
信濃國一之宮の諏訪大社。
上社は 本宮が諏訪市、前宮が茅野市に御座いましたが、下社の春宮と秋宮は諏訪郡下諏訪町に御座います。
4社を合わせた総称が諏訪大社になるのですが、それぞれの御鎮座置が 市外、郡外で離れている事にも驚きで御座いますね。

春宮の前には、約800メートルの大門通という御参道が御座います。
かつては、春宮専用の道として武将方が流鏑馬を競った馬場であったようで、金刺氏をはじめ、鎌倉幕府に従う多くの武将方も こちらに集われたといわれます。
画像には御座いませんが(苦笑)、御参道途中の道路上には太皷橋が御座いました。
別名 下馬橋ともいわれた太鼓橋は室町時代の建立で、身分を問わず下馬の礼をとらねばならぬように定められていたといいます。
境内に入って先ず目に入るのが、大社内で最も改修の多い建物と伝わる神楽殿。
最近では、昭和初期に大改修が行われているそうで御座います。
神楽殿
ご神前にお神楽を奉納するための建物で落成は江戸時代前期天和年間(一、六八〇年)ころのものです。

□ 諏訪大社 下社 春宮(すわたいしゃ しもしゃ はるみや) □
所在地:長野県諏訪郡下諏訪町
御創建:不詳
主祭神:建御名方神、八坂刀売命(※2月1日〜7月31日)
諏訪大社 下社の御祭神は、2月から7月まで春宮に鎮座され、8月1日の御舟祭にて秋宮に遷座されて、翌年2月1日に再び春宮に帰座されるそうで御座います。
下社の2社が“春”と“秋”と季節を表されているのは、それ故なので御座いますね。
諏訪大社下社春宮
幣拝殿・左右片拝殿
重要文化財 昭和五十八年十二月二十六日 指定
諏訪大社は建御名方富命と八坂刀売命を祀り、上社は建御名方富命(彦神)を下社は八坂刀売命(女神)を主祭神としている。
下社の祭神は、二月から七月まで春宮に鎮座し、八月一日の御舟祭で秋宮に遷座し、翌二月一日に春宮に帰座される。
下社の中心となる建築は、正面中央にあり拝殿と門を兼ねたような形式の幣拝殿、その左右にある回廊形式の片拝殿、それらの背後にある、東西宝殿からなる。
東西の宝殿は茅葺・切妻造・平入の簡素で古風な形式をもち、申寅の七年ごとに新築する式年造替制度がとられている。
右のような社殿形式は諏訪大社に特有のものであり、また、その幣拝殿と左右片拝殿に似た形式は、長野県内の諏訪神を祀るいくつかの神社でも用いられている。
現在の春宮の幣拝殿は安永八年(一七七九)に完成したと考えられる。
大工棟梁は高島藩に仕えた大工棟梁伊藤儀左衛門の弟である柴宮(当時は村田姓)長左衛門矩重(一七四七〜一八〇〇)であった。
幣拝殿は、間口の柱間が一間、奥行が二間で、背後の壁面に扉口を設ける。
二階は四方がふきはなちで、屋根は切妻造・平入の銅板葺(元は檜皮葺)で、正面は軒唐破風をつける五間で、屋根は片流れの銅板葺である。
幣拝殿の建築様式の特徴は各所につけられた建築彫刻の数の多さと、その躍動感にあふれた表現である。
正面の腰羽目の波、虹梁の上の牡丹・唐獅子、唐破風内部の飛竜・一階内部の小壁の牡丹・唐獅子、扉脇の竹・鶏で名作が多く、建築彫刻の名手である柴宮長左衛門の腕前がよくうかがえる。
諏訪大社 / 下諏訪町教育委員会

上諏訪社には、上社の御祭神である建御名方命が御祀りされ、若宮社には御諏訪様の13柱の御子神である建御名方彦神別命、伊豆早雄命、妻科比賣命、池生神、須波若彦神、片倉辺命、蓼科神、八杵命、内県神、外県神、大県神、意岐萩命、妻岐萩命が御祀りされておられます。
子安社の御祭神 高志沼河比賣神は、御諏訪様の御母神と伝わり、安産の神様として信仰されておられるそうで御座います。

下社の春宮は、個人的に4社の中で いちばん好きだなぁと感じた場所で御座いました。
特に、何が良かった!という事では無いのですけれど、何と無く 境内の静かな雰囲気とか、他社よりも地面に近い感覚とか、緑の茂り具合とか……とても心地良いものに感じられました。



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