
和歌山県田辺市中辺路町の熊野古道。
近露王子と比曽原王子の間を歩いている途中、古道の直ぐ脇に真直ぐ延びている石段が目に入りました。
上に何かあるのかなぁと思って見上げてみると、鳥居らしきものが…!
私が持っていた地図には鳥居の印のみが載っており、何の神社だかは さっぱり判らなかったので御座いますが、通り掛かったのも御縁、御縁♪と思いまして、立寄って御挨拶をさせていただく事に致しました。

石段を上り切ると、予想よりも やや広めの境内に辿り着きます。
社額のようなものは見当らなかったので御座いますが、御社殿の直ぐ目の前の立札に“近野神社 御祭神 大国主命”と記された紙が貼られておりました。
近野神社という御社名が判っても、この時の私は何も思い当たる事が御座いませんでした……が。
近露の近野神社といえば、近露王子社の合祀された神社では御座いませんか…と、気付いたのは東京に戻って随分経ってからの事で御座いまして;;
何故、その場で気ー付ーかーなーいー…
と思わず遠い目をしたくなってしまいましたが、でも旅って、結構そういうものなのかもしれないよね!!と自分を微妙に甘やかしつつ励ましてみたり
まぁ…私が間抜けていると実感させられる出来事は別にこれが初めてという事でも御座いませんし(寧ろ常習犯)、先入観無しで臨んだ方が その土地の雰囲気を そのままの状態で受け入れる事が出来るようにも思いますので、私は後付で考えたい性質なんだろうなぁと思っておく事に致しましょう(自己完結/苦笑)

□ 近野神社(ちかのじんじゃ) □
所在地:和歌山県田辺市中辺路町近露
御創祀:不詳
主祭神:大国主命
旧 称:金刀比羅神社(※遷宮前)
近野神社の前身は、金刀比羅神社。
主祭神の大国主命は、総本社である金刀比羅宮の御祭神大物主命の別称で御座いますね。
勧請年代は不明で、余り詳しい謂れ等は分かりませんでした。
明治40年までは宮ノ上に在ったという事で御座います。
主祭神の他に、天児屋根命、丹生都比売命、誉田別命、宇賀霊神、菅原道真公、軻遇土神、見明し明神、素盞烏尊、天照大御神を合祀されているようで御座います。
これは、明治41年 神社合祀令によって村内に存在した13社の神社が合祀された為…近露王子だけで無く、大坂本王子、比曽原王子、継桜王子、中川王子、小広王子、熊瀬川王子、岩神王子、湯川王子も同様に こちらに御祀りされる事となりました。
元々の鎮座地では境内が狭かった為、現在地へ遷宮され、御社名を近野神社と改められたそうで御座います。
継桜王子のように、復社存続されている王子社というのは稀なのかもしれません…。
古道歩きをしていると、神仏分離令や神社合祀令で大きな影響を受けた王子社や遺跡等に胸を痛める瞬間に幾度と無く出会います。
純粋に、ただ信仰の心だけを持って進んで行けたならどれだけ幸せだろうかと思わされる部分も御座いますが、近代以前であったとしても それはきっと変わらぬものなのだとも思います。
厳しい旅路の途中、行き倒れとなる人々も多かった参詣道…盗賊に襲われる事もあったでしょう。
いつの時代も、その時代だからこその苦難が常に隣合せにあるもので御座います。
王子社としての位置付けは失っても、今も遺跡として辿る事の出来る王子跡は沢山御座います。
日帰りで好きな部分だけ古道歩きを楽しむ事も出来れば、野宿をせねばならぬ事も、命をかけて行程を励まなくてはならないという事も殆ど無く。
王子社に御祀りされていた御祭神にも、このように少し離れた場所で御逢いする事が出来る…現代程、恵まれた環境は無いのでは無いかと思います。
それは勿論、良くもあり悪くもある事なのですけれど…。
王子とは、熊野権現の御子神。
熊野の神々は、そんな人の世の移り変わりを見詰めておられるのかもしれません。

近野神社と継桜王子には、和歌山県の無形文化財の指定を受けている奉納獅子舞“野中の獅子舞”が御座います。
毎年、御正月の1日、3日に行われているそうで、700年余の歴史を持つ伝統行事なのだとか…。
どういう御由来があるのかしらと思い、少し調べてみましたらば…南北朝時代初期、近露の野長瀬一族が“大塔宮”こと護良親王の御軍に参じられた際に舞われたという出陣舞に起源しているという事で…!
私は実際に拝見した事は御座いませんが、幣や鈴、剣を持って舞い踊る姿は迫力なのだそうで御座います。
十津川の平維盛様伝承について記した際にも ちょっとだけ記してはおりますが、護良親王と熊野の関連についても、いずれ詳しく考えていきたいなと思っております。



Comment
長い距離を歩く、昔の人は凄い距離を歩いていたんでしょうね。
ただ旅をするにも、確かに今ほど楽ではなかったんでしょうね。
今は楽になった分、なかなか昔の人の苦労をしることもありませんが時代劇で旅をする様子なんかをみると昔の人はどんな思い出旅をしてたのか思いをはせますね。
楽になった分は、それだけ小さな子やお年寄りに色々な歴史を知って貰える良い環境であるから、それはそれでよいことですよね(^^)
あ、そういえば「うしおととら」は日本の妖怪等が出てくるんですたまにオリジナルの妖怪も出てきますが(笑)
中盤になると旅をする話も出てくるんですけどね、主人公の人柄に引き込まれる作品です(^^)
ただ旅をするにも、確かに今ほど楽ではなかったんでしょうね。
今は楽になった分、なかなか昔の人の苦労をしることもありませんが時代劇で旅をする様子なんかをみると昔の人はどんな思い出旅をしてたのか思いをはせますね。
楽になった分は、それだけ小さな子やお年寄りに色々な歴史を知って貰える良い環境であるから、それはそれでよいことですよね(^^)
あ、そういえば「うしおととら」は日本の妖怪等が出てくるんですたまにオリジナルの妖怪も出てきますが(笑)
中盤になると旅をする話も出てくるんですけどね、主人公の人柄に引き込まれる作品です(^^)
「王子」と言う名の神社が多くありますが、何をいみするのでしょうか?
私の近くにも「悪王子神社」があった為に地名が「悪王子」となり、悪を
嫌って今では「阿幸地」と呼ぶようになった所があります。
「悪」は「強い」を意味する・・・悪源太義平の「悪」でしょうかね?
ひろこさん教えて下さい。
私の近くにも「悪王子神社」があった為に地名が「悪王子」となり、悪を
嫌って今では「阿幸地」と呼ぶようになった所があります。
「悪」は「強い」を意味する・・・悪源太義平の「悪」でしょうかね?
ひろこさん教えて下さい。
時代劇では、旅の場面が良く出てきますね〜。
水戸黄門のように、素晴らしく腕のたつ御一行であれば安心ですが(笑)、流石に一般人の旅路は命懸けだった事と思います。
今の時代には、今の便利さを味わい、感謝しつつ旅を楽しみたいと思います〜。
『うしおととら』には、妖怪が出て来るのですか〜!
わぁ素敵…!
今度、読んでみたいと思います〜♪
水戸黄門のように、素晴らしく腕のたつ御一行であれば安心ですが(笑)、流石に一般人の旅路は命懸けだった事と思います。
今の時代には、今の便利さを味わい、感謝しつつ旅を楽しみたいと思います〜。
『うしおととら』には、妖怪が出て来るのですか〜!
わぁ素敵…!
今度、読んでみたいと思います〜♪
「王子神社」という名の神社は、全国各地にあるようです。
その土地や御祭神にもよると思いますが、熊野の神様を御祀りされている所も多いようで御座いますね。若王子とか…。
本文にも書いておりますが、熊野の場合“王子”とは熊野権現の御子神として考えられております。
神道で“王子神”というと、老人や童子の御姿で現れる神様の事を指しますが、神仏集合時には熊野の他にも、日吉や祇園の八王子権現等に伺えるようです。
悪王子神社というのは、八坂神社の境内社にも御座いますね。
八坂神社について書いた際にも同じ事を記しておりますが、御祭神は素戔嗚尊の荒魂。
“悪”は“強力”を意味しているという事で御座います。
余り参考にならないかもしれませんが…無知で申し訳御座いません;
その土地や御祭神にもよると思いますが、熊野の神様を御祀りされている所も多いようで御座いますね。若王子とか…。
本文にも書いておりますが、熊野の場合“王子”とは熊野権現の御子神として考えられております。
神道で“王子神”というと、老人や童子の御姿で現れる神様の事を指しますが、神仏集合時には熊野の他にも、日吉や祇園の八王子権現等に伺えるようです。
悪王子神社というのは、八坂神社の境内社にも御座いますね。
八坂神社について書いた際にも同じ事を記しておりますが、御祭神は素戔嗚尊の荒魂。
“悪”は“強力”を意味しているという事で御座います。
余り参考にならないかもしれませんが…無知で申し訳御座いません;
ひろこさん
王子神社の事ありがとうございました。
大田区は大森+蒲田なんですね。
大森の起源は静岡県裾野市の深良城に居た藤原氏系の大森氏
が北条早雲に追われて品川の手前まで逃げて、踏みとどまったこ
とによると聴いた事があります。
東京の八王子市、王子製紙も王子神社に由来するのでしょうね。
そう言えば十六王子と言う神社があった様な気がします。八王子
の倍数?
王子神社の事ありがとうございました。
大田区は大森+蒲田なんですね。
大森の起源は静岡県裾野市の深良城に居た藤原氏系の大森氏
が北条早雲に追われて品川の手前まで逃げて、踏みとどまったこ
とによると聴いた事があります。
東京の八王子市、王子製紙も王子神社に由来するのでしょうね。
そう言えば十六王子と言う神社があった様な気がします。八王子
の倍数?
私の知識は非常に偏っておりますので…余り参考にならなかったと思います;申し訳御座いません…もっと勉強しておきます;;
大森の地名にも、諸説あるようで御座いますね。
私が聞いたのは、そのままですが大きな森であったから…という単純な説や、“大我井杜”と呼ばれていた事によるという説とかでした。
地名を考える事は、その土地の歴史や文化を紐解く事にもなりますので、楽しいですね。
大森の地名にも、諸説あるようで御座いますね。
私が聞いたのは、そのままですが大きな森であったから…という単純な説や、“大我井杜”と呼ばれていた事によるという説とかでした。
地名を考える事は、その土地の歴史や文化を紐解く事にもなりますので、楽しいですね。
沼津市の西方に桃里と言う所が有ります。源平合戦の浮島ヶ
原の東端にあたります。
江戸末期に鈴木助兵衛と言う人が開拓した村で明治20年頃
迄は開拓者の名を冠し「助兵衛新田村」と呼ばれていました。
しかし「助兵衛村」と言う名前が他所の人達から大笑いされる事
が重なり、村の名を改める事にしました。
そこで桃の栽培が始まっていた所から「桃里村」となりました。
・・・・・・・うん〜ん・・・でもピンクに関係有りそうだな。
原の東端にあたります。
江戸末期に鈴木助兵衛と言う人が開拓した村で明治20年頃
迄は開拓者の名を冠し「助兵衛新田村」と呼ばれていました。
しかし「助兵衛村」と言う名前が他所の人達から大笑いされる事
が重なり、村の名を改める事にしました。
そこで桃の栽培が始まっていた所から「桃里村」となりました。
・・・・・・・うん〜ん・・・でもピンクに関係有りそうだな。
桃里ですか、何だか可愛らしい地名ですね。
桃太郎と関係ありそうな呼称にも思えてしまいますが…(苦笑)
時代の移り変わりと共に地名も変わっていく事が多いですが、時々 どうして こういう地名になったのだろうかと疑問に思いたくなる場所も御座います。
秘かに心の中で突っ込むのも楽しいのですけれど(笑)
桃太郎と関係ありそうな呼称にも思えてしまいますが…(苦笑)
時代の移り変わりと共に地名も変わっていく事が多いですが、時々 どうして こういう地名になったのだろうかと疑問に思いたくなる場所も御座います。
秘かに心の中で突っ込むのも楽しいのですけれど(笑)
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