
京都府京都市東山区祇園――。
八坂神社の忠盛燈籠の傍から円山公園に抜け、枝垂桜さんの所を売店側へ右折し、そのまま公園の外を少し直進した丸山音楽堂の向かいに、祗園寺さんという新しい真新しい御堂が御座います。
一見、とても綺麗な御家のようでも御座いますが、こちらは祗園女御様の開かれた尊勝寺阿弥陀堂を前身とする宗教法人 阿弥陀堂という納骨堂。
811年の時を経て祗園女御様を今に伝える御堂として…そして、祗園の一等地へ納骨を望まれる方々の御霊が眠る場所として、知られております。

□ 尊勝寺阿弥陀堂(そんしょうじあみだどう) □ ※現存しない
所在地:祇園南辺
御創建:長治2年10月26日(1105年12月4日)
御開基:祗園女御
宗 派:真言宗?
御本尊:阿弥陀如来
通 称:祇園堂
↓
□ 阿弥陀堂(あみだどう) □ ※現存しない
所在地:京都府京都市東山区
御創建:明治37(1904)年
↓
□ 祇園寺(ぎおんじ) □
所在地:京都府京都市東山区祇園町南
御創建:平成6(1996)年
宗 派:不明
山 号:尊王山
御本尊:阿弥陀如来
祇園寺さんの起源である尊勝寺阿弥陀堂は、平清盛様の御母様といわれる(※御生母では無いという説が強いようでは御座いますが…)祇園女御様 御開基と伝わる御堂で御座います。
長治二年十月二十六日
廿六日寅庚 天晴、
今日尊勝寺阿弥陀堂御佛初安置云云、
今日、号院女御之人、於祇園南辺建立一堂、展供養筵、天下美麗過差人驚耳目云々、
後聞、件堂供養儀、眞言供養、以範俊法務為導師、讃廿人、公卿右衛門督宗通卿、権中納言仲實卿、左大瓣基綱卿、源宰相相能俊卿、修理大夫顕季、己上直衣、院殿上人皆参、束帯、申剋許事了、公卿以下取布施、女房、
件堂祗園巽角立一堂、安置丈六阿弥陀佛、常荘厳豊芳金銀珠玉、華麗之甚、不能記尽云々、
今夕於殿上、左大臣以下公卿両三輩有定云々、
是山曾訴者、 (中右記による)
中右記によりますと、祇園女御様は御邸に接する場所に阿弥陀堂を建立され、そこに1丈6尺の阿弥陀仏を安置、荘厳かつ見事な金銀珠玉を施されての御創建であったという事で御座います。
長治2年10月26日(1105年12月4日)、阿弥陀堂供養の日には多くの公卿、殿上人の方々が御参列になられたようで御座います。
祇園女御様は とても信心深い御方であったといわれ、この他にも様々な場で仏事を行われていたり、仏像を安置されておられます。
御創建から80年後の元暦2(1185)年、長門国 壇ノ浦にて平家御一門は滅亡。
この頃には、既に祇園女御様は御存命では無かった事で御座いましょうけれど、当時の祇園堂については殆ど現存する資料等も無いようで…都落ちの時までは御一門によって護られていたのでは無いかと思うのですが、それ以降は衰退されていくばかりであったのかもしれません。
その後の祇園堂.についての詳細は不詳で御座います。
明治37(1904)年に至り、京都在住の御方の発願により、かつての何十分の一かの規模で建立されたのが、現在の祇園寺さんに面影を伝える前身 阿弥陀堂で御座いました。
以後、幾度かの阿弥陀堂再建計画が上がったそうなので御座いますが、中々実現には至らず…ようやっと達成されたのが平成6年の事、平家滅亡の時から数えて実に811年目の建立で御座いました。
宗教法人阿弥陀堂の創設と共に、祇園女御様縁の阿弥陀堂を“祇園寺”として復興させる計画を立ち上げられ、建設工事の開始に伴って阿弥陀堂は京田辺市へと移築、保存される事となりました。
この一念を継承して平家滅亡以来八百十一年目にようやく円山公園の京都市立音楽堂前に祇園寺が姿を現すことになりました。
それとともに釈尊が仏教をお開きになって以来二千五百余年の歴史を支える御仏の教えのふるさと「祇園精舎」の弘法の精神を機縁して「祖廟」を併設することにいたしました。
その理由は、由緒ある本寺を信者に広く開放し、ここに大切なご先祖様をお祀りしていただくことによって、皆様とともに、祇園精舎の精神を後世に伝えていきたいと念願するからに他なりません。
ご先祖様の「御霊」は祇園寺祖廟(祇園精舎)にお祀りいたしましょう。
( 「開祖祇園女御・祇園寺の由来」 成瀬宗慶氏 著 による)

こちらは、以前まで この場所にあったという祇園女御塚。
パッと見た感じから、祇園女御様の供養の為に、近年に至って建立された五輪塔である事が判ります。
昭和47年に、阿弥陀堂保存会有志の方々によって建立されたもののようで御座います。
残念ながら、私が関西に住む少し前に(※現在は東京在住ですが、数年前までは関西にも数年間住んでおりました)阿弥陀堂と一緒に京田辺市の天王へと移動されてしまったようで…。
祇園寺さんが建立されるまで、長い間この場所は荒れ切った空地であったそうで御座います。
京都祇園の一等地ともいえる場所で御座いますが、どうやら こちらに触れると祟りがあるという伝説があったようで御座います。
“触らぬ神仏に祟り無し”という事で、暫く放置されたままであったようで御座います;

そして、こちらが現在 祇園堂前に建立されております、祇園女御塚。
当初の予定では、祇園寺さんが完成した後に 元の五輪塔が この場所へ戻されるという事で御座いましたが、何故か新しく宝篋印塔が建立されたようで御座います。
外観の問題…なので御座いましょうか。。
祇園女御様が白河院に見初められ寵愛された絶世の美女という故事から、祇園の舞妓さん方も多数御祈願にいらっしゃるそうで御座います。

以前は確か、碑文は道路側に記されていた筈なので御座いますが…先日の晩方に訪れた際は、塔側に碑文が向いておりました。
塔と碑の間は余り隙間が空いておりませんので、覗き込めば読む事は可能で御座いますけれど、ちょっと読み辛くなったかなぁという気が致します;
祇園寺(尊勝寺阿弥陀堂)
一、 祇園女御が長治二年(一一〇五) 祇園の巽角広大な敷地に建立した尊勝寺通称「祇園堂」には丈六(約四、八五米)の阿弥陀佛を安置、金銀珠玉を飾り荘厳美麗なこと記し尽くすこと能わず、公卿殿上人らは直衣、束帯で盛大華美を極めたとある(中右記)
二、 平清盛(太政大臣)は白河法皇の御落胤で祇園女御との間に誕生した(女御の妹が産んだ説あり)
平清盛の娘 建礼門院徳子は高倉天皇の中宮で安徳天皇の生母である。
三、 尊王山祇園寺は阿弥陀如来を本尊とし、先祖供養 人類愛、母性愛、世界平和達成を祈念する。
合掌
追記
この場所でお祀りしていた「阿弥陀堂」及び「祇園女御塔」は当寺建立のため京田辺市天王に移設しました。
昔からの信者のお詣りが絶えません。
平成十六年(二〇〇四)十一月二十六日 祇園寺住職 成瀬宗慶

かつては、祇園社一帯は広大な寺域で、定額寺という観慶寺は、別名“祇園寺”とも呼ばれておりました。
これも、今の祇園寺さんの御由来の1つなのでは無いでしょうか。
起源を遡ると、随分と歴史深い祇園寺さんでは御座いますが、それでも矢張り こちらは最新の御堂。
公式サイトを拝見させていただきましたが、驚く程に現代的なシステムを有す供養堂になっているようで御座います。
耐震、耐火超近代建築というだけで無く、インターネット上での納骨法要や参拝が可能というところに、ビックリしてしまいました。
近頃は、オンライン拝観の出来る御寺さん等も ちらほら御見掛け致しますが、オンラインで御供養まで…時代は常に移り変わっていくものなのだなぁと、しみじみ感じさせられてしまいました。



昨日 大阪は天神祭の本宮でした。
祇園あたりの話を何回も載せていただいて、ありがとうございました。
何回も読ませていただいて、また京都へ行きたくなりました。
忠盛とは対照的に、清盛の昇進や昇殿がすんなり貴族に受け入れられたようなので、やはり私は 白河法皇ご落胤説を固く信じております。
祇園女御って本当にどんな方だったのでしょうね。常盤御前は 稲盛いずみでピッタリでしたが、祇園女御も絶世の美女だったならば 大河ドラマでも登場してほしいと思いました。誰が演じるのがよいでしょう。私がキャストを決められるなら、美人姉妹ということであれば、長髪を重視するなら 小沢真珠・栗山千明、本当の姉妹を重視するなら 香里奈三姉妹(ちょっと洋風?)、ただファンということで 深田恭子・小倉優子 です。
ではまた。
余り特別な感じを抱いていない分、ちょっと穴埋め的な記事になってしまったような気がしていたのですが、そう言っていただけますと少し安心致します(笑)
祇園女御様、現代の女優さんで例えるのならば……うぅん、どなたがピッタリなので御座いましょう;
NHK大河ドラマ「新・平家物語」では、新珠三千代さんが祇園女御様を演じておられました〜。
ちなみに、この作品で時子様を演じられたのが、若かりし頃の中村玉緒さんで…とって御美しく凛々しい理想の時子様で御座いました。
個人的には、単純に“理想のお母さん”という印象を抱いている 黒木瞳さんが良いなぁ〜と勝手に思っております///
新平家物語をご覧になっていたり、新珠三千代や中村玉緒といったお名前を出されたりすると、やはりどうゝね様はおいくつなのか知りたくなってしまいます。(笑)
新平家物語では、清盛を仲代達矢が 重盛を原田大二郎が 義経を志垣太郎が 静御前を友里千賀子?が 演じていたと思います。
私は、新平家物語と同時期に放映されていた女人平家(原作:吉屋信子)の方をよく見ていました。清盛の次女佑子を吉永小百合が演じていました。本当に美しかったです。家庭教師の大江広元(濱畑賢吉)と恋に落ちるのですが、結局結ばれません。ご存知の通り 後に広元は源氏方に付くのですが、 「もし自分と結婚していたら広元は平家方に付いて不幸になっただろう。これでよかった。」と佑子が述懐する場面は 今でも忘れることはできません。
女人平家では 時子を有馬稲子が 清盛の末娘典子を新藤恵美が 演じていたと思います。
ではまた。
御若い頃の中村玉緒さんが、とにかく御美しい〜!と感激で御座いました。
私は、黒木瞳さんが理想の御母様…
と感じる世代だと思います(笑)
女人平家のドラマは観た事が御座いませんー;
凄く気になってはいるのですが、ビデオやDVDが出ているなら是非とも拝見してみたいのですが。。
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