日本史(主に平安〜鎌倉初期)について。 あくまでも、独り言で御座います。

音戸の瀬戸の清盛塚。
音戸 清盛塚01


広島県呉市の“音戸の瀬戸”に語り継がれる、平清盛様の偉業の伝説――。
おんど観光文化会館 うずしおさんから道路を挟んで直ぐ目の前に見えます海の上には、その功績を讃えて建立されたという清盛塚が伝えられております。

清盛塚の御参道には石段が築かれておりますが……えぇと…見ての通り、その下は海で御座いますので、自家用の船等で来ない限りは、自由に上陸は…出来ないのでは無いかなぁ?と思われます。
もしかすると、干潮時には下に下りて歩いて渡れちゃったりもするのかしら?とも思ったので御座いますけれど、でも岩礁の上に石垣を築いて造られているそうで御座いますし。。
というか…足があっても、自由に上陸をしても良いものか否かは…私の存ぜぬところで御座います;

音戸 清盛塚02


という訳で、私はいつも 塚に対面出来る形で設けられた参拝橋から、清盛塚を拝みます。
清盛様を御祀りされた宝篋印経は直ぐ目の前だというのに、手の届かない このもどかしさ…。
御前に跪いて手を合わせる事も、御供えも出来ないだなんて……と、ちょっぴり切ない気持ちで見詰めてしまいます。

背後に見える赤い大橋は、呉市の警固屋と音戸とを結ぶ音戸大橋。
この橋を渡る前には、どちら側からも螺旋状の道を延々上らなくてはならず…ぐるぐるぐるぐると目が回るので、小さい頃は苦手な橋ベスト1で御座いました(涙)
免許を取得した今では、とても興味津々な橋ベスト1でも御座います(笑)

音戸 清盛塚03


□ 清盛塚(きよもりづか)

所在地:広島県呉市音戸町鰯浜
御創建:元暦元(1184)年?


音戸の瀬戸に御祀りされる清盛塚は、宝篋印塔。
倉橋島に寄り添うように、岩礁上に築かれた小島内に建立されており、実際に近くに寄って見る事は出来ませんが、高さは約2メートルという事で御座います。

伝承によれば、元暦元(1184)年 音戸の瀬戸を開削なさった清盛様の その功徳を讃えて、供養の為に建立されたものという事で御座いますが……見た感じ、元暦の頃(1184〜1185年)に建てられた宝篋印塔とは思えない造りで御座います;
余計な突っ込みで御座いますが、“寿永”では無く“元暦”の年号で伝えられている事や、当時の情勢を思うと、やや疑問に思われる部分が幾つか生じてくるようにも思われます。
民間の方々が建立されたとは考えにくいもののように思えますので、このように立派な石塔を建立出来るだけの人物の存在や、それが可能な時代背景…そして、鎌倉初期頃の宝篋印塔には見られない塔の特徴。
私の勝手な推測では御座いますが、恐らくは鎌倉後期以降から室町時代頃のものでは無いかと。
遠目では御座いますが、海上に立つ塔とは思えない程、状態の良いものだなぁと感じております。
昭和26年に広島県の史跡に指定されておりますが、矢張り室町期御作の“清盛塚”として登録されているようで御座いますね。

現在は埋立の為に倉橋島に接するばかりで昔日の面影が見られないという清盛塚。
往時の姿が偲ばれる事で御座います。

音戸 清盛塚04


清盛塚を囲う石垣は、周囲49.14メートル、高さ5.46メートルのものだそうで御座います。
塚の左手前に建立されているのは、改築記念碑で御座いますね。
この裏側には“大正十三年四月一日 山下芳雪 書”と刻まれているそうで御座います。

清盛様の供養塔傍らに生えているのは、大変見事な松の木さん。
“清盛松”と呼ばれているのだそうで御座います。
何とも素敵なネーミングで御座います♪
この松さんは、3代目。
私の母が、ここで
清盛さんの松がねぇ、枯れてしもぉたんよ
と唐突に言うので、一瞬 何の事かと思ってしまいました;///

こちらに在った以前の老松さんには、不思議な伝承があったそうで御座います。
老松の葉が枯れ始めると、蛸の湯掻き汁をかけると元通りの青々とした緑に戻るという御話。
それから、歯痛で困った時には、この老松の葉を噛むと治るという御話。
今は もう枯れてしまって代がわりをなさった松さんで御座いますが、音戸の人々との絆は しっかりと受け継がれているので御座いましょうね。

音戸 清盛塚05


fc2 ブログランキング…こっちも気が向いたらクリックラ、クリックラ♪にほんブログ村 歴史ブログに参加させていただいておりますクラ!

Comment

 秘密にする

Track Back
TB*URL

Copyright © ■花林 〜小枝の音色に誘はれて〜. all rights reserved.
FC2ブログ