日本史(主に平安〜鎌倉初期)について。 あくまでも、独り言で御座います。

若松で辿る、野口英世氏の旧跡。
会津若松…

今月はじめ、母と旅して参りました 会津若松。
あ…会津は今日から、会津まつりが行われているので御座いますね〜。。

↑若松市内で度々見掛けました、この元気なポーズは何かの象徴?なので御座いましょうか。
この御人形さんの前を何往復もし、会津まつりのポスターも あちらこちらで拝見しておりましたので、私の中では すっかり会津=逞しいという印象が根付いてしまいました(笑)

会津若松

会津といえば、赤べこさん!
“赤べこ”は、会津地方に伝わる伝統的な張子人形。
赤い体は魔避けになるといわれており、“べこ”とは方言で御馬さんの意なのだそうで御座います。
会津のマスコット“あかべぇ”は、JRのポスターや冊子等にも良く登場しておりますね♪

そして、会津といえば、“ならぬことは、ならぬものです”
教育に力を注いだ会津藩の事は以前から大変興味深く思っており、会津を訪れる際には会津藩の旧跡や日新館等へも足を運べたら良いなぁと予てより思っておりました。
私も、一時は幕末に心を移した身(※浮気です;)……松平容保様、新選組白虎隊…と、会津には私の浮気心を揺さぶる史跡、史料館等が沢山沢山御座います///
時間や移動手段の制約から、それら全てを今回巡って来られたという訳では御座いませんが、折角なので今週は 大まかにはなりますが、若松で訪れた幕末史跡についても記しておこうかなと思っております。
その前に……本日は、更に近代の――野口英世氏の旧跡を母と幾つかまわって参りましたので、そちらについて…。

野口英世通り

実は、宿泊したホテルは七日町通りに程近い、野口英世通り沿いに御座いました。

私は小さい頃から本が好きな子供で御座いましたので、母は色々と 為になるような本を選んで私に与えてくれておりまして…伝記『野口英世』も、その内の1冊で御座いました。
母は本が嫌いで無いと言いつつも、中々1冊の本を読み終える事が出来ない人で御座いまして(苦笑)…野口英世氏に関する事は、大分前に放送された映画や再現ドラマ等で学んだようで御座います。

当初は、野口氏関連地を巡る予定は無かったので御座いますが、ホテルに向かう途中に 自分達が今歩いている通りの名が野口氏に肖ったものである事に気付いた母が、急に 行ってみたいと申しましたので、何処かへ行くよりも前にホテル近辺を散策し、野口英世青春館を訪ねてみようという事になりました。

野口英世青春館

野口英世青春館は、かつて野口氏が左手の手術を受けた会陽医院跡の2階に御座います。
1階は、とても素敵な喫茶店になっており、喫茶店の方に入場料を御支払いして2階に上がらせていただきました。
野口氏は青春時代を、会陽医院で書生として過ごされ、勉学に励まれたという事で…こちらには、野口氏に関する様々な資料が展示されておりました。
とても落ち着いた造りに和洋折衷の雰囲気が漂う御部屋の中、置かれた文机や椅子等からは、今でも野口氏の温もりが残されているようにも思えます。

野口英世青春館 02

館内には、沢山の書籍や写真等、野口氏の記憶が今も留まっていそうな資料が多く展示されておりました。
現在の千円札の“顔”となっている、あの御写真も御座いましたよ〜!
宇治の平等院 鳳凰堂で十円玉を取り出すのと同じような感覚で、千円札を出してみようとしてみましたが、その時の私の財布の中には千円札は入っておりませんでした…何を浮かれているので御座いましょうか(呆…)

野口英世青春広場

青春館を出て、更に少し歩きますと、野口英世通りの終点辺りに野口英世青春広場という公園が御座いました。
こちらには、野口氏の銅像が建立されております。
この像は以前、市内中央公民館前にあったそうで御座いますが、広場の建設に際して移築されたのだそうで御座います。

   野口博士より父と呼んでいた恩師
     小林 栄氏宛の手紙より


生物には死生の境なく人生には幸不幸の別れ目もなく富めるものは必ずしも幸ならず病めるものも人知らざる楽境に入るを得べく色々と世の中を見渡せば無境無我に入り申候
人生の目的も何れにあるやと時々疑わせ申候
四千年前に古人が賞せし名月は今日此頃客地より故山を忍ばする同一のお月様にて時の限りなき長きが如くにして短く短きが如くにして長きを感ぜしめ候
  昭和二年五月十二日 深更  英世
故城なる 父上様膝下



   碑文について(英文訳文)

博士野口英世-ロックフェラー医学研究所員
1876年(明治9年)11月9日 日本猪苗代に生る
1928年(昭和3年)5月21日アフリカ黄金海岸に死す。
科学と人生への献身の故に彼の生涯は喜んで黄熱病の征服の斗いの為に捧げられた。
この銅像は彼の親愛なる市民によって彼の偉大なる業績を記念し、かつ将来の若き世代の人々に彼の志範と激励とを要請すべく建立されたものである。
       1957年



野口英世氏、初恋の地

そして、こちらが大野君イチオシの(笑)、野口英世初恋の地で御座います〜。
えっと…今は何も無い空地にような状態なので御座いますけれど、こちらには かつて教会があり、野口氏は その教会で洗礼を受けておられます。

   野口英世 洗礼(初恋)の地

明治44年に葵高校(旧会女)の前に移転するまでこの地(旧北小路35番地)に若松栄町教会があり、野口英世は洗礼を受けました。
当時 教会では外国人宣教師が英仏語を教えており、英世も熱心な塾生の一人で、初恋の人山内ヨネ子と出会ったのもこの教会でした。
初恋は実ることはなかったものの、出会いはその後も続くことになります。
英世の山内ヨネ子への初恋に想いをはせ、初恋の花言葉をもつライラックを植樹し、記念庭園とします。
   平成16年夏 会津ふれあい通り大和町桂林寺町商店街



こんな事を申しては元も子も無いかなとは思うのですけれど、どんな偉人でも 実らなかった恋の事を こんなにも堂々と掲げられるのは、たとえ自分の死後であろうとも嬉しい事では無いのでは…;と私には思えてしまうのですけれど…わ、私だけで御座いましょうか;;

母とクラさんと会津若松…何だ、この画像は;

野口氏の生まれ故郷である福島県の猪苗代町には、野口英世記念館が御座います。
母は、そちらにも行ってみたいと申しておりましたが、若松からは距離が御座いましたので、今回は叶わず…。
また一緒に東北を旅する機会が出来たら、その時に立ち寄ってみたいなぁと思います。
その前に、東京の野口英世記念会館や横浜の野口英世資料館にも足を運んでおきたいところで御座いますね。

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Comment

 秘密にする

野口英世曰く「自分の自伝は綺麗な話だけ描いいる・・もっと真実の汚い部分も描くべきだ!」といったらしいですね(;^^)

色々な話を聞くと結構ムチャしていたみたいです(笑)

まぁ、どんな偉人でも人なのですからね(^ー^)

それにしてもクラさんを見ると(*´∀`)ってなりますね(笑)

お母様との旅行楽しそうですね♪
GAN | URL | 2008/09/24/Wed 22:37[EDIT]
>GANさん
どんな偉人も、矢張り人…本当に そうだと思います(笑)
偉人と呼ばれるようになったといって、何でもかんでも大っぴらにされるのもどうかなぁと思いますし、良いところばかりでも学ぶべきところが少ないように思えたり致しますし…。

クラさんと母との旅行は、とても楽しかったです。
私がクラさんの写真を撮っていると、母も自分のカメラを出して一緒にクラさんを撮影するようになった事が個人的に衝撃で(笑)
どうゝね | URL | 2008/09/25/Thu 01:36[EDIT]
>野口英世曰く「自分の自伝は綺麗な話だけ描いいる・・もっと真実の汚い部分も描くべきだ!」といったらしいですね(;^^)
>GANさん
わたしもそう聞きました。新宿の大京町にたしか野口記念館ビルがありましたね。
そこでの講演で「野口はアメリカ渡航の為の寄付金を横浜花柳界で全部浪費し
た、肝のとてつも無く太い男だ」って聞きました。
ん〜ん・・・羨ましいこと限りなし!!
弁慶 | URL | 2008/09/25/Thu 15:08[EDIT]
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