日本史(主に平安〜鎌倉初期)について。 あくまでも、独り言で御座います。

なき砂に、なみだ飛沫の琴ヶ浜。
琴ヶ浜01

その御姿は見えねども、己が心を琴の音に代えて、今も御浜で鳴くといふ――…。

絵本『琴姫のなみだ』を読んで、私は 琴姫様に御逢いしたいと、ずっと思っておりました。
“琴ヶ浜”って 何処にあるんだろう…ろくに調べる事もせず、ただ何と無しに時を待っていた私は、先月の出雲大社御本殿特別参拝の為に島根へと向かう途中、ふと広げた地図に“琴ヶ浜”という文字を発見致しました。
石見国を北陸地方辺りだろうと適当に思い込んでいた私は(馬鹿なのです…凹)、よもやとは思いましたが、良く良く考えてみれば、長門国 壇ノ浦より海流に乗って流された上、生存されていたのだとすると、北陸よりも 島根の この日本海沿いの方が信憑性が高く、よっぽど可能性も高いのでは…!?と今更な見解に辿り着きまして(苦笑)
広島から出雲を目指していた経路からは少しズレてしまいますが、どうしても気になりましたので、母に
この“琴ヶ浜”という所に、行ってみたいのです…
と相談したところ、
琴ヶ浜?別にえぇけど、もう何回も行っとるよねぇ?
………って、えぇっ;
どうやら私は、小さい頃には 割と ちょくちょく山陰にも遊びに来ていたようで、琴ヶ浜にも何度か足を運んているとの事で御座いました…全く覚えていないなんて、勿体無いー…これだから、子供に旅は贅沢なのですよっ!(←…?)
母曰く、私が中学生の頃にも連れて来たという事なので御座いますが……それも覚えていないとは、我ながら記憶喪失なのでは?と心配になってしまいますね。。
いえ…あの頃の私は、思春期真っ只中で か〜なり荒んでおりましたのでー…覚えていなくて逆に良かったのかもしれません…きっと、自己防衛機能なのですね!人間って、案外 都合良く出来ているもので御座います〜(どういう解釈…)

琴姫様

□ 琴姫(ことひめ)

生 年:不詳
没 年:不詳
 父 :不詳
 母 :不詳
 諱 :不詳


琴姫様は、平家方の御方……分かっているのは、それだけで御座います。
流れ着いた村で“琴姫”と呼ばれるようになりましたが、それ以前に何と呼ばれていたかは分かりませんし、御出自も不明。
史実上に実在された御方であるという証拠も御座いません。
何の根拠も御座いませんが、個人的には平家の姫というよりも、平家に仕えておられた女房の御ひとりだったのでは、というような気が致します。
京から遠く離れた海沿い村人の方々が、貴族並みに祖育てられた姫君と女房の違いを認識されていたとは思えませんし…可能性としてはゼロでは御座いませんよね。

琴と共に流れ着き、琴の音に心を重ねられていたと伝えられている事から単純に想像させられるのは、琴の上手であられた御方が 大切になさっていた琴を抱えて入水されたけれど、琴が浮いてしまって絶命とならず、そのまま潮に流されて この浜に打ち上げられた…という光景。
また、特に 琴に執着があった訳でも無い御方が入水されたものの、苦しくなって水面に漂っていた琴にしがみつかれ、そのまま流されて…というのも、考え得る事かなとは思います。
女性の重々しい装束で海中を漂うのは とんでもない事のように思えますが、もしかすると その分厚い装束の御蔭で海上遭難には付き物といわれる凍死の危険を免れる事が出来たのかもしれません。

琴ヶ浜02

琴ヶ浜があるのは、島根県大田市仁摩町馬路町。
こちらに伝わる琴姫伝説は何故か1通りでは無く、色々なものがあるのだそうで御座いますが…共通して伝えられているのが、壇ノ浦に平家が滅んだ数日の後に平家縁と思われる高貴な女性が、琴と共に浜に流れ着かれたという事。

長い年月を語り継がれる間に、地域内で様々に言い伝え内容が変化していったようで御座いますが、琴姫様が生存して漂着されたという伝説の他に、遺骸となって琴と共に流れ着いたという御話もあるそうで。
また、琴姫様は18歳の美女であったとか、御父様は盲目でありながらも琴の名手で 琴姫様は御父様に秘伝の曲を教え込まれていたとか…。

浜に生きて流れ着かれたとされる御話では、暫くして回復された琴姫様は、毎日 琴を奏でるようになり、村の方々は それを喜んで聞きに行っていたという事で御座いました。
然し、折角生き長らえた琴姫様で御座いますが、その後は余り長く生きられる事無く、儚くなられたという事で御座います。
死因は、風邪や病によるものであるとか、原因不明だとか…。

そして、琴姫様の死を悼み、手厚く葬った村の方々は その後に浜を歩いて驚かれます。
浜一帯に綺麗な白い砂が見られ、上を歩くと まるで琴を奏でたような可愛らしく、何処か悲しくも聞こえる音色がするようになっていたので御座いました。

琴ヶ浜03

馬路町琴ヶ浜の鳴き砂は、日本国内に幾つか存在する鳴砂海岸のひとつ。
約2キロメートルに渡って続く、100メートル幅の真っ白な砂浜の上を走ると、キュッ、キュッ、と音が鳴ります。
“鳴り砂”、“歌い砂等”と呼ばれる事も御座いますが、この付近の方々には“砂外れ”と呼ばれております。

私が訪れた時、琴ヶ浜海岸は海水浴を楽しまれる方々で賑わっておりました。
綺麗な砂を手で掬い、さらさらと風の流れに乗せると、海へ帰って行くかのように波の上へと飛んで行きました。

↓琴ヶ浜の中央には、琴姫様供養為の石碑が建立されておりました。

   琴姫の碑

 寿永四年春 壇ノ浦の合戦に敗れ去った平家一門の姫がこの馬路の浜に漂い着いた
情厚い村人に助けられた姫はよる辺なき身をこの地にとどめ 報恩にと日毎夜毎琴を奏でて漁師たちを慰め励ましまた村人たちも姫を深く敬慕した
 没後心美しい姫を浜一帯が見おろされる小高い丘に手厚く弔い葬った
そして時代をつらぬき琴姫さん琴姫さんと思慕してきたのである

 大正以来山陰線開通をはじめ時の移り変わりを見たので 町民相はかりこの処をえらび 改めて碑を建立することとなった
 鳴る白砂と囲繞する景勝と共に姫はいつまでも人々の心の中に生きるであろう
   昭和四十二年七月 元馬路中学校長 福田吐甫しるす



   琴姫伝説

 むかし、源平の戦いで平家の壇の浦に敗れた春のこと。
ただひとり小舟に身を託して逃げのびた美しい姫が琴を抱いて気を失っていました。
やっと石見の海岸に流れついて、村人たちの手厚い介抱に元気を取りもどした姫は、毎日琴を奏でては,村人たちの心を慰めていました。
 ところがある日突然この世を去ってしまいました。
 敬愛していた姫の死に村人たちは嘆き悲しみ、浜の見える丘に姫をねんごろに葬りました。
 すると次の日からあたかも琴を奏でているような、美しい音色で浜が鳴り始めました。
 これは、きっと姫の魂がこの浜にとどまって村人たちを励ましてくれているのでは‥‥
馬路の人々のやさしさを象徴する言い伝えとなりこの浜を琴ヶ浜と呼ぶようになりました。
   平成16年3月20日 琴ヶ浜観光協会



琴ヶ浜04

平家の女性で琴の上手と伝えられるのは、壇ノ浦まで存命されておられませんが盛子様、清盛様の姫で源義経様の異母妹に当たる廊御方…等。
廊御方は壇ノ浦まで御一門に従われておりますが、源氏軍に捕えられておりますし……琴姫様は矢張り、御名前の伝えられぬ女性の御ひとりであったのかもしれません。

琴ヶ浜05

…それから、これは余り関係が無い事柄では御座いますが、平家物語 高倉天皇の寵愛を受けられた小督様も琴の名手で御座いましたね。
“琴”繋がり…という事で、明日は 小督様について記そうかと思います。

fc2 ブログランキング…こっちも気が向いたらクリックラ、クリックラ♪にほんブログ村 歴史ブログに参加させていただいておりますクラ!

Comment

 秘密にする

久しぶりでしょうか?
うわー,相変わらずパワフルにそして活発にレポート更新なさっていますね。
 こないだ来たときは紀州で今度は石見ですかぁ〜。物部氏のお話も出ていますね。ヤマトの大王以前に出雲系の神を奉って,倭王だったかもしれないとされていますね。
 前置きはそのくらいにして,実は前回来たときに,紀州の熊野三山とかをしきりに扱っておられたのを覚えていて今回訪問しました。
 熊野権現が沖縄にもたくさんあるのをご存知ですか(きっとご存知だはず)。琉球八社のうち,七つまでが熊野権現を祭っているのです(残るひとつは八幡大神)。
 先週の8月最後の土日に,宜野湾と北谷のエイサー祭りを見に行った際に,宜野湾市普天間の普天満宮を参詣したんです。今回,添付のURLで熊野権現と琉球古来の神を合祀する普天満宮についてレポートしました。よかったら,ここでいいのでご意見あったらお聞かせくださいね。
KI | URL | 2008/09/06/Sat 04:48[EDIT]
実は偶然にも昨日、琴姫伝説を知ったばかりなんですよ(^^)

風と共に琴の調べも聞こえてくると言う実しやかなお話も聞いた事が・・。

不思議なもので、茶碗半分程の琴浜の砂に耳掻き一杯でも入ると音が消えてしまうそうですね。

美しい砂浜は汚れてしまうとその琴の調べも消えてしまう、だからこそ綺麗に守って行きたいものですね(*・ω・)

クラさんは相変わらずの愛らしさで♪絵本読んでる姿も可愛かったですよ♪

母上様の撮られた写真も素敵ですね、どうゝねさんとクラさんが海をバックに♪

あ・・悩みは自分の心の弱さにあるんです、どうにも別れた彼女の事を忘れられずに思い出しては落ち込むといった感じで。

未だに好きだけに忘れることも出来ずに駄目な男なんでした・・( xx)
GAN | URL | 2008/09/06/Sat 10:15[EDIT]
無粋な話ですが・・・
当方にも琴の名手、阿古耶姫の伝説があり、彼女と藤原実方氏、実方氏の娘の中将姫の3人の「墓」がある寺をどううねさんも訪ねられましたね。(3月頃の記事?)
話が変わりますが、私が小中学生の頃、「琴ケ浜」という四股名の関脇くらいの名力士が居りました。現在のブルガリア出身の琴奥州関の大先輩になります。
彼の四股名は石見の琴が浜にちなんでいたのでしょうか。
美しい姫君の話から太っちょのお相撲さんの話を連想するなんて、やはりワダスは無粋なオズサンなんですなあ! ←少し古代蝦夷弁の訛りになりました。
蝦夷弁のK | URL | 2008/09/06/Sat 17:43[EDIT]
>KIさん
こんばんは。
私は、個人的に紀伊国、熊野の霊場、信仰が大好きで頻繁に訪れておりますので…何処よりも特別なので御座います。
沖縄にも熊野信仰が通じている事は存じております。
以前、波上宮については記しておりますが、沖縄の熊野信仰については本土と違った部分や熊野とは無関係とされる説等も御座いますので……未だ未だ勉強中の身で御座います。。
先週、普天間宮に行かれたのですね。
今、旅先で御座いますので、自宅に戻りましたらレポート拝見させていただきます。
御教えいただきまして、有難う御座います。
どうゝね | URL | 2008/09/06/Sat 21:53[EDIT]
>GANさん
わぁ!琴姫伝説を昨日知られたので御座いますか〜!
どんなキッカケで御知りになられたので御座いますか、気になります〜。
琴ヶ浜は、本当にきれいな浜辺で感動で御座いました…!
あの美しい海と浜、そして琴姫様の伝説が永遠に続けば良いなと心から思います。

己の心の弱さ…私にも御座います、とても良く似た感情…(苦笑)
頭では理解していても、心が整理出来ない事ってありますよね。
時間が経てば、と言いますが…本気であればある程に、それは中々に難しい事で御座います。。
幸せって何だろう、って思ってしまいますよね。
すみません、私まで何だか;
どうゝね | URL | 2008/09/06/Sat 22:00[EDIT]
>蝦夷弁のKさん
そうですね。
同じ平安時代でも時期が違いますが、阿古耶姫様も琴の名手で御座いましたね。

実は今、旅先の宿に居るのですけれど、さっきテレビで「オーラの泉」を見ていた時に、ブルガリア出身の琴欧州関がゲスト出演されていらっしゃいましたので、ちょっとKさんのコメントを拝見して少し吃驚してしまいました…力士さんには疎いもので(笑)
“琴ケ浜”という御名の力士については存じ上げませんでしたが、琴欧州関さんの親方さんやその御弟子さん方には“琴”という字を継がれていらっしゃる方が沢山いらっしゃるのだそうですね〜。
国内には、石見の他にも“琴が浜”という名称の鳴砂の御浜があるそうで御座います。
何だか、御由来が気になってしまいますね。
どうゝね | URL | 2008/09/06/Sat 22:09[EDIT]
Track Back
TB*URL

Copyright © ■花林 〜小枝の音色に誘はれて〜. all rights reserved.
FC2ブログ