日本史(主に平安〜鎌倉初期)について。 あくまでも、独り言で御座います。

棚田織り成す山里に、
色川01


こちらは 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町色川地区の大野集落中心部に御座います、那智勝浦町役場 色川出張所さん。

南平野桧曽原、口色川の清水氏館跡宝泰寺さん、そして大野の色川神社を廻らせていただいた後、こちらの1室を御貸しいただきまして、町史や旧村史等を拝見させていただきました。

色川02


平維盛様は屋島の平家陣を抜け、高野山で御出家、熊野三山参詣を済ませた後に那智沖にて入水して果てられたと平家物語には語られております。
然し、その定説を覆すように、紀伊国各地には維盛様の生存伝承が語り継がれ、それぞれの子々孫々へと その御血筋を繋げておられる事が知られます。

色川郷に伝わる維盛様伝承も その1つ。
色川の地において、維盛様は色川清水氏の祖といわれております。
本日は、色川に存続される維盛様の御子孫の方々について、少し触れておきたいと思います。

色川清水家系図01

先ずは 歴代 色川清水氏の中で、特に有名な御方――平盛氏様、そして その御子様 盛忠様について。

盛氏様、盛忠様 親子は、色川清水一族の御名を盛り上げられた英雄として語り継がれており、後醍醐天皇の旨を受けて早々と官軍に付かれ 功を上げられた事や数々の合戦にて勝利を収められた事が伝えられます。

数代の後元弘建武の際平盛氏なるものあり、後醍醐天皇護良親王の旨を承け一族郎党を率いて官軍に味方せり、
当時熊野には足利党多く熊野三山を初め西向の小山家の武将等は何れも足利氏を助け居りしものなるが後に至りては熊野三山を初め小山家も南朝党となるに至りしものは実に色川平盛氏の率先して勤王軍に参加したる功績に帰すべきものなりと考へらるゝなり。
延元元年には一族郎党を率いて那智に進出し更に浜の宮、佐野の賊軍を打ち破りて新宮に進みて合戦し、足利党の旗頭石堂義慶や熊野法眼等を攻め破り彼等が数百艘の兵船に乗し潮崎の庄に落ち行を進撃して大に之を破り勢に乗じて足利方を追ひ懸けて上洛し赤松二郎左衛門尉と山崎に於て合戦に向明神にて散々に敵を破り其功に依りて綸旨を賜はり建武三年の令旨にて日高郡岩代荘を官領せり。
延元元年に平盛氏が一族を率いて上洛したりとの記事につき紀伊続風土記を参考するに西向村小山氏の条に
 延元元年新宮諸上綱(神官衆徒なり)足利氏に党し軍勢を率いて上洛す
 小山実隆海上に出向ひて是を支へ遂に其軍を追ひ返す。
とあり、此の戦に盛氏も小山氏と力を合せて合戦し戦に乗じて上洛して京都の賊軍と戦ひたるものなり。
盛氏の子盛忠も父に従ひ各地に転戦して戦功あり建武三年には法勝寺宮より奉公軍忠の功に依り兵衛太夫に補せらるゝの令旨を賜はれり。
       (那智勝浦町史による)



御2人の事は、古文書や綸旨、令旨、注進状等に記載された情報のみに伝えられるという事で御座います。

色川03


↑色川出張所の御隣にある色川小学校、大野保育所の傍には、かつて盛氏様の顕彰碑が建立されていたという事で御座います。
戦後に至って取り払われてしまったという事で現存はしないそうで御座いますが、戦前に小学校の敷地内に建てられていた事や、南朝方として忠勤を尽くされた地元の英雄であった事から、戦前の教育に利用されていた事が伺えます。

色川清水家系図03

そして、色川清水氏が維盛様の御末裔である事を広く世に知れ渡る きっかけを作られたのが、維盛様21世の御後胤という平盛成様。
盛成様は、応永21(1414)年に記されたという色川清水家由緒を、文字の破損が酷かった事から、末代まで 御家系の御由緒を伝え残す為にと延宝6年3月(1678年4月)に書き写されていらっしゃいます。
また、御亡くなりになる2年前には譲伝状を認められており、合わせて 色川清水家の起源と家訓を後世に伝える、貴重な史料となっております。

我が家昔初は小松内大臣平重盛公の嫡男□中将維盛卿生年二十七歳、元暦元年三月御入来あり、
移住し玉ひ其子孫繁昌して七村に分れ一族と云ふ、

我が家は七村七家の惣領といふ故に産社深瀬大明神八朔の惣神楽に古より今に至て上一番棚に備へ御神楽を上け、二番棚の御神楽、大野三番棚の御神楽五ケ村一所也、
氏神深瀬大明神の祭礼は五月初丑の日一人として御供御酒等を備へ勤むるを時の当人と名つく是を社職として老たちを検校と名付け一族臨番に会して郷中守護すと云ふ
此当をもること其品多し、且又我家より那智山社職を勤めて那智社家三党の一家なり、
那智山は色川の領内なり。


譲伝状に記される末代子孫への訓誠の言葉には、平家の御子孫ならでは…とも思える教えが幾つか御座いました。

一、我が家血脈相続して終に郷中の人一人として上に座するものなく是皆先祖代々正直にして道を守り仏神を祈る験しなり
一、富貴なるとも奢れること勿レ
 驕るものは久しからずと古人の言葉なり
一、庶子立身高知(出精)すこと其身の器量に依ると囃
 本家先祖の由来を以て世に出るなれば本家を敬ふは先祖への礼儀にして元立て末成るの道也
一、人は身上不如意にして物毎成就することなし
一、常に正直慈悲心にして善事を作り子孫に譲る時は其功徳の種一粒は万粒となるべし
       (平盛成譲伝状による)


大日本史編纂で知られる“水戸黄門様”こと徳川光圀様が、家臣である“助さん”こと佐々宗淳様を紀州へと遣わし、“色川文書”を調べさせた事は有名で御座います。
この時、那智山で待たれる助さんの元へと、文書を持参されたのが盛成様で御座いました。
助さんが黄門様に当てられた文に、色川の山村に維盛様の子孫が居り、文書等を所有しているというので色川へ行くと申したところ、新宮城代が 殊の外に険しい場所である事から、色川の庄屋である盛成様に文書を持参するように取計らわれたという事が記されているようでございます。

那智より五里程奥に色川と申す山村有之候、
此所に平維盛の末葉居り申候、
文書等所持申たる由承り申候故、色川へ参り仕るべくと申候へば、新宮の留守居衆(新宮城代)申され候は、事の外険阻なる処にて中々下人共も迷惑可仕候聞、色川庄屋に右の文書持参路次迄罷出候様に可仕とて、則ち色川庄屋文書携へ来り申候
其庄屋則ち色川殿にて、維盛の子孫の由に御座候系図は紛夫仕たる由にて無御座候、
文書は確なるものにて御座候、
重盛代の旗も持ち来り申候、赤地に絹の黒き揚け羽の蝶をエガキタル旗に御座候、平家の旗と相見え申候
南朝へ軍忠有之しと相見え候て後醍醐、後村上両朝の綸旨有之、後醍醐の時分の色川は色川左衛門尉平盛氏と申たる者に御座候
右の色川庄屋物語り申候は、維盛の事世間には入水と申伝候て其身は色川の奥藤綱の要害と申すに匿れ居り申候、一生平安にて子孫相続ぎ候由申伝候、
維盛の墓、則ち色川村に有之上に大桧一本有之候別に社を建て候て神主も有之、正五、九月に里人寄合ひ祭り申由に候
 (徳川光圀宛の佐々木宗淳による文書より)


その後、助さんは その色川文書を写されて水戸に持ち帰られており、それを御覧になった黄門様は大変御喜びになられたという事で御座います。

色川村誌によりますと、助さんが色川文書を調べる為に熊野へ来られたのは。貞享2(1685)年の秋の事であったとされております。
然し、昭和47年に発見された大野文書によれば、延宝8年申8月(1680年8月)、大庄屋 盛成様と神主様が色川文書を湯本村へ持参した旨が記されております。
この2つの説について、どちらが正しい年代であるのかという疑問があったそうなのですが、貞享2年6月(1685年6〜7月)頃から同年の暮れまで助さんは九州に赴かれており、延宝8〜9(1680〜1681)年には那智の実方院に宿泊されていた事が大日本史の編纂記録232に記録されている事から、後者の方が史実であるという証明が付けられたようで御座います。

蝶紋

色川清水家の家紋として伝えられる揚羽蝶紋で御座います。
助さんの文書にも御座いましたが、色川郷には平家の紋であった揚羽蝶を描いた幟等も伝えられているという事で御座います。

色川04


出張所の窓から見た、那智山方面の景色で御座います。
今でこそ、車道が通って勝浦や那智山への行き来が楽になった色川地区で御座いますが、
助さんが来ようとされて新宮城代に止められた事にも伺えますように、道路が開通するまでは本当に大変な道程を行かねば到達出来ない秘境の山郷であったようで御座います。
…維盛様が入られた平安末期の頃は、一体どれ位に険しい道程であった事かと思うと、それだけで気が遠くなってしまいそうで御座います;

↑印を付けている辺り…今から数十年程前までは、大雨等で道が塞がると、あの辺りから徒歩で山を越えて那智山方面へ出られておられたそうで御座います。
もしかすると、維盛様も密かに通られておられたかもしれませんよね。

そういえば私が訪れた際も、色川へ抜ける道が1ヶ所天災の影響で通行止になっておりました。
山に囲まれた奥地の郷だからこそ、ちょっとした天災等が生活に大きく繁栄するので御座いますね。
都会とは全く違う時間、空気、隣り合わせであるが故の危険も伴いますが、何処に居たって生者が不変である事は有り得ないのですから、それだけ自然に近い場所で息をする事が出来るというのは、素晴らしい事だと感じます。

色川05


色川に伝わる貴重な文献、歴史的遺物等は、普段 この蔵の中に収められ、保存されております。
基本的に非公開では御座いますが、年に1度の虫干の時のみ、御目に掛かる事が可能なのだそうで御座います。
いつか、是非その場に立ち合わせていただき、拝見させていただきたいと思っております。

色川06


色川にて大変御世話になりました、色川出張所のさん。
浦さんは、水口家より繋がる御家の御方…つまりは、維盛様の御後裔という事で、現代に続く平家御一門の御1人なので御座いますね〜!素敵です

色川清水一族の存続する色川郷で御座いますが、苗字として“色川”を名乗られる御家というのは、実は1件も無いのだそうで御座います。
御子孫の方々は“清水”姓を名乗られており、“平”や“色川”は戦に赴かれた時等、色川郷を出られた際に名乗られていたようで御座います。
然し、色川郷が 日本各地にいらっしゃる“色川”姓の方々と縁があるのは確かなようで、これは 元は色川の御出身であられた方々が他方へ出て“色川”を名乗るようになった為だと考えられます。
関東ですと、茨城県にも“色川”さんの御家系が続いていらっしゃるのだそうで、こちらの御家は 東北へ向かう途中に漂着された色川御出身の方々が土着された事に始まるといわれ、ルーツを辿れば 矢張り色川に辿り着くようで、維盛様の御子孫と伝えられているそうで御座います。

浦さん、この度は直前の申し出であったにも関わらず、快く迎えて下さいまして有難う御座いました。
色々な場所へ案内して下さっただけで無く、桧曽原の潮崎さんへ連絡下さっていた事や、貴重な資料を惜し気無く拝見させて下さいました事が、とても嬉しくて有難くて…心より感謝致しております。
私ひとりでは到底辿り着く事の出来なかったであろう場所を、実際に自分の足で歩く事が出来、その場その場の空気に直接触れられた事を幸せに感じております。
今回学ばせていただいた知識を元に、更なる追及をしていきたいと思っております。
本当に有難う御座いました。

ちなみに…色川からの帰り道、実は ちょっと迷ってしまいまして(苦笑)
通って来た道を戻って井関へと出る筈が、何処で間違えたのか 太地町辺りに抜けてしまいました……。
途中で、
ヤバい…これは、絶対に来た道とは違う道だ…;
と気が付いてはいたのですが、引き返した所で 何処が分岐点であったのか確実に見付けられる自信が御座いませんでしたので、とりあえず勝浦方面へは出られる表示が出ておりましたし、そのまま進む事に致しました。
そうしましたら、ふと私の視界に“平光盛”という文字が飛び込んで参りまして…!
その ちょっと前に、この下の集落に平光盛という人の伝承地があるという事を浦さんに伺ったばかりで御座いましたので、あぁ…これは、きっと 折角ここまで来たのだから、こちらの事も見て行きなさいという御導きなのね…!と勝手に運命を感じまして、道を間違えた事を肯定しつつ(笑)小色川の光盛様とミサオ姫の御墓参りもさせていただいて参りました。
そちらに関しても、また近い内に記したいと思っております。

色川07


熊野の峰峯に囲まれた人里に築かれた美しい石垣、棚田。
この風景を“日本のマチュピチュ”と表現された方もいらっしゃるそうで御座いますが、本当に素晴らしい文化だと思います。

 和歌山県那智勝浦町 色川地域は、紀伊半島の南東部の山あいにあります。
その昔、平家の落人が隠れ住んだといわれる、歴史あるむらです。
世界遺産に登録されている熊野の名所・那智山のすぐ隣にあたりますが、観光客の喧騒もここまでは届きません。
過疎化や高齢化の問題を抱えつつも、ひっそりと穏やかな美しいところです。
棚田の石垣が、連綿と受け継がれてきたこのむらのくらし、先人の苦労を、静かに物語っています。
 都会から遠く不便な場所ですが、30年前より、有機農業や田舎暮らしに関心を持つ都会人が移住しはじめ、今では地域住民の1/3を占めるに至っています。
地元住民と移住者とが一緒になって、安心でおいしい食べ物をはじめとするこだわり産品を作りながら、地域を元気にする活動を行っています。
       (ええわだ!色川 改訂版による)



時代の変化と共に人口が減少、それに伴って失われる事となった遺産も多いそうで御座いますが、色川地区は、都会からの移住者の受入れ態勢を整えられる地としても有名で御座います。
良く、JR那智駅前で ぼーんやりとしている時、御話相手になって下さるタクシーの運転手さんに、
こっちに移住しちゃいたいんですよね〜…
と言うと、
おぉ、来たらえぇやん!
 今こっちに通っとる交通費で住めるで?
 那智山が好きなら、色川がえぇわ!
 1万円あれば一軒家に住めるで〜

と盛り上げていただいております(笑)
実際に色川を訪れて、とても素敵なところだなぁと感じました。
いつか、本当に住めたら良いなぁと…密かに心に思う私で御座いました。

fc2 ブログランキング…こっちも気が向いたらクリックラ、クリックラ♪にほんブログ村 歴史ブログに参加させていただいておりますクラ!

Comment

 秘密にする

Track Back
TB*URL

Copyright © ■花林 〜小枝の音色に誘はれて〜. all rights reserved.
FC2ブログ