日本史(主に平安〜鎌倉初期)について。 あくまでも、独り言で御座います。

へけんじょう。
湯来町 通矢


こちらは、広島県広島市佐伯区湯来町――…あれ…湯来って、広島市内だったかなぁ;
…何やら冒頭から怪しい事を申しておりますが、私が地元に居た頃には、確かに湯来町は広島県佐伯郡に存在していた町で御座いました。
そういえば、いつの間にか佐伯郡にあった筈の宮島も佐伯区になっておりましたし、一体いつ佐伯郡は消滅してしまったのかしら!?と、故郷の動きにすっかり取り残されている事を ちょっぴり寂しく感じる今日この頃で御座います(遠い目)

湯来は、私が初めて覚えた温泉地。
湯来温泉に浸かった事は無いのですけれど(苦笑)、小学生の頃に大好きだった女性の先生が湯来の御出身で、色々な御話を聞かせて下さっていた事が印象深くて…いつか行ってみたいなぁと幼い時分より想い続けておりました。
広島は 和歌山のように温泉が点在している地域では御座いませんので、当時の私は県内に温泉が存在しているという事実が衝撃的であったのだと思います(←というか、それ以前は九州へ行かねば 温泉というものは存在しないのだと信じ込んでおりました/笑)

湯来は県内でも有名な平家落人伝承地で御座いますので、ここ数年は帰省の度に、連れて行って貰えないでしょうかと母にアピールしていたので御座いますが、冬期は雪の多い地区で御座いますし、中々タイミングが合わなくて…。
この3月にようやっと念願の運転免許を取得致しましたので、これは 遂に自分で行ってしまう時が到来してしまったのだわ〜!とばかりに、ドライブと偽りまして(!?)助手席に母を乗せ、意気陽々と出掛けて参りました〜。

湯来では最初に出張所を訪ねたので御座いますが、旧湯来町の頃に作られていたという湯来の史跡案内は既に無くなってしまい、資料等も殆ど存在していないとの事で御座いました。
その後、役所の方の御紹介で水資源再生センターさんへ伺わせていただき、湯来町内の細かい地図と平家伝承に関する資料を複写していただく事が出来ました。

湯来における平家伝説の中心地は“平家城”と呼ばれる小山。
別名を柏原城とも呼ばれ、この地域で起こったといわれる源平の合戦の際に、平家軍が居城にした城跡と語り継がれております。

   平家城

 むかし、源氏と平家の戦いがありました。
山口県下関市壇の浦の戦でついに平家は滅亡しますが、地方では、まだ戦いがあったり、平家の落武者が山城に立籠り源氏と戦っていました。
 天上山から流れ出る谷水は北に「竜頭の滝」をつくり、南に「魚断の滝」をつくっています。
この滝谷川が水内川に合流するところに、水内を二分するかのように大中小の三つの小高い丘があります。
この丘を平家城といいます。
 平家の武士がここに城をつくり、まん中の高い丘に見張所を設けこの一帯を支配していました。
 しかし、遂に源氏軍に攻撃され、城に立籠りました。
勝ち誇った源氏軍は追求の手をゆるめず、この平家城を攻めました。
 前を流れる水内川の対岸に源氏が陣を張りました。
そして何日間か源平の戦いがありました。
当時の戦のはげしさを物語る跡が地名になって残っています。
 矢がはげしく交差して通ったところを「通矢」と云い、多くの矢が水内川を流れたところを「矢堰」これがなまって「井関」になりました。
 平家城に立籠った平家一族は、戦い敗れて滝谷川を上流へと逃げ落ちていきました。
竜頭の滝の谷底の岩盤に、馬の蹄跡、槍の跡、馬のたらいに似た凹みなどが、平家城とともに語り伝えられています。



平家城01


□ 平家城跡(へけんじょうあと)

所在地:広島県広島市佐伯区湯来町大字下(麦谷/平家城)
築 城:室町時代中期頃
現 状:山林
別 称:柏原城跡(かいばらじょうあと)


↑この こんもりとした小さな御山が、平家城跡で御座います。
壇の浦以後に落ちて来られた平家方が こちらに御城を築き、付近を治められたと伝わります。
“奢れる平家”といわれた延長のような感じも致しますが…他地域の落人伝承地と比べますと、圧倒的に壇ノ浦に近く、割と目立った行動をされている気が致しますね;
もしかすると、この地に入られた平家方にとっては、未だ源平の合戦に決着は着いておらず、それ故に 御自身方を“落人”として認識されていなかったのかもしれないように思えます。
また、近くに“源氏城”という源氏方の御城もあったのだそうで御座いますが…この辺り、やや疑問が生じるところでは御座いますね。

湯来町史によりますと、平安末期――久安2(1146)年、平清盛様が安芸守となられ、安芸国が栄えた際、湯来にも社寺等の荘園が造られた可能性があるという事で御座いました。
然し、残念ながら それを裏付ける遺跡や史料等は現存せず、真実は歴史の闇に埋もれているようで御座います。

昭和10年、平家城の土を掘り返す工事中に、石棺、石槨らしきものが、人骨と共に出土したと言い伝えられております。
これだけ近代に至っての事で御座いますのに、何故か詳細は不明…。
これは町史の古墳時代の項目にしるされていた情報で御座いますが、城跡の遺跡と思われる石槨等の製作年代は室町中期のもののようで御座いますし…そもそも平家城と呼ばれている地は、どういった場所であったのだろうかと色々想像させられてしまいます。

落ち延びて来られた“平家落人”というのも、一体どなたを筆頭としておられたのか……。
御一門の御血筋では無くとも、平家方武将の方々が集まられて…?と考える事も出来ますが、この時代で 主を失われて追われる立場となられても尚、居城を築いてまで“平家”を掲げて奮闘されたというのは…矢張り、些か難しい気がするように思えます。
これはあくまでも個人的な意見で御座いますが、築城年代が室町期である事、居城を築いて他城と合戦を行われたという事から、これは もしや後年に起こった合戦を“源氏と平家”の争いに準えて伝えられているのでは無いかなぁという気も致しまして。
勝手な推測ばかりで申し訳御座いません…決して伝承を否定している訳では無く、色々な方向から考えてみたいなぁと思っての意見に過ぎませんので、余り御気になさらぬよう御願い致します;;

あ…ちなみに、平家城は“へけんじょう”と読みます。
私は実際に湯来へ行くまでは、ずっと“へいけじょう”だと思っていたのですけれど、湯来町内で色々な方と御話をさせていただく中で、何だか皆様“へけんじょう”って言っているなぁ〜と気が付きまして。
その事を訊ねてみましたら、
確かに“へいけじょう”ゆうて字には書きよるがぁ…。
 ほうじゃのぉ、そう言われりゃぁ、わしらぁ“へけんじょう”言よるのぉ

という事で、更に資料等を調べてみますと、矢張り“へけんじょう”と振仮名が打ってありました。
地名等、固有名詞の読みには、いつも苦戦致しておりますが、こうして現地の方に伺えたり調べて解決出来ると本当にホッと致します(苦笑)

   (柏原城跡)
   平家城跡
     湯来町史跡 平成17年3月8日指定

◆概要
 城の遺構は、丘陵先端部の尾根を加工した本城郭と、切り堀により分断した郭が尾根伝いに5郭続いている。
北西部にはマサ土を掘り取ってあり、延長上に更に郭があったと思われる。
●制作の年代
 室町時代中期
●由来
 文化10年「佐伯郡麦谷村差出し帳」には、「柏原一、古城跡一ヶ所、右へ城山を平家之城与申候 城主之名知不申右平家侍落人之由申伝へ御座候」
 文政8年「芸藩通志」では、「麦谷、下二村の間にあり、一に平家城と呼ぶ。上総五郎兵衛忠光が商、市川周防兄弟、居守せしといふ」
●広島県教育委員会発行の「広島県中世城館遺跡総合調査報告書第1集(1993)」によると、城の遺構は丘陵先端部にあり、約200mの細長い丘陵上全体を使用している。
途中2本の堀切によって分断されており、北西側の丘陵部(標高183m)と南東側の丘陵部(標高165m)から成り立っている。
北西側の1郭は45m×5mの規模で、南東部に2郭10m×4m、少し下って2段の3郭25m×4mと22m×6mがある。
3郭を下ると堀切に達し、4郭20m×5mがあり、もう一本の堀切に達する。
この堀切の南東に5郭9m×4mがあり東側部分に自然石の列石がある。
南東部の最高所6郭9m×6mの西側には帯郭があり、南下には小郭が続いている。



折角ですので、平家城跡である山林内にも入ってみようと思ったので御座いますが、
入っても何も無いけぇ、やめときんさい
行きんちゃんな、この間の雨で足場が悪いけぇ危ないんよ
と止められてしまいまして…御心配していただけた事が嬉しかったので、素直に少し離れた場所から眺めるに留めて参りました。
その代わりという訳でも御座いませんが、平家城に関する資料があるかもしれないからと図書館の場所を教えていただきましたので、そちらで調べ物をさせていただく事に致しました。

平家城跡


図書館にていただいた湯来町史跡の平家城跡に関する頁に、略測図と山林内の写真が載っておりましたが、それを見る限り、御城に詳しく無い私には もし立ち入っていたとしても何が遺物なのだか判らなかっただろうなぁという感じで御座いました(苦笑)

水洋センター


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 秘密にする

ようやく岩国です
大田区の洗足池を散策されているのかと思っていたら、今度は広島市佐伯区ですか。私のブログは今日になってやっと旅行最終地の岩国に辿り付きました。なんかお互いにすぐ近くに居る感じですね。蝦夷地に埋葬された藤原実方氏に関する拙論を送付しておきました。
蝦夷弁のK | URL | 2008/06/18/Wed 23:18[EDIT]
凄いです!
>残念ながら それを裏付ける遺跡や史料等は現存せず、真実は歴史の闇に埋もれているようで御座います。

史料がない中、よく調べましたね。
いつものことながら脱帽です!
「平家城」という響きがいいな〜
ドライブついでの史跡めぐりなんて
憧れます!
私・・・ペーパーなんです(苦笑)
もう怖くて運転できそうにありません。

リンクの件ですが、「My days」と「神社・仏閣と四季の花」
もさせていただきました!
しずか | URL | 2008/06/19/Thu 00:08[EDIT]
>蝦夷弁のKさん
こんにちは〜。
広島は帰省の度に結構うろちょろしておりまして…免許を取ったばかりですので、余計に行動範囲を広げてウロウロし始めてしまいました(笑)
岩国は高校生の頃に良く遊びに行ったなぁと思い出します。

蝦夷地の実方様…!
わぁ、有難う御座いますー。
修学旅行以来の蝦夷地に行かねばならなくなりそうです(笑)
どうゝね | URL | 2008/06/20/Fri 00:16[EDIT]
>しずかさん
なかなか情報が得られなくて、役場やら図書館やらを梯子しまくってしまいました…今回もいろんな方に助けていただいちゃいました;
現地に行かねば手に入らない情報も多いですよね〜。

私も自分の車は持っていないのですが、史跡巡りの為だけに免許を取ったようなものなので、乗れなくなったら大変!と思って 月に1度以上は車をかりて史跡巡りをしなくっちゃーと思っています(笑)
…おかげで旅に出る回数が増えてしまったとかそうでも無いとか(ん?)

リンクの件、有難う御座います〜!
こちらからも、相互で貼らせていただきました♪
今後ともよろしく御願い致しますv
どうゝね | URL | 2008/06/20/Fri 00:35[EDIT]
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