日本史(主に平安〜鎌倉初期)について。 あくまでも、独り言で御座います。

入りにし人の あとぞ追ひかけ 鰐淵の、
鰐淵寺さん01

聖の住所はどこどこぞ
箕面よ 勝尾よ 播磨なる書写の山
出雲の鰐淵や 日御崎
南は熊野の那智とかや
 (梁塵秘抄による)


後白河法皇梁塵秘抄に詠われている“出雲の鰐淵”は、現在の島根県平田市別所町の鰐淵寺さん。
平安期以降、比叡山延暦寺との繋がりを深めた鰐淵寺さんは、平安末期には既に有名な霊場、寺院として確立していた事が伺えます。

そんな御寺さんに伝えられているのが、源義経様の忠臣である武蔵坊弁慶様の修行伝説。
これは、出雲地方に伝わる武蔵坊弁慶生誕伝説の1つ――弁慶様は、仁平元年3月3日(1151年3月22日)枕木山 長海村にて御生まれになったといわれております。
御母様の御名前は、弁吉様。
紀州田辺の御出身と伝えられており……田辺に伝わる弁慶様出生地伝承との関わりが気になるところで御座います。
また、出雲へ向かわれ子宝に恵まれたのは熊野権現の御告げともいわれているそうで…熊野信仰の起源には、出雲の地が関係しているという説も御座います。
これについては、出雲国の熊野大社の事と共に近々記したいとは思っておりますが、何かしらの繋がりが蜘蛛の巣のように張り巡らされている感じがして…引っ掛かってしまいますね。

生まれたばかりの弁慶様は、とても赤子とは思えぬ外見…色黒で生まれながらに歯が生え揃い、髪は長髪で、左の肩に“摩利支天”、右肩に“大天狗”という文字を刻んでいたといわれます。
幼い弁慶様は酷い悪戯を繰り返したとして、御母様によって小島へと捨てられてしまいます;
然し、小島での因縁によって実父である山伏と出逢った弁慶様は、島を脱出。
“鬼若”と改名し、枕木山の華蔵寺、福原の澄水寺に立寄った後に、出雲の鰐淵寺にて3年間修行をなされ、御母様の元へと戻られたという事で御座います。。
武蔵坊弁慶と名乗られるようになったのは それ以降で、京へ上って牛若様との運命の出逢いを果たされたのだとか…。

   武蔵坊弁慶修行の地

 仁平元年(一一五一年)現在の松江に生まれた、弁慶は十八歳より三年間鰐淵寺で修行したと伝えられている。
 文治元年(一一八五年)壇ノ浦の合戦の後、伯耆の国大山寺より一夜にして釣鐘を鰐淵寺に持ち帰ったとされる提灯に釣鐘の伝説は有名です。
  平成十年十月吉日 平田商工会議所青年部二十周年事業



鰐淵寺さん02

18歳の頃より3年の間、この鰐淵寺さんにて修行を行われたといわれる弁慶様。
京に上り、義経様の郎党として奥州平泉にて往生なされた……と思いきや、何と こちらの伝承によれば、弁慶様…壇ノ浦合戦の後に再び鰐淵寺さんに身を寄せられていたのだとか。
えぇ!?では、吾妻鏡に記されている文治元(1185)年の義経様主従の都落ちの件は……?
謎や疑問が多い伝承では御座いますが、弁慶様縁のものと伝わる品々は、今も寺内に残されているそうで御座います。

   武蔵坊 弁慶

 仁平元年(1151年)現在の松江市に生まれた弁慶は、18歳にて鰐淵寺に入り、3年間修行した後、比叡山に登り、京都五条大橋で牛若丸と出会う。
 鰐淵寺には弁慶自画像、背負い櫃などが残っており、硯水、袂石、籠堂などの遺跡がある。
 大山寺の銅鐘と一夜にしてすり替えたという「提灯と釣鐘」の伝説で有名な胴鐘は、国の重要文化財である。



鰐淵寺さん03

鰐淵寺さんの第1駐車場から山門までは暫く登坂が続きますが、その途中途中には↑このような説明板が幾つも立てられており、鰐淵寺さん縁の方々について勉強しながら向かう事が出来ました。

   智春上人

 信濃の神僧智春上人は遊化して伯州北の浜まで迎えに来た、智尾、白滝、旅伏の三翁の船に乗り旅伏山に着き、
   「コソノケフ 詠メシ月ハ カハラネド コヨヒタダフス 空ニ充カナ」
と詠し、翌日、現在の蔵王の滝にて釈迦文佛より命を受けて開山した。
時に、推古天皇二年(594)であった。



   慈覚大師 円仁

延暦13年(794年)下野国に生まれ、15歳で比叡山に登り、伝教大師最澄の門下となる。
承和5年(838年)入唐、同14年九州大宰府より山陰を巡化して帰京。
その途中鰐淵寺において、薬師如来と千手観音の2体の像を刻んで本尊とし、法華堂、堂行堂を建立、三台杉は大師のお手植である。
 帰叡後、仁寿4年(854年)天台座主となり、貞観6年(864年)示寂。



   頼源

 元弘二年(一三三三)後醍醐天皇隠岐遷幸の折、長史頼源は隠岐国分寺御所に伺候してご宸筆の願文(重文)を賜った。
その後六波羅西門の戦いに軍功を立て、建武中興後は執達状(重文)を貰った名和長良年等と力を合わせて南朝のために尽くしたが、貞治五年(一三六六)浄達上人への譲文(重文)を最後に歴史の舞台から退いた。



   栄芸

 永禄年間(一五五八〜七〇)に毛利元就が尼子氏を降し滅亡させた際、かねてより元就と親交のあった和田坊栄芸はその攻めに助力を惜しまなかった。
のち天正五年(一五七七)に孫 輝元はこの栄芸の功労を愛で大檀主となって本堂を再建した。



   八百屋 お七

天和2年(1682)江戸本郷の火災の時、お七は若衆小野川吉三郎に出会い、激しい恋情を抱いた。
お七は吉三郎が忘れられず、逢いたい一心で、天和3年放火、火刑となった。
 吉三郎はこれを憐み、出家して、お七の遺骨と供に全国の寺院を行御、鰐淵寺で行き倒れになったと伝えられる。



鰐淵寺さん04

登坂の奥に見えた山門は、とても厳かで立派な造りで御座いました。

鰐淵寺さんへは、出雲大社の背後から山越え経路で向かいました。
御盆の時期は余り訪れる人が居ないのか、散策路でも境内でも、殆ど人と擦違う事は御座いませんでしたが、それが また神聖な雰囲気を醸し出す要素の1つにも感じられました。

鰐淵寺さん05

山門を潜り、小さな橋を渡って川を越え、更に上へと続く石段まで歩きます。
直接日差しの届かない天井には、逆光の紅葉が鮮やかな緑を彩っており、これは秋になると とても豪華な色合いになるのだろうなぁと思わされました。
実際に、毎年 紅葉の季節になると、紅葉狩り目的の観光客で駐車場も境内も一杯になるのだそうで御座います。
この静かな雰囲気からは想像が出来ないなぁと思いつつも、それだけ見事な紅葉の山を、私も拝見してみたいなとは思いました。

鰐淵寺さん06

石段を上り、更に上へと向かいます。

途中、釣鐘を担ぎ、薙刀を持った弁慶様の顔はめパネルを発見致しました!
見ると、どうしても記念撮影がしたくなる、魅惑のパネル…母に、是非とも ここで1枚写真を撮りましょうと強引に誘い、欲求を満たす事が出来ました(笑)

鰐淵寺さん07

□ 鰐淵寺(がくえんじ)

所在地:島根県出雲市別所町
御創建:推古2(594)年
御開山:智春上人
宗 派:天台宗
山 号:浮浪山
正式称:浮浪山一乗院鰐淵寺
通 称:鰐山
御本尊:千手観世音菩薩、薬師如来


鰐淵寺さんの御起源は文献等に明らかとなっている訳では御座いませんが、推古天皇2(594)年に信濃国の智春上人が推古天皇の眼疾平癒を浮浪の滝に祈願し、それが叶った事から、天皇の勅願によって建立された御寺さんであると伝えられております。

伝教大師様こと、最澄様が比叡山に天台宗を開かれると、鰐淵寺さんは日本で最初の延暦寺末寺になりました。
御本尊の千手観世音菩薩薬師如来の御像は、最澄様の御作であると伝わります。
秘仏とされており、33年に1度、開扉法要が営まれるそうで御座います。
観音様と薬師様、そして蔵王信仰も伺える歴史深い御寺さんで御座います。

また、古くから出雲大社との縁を深め、神仏習合時には出雲大社の別当寺としても役割を担っておられたようで御座います。
南北朝時代、戦国時代と勢力を増していかれた鰐淵寺さんでは御座いましたが、出雲大社の御頭神事が衰え始めると、次第と衰退していかれたといわれます。

  天台宗
   浮浪山 一乗院

    鰐淵寺
開山 智春上人推古二年(五九四年)
本尊 千手観世音菩薩 薬師如来


 推古二年(五九四年)智春上人が推古天皇の目疾を流浪滝に祈って平癒されたので、その報賽として建立された勅願寺である。
天竺(印度)雲鷲山の□地が欠けて浪に浮かんで流されて来た土地で流浪山と称す。
上人密法を修し給う折、誤って腕の仏器を滝壷に落とされたとき、鰐魚が鰓にかけ浮かび上がったことにより寺号を生じる。
 伝教大師が比叡山に天台宗を開かれると、慈覚大師の薦めもあり、日本で最初の延暦寺の末寺となる。
又、早くより出雲大社との関係を密にし別当寺ともなった。
 元弘二年(一三三三年)後醍醐天皇が隠岐遷幸の折、長吏頼源が国分寺御所に伺候して、ご宸筆の願文(重要文化財)を賜った。
永禄年間には和多坊栄芸が毛利元就の尼子攻めに助力したため、天正五年孫の輝元はこの栄芸の功労を愛で本堂を再建した。
 又、弁慶は十八歳で当山に入り、三年間修行の後 書写山から比叡山に登ったと伝えられており、その伝記や遺品にも事欠かない。
一方、二三、六三五坪の山内は自然に恵まれ、春は緑の香にむせび、秋は深紅になる「いろは紅葉」が全山を覆う。



   根本堂(天台宗)

本尊 千手観世音菩薩 薬師如来。
推古天皇二年(五九四)信濃国の智春上人、天皇の眼疾を流浪滝に祈って平癒されたのでその報賽として建立された勅願寺。
平安初期伝教大師比叡山に天台宗を開かれるといち早くその法門に帰依して日本で最初に比叡山の末寺となった。
本尊は第三台天台座主慈覚大師の作。
現在の建物は戦国時代広島の毛利元就が尼子氏を攻めた際、栄芸法印を始めとして毛利氏に力を盡した為 孫の輝元が建てたものと伝えられる。



鰐淵寺さん08

根本堂に向かって右奥には、弁慶様が大山寺から ひと晩で運ばれて来られたといわれる釣鐘を見る事が出来ました。
国の重要文化財に指定されている この銅鐘には、寿永2(1188)年の銘が刻まれているという事で御座います。

寿永2(1183)年というと、平家御一門の都落ちや木曾軍の入京、後鳥羽天皇の即位等が行われ、都の中心が大きく揺れ崩れた年。
この頃の義経様主従の動向は正確に伝えられるところでは御座いませんが、11月(1184年正月)には木曾義仲様追討の為、範頼様と共に京に向かわれておりますので、鎌倉に居られたのでは…と考えられる事が多いように思われます。
そんな時分に、何故 弁慶様が出雲国へ……?

“弁慶様”+“釣鐘”といわれると、個人的には園城寺の弁慶鐘のイメージが強いのですが…一般的にも広く知られているのは、こちらなのでは無いでしょうか。
……そういえば、園城寺についても書こう書こうと思いつつ、全く触れてもおりませんでした;
三井寺周辺は、何だか自分とは波長の合わない土地のように思えまして…ちょっと避けておりましたが(でも、割とちょちゅう行っております/苦笑)、近い内に記しておきたいとは思っております。。

   銅鐘(重要文化財)
    総高 - 113.1cm 口径 - 63.2cm

寿永2年(1183)在銘の銅鐘
もと鳥取県倉吉市桜大日寺上蛇の鐘
当山で修行した武蔵坊弁慶が1夜のうちに伯耆大山寺から持ち帰ったとの伝説は名高い。
これにちなんだ「弁慶まつり」は毎年挙行される。



鰐淵寺さん09

画像には御座いませんが(またウッカリやってしまいました;;母が、「亀が踏ん張って燈籠を支えている」と夢中になっておりましたので、つい……)根本堂の左側には、慈覚大師が御手植えになったといわれる三台杉と常行堂、摩蛇羅神社が御座いました。
御祭神 摩蛇羅神は、天台宗の御本尊で阿弥陀経、念仏の守護神とされる摩多羅神なので御座いましょう。
渓嵐拾葉集の“常行堂摩多羅神事”で、慈覚大師が帰国する船の上で摩多羅神の声が聞き感得され、比叡山に常行堂を建立、常行堂へ勧請された故事に倣って御祀りされたものと思われます。
摩多羅神は、平安期から鎌倉期の頃に成立したといわれる玄旨帰命壇の御本尊であったと考えられております。
玄旨帰命壇は時代の経過と共に邪教として扱われるようになり、江戸期には途絶えてしまったといわれます…。
元は出雲大社裏の辺りに御祀りされていたという事で御座いますが、こちらに摩蛇羅神社が現存している経緯は如何なるものなので御座いましょうか。
御創祀年代等も気になってしまいますね。

   摩蛇羅神社

慈覚大師が請来したと伝えられる守護神摩蛇羅神をまつる神社。
江戸時代までは出雲大社の裏にあった北蛇(現在の唐川町後野)にあった。
旅の安全(特に船旅)と風邪の神々として信仰をあつめている。
大祭は正月十一日早朝



鰐淵寺さん10

観光シーズンで無い為か、駐車場下の御土産屋さんも休業中のようで御座いました。
弁慶様のイラストの横に“鰐山名物”と書いてあると…どんな名物が!?とワクワクしてしまいます///

鰐淵寺さんは、本当に静かで素敵な御寺さんで御座いました。
また島根に行く際には、是非立ち寄らせていただきたいなと思います。

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Comment

 秘密にする

はじめまして
足跡辿ってまいりました。
私は山陰に住んでおりまして、被写体としての神社・仏閣を写真に収めています。
恥ずかしいお話ですが、どうゝね ひろこさんのように、歴史やその場について、あまり詳しくはありません。
事前にその神社や寺の勉強をして行けば、また違った目線で捉えることができそうですね。
こちらで勉強させていただきます^^
マシンガン | URL | 2008/09/02/Tue 19:57[EDIT]
こんばんは☆
こんばんは!菱沼翠です。
リンクフリーに甘えてしまいました。本当にすみません…。
相互だなんて光栄です。ありがとうございます!

個人的には弁慶は最後まで義経と一緒にいて欲しいと思っていますが、出雲に身を寄せたという説も気になります。弁慶の自画像が見てみたいです♪
源平の時代は思ったより資料が少なくて、その少ない資料の中で矛盾したものがあるんですよね。お陰で「私はこんなふうに思う」といろいろ想像を膨らませて楽しむことができるので好きです。

根本堂の亀の灯籠、何だか亀が頑張っている感じがして面白いです。
菱沼翠 | URL | 2008/09/03/Wed 02:06[EDIT]
>マシンガン様
こんにちは、コメント有難う御座います。
鰐淵寺さんについて書いたものの、他の方は どのような記事を書かれていらっしゃるのかなぁと気になりまして、検索でマシンガン様のブログを見付けてこっそりと拝見させていただいてしまいました…///
御写真がとても素敵で、記憶の中の光景が再び目の前に広がるようで御座います。

私は、歴史的な面から神社仏閣へ御参りさせていただいておりますので、どうしても先入観を持ってしまいがちなので御座いますが、なるべく何も考えない状態で御挨拶して、素直に感じられるものが何かあるといいなと思いながら社寺巡りを致しております。
素人では御座いますが、写真も大好きで…もっと上手に撮れたら良いのになぁと思いつつ。。
よろしければ、また是非覗いてやって下さいませ。
私も、遊びに行かせて下さい♪
どうゝね | URL | 2008/09/04/Thu 01:29[EDIT]
>菱沼翠さん
こんばんは。
相互OK、有難う御座います〜。
早速、貼らせていただいちゃいましたv
これからも、是非是非仲良くしてやって下さい〜。
私も、遊びに行かせていただきます♪

私も、矢張り 弁慶様は最後の時まで御曹司の御傍に…!と思ってしまいます。
弁慶様の自画像、気になりますよね〜。
私も見てみたいです。。
鰐淵寺さんは、数年前に大量の御宝物が盗難被害に遭われてしまったそうで…中には文化財の指定を受けていたものも含まれていたそうで御座いますので、よっぽどの機会が無ければ 今後こちらの御宝物に御目に掛かれる事は無いのだろうなぁ…と残念に思っております。。

歴史の中の矛盾って、追及していくと とことん混乱するのですが、それが とても面白いといいますか…過去の出来事なのに、どこまでも いろんな想像が出来て、自分の中の世界を広げていっているなぁと感じられるのが とても幸せです。
自分に都合の良い解釈をしてしまう事も屡々ですが、それも歴史好きの醍醐味ですよね…と、更に自分を肯定する私(笑)

亀さんの灯籠、頑張ってました。
つい、「燈籠…重い?」とか声を掛けちゃったりも…///
どうゝね | URL | 2008/09/04/Thu 01:58[EDIT]
ありがとうございました
いろいろ鰐淵寺の調べをしておりまして、検索してたどり着きました。詳しく書いていただきまして、ありがとうございました。勉強になりました。

他にも随分と見聞がお広いのですね。今後ともお世話になります。よろしくお願い致します。出来れば、私の方の仏教ブログとリンクさせていただけたら有難いのですが。いかがでしょうか。
zen9you | URL | 2009/02/10/Tue 19:56[EDIT]
>zen9you様
こんにちは、初めまして。
返信が遅くなってしまいまして申し訳御座いませんでした。
コメント有難う御座います。

鰐淵寺さんには去年の夏に訪れたばかりなので御座いますが、とても素晴らしい御寺さんで驚く事ばかりで御座いました。
サイトも拝見させていただきました。
同郷で嬉しく感じております。
私は余り仏教には詳しく無いので御座いますが、こちらこそ御迷惑でなければ是非 今後ともよろしく御願い致します♪
こちらからリンクを貼らせていただきましたので、御手すきの際に御確認いただけますと幸いで御座います。
どうゝね | URL | 2009/02/14/Sat 17:20[EDIT]
ありがとうございます
こちらもリンク貼らせて頂きました。どうぞ宜しくお願いします。

3月9日に参ります。鰐淵寺さんは、伽藍のことはよく調べられたのですが、肝心の本尊さんについては全然資料がありませんで困っています。

他に華蔵寺さんにも参ります。そちらは行かれてませんか?
zen9you | URL | 2009/02/17/Tue 07:26[EDIT]
>zen9youさん
こんにちは、またしても遅い返信となってしまいまして…誠に申し訳御座いません。。

3月9日に鰐淵寺さんへ行かれるのですね。
御本尊については、私も良い資料を見付ける事が出来ず……。
時間の都合も御座いまして、華蔵寺さんには行く事が出来ませんでした。
他にも、行きたい社寺等が多く御座いますので、次回 出雲へ行く際には現地でもっと調べ物が出来たらと考えております。

リンク貼っていただきまして、有難う御座います。
今後とも、よろしく御願い致します。
どうゝね | URL | 2009/03/04/Wed 17:03[EDIT]
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