日本史(主に平安〜鎌倉初期)について。 あくまでも、独り言で御座います。

消えない色と、消える色。
読谷 都屋、楚辺地区01


沖縄県読谷村 都屋集落の外れにある海際の広場には、ティラの壕と呼ばれる天然の地下洞窟が御座います。
現在、芝生の広がる地面に建立された都屋地区の慰霊碑、その奥には大きな木が聳えており、パッと見ただけでは一体何処に鍾乳洞が…?という感じになっておりますが、周囲を良く良く歩き回って見ますと、木々に覆われた洞窟の口を発見する事が出来ました。

この壕は 琉球王朝時代、戦乱の際に落ち延びて来られた按司の一族が身を隠された場所と言い伝えられているそうで御座います。
琉球史は未だ未だ不勉強なので御座いますけれど“按司”というのは、日本でいうところの“宮家”に相当する御立場のようで…琉球王家の分家に当たる御家系という事になるようで御座います。

米軍上陸地点となった海岸線上の都屋地区一帯は、地上戦開始草々、地形が変わる程の激しい攻撃を受け、焦土と化しました。
都屋住民の方々は、このティラの壕へと避難されておりますが、熾烈を極めた戦の中で多くの尊い生命が犠牲となりました。

この直ぐ近くにある都屋漁港の中央部は かつて小さな岬となっており、その下には日本軍の防御陣地としてアブトゥガマと呼ばれる壕が築かれておりました。
米軍上陸以前、守備軍は米軍の進撃妨害の為に渡具知から残波に至るまで松の木を立てていたといわれますが、都屋より先には立てられていなかったそうで御座います。
それは、都屋の地で米軍に迎撃をする事を目的としていたのであろうかと考えられますが、実際のところ、守備軍は このトーチカを放棄して配備変更を行っております。

上陸早々に この場所に難民収容所を設け、避難していた付近住民を保護した米軍は、これを収容。
日本軍による特攻機攻撃からの避難にも、この壕が使われたといいます。


都屋に慰霊碑が建立されたのは、戦後50年の節目である平成8年の事。
55柱の御霊が合祀されており、毎年 沖縄戦終結の日とされる6月23日に慰霊祭が行われております。

読谷 都屋、楚辺地区02


   題 慰霊碑建立

  都屋原頭秋氣高
  松陰梵唄寺之壕
  鎮魂建立慰霊塔
  祈念平和萬籟號


「都屋の原のほとりは秋の気配が高く、寺の壕の松陰には読経の声が流れています。
 ここで戦没者魂鎮めの慰霊碑建立の地鎮祭が行われました。
 平和祈念の心は参列者だけでなく、この世のすべてのものの願いであり、叫びなのです」



   魂鎮

  むごき戦に身まかりし
  ああ父母よいとし子よ
  夫よ妻よはらからよ
  さまよえる魂今いずこ
  かえりきませよふるさとへ
  生まれ育ちし都屋の地へ

  われら反戦誓ひてぞ
  ここにいしぶみ建ておきて
  君が名刻みおきたれば
  とわに鎮まり安らかに
  眠りたまへや父祖ともに
  なごみの波の音聞きながら



以上は、慰霊碑の碑文で御座います。

画像では判り辛いのですが、木立の合間から覗き込むと 広大なティラの壕が下に隠れている事がはっきりと伺えます。
降りると2度と上がって来られないような気がして、私は上から覗き込むばかりで御座いましたが、横穴に伸びる洞窟は長い所で70〜80メートルにも及ぶそうで御座います。

ティラの壕は、元々 地元の方々の拝所であったという事で、現在も毎年旧暦9月18日に拝礼が行われるそうで御座います。
壕の上、慰霊碑の傍にはセメント造りの拝所が御座いました。

読谷 都屋、楚辺地区03


こちらは都屋よりも更に嘉手納寄りに位置している海岸沿いの楚辺地区。
楚辺の崖上にも、慰霊塔が建立されております。

楚辺の慰霊之碑が建立されたのは、昭和35年の事。
この頃には未だ、字毎に慰霊碑、慰霊塔が建立されている場所の方が少なかったそうで御座います。
建立以前、付近の方々は県の慰霊祭に参加されていたそうで御座います。
はじめ、345柱の御霊が御祀りされておりましたが、その後の調査を経て、平成6年の改築以降は433柱の御霊が合祀される事となりました。
慰霊祭は、6月23日で御座います。

読谷 都屋、楚辺地区04


旧読谷山村 比謝川河口を中心に渡具知、都屋、楚辺から宇座に至る約10キロメートルの海岸線は、無差別な艦砲攻撃を受け、18万人以上もの米軍兵が上陸した地域。
楚辺に駐屯していた軍兵、地元住民、大勢の命がここで消されております。

   歌文

くにのため
 あだなすなみに
みをとして
 いそべにねむる
みたまとうとし



読谷 都屋、楚辺地区05


海岸へ降りてみようと下っていきますと、慰霊碑の真下に壕がある事に気が付きました。
更に下ると、その反対側に当たる海岸に面した場所にも壕の入口がありました。
奥がどうなっているのかは暗くて良く分かりませんでしたが、もしかすると繋がっているのかもしれないなと思いました。
海岸に面した入口は、干潮時にしか使用出来ないものであろうと思われますが、沖縄戦当時 こちらが避難壕として使用されていたか否かは定かでは御座いません。

この近くには、同じように干潮時にしか行けない波打際に入口のある壕が築かれております。
吉川原海岸の壕といわれ、都屋漁港のアブトゥガマと同じく洞窟陣地として構築されたもので御座いました。
海側の前面には石が積まれ、部分的にコンクリートの壁になっているそうで御座います。
左右には銃眼が残っているようですが、証言によれば、このトーチカが米軍上陸に際して使用された様子は無かったという事で御座いました。
もしも、これが使用されていたとしたならば、それは本当に捨て身としか言いようの無い作戦で…ここで迎撃する任に就く人の結末は目に見えるものであったと思います。
実際に使用されなかったといっても、そのような事は勿論 承知の上で築かれた陣であった事は明白……何と愚かな事かと、そう言えるのは今だからこそ――。

読谷 都屋、楚辺地区06


読谷村楚辺といえば、“像の檻”と通称された米軍のトリイ通信基地が有名で御座いました。
元々その場所の住民であった方々は、昭和27年に立退を強制され、故郷に帰る事も許されぬままに米軍占領下の苦しみを受けられて来られました。

この土地が全面返還されたのは、つい2年前の事で御座います。
そして、“像の檻”と呼ばれる由来になっていた巨大な通信所の円状アンテナが全て撤去されたのが、去年の事。
現代の若い世代が思っている程、あの戦争は遠い昔の出来事で御座いましょうか。

旧トリイ通信施設内には、戦時中に避難壕として使用されたクラガーという水源を持つ自然洞窟が御座います。
そちらは、古くから飲料水として地域の方々に大切にされてきた壕でも御座いました。
米軍上陸当日、クラガーに迫る米軍の投降呼掛けに応じた方も居れば、出て行けば辱めを受けて殺されると信じて洞窟内で息を潜める方もいたといいます。
ここで追い詰められた数名の方がとった行動が、自決で御座いました。
アメリカーに殺されるよりは、いっそ自分たちで命を絶った方が良い
と、8人の方が入水して果てられたという事で御座います。

読谷 都屋、楚辺地区07


私は、沖縄で写真を撮るのが好きで御座います。
もう何年も前の話になりますが、生まれて初めて一眼レフを手にした翌日が、私にとって初めての沖縄行きの日で御座いました。
慣れないフィルム交換や本体、レンズの重さに躊躇いながらも、沖縄の空の下で撮影した色鮮やかな写真は、カメラを始めて2日目の素人には感激以上の何事でも御座いませんでした。

初めて訪れるひめゆりの塔摩文仁の丘……あの広い空も、青々とした海も、風を感じる さとうきび畑も、どれも こんなに綺麗なのに、どうして こんなにも哀しい記憶を宿してしまったのだろう…と、途方も無い気持ちで立ち尽くしてしまった事を覚えております。
あんまり私が ぼんやりと孤独に佇んでいたからか、通り掛かりに御声を掛けて下さった現地の とある御夫婦が 私を色んな場所に案内して下さって、御家で休憩させていただいて果物を沢山持たせて下さった上に、糸満のロータリーまで車で送って下さいました。
初めて訪れた土地で心細さを感じていた時、見ず知らずの私に対して、こんなにも優しく御親切に接して下さる方々に出逢えた事が、本当に嬉しくて…。
沖縄には“いちゃりばちょーでー”という、とっても素敵な言葉が御座いますね。
“1度出逢えば、皆兄弟”…あたたかい絆を感じる、素晴らしい言葉で御座います。

沖縄へ行く度、あぁ良いな〜と思う気持ちや開放的になって楽しくなれる気分は、きっと観光目的で沖縄旅行をされる方々と同じものと思います。
それは とても素直な気持ちで、自然な感想なので御座いましょう。
それを感じられるからこそ、写真を撮るのが楽しくて、沖縄で撮った写真は普段より数割増し上手に撮れていると思えてしまったり…するのかもしれません(笑)

そんな、自分にとっても特別な場所だから、オキナワを知る事、伝える事を、絶やしてはいけないと思うのです。
今があるから未来があるように、過去があるから今があるので御座います。
沖縄の綺麗な部分だけを観て、楽しんで、それで素敵な思い出を作って満足して帰られるのも、勿論 素敵な事とは思いますけれど……そんな方々が、もう一歩 オキナワに歩み寄って、今日に至る流れや現状に触れてみる事も大切なのでは無いかと…私は感じております。

読谷 都屋、楚辺地区08


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Comment

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いつも見てます
よく拝見しています。継続してアップ凄いですね。私も努力しないと・・・。もう寒いので体に気をつけて下さい。また遊びに来ます。
明雄 | URL | 2008/11/13/Thu 17:14[EDIT]
>明雄 様
こんにちは、初めまして。
この記事にコメントして下さった事、嬉しく思っております。
有難う御座います。

ブログ更新は、既に日課になっておりまして(笑)
何かの為というよりは、思いっきり自分の為に書いているのですが、こんな拙い記録でも読んで下さっている方がいらっしゃると思うと励みになります。

暦の上では冬になりました。
明雄様も、御身体には御気を付けて御過ごし下さい。
また是非、遊びにいらして下さい。
どうゝね | URL | 2008/11/15/Sat 02:37[EDIT]
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