日本史(主に平安〜鎌倉初期)について。 あくまでも、独り言で御座います。

牡丹の君に、舞ふ千鳥。
弓矢をとるならひ、敵の手にかゝッて命を失ふ事、まッたく恥にて恥ならず。
 只芳恩には、とくとくかうべをはねられるべし。


   平家物語巻第十「千手前」より。


一ノ谷にて捕虜となった平重衡様が、鎌倉の源頼朝様の前で語る言葉で御座います。
弓矢を取る者の習いでは、敵の手にかかって命を失う事は、恥のようであって、全く恥等ではない。
 御恩には、早く首を斬られよ。

あっぱれ大将軍や、と梶原景時様を感動させた台詞であり、頼朝様に一目置かれるきっかけともなった言葉で御座います。
重衡様の潔さに感服した頼朝様が、身辺の世話役にとつけた女性が、千手前で御座いました。

高松平家物語歴史館>千手


□ 千手(せんじゅ)

生 年:1165(永万元)年
没 年:1188(文治4)年4月25日
 父 :手越長者
職 業:白拍子?遊君?


伊豆国住人狩野介宗茂の元で過ごす事となった重衡様と、夜の酒席で千手は様々な朗詠で舞い、琴や琵琶を奏でたといいます。
御酒を勧めても、余り乗って来られなかったようです。

羅綺の重衣たるは情けなきことを機婦にねたまる

と千手が朗詠すると、重衡様は、この歌を朗詠する人には北野の天神に「一日に三度翔けり守らん」と誓うものの、運命は既に諦めたものであり、それならば唱和して何になろうか、と嘆くので

十悪といへどもなほ引摂す
 極楽をねがふ人はみな
 弥陀の名号となふべし


と千手は今様を謡います。
重衡様は千手に盃を与え、琵琶を手に取ると

とぼし火くらうして数行虞氏が涙
 夜ふけて四面楚歌の声


と涙を流して謡いました。
もう1曲、と勧められた千手は、

一樹のかげにやどり
 一河の流れにくむも
 これぞ先祖の宿縁なり


と謡い、重衡様と一夜の契りを結ばれたとか…。

南都にて重衡様が処刑された後、千手は出家し、信濃の善光寺にて重衡様の菩提を弔い、数年後、24歳の若さで亡くなられたと言われております。
平家物語にも諸本御座いますので、重衡様との御関係や出家の有無等、かなり不明な点が多いのが事実です。

重衡様といえば、千手前…それから、正妻の大納言典侍で御座いますね。
別に重衡様が特別女性関係の多かった御方な訳でも無いのですけれど、敢えて取り上げられる対照的な2人の女性との恋は、どちらも儚く美しく、清らかで――。
そんな2人に愛された重衡様と、南都を焼き仏敵と呼ばれた重衡様、その対比も強く印象的で御座います。
重衡様は、素顔がきっと御愛おしい御方だったのでは、と感じずにはおれません……流石は平家物語!!(笑)

明日は、そんな重衡様について記してみようかと思います。

※いつもながら、微妙なカテゴリ分けですみません…;
 千手は鎌倉で頼朝様に仕えていたので、源氏方ではあると思うのですが、
 重衡様縁の女性、という事で「平氏」に纏めておきました。 

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