日本史(主に平安〜鎌倉初期)&源平史跡、伝承地巡りの記録。 あくまでも自分の為の記録で御座います。

塩釜の冠川明神社。
志波彦神社01

奥州一之宮 塩釜神社の正式名称は、“志波彦神社鹽竈神社”――一見、隣接する別々の神社という感じでは御座いますが、明治期に塩釜神社の別宮に遷祀された志波彦神社は昭和13年に遷宮され、現在は塩釜神社と同一の境内に御祀りされております。

志波彦神社02

私が こちらを訪れたのは年末に近い頃で御座いましたので、鮮やかな朱塗の御神門の周辺では御若い神職さん方が、急がしそうに動いていらっしゃいました。
何処の神社も この時期は特に御忙しい事と思われますので、なるべく御邪魔にならぬように〜…と思いつつ、参拝させていただきました。

志波彦神社03

□ 志波彦神社(しわひこじんじゃ)

所在地:宮城県塩竈市一森山
御創建:天智天皇3(665)年以前?
御祭神:志波彦神
正式称:志波彦神社鹽竈神社
通 称:冠川明神、志波道上宮


志波彦神社は、元々 宮城郡岩切村…現在の仙台市宮城野区岩切の七北田川畔に鎮座されていたそうで御座います。
七北田川は冠川とも呼ばれていた為、冠川明神様として信仰されていたようで御座います。
こちらへの遷祀は明治期に至っての事で御座いますので、藤原実方様や藤原秀衡様、忠衡様、それから松尾芭蕉さんの頃にも、未だ ここには存在されていなかったので御座いますね。

確かな御創建年代は伝えられておりませんが、延喜式に収録される陸奥国百社には明神大社として記録されており、当時 朝廷より厚く尊崇を受けていた事が分かります。
然し、中世以降は衰退の一途を辿られてしまったようで……中世が具体的に どの辺りを指しているのかは疑問で御座いますけれど、源平合戦期や南北朝時代、戦国の頃 等の時代背景が関係しているのやもしれませんね。
もしくは、川の畔で御座いますので、天災被害による荒廃が繰り返されていったが故なのかもしれないなと思われます。

江戸期に記された御縁起によりますと、天智天皇3(665)年に始めて官幣が遣わされた事や、7人の社家が奉祀する大社であった事が伺えるのだそうで。
また、荒廃の原因は百姓方の耕作によって社地が侵され、天正年間(1573〜1593年)の火災で焼失してしまった事によるという事で御座います。
その後の延宝3(1675)年に再建がなされたようで御座いますが、小さな御社殿しか建てられなかったようで、岩切村にあった牛頭天王社に合祀される事となったと伝えられております。

それでも、国家にとって志波彦神社は特別な意義のある神社だったので御座いましょうか。
明治4年に国幣中社となっており、明治7年12月24日に塩釜神社の別宮本殿に遷祀される事となりました。
そして昭和初期に建立されたのが、現在の御社殿。
それ以前まで、こちらには塩釜神社の社務所が建てられていたのだそうで御座います。
御本殿、拝殿 共に朱黒の極彩色漆塗で、昭和38年に塩竃市文化財に指定されております。

   志波彦神社

 志波彦神社は鹽竃の神に協力された神と伝えられ、 国土開発・産業振興・農耕守護の神として信仰されている。
当神社はもと、仙台市岩切冠川(七北田川) の畔に鎮座され、陸奥国延喜式内社百座のうち名神大社として、朝廷の厚い信仰があった。
明治四年五月国幣中社に列格されたが、境内も狭く満足な祭典を行うことが不可能な為に、明治天皇の御思召により、明治七年十二月二十四日に鹽竃神社の別宮に遷し祀られた。
さらに、昭和七年国費を以って御造営することになり、昭和九年現社地に工事を起し、 明治・大正・昭和三代にわたる神社建築の粋を集め竣工し、昭和十三年九月に遷座した。
本殿・拝殿何れも朱漆塗り、彫刻部分は極彩色漆塗りで、昭和三十八年塩竈市の文化財に指定された。
  平成六年 塩竈市教育委員会



志波彦神社04

↑御神門の傍には“塩釜松島展望図”が御座いました。
え、塩釜から松島が見えるの!?と思って、海の見えそうな方向へ駆け寄ってみたのですけれど…良く分かりませんでした;
そもそも、この時点の私は“松島”という名の島が存在すると思い込んでおりましたので(苦笑)

志波彦神社05

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