
諏訪大社 下社 秋宮は、JR下諏訪駅より徒歩約10分。
温泉街に近く、拓けている為、観光客も多く参拝に来られる御社で御座います。
私にとって、諏訪の神域は異国の聖地ような印象すら感じる場所で御座いました。
この国の、この土地に古来より根付き信仰されてこられた神様…とても自然で、とても新鮮。
4社から成る大社の中でも、特に ここと私は何だか縁遠い気がするなぁと感じさせられたのが、秋宮で御座いました。
秋宮は、私がいちばん好きだと感じた春宮と同じ下社で同一の御祭神を御祀りされる御宮様で御座いますのに…不思議なもので御座います。

こちらも、境内入口には御神湯が御座いました。
これがまた、想像以上に熱くって…(笑)

境内に入って、先ず目に入りましたのが、大きな御神木の杉の木で御座いました。
“根入りの杉”と呼ばれる、樹齢600〜700年の大木なのだそうで御座います。
根入りの杉
この杉の木は樹齢 凡六〜七百年、丑三っ時になると枝先を下げて寝入りいびきが聞こえ、子供に木の小枝を煎じて飲ませると夜泣きが止まるといわれております
ネイリの杉
鳥居から正面に見える大きな杉の木は大社の御神木の一つです。
枝が垂れ下っていて「寝入りの杉」だとか、枝の挿木に根が生えたものなので「根入りの杉」とか言われています。
また夜は特に枝を下げ布団を掛けて静かに寝ている様にも見え、時にはイビキも聞こえると言われこの杉の木の皮を使ったお守りは、夜泣きをする子供がよく眠れるようになると言われております。
樹齢は六七百年と言われます。

国の重要文化財に指定されている秋宮の神楽殿は、とても見事で御座います。
この御立派な注連縄は…何だか出雲大社を思い出しちゃいますね〜。
と思ったら、出雲から職人さんを呼ばれて作られたもののようで…全くの無関係という事でも無いので御座いますね。
神楽殿
狛犬を両脇に従えた三方切妻造りの大きな建物は神楽殿で、神様をお慰め申し上げ、またお楽しみ頂くために雅楽や舞を奉納したり、色々の祈願をするところです。
現在の建物は神社本宮と同じ二代立川和四郎富昌に依り、一八三五年天保六年に完成したもので、雄大な構想を清楚で簡単にまとめてあり、神社に相応しく、鮮やかな手腕と言われます。
神楽殿の大きな〆縄は地元下諏訪町氏子有志に依る、大〆縄奉献会の人々が出雲から職人を呼び作らせたもので、出雲大社のものと良く似ておりますが、長さが約十三米あって出雲大社型の〆縄では日本一長いと言われ、目方は推定ですが五百キロ位です。

□ 諏訪大社 下社 秋宮(すわたいしゃ しもしゃ あきみや) □
所在地:長野県諏訪郡下諏訪町
御創建:不詳
主祭神:建御名方神、八坂刀賣神(※8月1日〜1月31日)
諏訪大社 下社の御祭神は、2月から7月までは春宮に鎮座されておられますが、8月1日から翌2月1日までは秋宮に鎮座されます。
本来、諏訪大社は上社に建御名方神、下社に八坂刀賣神を御祀りされていたようで御座いますが、現在 下社には両神様が御祀りされておられます。
上社の大祝は神別、御諏訪様の御子孫を称されておりましたが、下社では皇別…つまりは、皇族の御子孫 神武天皇の御子である神八井耳命を祖とする御家系が代々大祝を務めてこられたと伝えられます。
秋社は御宝殿の奥に、御神木である一位の木があり、御本殿は存在致しません。

境内には拝殿の手前両脇に幾つかの摂末社が御祀りされておりました。
新潟の諏訪神社の御子息でいらっしゃるドラさんは、諏訪大社に鹿島社が存在している事が面白いと仰られておりました。
古事記によりますと、鹿島社の御祭神 武甕槌命は、国譲りに反対した御諏訪様=建御名方神と相撲勝負で勝利され、建御名方神を諏訪へと追いやられたと伝わる神様。
そんな かつて敵対関係であられたといえる武甕槌命が諏訪大社の境内に御祀りされている事は、確かに興味深く感じられます。
諏訪大社の各社には子安社が御祀りされており、どの御社でも底無しの柄杓が沢山奉納されているのを見る事が出来ました。
底無し柄杓は、底が抜けていて 掬った水がストンと落ちてしまう事から、安産祈願で奉納される事が多いですね。
この信仰、知識として知ってはおりましたが、実際に安産の御神徳、御利益があるという社寺でも殆ど見掛けた事が御座いませんでした。
その他、境内社として賀茂上下社、八坂社、皇大神宮社、若宮社、稲荷社…それから、秋葉社と津島社と思われる小さな石祠も境内で見掛ける事が出来ました。
神宮の遥拝所が設けられていた事にも、関心を引かれます。

秋宮の宝物殿。
こちらには、源頼朝様直筆と伝わる下文が展示公開されておりました〜。
その他にも、国の重要文化財である売神祝印や、武田信玄公奉納と伝わる太刀、東郷平八郎氏の鑑定証付御神号等、貴重な御宝物を間近で拝観する事が出来ます。

正面の大鳥居の左手前には、千尋池という御神池が御座いました。
“千尋”という響きが好きだなぁと思っておりましたが、ちゃんと御由来があるそうで…池の底が静岡県の浜松の海まで続いているといわれた事から名付けられているそうで御座います。
何だか何処かで耳にした伝説と似ておりますが…目に見えないところで繋がっているものが確かに在るのだと、その御名が示しているようにも感じます。
千尋池
秋宮大鳥居手前左側の池で、古図を見ると今より相当大きかったことがわかります。
神社の御手洗川の清流が入りこむ池で、池の底は遠く遠州浜松の近くの海に続くと言われ、そこから千尋の名が付いたと言われます。
社伝に依ると大社の宝物で、国の重要文化財に指定されている銅印、奈良朝時代平城天皇の御下賜と伝えられている「売神祝印」が、火災の際の灰と共にこの池から発掘されたと言われています。
また神社の古い神楽歌に
『諏訪の海 大和の浜よりよする波、千尋の池に重の浪立つ』
という歌が残っています。

秋宮の駐車場前には、八幡山と呼ばれる小さな丘が御座います。
こちらには、天満宮、貴船社、御室社等を合祀された八幡社と、秋宮恵比寿社が御祀りされておりました。
この高台辺りは、下社の大祝である金刺氏の御館である神殿に付属する御城の跡地であるようで御座います。
鎌倉幕府、それから木曾義仲様とも非常に御縁の深い場所で御座いますので、これについては また改めて別記したいと考えております。


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