日本史(主に平安〜鎌倉初期)について。 あくまでも、独り言で御座います。

こまつにはせる、みやこのいろは。
昨日が維盛様に関してでしたので、今日は御父上の重盛様と小松谷について。
小松谷は、六波羅から歩いて10分〜15分位の場所に御座います。
当時は、もっと歩き辛い地でしたから、もう少し時間も掛かったとは思いますが、距離的には然程離れておりません。
西八条からは、ちょっと遠いですけれど…。

画像が、とっても微妙ですみません……夜中に行くものではありませんね〜(苦笑)

小松谷1


□ 平 重盛 □

時  代:平安時代末期
生  誕;1138(保延4)年
死  没:1179年9月2日(治承3年閏7月29日
法  名:浄蓮
別  称:小松内大臣、灯篭大臣、小松殿
官位官職:蔵人(久安6年12月30日)
      従五位下(久安7年元日)
      中務少輔(久寿2年7月22日)
      従五位上(保元2年1月24日)
      中務権大輔(保元2年9月19日)
      正五位下(保元2年10月22日)
      左衛門佐(保元2年10月27日)
      遠江守保元3年8月10日)。
      伊予守、左衛門佐(平治元年12月27日)
      従四位下(平治2年1月6日)
      左馬頭(永暦元年1月27日)
      従四位上(永暦元年10月11日)
      内蔵頭(永暦元年11月30日)
      正四位下(応保2年1月5日)
      内蔵頭(応保2年1月27日)
      右兵衛督(応保2年10月28日)
      従三位(長寛元年1月5日)
      正三位(長寛2年2月17日)
      参議(長寛3年5月9日)
     近江権守(永万2年1月12日)
     左兵衛督(永万2年4月6日
     権中納言(永万2年7月15日)
     春宮大夫(永万2年12月2日)
      従二位(仁安2年1月28日)
      権大納言(仁安2年2月11日)
     正二位(仁安4年1月5日)
     権大納言(還任/嘉応2年4月21日)
     権大納言(還任/嘉応3年12月8日)
     右近衛大将(承安4年7月8日)
      大納言(承安5年11月28日)
     左近衛大将(安元3年1月24日)
      内大臣(安元3年3月5日)
      内大臣(還任/安元3年6月)
  父  :平清盛
  母  :高階基章女
兄  弟:基盛、宗盛、知盛、重衡、徳子、盛子、寛子、知度、清房
  妻  :藤原親盛女、藤原家成女
  子  :維盛、資盛、清経、有盛、師盛、忠房、宗実


平清盛の御長男とされておりますが、もしかしたら実は上がいたのでは?とも…。
母の身分が低い為、本来は嫡男には相応しく無い立場でしたが、相次ぐ戦功から出世が続き、一門の誰よりも嫡男として認められた人物となったようです。
六波羅小松谷に屋敷を構えておりました。
清盛様を諌める事の出来る唯一の人物だったと伝えられますが、あれっ…?と思うような事実も、ちらほら有ったり無かったり…(誤魔化し;)

南無権化金剛童子、願はくは、子孫繁栄絶えずして、
 入道の悪心を和らげて、天下の安全を得しめ給へ。
 栄耀又一期を限って、後昆恥に及べくんば、重盛が運命を縮めて、
 来世の苦輪を助け給へ。両箇の苦願、ひとへに冥助を仰ぐ


↑若くして病死してしまう背景には、熊野参詣の折に、自分の寿命を一門の将来に懸けたという御話も平家物語に御座います。

小松谷2


□ 正林寺(しょうりんじ)

所在地:京都市東山区上馬町
名  称:清涼山光明真言院正林寺
宗  派:浄土宗
通  称:小松谷正林寺、小松谷御坊


現在の風景から、当時の小松谷を想像する事は少々困難かもしれません。
幼稚園のある御寺さんで、明るい時間に行けば、もっと賑やかだったのだろうな〜と思います…今度は日中に参りたいですね(笑)

* * * * * * * *

今日辺り、庄原で敦盛様の落人伝説について調べている頃と思われます〜(←未来系でスミマセン…いつ書いてるかバレバレだ)
明日には東京に戻りまして、また色々と整理して、更新していきたいと思います〜♪

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Comment

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おかえりなさいませ。
わたくしも行きたかった清盛祭。
変わり映えせず、
休日出勤なんかしておりましたよ。
できることなら、
ひろこさんとご一緒に白拍子したかったのですけれどね。
ともに、ひとさし・・・うふふふふ。

ポスターなんかでは、
かなりきついメイクになってましたけど、
(特に、ほっぺが・・・)
実際には、どうだったのかな。
また、祭レポートお待ちしていますね。

重盛パパでありますが、
大河で重盛役を演じられた勝村さん。
奥様は、重盛ゆかりの方らしいですよ。
たしか、旧姓が「小松」とかそれ系なお名前で、
ご先祖様が、重盛の配下だったとか。
で、よい働きがあったので、
「小松(で合ってるのかな?)」を名乗ることを重盛に許されたとか。

こうやって、考えると歴史も身近に感じますね。
フィギュアの織田選手もひろーい意味では、
平家の血筋ですもんね。
えいりあん | URL | 2007/03/25/Sun 23:09[EDIT]
>えいりあんさん〜
ただいまです〜♪
休日出勤だったのですねー…一緒に白拍子、素敵〜!楽しそうです〜!!
では、来年こそは是非、ともに ひとさし……!(笑)

今年のメイクは、割と普通でした〜。
私も他の方も、実はそこが一番気になっていたようなのですが、メイクを担当して下さった観光協会の御手伝い(多分)の女の子達がナチュラル仕立てにして下さいまして…(笑)
私は参加していたので、余り写真を撮れていないのですけれど、知り合いの方が沢山撮って下さいまして、今度データを下さるそうですので、いただきましたら写真と一緒に感想とかレポートのようなものも書いちゃおうと思いますー。

わ〜!
勝村さんの奥方様は、重盛様に御縁の家系の御方だったのですね!
知りませんでした〜…小松家の方々は、とっても魅力的で憧れてしまいますね〜///
私も近付きたいーッ←無理ですけど…(苦笑)
戦国以降は、源平に縁ある家系というのは名誉な事になっていたようですが、それが現代まで続いているって凄い事ですよね〜!
最近は平家末裔伝承もチョコチョコと調べているのですが、調べれば調べる程、歴史って面白いです。
どうゝね | URL | 2007/03/26/Mon 21:53[EDIT]
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