日本史(主に平安〜鎌倉初期)について。 あくまでも、独り言で御座います。

あちさゐの はなのよひらに めくるつゆ。
長谷寺さんの紫陽花


神奈川県鎌倉市長谷は、観光地としても人気のスポット。
何故だかハワイアンな御店が多く立ち並んでいる事が不思議でならないのですが…きっと、海が近いから伝説のビックウェ〜ブを狙う湘南サーファーさん方 御用達の御洒落ストリ〜トなのだわ!と勝手な解釈をしながら いつも歩いております(笑)

そんな長谷の名所といえば、矢張り 高徳院の長谷大仏様…そして、毎年梅雨前後の頃には“紫陽花寺”として賑わう長谷寺さんで御座いますね!
今年も、長谷寺さんは見事な紫陽花で大勢の方々を楽しませて下さいました。

長谷寺 紫陽花01


長谷寺さんの紫陽花散策路には、色々な種類の紫陽花が所狭しとばかりに咲き並んでおり、私の前後を歩かれていた方々も、
うわ、凄いっ!
凄〜い、綺麗〜!
と、立ち止まって大絶賛をされておられました。
何処を歩いていても、聞こえる声には必ずといってしまえる程、“凄い”と“綺麗”という言葉が盛り込まれており、感じ方は様々であっても 先ずは皆さん同じ感動を得られていらっしゃるのだなぁ…と思いました。
御花は勿論で御座いますが、私にとっては そんな路行く方々の笑顔や真剣にカメラを向ける仕草もまた 堪らなく魅力的な光景で御座います。
こんな素敵な場所に、またしても ひとりで来ちゃって…私って本当に淋しい人だなぁ〜としみじみ感じながらも、充分に満喫させていただいて参りました。
……本当は、着物で行きたかったのですけれど(苦笑)

長谷寺 紫陽花02


えぇと。
去年6月の初め頃には万葉集収録の紫陽花を詠んだ御歌について記しましたので、本日は 万葉集以降…平安末期に詠まれたとされる紫陽花の和歌について記してみようかなと思います〜。

万葉集に詠まれた紫陽花の御歌は、僅か2首で御座いました。
鎌倉期以降は、突然 流行りだしたかのように詠まれるようになりますが、平安の頃にも余り多く詠まれる御花では無かったようで御座います。
未だ珍しい御花であったのかなとも思いますが、珍しく美しい御花となれば、貴族の方々等は こぞって詠まれたのでは無いかなぁとも思われますし……当時の紫陽花は、“額紫陽花”を指していたと考えられておりますが、当時の美的感覚で額紫陽花は美しいとは感じられなかった…のかしら;という印象を抱いてしまいますね。。
というよりも、仏教が広く普及し浸透していく文化の中では、もしかすると紫陽花は縁起の悪い御花であるとして扱われていた可能性もあるように思います。

   あかねさす ひるはこちたし あちさゐの
     はなのよひらに あひみてしかな


こちらは、平安後期成立の類題和歌集 古今和歌六帖に収録されている紫陽花の御歌。
作者は不詳。

“御昼の間は明るくて人目が気になってしまいます…。
 紫陽花の4枚の花弁が それぞれの場所にて合わさるように、私達も人目を気にせぬ宵の頃に逢い契りたいものですね”


長谷寺 紫陽花03


同じく平安末期の和歌集 散木奇歌集にも、紫陽花を詠んだ御歌が2首収められております。
これは源俊頼様の自選集で御座いますので、2首共に作者は俊頼様。
俊頼様は、白川に源頼政様、二条院讃岐様 親子や平経正様も集われた歌壇 歌林苑の主宰者 俊恵法師の御父様で御座います。

   あちさゐの はなのよひらに もるつきを
     かけもさなから をるみともかな


これは、関白 藤原忠通様の御邸にて詠まれた夏夜月の御歌。
主役は月で、紫陽花は演出として用いられた感じで御座いましょうか。

“紫陽花の4枚の花弁が見張る あの月から漏れる光が、紫陽花を思わせる風情で池の水面に映っております。
 その影を、手折ってしまう事が出来たら良いのに……”


そして、もう1首がこちら。

   あちさゐの はなのよひらは おとつれて
     なそいなのめの なさけはかりそ


“紫陽花が4枚の花弁に 他の花弁を交えないように、私が夜中にあなたのもとを御訪ねしても固く扉は閉ざされたまま…それなのに何故、明け方になると情けをかけられるので御座いましょうか”

長谷寺 紫陽花04


続いては、夫木和歌抄より崇徳院御製の御歌。

   あちさゐの よひらのやへに みえつるは
     はこしのつきの かけにそありける


“紫陽花の4枚の花弁が八重に咲き重なる様子は、葉越しに見る月影のようですね”

こちらの御歌なのですが、久安六年御百首によりますと↓こちらのように伝えられております。

   あちさゐの よひらのやまに みえつるは
     はこしのつきの かけにやあるらむ


“紫陽花の4枚の花弁が連なる山のように見えるのは、きっと葉越しに見る月の影が映るからなのでしょう”

久安百首は、久安6(1150)年 崇徳院の命によって編まれた百首歌で御座います。
御題が下された康治年間(1142年〜1144年)、この頃は丁度 崇徳天皇から異母弟 近衛天皇に皇位が譲られた直後。
御父様である鳥羽院からは“叔父子”と疎まれ、譲位の後は政からも遠ざけられて…この御歌を詠まれた頃の崇徳院は、どのような御心を御持ちであられたのだろうかと色々考えてしまいます。

長谷寺 紫陽花05


平安期でも余り詠み知られてはいない紫陽花の御花で御座いますが、鎌倉期に至ると 次第に その数が増えていくようで御座います。
紫陽花が詠まれるようになってきた平安末期から鎌倉初期にかけて、その火付けにもなられたのでは?とも思われる藤原俊成様、定家様は、親子揃って何首もの紫陽花の御歌を詠まれております。
来年は その辺りについて記そうかなー…なんて、ちょっと気が早いですね(笑)

長谷寺 紫陽花06


長谷寺さんの紫陽花散策路の入口付近には、入場制限と待ち時間表示の為の案内が用意されておりました。
私は いつも混雑時を避けておりますので列んで入山したり番号札をいただいた事は無いのですが、80分以上も待たなくてはならない時もあるのですね〜…わー。。

* * * * * * * *

紫陽花パン


折角、鎌倉の紫陽花を楽しみましたので、何か紫陽花的なもの(?)を御土産に持って帰りたいな〜と駅のホームをキョロキョロしておりましたら、江ノ電の珈琲屋さんのポスターが目に留まりまして!
そういえば、電車の中に この季節限定の“紫陽花パン”を発売されているという御知らせの掲示も御座いました!!
…という訳で、江ノ電鎌倉駅ホームの 江ノ電の珈琲屋さん で“紫陽花蒸しパン”と“玄米カレーチーズパン”を購入致しました♪
実は、前々から気になっていた御店なので、勇気を出せて良かったです。
あ、ちなみに…紫陽花パンの具は、紫陽花では御座いませんでした(笑)

こちらのパンは、加熱する事で美味しくいただけるパンなのだそうで御座います。
御店の方が説明書を付けて下さいまして、早速 帰宅後にレンジでチンして食べてみました。
素朴な風味で、とっても美味しかったです〜。

fc2 ブログランキング…気が向きましたらクリックしてやって下さいませ〜にほんブログ村 歴史ブログへ

Comment

 秘密にする

鎌倉・山形、紫陽花合戦
鎌倉の長谷寺に行ったのは12年前だでしたが、残念ながら紫陽花の季節ではありませんでした。でも、やはり眺望抜群の寺ですね。
山形郊外の寺も最近では紫陽花の寺として無名から有名へと変身しました。
2年前訪れた時のブログの記事をご覧ください。
2006/7/4〜7/6 まあ、紫陽花合戦ですな。
蝦夷弁のK | URL | 2008/07/08/Tue 00:26[EDIT]
>蝦夷弁のKさん
長谷寺さんは、四季折々の風情を大切にされていらっしゃる御寺さんで御座いますね〜。
12年前も今も、変わらず素敵な眺望が楽しめるなんて素敵です。

ブログ、拝見させていただきます〜。
紫陽花合戦…た、確かに(笑)
どうゝね | URL | 2008/07/09/Wed 23:57[EDIT]
Track Back
TB*URL

Copyright © ■花林 〜小枝の音色に誘はれて〜. all rights reserved.
ホームページ アフィリエイト レンタルサーバー FC2ブログ 専門学校