本宮より舟にのり、新宮へぞまいられける、かんのくらをおがみ給ふに、巌松たかくそびへて、嵐妄想の夢を破り、流水きよくながれて、浪塵埃の垢をすゝぐらんとも覚へたり
平家物語巻十より
平維盛様の熊野参詣の事で御座いますが、この“かんのくら”というのが“神蔵”つまりは、神倉さんでは無いかしらと思われます。

今回、新宮に詣でる際には必ず訪れたいと切願しておりましたのが、こちらの神倉神社で御座います〜。
神倉さんは、熊野速玉大社の摂社で御座いました。
かつては妙心寺(廃寺)と隣接しており、熊野比丘尼の本寺であったと伝えられます。
山麓にある社務所には常駐の神職さんがいらっしゃらない為、現在、御札や御朱印は速玉大社の社務所でいただく事が可能で御座います。
いつもは参拝後に社務所に寄って御朱印をいただくのですけれど、神倉さんの場合は、速玉大社参拝時に速玉大社と神倉神社の御朱印を両方同時にいただいてから参拝に向かう感じになります。
速玉大社から神倉神社の入口までは、徒歩15分位……速玉大社の巫女さんに行き方を聞きましたら、地図を下さって丁寧に説明して下さいました。

□ 神倉神社 □
所在地:和歌山県新宮市神倉
主祭神:天照大神、高倉下命
御創建:128(景行天皇58)年
神倉山(かんのくらやま)の山腹、標高80メートルの場所に鎮座されている、神秘的な聖域で御座います。
神倉神社といえば、おっかなビックリの538段鎌倉積石段で御座いますが(笑)、こちらを寄進したと伝えられているのが、源頼朝様で御座います〜。
事前に読んでいた神倉さんのレポート等では、悉く「この階段は嫌がらせかー!!!」とか「怖いですよ」的な感想が記されておりましたので、随分覚悟して向かったのですけれど、初めて登った感想としましては、
「あー…急だけど、意外と平気かも?」
という感じで御座いました。
恐ろしく急なのは割と最初の100段位で……でも、高所恐怖症の方や、足腰の弱い方には御勧め出来ませんね〜。
そんな方には、さり気無く石段の横に設けられた女坂から登られる事を御勧め致します。
女坂は古道のような感じですので、石段よりは歩きやすいですが、下りは滑るので逆に危ないかもしれません…;
♪行きはよいよい〜帰りはこわい〜……そんな感じです(苦笑)

記紀(古事記、日本書紀)によりますと、神倉神社は神武天皇が東征の際に登った天磐盾山であるようです。
その際、天照大神の子孫である、高倉下命はが神武天皇に神剣を奉げ、天照大神の遣わした八咫烏の道案内によって神武天皇軍は、熊野、大和を制圧したという事で御座います。

↑山上に聳える、神倉さんの御神体ゴトビキ岩で御座います。
琴引岩とも呼ばれているようです。
この巨大な岩の根元を支えている袈裟岩周辺からは、銅鐸、祭祀具、仏具等の遺物が多数出土しており、歴史的背景を知る貴重な遺跡となっております。
神倉神社の起源は、那智大社の御滝のような自然信仰から発生したものではないかと考えられております。
1870(明治3)の台風で倒壊するまでは、拝殿、御供所、満山社、子安社等があったそうで御座います。
1907(明治40)年に熊野速玉大社に合祀されましたが、1918(大正7)年に行われた祠の再建をきっかけに、社務所、鳥居等も再建されました。
こちらの丹塗社殿も、この時に建立されたものだそうで御座います。

特殊神事となりますが、神倉神社は2月6日(旧暦正月6日)の夜に行われる御燈祭が有名で御座いますね!
写真を見せていただいたのですが、見事なオットコ火祭で御座いました。
東京方面からも毎年参加されにいらしている方も大勢いらっしゃるらしく、大変魅力的な儀式だと感じました。
熊野年代記によりますと、敏達天皇4年に“正月六日夜神倉火祭始”と記されております。
神倉→阿須賀→速玉の順に奉幣行事があることから、熊野権現垂跡縁起にあるように、神来臨の道順を毎年復縁する祭礼だと言われております。
和歌山県指定無形文化財にも指定されているのだそうです〜。
※モデルは、茶道教室の先輩 みおさんで御座います〜。
無能カメラマンで本当…申し訳御座いませんー…凹;

平家物語巻十より
平維盛様の熊野参詣の事で御座いますが、この“かんのくら”というのが“神蔵”つまりは、神倉さんでは無いかしらと思われます。

今回、新宮に詣でる際には必ず訪れたいと切願しておりましたのが、こちらの神倉神社で御座います〜。
神倉さんは、熊野速玉大社の摂社で御座いました。
かつては妙心寺(廃寺)と隣接しており、熊野比丘尼の本寺であったと伝えられます。
山麓にある社務所には常駐の神職さんがいらっしゃらない為、現在、御札や御朱印は速玉大社の社務所でいただく事が可能で御座います。
いつもは参拝後に社務所に寄って御朱印をいただくのですけれど、神倉さんの場合は、速玉大社参拝時に速玉大社と神倉神社の御朱印を両方同時にいただいてから参拝に向かう感じになります。
速玉大社から神倉神社の入口までは、徒歩15分位……速玉大社の巫女さんに行き方を聞きましたら、地図を下さって丁寧に説明して下さいました。

□ 神倉神社 □
所在地:和歌山県新宮市神倉
主祭神:天照大神、高倉下命
御創建:128(景行天皇58)年
神倉山(かんのくらやま)の山腹、標高80メートルの場所に鎮座されている、神秘的な聖域で御座います。
神倉神社といえば、おっかなビックリの538段鎌倉積石段で御座いますが(笑)、こちらを寄進したと伝えられているのが、源頼朝様で御座います〜。
事前に読んでいた神倉さんのレポート等では、悉く「この階段は嫌がらせかー!!!」とか「怖いですよ」的な感想が記されておりましたので、随分覚悟して向かったのですけれど、初めて登った感想としましては、
「あー…急だけど、意外と平気かも?」
という感じで御座いました。
恐ろしく急なのは割と最初の100段位で……でも、高所恐怖症の方や、足腰の弱い方には御勧め出来ませんね〜。
そんな方には、さり気無く石段の横に設けられた女坂から登られる事を御勧め致します。
女坂は古道のような感じですので、石段よりは歩きやすいですが、下りは滑るので逆に危ないかもしれません…;
♪行きはよいよい〜帰りはこわい〜……そんな感じです(苦笑)

記紀(古事記、日本書紀)によりますと、神倉神社は神武天皇が東征の際に登った天磐盾山であるようです。
その際、天照大神の子孫である、高倉下命はが神武天皇に神剣を奉げ、天照大神の遣わした八咫烏の道案内によって神武天皇軍は、熊野、大和を制圧したという事で御座います。

↑山上に聳える、神倉さんの御神体ゴトビキ岩で御座います。
琴引岩とも呼ばれているようです。
この巨大な岩の根元を支えている袈裟岩周辺からは、銅鐸、祭祀具、仏具等の遺物が多数出土しており、歴史的背景を知る貴重な遺跡となっております。
神倉神社の起源は、那智大社の御滝のような自然信仰から発生したものではないかと考えられております。
1870(明治3)の台風で倒壊するまでは、拝殿、御供所、満山社、子安社等があったそうで御座います。
1907(明治40)年に熊野速玉大社に合祀されましたが、1918(大正7)年に行われた祠の再建をきっかけに、社務所、鳥居等も再建されました。
こちらの丹塗社殿も、この時に建立されたものだそうで御座います。

特殊神事となりますが、神倉神社は2月6日(旧暦正月6日)の夜に行われる御燈祭が有名で御座いますね!
写真を見せていただいたのですが、見事なオットコ火祭で御座いました。
東京方面からも毎年参加されにいらしている方も大勢いらっしゃるらしく、大変魅力的な儀式だと感じました。
熊野年代記によりますと、敏達天皇4年に“正月六日夜神倉火祭始”と記されております。
神倉→阿須賀→速玉の順に奉幣行事があることから、熊野権現垂跡縁起にあるように、神来臨の道順を毎年復縁する祭礼だと言われております。
和歌山県指定無形文化財にも指定されているのだそうです〜。
※モデルは、茶道教室の先輩 みおさんで御座います〜。
無能カメラマンで本当…申し訳御座いませんー…凹;
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