメージが御座いますが(私だけかもしれませんが…)、源平合戦が行われた西海であるが故で御座いましょうか、広島県内には源氏方の史跡、伝承地も多数存在致しております。
広島県広島市西区古江上の福蔵寺様も、そのひとつ。
こちらには、源範頼様の墓所と伝わる五輪塔が現存しております。
範頼様は、御兄様である源頼朝様に謀反の疑いをかけられた事で建久4(1193)年に静岡県伊豆市修善寺の修禅寺へ幽閉された後に自害なさったといわれており、修善寺の範頼様墓所の存在が広く知られております。
然し、幽閉後の範頼様の御消息については諸説あり、確かな事は伝わっていないようで御座います。
通説としては修善寺にて御自害もしくは誅殺された事とされておりますが、修善寺から落ち延びられたという説もあり、今も各地に様々な範頼様伝承が残されております。
先日、ツイッターにて蒲冠者 源範頼(bot)様が、伊予国の範頼様伝承地に関する呟きを纏められており、四国にも範頼様の御墓があるのだという事を知りました。
広島にも2ヶ所に範頼様墓所と伝わるものが存在している事を呟きましたら、範頼(bot)様が反応して下さいましたので、本日はその内の1つである福蔵寺様の五輪塔について記す事に致しました。
(ツイッターの文字制限、140字以内で説明する自信が御座いませんでしたもので;)
本当は、年明けに初詣に行ってまいりました熊野の事を書こうかなと思い、途中まで綴っていたので御座いますが、なかなか言葉が出ず悶々としており……。
広島の範頼様伝承地については以前から書こう書こうと思っておりましたので、良い機会をいただく事が出来ました。
範頼(bot)様、有難う御座います。
熊野の件は、改めて後日記事更新したいと思っております。

□福蔵寺(ふくぞうじ)□
所在地:広島県広島市西区古江上
御創建:不明(奈良時代?)
御開山:不明(行基様?)
山 号:出生山
宗 派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
福蔵寺様の御創建年代等は不詳で御座いますが、一説には奈良時代の僧 行基様作といわれる御地蔵様が安置されている事から、行基様によって開かれたのでは無いかとも考えられているようで御座います。
歴史深い御寺様では御座いますが、実際のところ仏像鑑定等では江戸時代辺りまでしか遡る事が出来ないといわれます。
それでは何を根拠に、それ以前よりの存在を説かれるのかと問われた時、注目されるのが境内の御本堂裏手に御座います“蒲冠者範頼御廟”という事で。
この範頼様の御墓については下の方に記したいと思っておりますが、何にせよ、福蔵寺様を考える上で範頼様墓所との関連は切っても切れぬもののようで御座います。
江戸時代中期には、広島城下より様々な年代の方々が挙って参詣された事が記録されております。
広島市古江上一丁目、広島学院のすぐ下に、それと教えられねばわからぬほど、さびれ果てた寺がある。
江戸中期「広島家中、老若男女、貴賎、参詣して群衆おびただし」と特筆されている福蔵寺である。
“おびただしい群衆”は「立願せしにかなわずということなし」といわれる地蔵参りの人々であった。
寺伝で行基作といわれる地蔵は今もあるが、立願する人はほとんどなくなった。
(中国新聞社「生きている伝説」による)

↑私が参考にさせていただいた資料は昭和52年1月発行で御座いましたので、写真に写っているような古い地蔵堂は既に御座いませんでした。
現在の御本堂は、昭和62年に鉄筋コンクリート造で建てられたものだそうで御座います。

さて、範頼様の御墓と伝わる五輪塔で御座いますが、御本堂の裏手隅に御座いました。
私は何処かしらと探しながら御堂に向かって右側へ入り、ぐるりとまわって辿り着きましたが、左側から奥へ進めば直ぐの場所に見付ける事が出来ます。

□蒲冠者範頼御廟(かばのかじゃのりよりごびょう)□
所在地:広島県広島市西区古江上(福蔵寺境内)
通 称:かばさん
源平合戦において大活躍された源氏の御方といえば異母弟の源義経様で御座いますが、西国の人々にとっては義経様よりも範頼様の方が馴染み深かったという御話も御座います。
平家軍追討の為に安芸国を通過された範頼様は、もしかするとこの場所よりも海寄りである草津辺りに滞陣されたのかもしれませんし、そうでは無かったかもしれません。
伝承の詳細は不明で御座いますが、範頼様は草津付近にて御亡くなりになられ、御遺体は輿に乗せられて峠を越え、福蔵寺様の境内へ埋められたと伝えられております。
それは一体いつの事であったのかも定かでは御座いませんが、源平合戦の頃と考えるよりは、修善寺幽閉後の事であろうと想像されます。
そして、その頃に福蔵寺様が既に存在されていたのか否かという疑問も生じてまいりますが、もしかするとこの時、範頼様の菩提を弔う為に建立されたのでは……と考える事も強引で無いのではと思うので御座います。

↑横から見ると、このような感じで御座います。
パッと見ただけで時代までは判別しかねますが、鎌倉期のものといわれれば、成程そうかも……と納得も出来るような。
五輪塔の火輪部分は非常になだらかで御座いますので、何となく元々底面は丸に近い形だったのでは無いかなぁと思います。
一般的な五輪塔の火輪部分は底面が四角く反りも御座いますが、こちらは余りそういった形であった形跡が見られず……時代の経過と共に角が欠け落ちたという感じでも無いように感じました。
江戸時代、この場所は福蔵寺様の広大な境内地の一角で、浅野泉邸を凌ぐ翆紅園という庭園が作られていたようで御座います。
文政2(1819)年、国郡誌の下調べを行われた古江村の庄屋 為広吾作様は、書出し帳に“蒲冠者範頼御廟所御山屋敷境内にある所、往古、この所は福蔵寺境内にありしよし、範頼、何地にて死去せられあり候か、縁起などござなくにつき、相知り申さず候”と記されております。
それを元に作成された芸藩通志の項目には、“五輪石塔にて梵字あり、前列に石碑を建て、蒲冠者範頼墓、享保十八年浅野直道造立と刻す、この地、旧は福蔵寺境内たりしが、のち、直道が家荘となりし時、古蹟淪没せんことを恐れてこの挙をなせり、今は公園に入りたれば人知るもの少し”と記載されておりました。

無造作に五輪塔の傍に置かれている石物。
左側の物は、五輪塔の空輪と風輪のように見えるので御座いますが、これは一体……?
福蔵寺様の直ぐ近くには、広島学院が御座います。
中高一貫教育の男子校で御座いますので、同じく中高一貫の女子校に通っていた私は、学生時代に同級生達が良く
「今度、学院生と合コンするんじゃ〜♪」
と嬉しそうに話していた事をついつい思い出してしまうので御座いますが、そんな事はさて置きまして(笑)
範頼様の五輪塔は、広島学院が創立されるまでは現在の学院玄関口辺りに建てられていたようで御座います。
校舎建設に際し、現在地へ移転されたそうで御座いますが、同時に五輪塔があった部分の土中調査が行われたそうで御座います。
伝承では、御遺髪や範頼様愛用の刀が埋められているといわれていたそうで御座いますが、実際に掘り起こした結果、発見された物は無く、下に何かが埋められている気配も感じられなかったようで御座いました。
五輪塔は、固い岩盤の上に建てられていたという事で御座います。
また、学院の校庭では五輪塔最下段の石が手水鉢代わりに使用されており、かすれた梵字もその四面に残っていると資料には御座いましたが、流石に男子校内へ潜入する訳にはまいりませんので、実態は不明で御座います。

福蔵寺様の境内には、かつて古田村に存在した古江火葬場にいらっしゃった御地蔵様方が7体並んで立っておられました。
六地蔵様の間、中央に迎え地蔵様が立たれております。
地元の方々の御霊を守り導き御助けになられた御地蔵様方も、今はその役目を終えられて穏やかに過ごされていらっしゃるので御座いましょうか。
それとも、隣接する墓地を見守っておられるのか……範頼様の五輪塔も御守りになられていらっしゃるのかもしれませんね。
地蔵尊の由来
このお地蔵さんは元古江五十林(現在古江上二丁目)に古江地区住民の火葬場があり、中央の高いのが迎え地蔵
その左右各三体は六地蔵の愛称で呼ばれていたご尊形である。
昭和四年四月一日に古田村が広島市に合併時の条件として昭和三十七年を最後に火葬場が廃止となり、仮安置の場所より、平成四年に現在地に移転したものである。
合掌(案内板による)

福蔵寺様の庫裡と鐘楼は、被爆建物。
被爆建物とは、昭和20年8月6日ヒロシマに投下された原子爆弾により被爆した建物で、爆心地より5キロ以内に現存する建造物の事を指しております。
鐘楼の鐘は原爆投下時には存在しなかったようで御座いますが(戦争に行ってしまったのかもしれません…)、昭和60年の改修を経て、現在もその時の姿を保たれております。
福蔵寺様は、様々な過去と語られぬ歴史の謎を秘めた御寺様。
静けさが日常に溶け込んだような雰囲気を感じさせられる、和やかな場所で御座いました。
次回は、同じく広島に伝わる、もうひとつの範頼様墓所について記したいと思います。
今度こそ、なるべく早めに更新致します〜!(^^;
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↓思いっきり直前になってしまいましたが、御知らせを…。
3年前の新年初詣で一緒に宮島へ行かせていただきました、シンガーソングライターの新屋まりさんが、3月2日に広島アステールプラザ 中ホールの能舞台にて、「平安なれ幸いなれー平家と浄土」と題された公演を行われます♪

“平家興亡”と“浄土信仰”をテーマに、講話と音楽で作られるという事で……大変興味深い舞台で御座いますね!
娘を実母に預かって貰える事になりましたので、私も観に行かせていただける事となりました〜。
とても楽しみで御座います!
本当にギリギリな御知らせで申し訳御座いませんが、当日券もあるようで御座いますので、広島近郊で興味を御持ちになられた御方がいらっしゃいましたら、この機会に足を運ばれてみては如何で御座いましょうか。
詳細は、公式サイトにて御確認下さいませ → http://www.niiya-mari.com/schedule.html
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