日本史(主に平安〜鎌倉初期)について。 あくまでも、独り言で御座います。

どうゝねの実家と、饒津様。
母と双葉の里へ初詣01

何だか、私の実家は神社と関係があるらしく――…って、えぇ!?そ、そんなの初耳で御座いますよ〜?!!

年末、母からの電話で
この家、古いのに仏間も無いし、ずっと変な造りじゃのぅとは思うとったんじゃけど、どうやら神社の家だったらしいんよ!
広島の双葉の里に饒津神社ってあるじゃろ?
そこの境内?にあったんを移築したんかどうか分からんけど、貰うて来て建てた家なんと。
何か知らんけど、今頃になって突然ばぁちゃんが言い出すけぇ吃驚したわぁ

という話を聞いて、私も何事かと思いました;
一瞬、遷宮か何かに際して御社殿の御用材をいただいたのかしらという考えも過りましたが、私の実家は戦後間も無くの建築…広島駅に程近い饒津神社は原爆で かなり大きな被害を受けている筈で御座いますので……これは、少々考え難く。
双葉の里は、被爆直後に市街地から数多くの被爆者が集まった場所でも御座います。
もしかすると、神主さんや総代さん等の神社関係者どなたかの焼失を免れた御宅、もしくは その一部…であったのかもしれませんね。

帰省の際に、改めて祖父母に直接聞いてみましたが、具体的な事は記憶から抜けてしまっているらしく;
昔の事じゃけぇ、はぁ分からんがね、とにかく神社にあった家から柱なんかを じぃちゃんが貰うて来て、この家を建てたんよねぇ。
そこの床の間の横の大黒柱やらね…、2階にも立派な柱があるじゃろう

矢張り、完璧に移築をしたという訳では無く、部分的に資材として使用されていたようで御座います。

私は、ずっと神社に憧れを抱いておりました。
どうして、私は神社の娘に生まれて来られなかったのだろう…と、結構 真剣に落ち込む事も御座いましたし(苦笑)、結婚願望は御座いませんが 神社の御方にならば喜んで嫁ぎたいと今も本気で思っております。
いつから、と問われても余り良く分からないので御座いますが…ぼんやりと自覚するようになったのは、学生時代にボランティアで参加した広島市内神社での巫女舞を経験してからで御座いましょうか。
あの時の不思議な感覚は、今でも記憶に御座いますが、当時の私には口にするだけの言葉が思い付きませんでしたし、友人に語ったところで
巫女さんのコスプレがしたいだけなんじゃろ〜!
と言われるばかりなのだろうなと思って…何と無く、神社や神道への興味の扉を開く事が出来ずにおりました。
然し、それから時間が経過すると共に、神社に対する 何とも言い表せない感情は、私の中で溜まり募る一方で御座いまして……関西在住時には、無意識に京都にある沢山の神社を訪ね歩き、気に入った場所には しつこく通い詰めるようになっておりました。
東京に移住してからは、もう どうしようも無い程に“神社”という場所が恋しくて。
思い通りにいかない仕事や辛い日常からの逃避なのだと自分を叱咤しつつも、そんな愚かな自分を少しでも冷静に省みる事の出来る場所が神社なのならば…と、参詣を続けておりました。
私は、基本的に 神様に個人的な御願い事はしないようにしておりますが…内心は、声にならない叫びで訴えていたので御座います。
“神社との御縁が欲しい”
仕事や夢の願いよりも、それは切実なもので御座いました…。
その願いが叶った時は、もう 本当に本当に嬉しくて、心から幸せだと思いました。
今も、時々 御奉仕をさせていただき、神社との繋がりを保っていられている事が、この上無い私の支えとなっております。
……身内には誰ひとりとして信心深い者が居らず、幼い頃より厳島神社尾崎神社 以外には まともに詣でた事も無かった私で御座いますのに、どうして これ程までに惹かれるので御座いましょう。

母も妹も、年々 神道に染まって行く私の様子に疑問を隠せなかったようで御座います。
私は 神社へ参拝するのも、感謝の心で手を合わせるのも、この国の素晴らしい文化だと思っておりますが、妹は あちらこちらで神仏に接する度に手を合わせる日本人はおかしい!という考えのようで御座います。
私は、その土地を護っておられる神様を無視して素通りする事は無礼だと思いますので、御挨拶という気持ちで御詣りするのは礼儀かなと思いますね。

今年から、どうゝねの実家には新しく神棚が設置されました。
これまでは神具も仏具も無い家内で御座いましたのに(祖父母は浄土真宗の安芸門徒なのですけれど…)、この家が神社と少しでも繋がっていたという事実は、母の心を動かすには充分過ぎる程の材料であったようで御座います。
私は、自分が神道寄りであっても、実家の家族に その心が無いのであれば迷惑になるだけだろうと思い、実家に神棚を設ける事を控えておりました。
ただ、広島から離れて生活しておりますので、せめてもの思いで こっそり御札だけは毎年 御祀りをしておりました。
ですので、
この家のルーツを知って、良い機会じゃけぇ神棚か仏壇を祀りたいと思います。
神社の家じゃったんなら、家も神棚の方が喜ぶよね。
どうしたら良いか、教えて下さい

と母に言われた時は、思わず胸が高鳴りました。
嬉しくて、神棚を授けていただく為に伊勢神宮まで行ってしまった位…(笑)
気持ち的には茅葺の大きな三社造の神棚を持って帰りたかったのですが、突然 そんなに立派な神棚を飾ったら、祖父が吃驚してしまうかなと思って、私が東京の部屋に御祀りしているのと ほぼ同形の一社造の神棚を授与していただき、帰省致しました。
祖父は、神棚を発見すると
こりゃぁ、どうしたんなら!?
と聞いて来ましたので、ヤバい怒られるかな;と覚悟しておりましたら、
もっとデカい立派なやつにすりゃあえかったのに…。
前々から、わしも買うて来よう来よう思うとったんじゃがのぉ

……えッ!?じぃちゃん的には歓迎なのですか!というか大きいのでも良かったのですね〜。
その後、私が何も言わなくても、母の方から
榊は、どう飾ったら良いですか?
とか
御水や御塩を入れる容器は、どんなものが良いのでしょう?
とか
高い場所に神棚を置く台を作ってみました。
少し向きが変わってしまいましたが、東か南を向けば良いのですよね?

という質問メェルが続々と送られて参ります(笑)
神棚に手を合わせる事は、日々 万物への感謝を再認識する事でも御座います。
実家の中の温度の変化が、これ程までに嬉しいなんて。
次の帰省が待ち遠しいと心から思える、今の この状況が幸せでなりません。

………っと;
また随分と長ったらし〜い前置きになってしまいました。。
えぇと…本日は、私の実家と縁が深いという 双葉の里の饒津神社の事を記したいと思っております。
実家に家屋を提供して下さった方は親族の人間で、矢張り 饒津神社に関わりの強い御方で御座いました。
この機に、きちんと御挨拶をしておきたいねという事で、三が日に初詣に行かなかったという母と一緒に、饒津神社に参拝して参りました。

母と双葉の里へ初詣02

境内に入り、御参道を進んで行きますと、真新しい両部大鳥居が御座いました。
朱塗では御座いませんが、宮島の大鳥居と同じ両部鳥居で御座いますので、凄いね凄いね!!と感動して、しげしげと見詰めさせていただきました。

この大鳥居は、平成20年の浅野長政公 四百年祭に向けての記念事業の一環として、平成17年に竣功されたもの。
新築では無く、60年振りの復元で御座います。
原爆で焼失してしまう以前の姿を取り戻されたので御座いますね。

母と双葉の里へ初詣03

大鳥居の先、石段の上には、全国で2番目の大きさを誇る向唐門。
これも原爆で焼失後、平成12年に再建されたもので御座います。
焼け残った旧向唐門の礎石の上に、細部まで拘って忠実に再現されております。

向唐門を潜ると、少し進んだ所に石段があり、その上の奥に御社殿が建てられておりました。
気になったのは、御社殿前の石段の傍に茅の輪が設置されていた事。
うっかり、大祓の後 そのままにされているのかなぁ〜と思いかけましたが(←失礼…申し訳御座いません;;)、いやいやいやいや…茅の輪潜りが行われるのは6月末の夏越大祓の事で、12月末の年越大祓では通常 行われませんよね;
初詣に際して、参拝者が心身を清められるように設けられたもののようで御座いましたので、茅の輪初体験の母と一緒に3度潜らせていただき、気持ちを改めて御社殿を目指しました。

   茅の輪くぐり

茅の輪くぐりとは「ちがや」でできた輪をくぐり越えて罪・過ちを除き、心身の清浄ならんことを祈願するもので本来、六月の夏越祭にこれを行うのであるが、当神社では正月初詣、特にこれを設置し、初詣参拝の皆様と共に新しい年の弥栄を祈願するものである。



母と双葉の里へ初詣04

□ 饒津神社(にぎつじんじゃ)

所在地:広島県広島市東区二葉の里
御創建:天保6(1835)年
御祭神:浅野長政命、浅野幸長命、浅野長晟命、末津姫命、浅野長勲命
旧 称:二葉御社、饒津大明神
通 称:にぎつさん


饒津神社の御創建は、江戸末期の天保6(1835)年。
第9代藩主 浅野斉粛様が、広島城鬼門に当たる東北の この地に、始祖 長政様を祀る為に明星院さんの境内西側を削って造営されました。
それ以前から、歴代藩主によって明星院西方には長政様の位牌堂が建立されていたようで御座います。
明治に至って、饒津神社と改称とされております。

昭和20年、原爆によって全焼。
その後、御本殿、拝殿が再建され、境内地が整理されております。
平成に入ってからも大鳥居や向唐門等が復元されております。

   饒津神社
   にぎつさん


天保6年(1835)、浅野9代藩主斉粛が、始祖長政を祀るため広島城鬼門(東北)の方向に、明星院境内の西半分を割いて造営しました。
時代は天保の大飢饉、藩財政の苦しい中、敢えて壮大な神社を造営をしたのは、始祖を祭神とした神社を建立することで藩士の結束を固めようとしたためと伝えられています。
なお、幕末に創建された神社のうちでは、全国最大を誇るものでした。
昭和20年8月、原爆被災により建物は全焼し、石灯籠、手水鉢などの石造物のほか、十数本の松(最後の1本も平成15年1月に松枯れし伐採)のみが残る甚大な被害を受けました。
戦後、仮殿、本殿などが再建されましたが、昭和59年本殿、拝殿、瑞垣が戦前の姿に復興され、遂に平成12年(2000年)を機に、悲願の向唐門が復元されました。
この向唐門は武家を祀る神社などに使われていましたが、その大きさは全国2位の大きさを誇っています。



   二葉の里 歴史の散歩道
   饒津神社


 天保6年(1835)、広島藩9代藩主浅野斉粛(なりたか)が創建したもので、藩祖長政を祭る。
 江戸後期にあって始祖を祭り、かつ壮大な社殿を造営したことで、衰えかけた藩内の士気をたかめ、領民に威厳をしめそうとしたものと考えられる。
 本殿に向かう敷石の両側には100基を超える家臣の寄進した石燈籠が並んでいる。



母と双葉の里へ初詣05

こちらは、境内社の御稲荷様。
“正一位稲荷大明神”の額が掛けられておりました。
この御稲荷様も、浅野家縁の御社のようで御座います。
矢張り原爆で焼失しておりますが、再建されて現在に至っているとの事で…。

この鳥居の中に、私の親族である 母のおじさんが奉納されたものが御座いました。
あー、おじさんじゃ!
と 母は嬉しそうに、奉納銘を指でなぞっておりました。
この おじさんには私は直接御逢いした事が無く…私にとっては“広島の御墓の人”という認識で御座います。
他界前に御逢い出来ていれば、御聞きしたい事も沢山御座いましたのに……とは思いますが、今こうして穏やかな気持ちで母と一緒に縁の地を訪ねられているだけでも、おじさんに少し近付けているような気が致します。

母と双葉の里へ初詣06

昭和20年の あの夏に失われたものが、この場所にも沢山御座いました…。
それは、復元されたから良かったで済まされるような問題では無く、これから先も恒久的に考えていかなければなかない事であり、同時に永久に伝えていかなければいけない事でも御座います。
饒津神社に関する記事は、また8月が来る頃に、別分類で取り上げる事も御座いましょう。

母と双葉の里へ初詣07

御参道の両脇には、127基もの石灯籠が見事に並べられております。
1列では並び切れず2列になっている部分もあり、それだけ武家の崇敬を受けた神社であったのだという雰囲気がビシビシと感じられます。

神社の目の前は、多くの車が行き交う交差点。
ぼんやりと霞んで見える境内と境外の境界で御座いますが、実際に歩いてみると想像以上に くっきりと空気が変わる瞬間が御座います。
また来年も、母と御詣りに来たいなと思いました。

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Comment

 秘密にする

めぐりめぐりて、繋がる縁し。
新たな嬉しい御発見ですね♪♪

読んでいておめでとうございます←と、なんだかお祝いの気持ちが沸き上がって参りました(^-^)

純粋で真摯な祈りの気持ちは神さま、仏さまに通じるものだなぁ…

と改めて思いました☆

信仰の大切さに気付き、少しづつですが実践してゆくことで、神仏、ご先祖や見守って下さる皆々様に感謝の念が芽生えましたし、

己だけがっっと傲慢な姿勢で生きている積もりでしたが、実は縁ある方々に沢山支えられまくって生きている、生かされている。という様な思いに至りました。

そんな訳で前置きを長々と連ねて仕舞いましたが(笑)

わたくしも、現場を転々とするお仕事をしていた頃には、その土地の社寺には出来る限り“ご挨拶のお詣り”をさせて頂く様にしておりました(^人^)

あちらこちらに無節操に願を掛けまわらなければ、よろしいのではないかと思っています。

…無節操な願掛けする方に限って御礼参りを忘れ、願掛けすら忘れてしまわれますからねf^_^;

神社には仰々しい石垣や門などがなく、様々なものを神様として祭る神道思想(八百万の神様)=日本人の外来のもの受容する大らかさと柔軟性。

は他に類をみない誇るべき素晴らしい感性だと思っていますし、

そんな日本人の築き上げたお伊勢詣りと西国巡礼を自然に組み合わせて行う神仏混合思想文化が大好きです(^_^)v

と、気付けば…

またしてもアツく長々と語り通して仕舞いました(^^ゞ

しっ失礼致します(^人^;)
水色桔梗 | URL | 2009/01/15/Thu 04:35[EDIT]
>水色桔梗さん
神様への御挨拶も、人間同士の御挨拶も、余り変わらないかなと最近思うようになりました。
というか…人間の方が御互いに警戒し合ってしまい、行き交う人同士で挨拶を交わす事も少なくなってしまったなぁと思います…特に東京では、殆ど有り得ない感じで御座いますね;
以前、
「神社は神様にだけで無く、人と人との礼儀や感謝の心を教える、地域の教育の場もあるのです」
と仰っていた神主さんもいらっしゃいました。
本当は、誰にとっても身近な存在である場所なので御座いますよね〜。

万物を神格化して御祀りする神道思想が、私も大好きで御座います。
信仰の対象とされている存在が、何かの存在を否定したり拒んだり…というのは悲しい事だなと思いますし…全てのものに感謝する事が当たり前に許されてこそ、生かされている自分を大切に感じさせられるように思います。
どうゝね | URL | 2009/01/18/Sun 23:23[EDIT]
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