
洗足池の岸辺には、花菖蒲が沢山咲き並んでいる場所が御座いました。
色鮮やかな花々に惹き寄せられるように、通りかかる方々が次々と足を止め、この季節ならではの景観を楽しまれておられました。
折角見付けた初夏の風物詩で御座いますし、歴史好きにとっては興味深い御花でも御座いますので、本日は花菖蒲について とりとめも無く つらつらと記してみようかなぁと思います。

さて、漢字では“花菖蒲”と書く この御花。
“はなあやめ”とも、“はなしょうぶ”とも読む事が出来ますね。
どちらが正しいかと申せば、まぁどちらでも構わないというのが正解になるのですけれど(笑)
心が古の私的に、これは“はなあやめ”で御座います。
つまり、平安時代には“はなあやめ”と呼ばれる御花であった訳で御座いますね〜。
現代では すっかり子供の日として認識されている端午の節句で御座いますが、元々は宮中にて行われた旧暦5月5日の行事。
端午節会の起源を更に遡れば3世紀頃の中国に辿り着くといわれておりますが、古代の日本でも菖蒲には破邪退魔の力があると考えられており、田植えに備えた早乙女の五月忌みに際して束ねた菖蒲を軒下に挿して穢れを祓ったともいわれております。
そもそもは女性の為の節句であったのが、男子の為の祝日となったのは鎌倉期の頃からの事。
武士の世となり、武門の地位が定着しますと、菖蒲を“しょうぶ”と読む事から“尚武”、また その葉が剣に似ている事から、武士の祭として祝われ、武勇長久祈願が行われるようになりました。
品種改良が行われるようになったのは、江戸期の頃からといわれております。
ただ綺麗なだけでは無く、その凛とした美しさに秘められた神秘的な効力に肖りつつ、人と共に時代を過ごし変化を遂げられて来たからこそ、今の華やかな御姿があるので御座いますね。
ちなみに…単に“しょうぶ”と言ってしまいますと、アヤメ科の花菖蒲では無く、サトイモ科の菖蒲の事になってしまいます;
菖蒲は元々、中国から伝来したサトイモ科の“石菖”という植物で御座いました。
それが日本に入って来た時に“石菖”では無く“菖蒲”の漢字が当てられ、“あやめ”と呼ばれるようになりました。
ですので、万葉の頃の“あやめ”は、現代でいう“しょうぶ”を指す事になりますね。
菖蒲と書いて“あやめぐさ”とも読みます。
そして、その“あやめ”と良く似た葉で綺麗な御花を咲かせる植物を“はなあやめ”と呼んで区別していたようで御座います。
現代でいう、花菖蒲――“はなしょうぶ”の事で御座います。
菖蒲を“しょうぶ”と呼ぶようになったのは、平安の頃。
平安期の日本では宮中行事だけで無く、貴族同士が大切な相手に薬玉を贈ったりする習慣もあり、この日に菖蒲は欠かせぬ存在で御座いました。
初めは“はなあやめ”と呼ばれていた花菖蒲が、次第に“はなあやめ”と呼ばれるようになっていきます。
……実に紛らわしく解り辛い“あやめ”と“しょうぶ”の呼称の歴史に御座います(苦笑)

良く、“いづれ あやめか かきつばた”と申しますね。
いずれも迷う程に優れている意で御座いますが、どれも余りに似ているので違いが判らないという解釈で使われる事も御座います。
この言葉は、源平盛衰記に伺える源頼政様と菖蒲前の物語に由来しております。
殊に名をあげ施面目ける事は、鳥羽院御中に、菖蒲前とて世に勝たる美人あり。
心の色深して、形人に越たりければ、君の御糸惜も類なかりけり。
雲客卿相、始は艶書は遣し情を係事隙なかりけれ共、心に任せぬ我身なれば、一筆の返事、何方へもせで過しける程に、或時頼政菖蒲を一目見て後は、いつも其時の心地して忘るる事なかりければ常に文を遣しけれども、一筆一詞の返事もせず。
頼政こりずまゝに、又遣し遣しなんどする程に、年も三年に成にけり。
何にして漏たりけん、此由を聞食に依て、君菖蒲を御前に召、実や頼政が申言の積なると綸言ありければ、菖蒲顔打あかめて御返事詳ならず、頼政を召て御尋あらばやとて、御使有て召れけり。
比は五月の五日の片夕暮許也。
頼政は木賊色の狩衣に、声華に引繕て参上、縫殿の正見の板に畏て候ず。
院は良遥許して御出ありけるが、じつはふの者には物仰にくければとて、殊に咲を含ませ御座。
何事を被仰出ずるやらんと思ふ処に、誠か頼政菖蒲を忍申なるはと御諚あり。
頼政は大に失色恐畏て候けり。
院は憚思ふにこそ、勅諚の御返事は遅かるらめ、但菖蒲をば誰彼時の盧目歟、又立舞袖の追風を、徐ながらこそ慕ふらめ、何かは近付き其験をも弁べき。
一目見たりし頼政が、眼精を見ばやとぞ思食ける。
菖蒲が歳長色貌少も替ぬ女二人に、菖蒲を具して、三人同じ装束同重になり、見すまさせて被出たり。三人頼政が前に列居たり。梁の鸞の並べるが如く、窓の梅の綻たるに似たり。
「頼政よ其中に忍申す菖蒲侍る也、朕占思召女也、有御免ぞ、相具して罷出よ」
と有綸言ければ、頼政いとゞ失色、額を大地に付て実に畏入たり。
思けるは、十善の君はかりなく被思食女を、凡人争か申よりべかりける。
其上縦雲の上に時々なると云とも、愚なる眼精及なんや、増てよそながらほの見たりし貌也、何を験何ぞなるらん共不覚、蒙綸言不賜も尾籠也、見紛つゝよその袂を引きたらんもをかしかるべし、当座の恥のみに非、累代の名を下し果ん事、心憂かるべきにこそと、歎入たる景色顕也ければ、重て勅諚に、
「菖蒲は実に侍るなり、疾給て出よ」
とぞ被仰下ける。
御諚終らざりける前に、掻繕ひて頼政かく仕る。
“五月雨に 沼の石垣 水こえて 何かあやめ 引ぞわづらふ”
と申たりけるにこそ、御感の余に竜眼より御涙を流させ給ながら、御座を立たせ給て、女の手を御手に取て、引立おはしまし、
「是こそ菖蒲よ、疾く汝に給也」
とて、頼政に授させ給けり。
是を賜て相具して、仙洞を罷出ければ、上下男女歌の道を嗜ん者、尤かくこそ徳をば顕すべけれと、各感涙を流けり。
実に頼政と菖蒲とが志、水魚の如にして無二の心中也けり。
三年の程心ながく思し情の積にやと、やさしかりし事共也ければ、京童部申けるは、二人の志わりなかりけるこそ理なれ、媒が痛見苦もなければとぞ咲ひける。
伊豆守仲綱は、即彼菖蒲が腹の子也。 (源平盛衰記による)
頼政様が一目惚れをした菖蒲前という美女は、鳥羽院に御仕えする女房で御座いました。
3年もの年月、幾度と無く文を送り続けましたが、頼政様の元に菖蒲前からの御返事が届く事は御座いませんでした。
これを知った鳥羽院は、頼政様が本当に菖蒲前を想っているのかどうか試される事となります。
五月五日の夕暮時、菖蒲前と年齢、容姿の良く似た2人の女性に同じ着物を着せて、どれが菖蒲前か見定め2人で退出せよと仰られますが、頼政様は そのような恐れ多い事は出来ず、見分ける自信も無いのに間違ったり等すれば末代までの恥であると思い悩んでしまわれました。
そうする内に、院よりさ再度の仰せを受けてしまったので、
“五月雨に 沼の石垣 水こえて 何かあやめ 引ぞわづらふ”
という御歌を申されました。
これに心を打たれた院は、これが菖蒲前であると示され、彼女を頼政様に受け渡されたという事で御座います。
このエピソードが5月5日の出来事であるというところが、何ともミソな感じで御座います。
端午の節句の締め括りに、希に望んだ菖蒲の御花を手に入れられた頼政様…実に美味しい御話で御座います(笑)
近衛院の御時、紫宸殿の上に、鵺と云怪鳥飛来てよなよな鳴けるを、源三位頼政勅を承て射て落したりければ、上皇限なく叡感有て、紅の御衣を当座に肩に懸らる。
此勧賞に、官位も闕国も猶充に不足。誠やらん頼政は、藤壷の菖蒲に心を懸て堪ぬ思に臥沈むなる。
「今夜の勧賞には、此あやめを下さるべし。但し此女を頼政音にのみ聞て、未目には見ざんなれば、同様なる女房をあまた出して、引煩はゞ、あやめも知ぬ恋をする哉と笑んずるぞ。」
と仰られて、後宮三千人の侍女の中より、花を猜み月を妬む程の女房達を、十二人同様に装束せさせて、中々ほのかなる気色もなく、金沙の羅の中にぞ置れける。
さて頼政を清涼殿の孫廂へ召れ、更衣を勅使にて、
「今夜の抽賞には、浅香の沼のあやめを下さるべし。其手は緩とも、自ら引て我宿の妻と成。」
とぞ仰下されける。
頼政勅に随て、清涼殿の大床に手をうち懸て候けるが、何も齢二八計なる女房の、みめ貌絵に書共筆も難及程なるが、金翠の装を餝り、桃顔の媚を含で並居たれば、頼政心弥迷ひ目うつろいて、何を菖蒲と可引心地も無りけり。
更衣打笑て、
「水のまさらば浅香の沼さへまぎるゝ事もこそあれ。」
と申されければ、頼政、“五月雨に 沢辺の真薦 水越て 何菖蒲と 引ぞ煩ふ”とぞ読たりける。
時に近衛関白殿、余の感に堪かねて、自ら立て菖蒲の前の袖を引、
「是こそ汝が宿の妻よ。」
とて、頼政にこそ下されけれ。 (太平記による)
↑この件は、太平記にも見る事が出来ますが…若干、物語が誇張されている部分も御座いますね。
12人って…!(苦笑)
菖蒲前は“あやめのまえ”…全国に様々な伝承を残されておられるようで御座いますが、私の地元 広島にも、頼政様亡き後の菖蒲前伝説が伝えられております。
菖蒲様については、またいずれ史跡等と共に詳しく記したいと思いますが、院の寵愛を受けた美女として登場する女性が“菖蒲”と呼ばれていたという事から、御花の菖蒲に対する当時の人々の印象を感じられるような気が致します。

“いづれ あやめか かきつばた”といえば…杜若も、平安時代には多くの貴人に愛でられていた御花の1つで御座いました。
“かきつばた”といえば伊勢物語の在原業平様の御歌が浮かんで参りますね〜。
“はなしょうぶ”と“あやめ”と、杜若。
とても良く似た植物で御座いますので、私もしょっちゅう呼び間違えてしまっておりますが、現代的に考えた時、それぞれの持つ花言葉も少し似ているなぁと感じました。
* “はなしょうぶ”の花言葉…貴方を信じる、優美、吉報、忍耐 等。
* “あやめ”の花言葉…良い知らせ、神秘な人、恋の言葉、憤慨 等。
* “かきつばた”の花言葉…幸運が来る、幸せ、気品、贈り物 等。
何処か、良い未来への糸口を秘めていると申しますか。
違いが判らずとも、その独特な御花を見ているだけで、何だか五月病に御別れをしたくなりますよね☆(!?)

万葉集に詠まれた“菖蒲”の御歌は、12首で御座いますが、ここでいう菖蒲とは“あやめぐさ”…つまり、現代でいう花菖蒲では無く、サトイモ科の“しょうぶ”の事を詠んだ御歌という事になります。
では、“はなあやめ”を詠んだ御歌は……?
という事で探してみましたが、万葉集に花菖蒲が登場する和歌を見付ける事は出来ませんでした。
唯一、これは花菖蒲を詠っているのでは無いだろうかと考えられているのが、こちらの御歌。
巻第4より中臣女郎様が大伴家持様に贈られた5首の内の1首で御座います。
原文は、“娘子部四 咲澤二生流 花勝見 都毛不知 戀裳摺可聞”
をみなへし 佐紀沢に生ふる 花かつみ
かつても知らぬ 恋もするかも
この“花勝見”という植物の正体は明らかとなっておりませんが、御歌の内容から察するに水性植物種であろうと推測されます。
花菖蒲を指しているという確定は出来ておりませんが、もしかすると…と考えると、御歌の描く世界に色が付いて感じる事が出来ます。
“女郎花が咲く沢に生える花勝見のように、未だかつて無い恋をしているのです…”
花勝見を万葉集に伺えるのは、この1首のみで御座います。

万葉集の後、記録上で次に“花かつみ”が詠われているのが、こちら。
みちのくの あさかの沼の 花かつみ
かつみる人に 恋やわたらん
これは、平安期 古今和歌集巻第14より恋歌四の冒頭にある御歌で御座います。
“読人不知”として収録されておりますが、この御歌を詠まれたのは 我が愛しの藤原実方様であると…いわれております。
“安積の沼”は、現在の福島県郡山市に位置しております。
ここでも矢張り花勝見が何を指しているのかは判りませんが、“かつ”の序詞として用いられているようで御座います。
“都よりもずっと遠い陸奥の安積の沼に咲く花勝見のように、少し見ただけなのに恋をしてしまうというのでしょうか”
以前、名取の実方様伝承として、端午の節句に“あやめ”を敷く事を命じられた事を簡単に記した事が御座いますが、これは その地に“しょうぶ”が無かった為、姿形の良く似た水草である“あやめ”、つまりは花菖蒲を代用されたという事とも伝えられております。
そして、これは“あやめ”では無く、“かつみ”という植物であったと伝えられるものも御座います。
結局のところ、“花勝見”とは何ぞや?という疑問は謎のままなのですけれど、この御歌の影響により、これ以後は花勝見が陸奥の安積沼と結び付けられ、本歌取り等で詠まれる事となりました。
江戸期に至ると松尾芭蕉さんも奥のほそ道に名物となった花勝見を求めて安積山を訪れられた事を記されております。
芭蕉さんが誰も見知らぬ花勝見に必死になった理由に、実方様の故事は切り離せないものであったのかもしれません。

Comment
凄く素敵な場所ですね♪
一日ぼ〜っとしていたいです(^^)
いづれ あやめか かきつばた
時代劇や落語とかで小さい頃から覚えているんで何となくニュアンスは知ってました、どうゝねさんに向かって言う言葉ですかね♪
綺麗な花、日本の花は海外の派手な感じとは違って、何と言うか艶やかで温かみと儚さがあって良いですよね(*´ `)
一日ぼ〜っとしていたいです(^^)
いづれ あやめか かきつばた
時代劇や落語とかで小さい頃から覚えているんで何となくニュアンスは知ってました、どうゝねさんに向かって言う言葉ですかね♪
綺麗な花、日本の花は海外の派手な感じとは違って、何と言うか艶やかで温かみと儚さがあって良いですよね(*´ `)
GAN | URL | 2008/06/17/Tue 23:17[EDIT]
はい、とても綺麗な花菖蒲でした〜。
御花の写真を撮るのも楽しいのですが、近くで同じように御花を愛しまれていらっしゃる方々を観察するのも大好きです。
日本の御花にも色々ありますが、それぞれに日本人が好む華々しさだったり儚さだったり凛とした強さであったり…と素敵な魅力が詰まっておりますね。
御花を愛でる心というのは、きっと世界共通のものだと思いますが、日本の御花には日本人らしい(?)個性みたいなものを感じられるような気が致します。
御花の写真を撮るのも楽しいのですが、近くで同じように御花を愛しまれていらっしゃる方々を観察するのも大好きです。
日本の御花にも色々ありますが、それぞれに日本人が好む華々しさだったり儚さだったり凛とした強さであったり…と素敵な魅力が詰まっておりますね。
御花を愛でる心というのは、きっと世界共通のものだと思いますが、日本の御花には日本人らしい(?)個性みたいなものを感じられるような気が致します。
どうゝね様、こんにちは。
からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ
これだけ技巧が凝らされた歌なのに、それだけに止まらず 妻への想い 自身の不遇に対する嘆きを含み、なにより 流れるような言葉の心地良さ。やはり、在原業平は天才だと思いますし、私は 歌人の中で 在原業平が一番好きです。
ではまた。
からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ
これだけ技巧が凝らされた歌なのに、それだけに止まらず 妻への想い 自身の不遇に対する嘆きを含み、なにより 流れるような言葉の心地良さ。やはり、在原業平は天才だと思いますし、私は 歌人の中で 在原業平が一番好きです。
ではまた。
重盛 | URL | 2008/06/28/Sat 13:33[EDIT]
私も業平様は、技術と感情とセンスを兼ね備えた天才だなぁと思います。
こんなにも綺麗にバランスのとれた御歌は、色紙にして飾りたくなってしまいますよね。
こんなにも綺麗にバランスのとれた御歌は、色紙にして飾りたくなってしまいますよね。
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