日本史(主に平安〜鎌倉初期)について。 あくまでも、独り言で御座います。

ひめ小松 ちよにやちよに こけむして・・・
もえいづるも かるゝもおなじ 野辺の草
  いづれか秋に あはてはつべき



  野辺の草花が、春には萌え、そして秋には枯れ果てていくように、
  (仏御前が)栄えるのも、(私が)捨てられるのも、
  そう…所詮は同じ、野辺の草=白拍子。
  (清盛様に)飽きられないで終わる事がありましょうか。


……と、いう訳で。
上記は、一昨日の若一神社の歌碑に記された祇王の御歌で御座います。
祇王といえば、仏御前。
それから、妹とか母君とか…清盛様の御寵愛を受けた白拍子の方々で御座いますね。

彼女達は都落ちよりも以前の平家物語登場人物ですので、平家落人伝説とは少しズレるかもしれませんが、矢張り、平家に縁する御方等は各地に様々な伝承が残されているようです。
巻一「祇王」の事は、大変優れた無常観を描写している為、実在の真偽は問われておりますが、その分アッサリとのめり込めてしまえるのが魅力的です。
歴史とファンタジィは紙一重だからこそ、面白いと思うのですよね♪
例えば、天皇家を遡っていくと神様に辿り着いちゃう所とか、もう楽しくてしょうが無いですもの!勉強にも精が出るというものです(笑)

祇王、祇女


□ 妓王(ぎおう)

生没年:不詳
出  身:近江国野洲郡江辺
職  業:白拍子
  母  :刀自
  妹  :祇女


□ 祇女(ぎにょ)

生没年:不詳
出  身:近江国野洲郡江辺
職  業:白拍子
  母  :刀自
  姉  :祇王


白拍子の姉妹です。
実在したか否かは判定出来ておりません。
野洲江辺庄の庄司の父が北陸へ流された事から、祇王(姉)が18歳の時に、刀自(母)と共に京へ出、白拍子として生計を立てたと言われます。
祇王は歌舞の名手で、清盛様の御気に入りとして、母、妹と共に西八条邸に囲われておりました。

* * * * *

□ 仏(ほとけ)

生没年:不詳
出  身:加賀国
職  業:白拍子


小松市原町で生まれ、京で白拍子となった説が有力のようです。
現地では、仏御前は出家後、清盛様の子を身篭っている事が発覚して郷へ帰って来たと伝わっているのだそうです。
その途中、吉野谷村の木滑で出産しましたが、どうやら死産だったとか。
その後は故郷で余生を過ごし、21歳で亡くなったという事だそうです。
(小松市仏御前の里に史跡、遺品等有り)

また、福井県大野市の栃沢という説も御座います。
郷土史資料には、記述が残っているそうです。

君を始めて見る時は 千代も経ぬべし姫小松
 御前の池なる亀岡に 鶴こそむれてゐて遊ぶめれ


 あなたを初めて見る時、私は千年も寿命が延びるようで御座います。
 あなたの御前の池に浮かぶ亀山には鶴が群がっていて、
 まるで、楽しそうに遊んでいるようです。


↑こちらは、仏御前が祇王のはからいで清盛様の前で舞った時に詠ったもので御座います。
私が祇王の立場だったとしても、仏を追い返そうとする清盛様に、矢張り一言申すと思いますね。
余裕のある女でありたいと思う心もあったでしょうし、同じ白拍子の少女ですから他人事に思えなかった所もあったのでは無いかしらと思います。
今も昔も、芸の道は1日にして成る事は御座いません。
今をときめく清盛様に観て貰いたいと、単身やって来る仏前は、私から観ると度胸のある勇者…のように映ります(笑)

突然の立場逆転で、追い出されてしまった祇王が西八条邸の障子に書き残したという和歌が、冒頭にも記しました「もえいづるも〜」で御座います。

その翌年の春に、仏御前を慰める為にと呼ばれた祇王ですが……この仕打ちは、ちょっと酷すぎますよ、清盛様ー。

仏もむかしはぼんぶなり 我等も終には佛なり
いづれも仏性具せる身を へだつるのみこそかなしけれ


  仏御前も昔は凡人であったでしょう。
  私達も最期には仏になれるのです。
  そのように、誰しもが仏になれる性質である身というのに、
  このように分け隔てるのですね……何と悲しい事でしょう。


祇王は、母と妹と共に、その後出家する事となります。
そして秋には、後を追ってやって来た仏御前の出家した姿が、また共にあるのです。
(※祇王寺につきましては、又いずれ記載させていただきます)

女同士というのは、時に非常に厄介な関係になってしまいますよね。
それは、身内だろうが友人だろうが……同性だからこそ見えてしまう部分を見てしまうから、なのかもしれません。
祇王達と仏御前の関係を思うと、自分の周りの女性の方を、ぐるっと確認してみたくなりますよね…ちょっと弱気になります;

時代背景には、絶頂期の平家御一門が聳えており、
そして、彼女達自身の盛者必衰を思わせる人生の波…。
儚さ、哀れさ、そして――無常さ。
まるで、平家物語が言わんとしている事を、何食わぬ調子で的当てているように思われてなりません。

実家の花


そういえば、一般の方(歴史にさして興味の無い方…)に良く聞かれるので、ちょっと驚いている事があるのですが……
現代人にとって“白拍子”って、聞いた事も無く、想像もつかない未知の存在なのでしょうか;
大河ドラマ「義経」で、石原さとみちゃんが静御前を演じた際にも、度々、白拍子姿で登場しておりましたので、よもや知らぬ人等いらっしゃらないと信じて疑っていなかったのですけれど……甘かったでしょうか(汗)

我が朝に白拍子の始りける事は、昔鳥羽の院の御宇に、島の千歳・和歌の前、彼等二人が舞ひ出したりけるなり。昔は水干に立烏帽子、白鞘巻をさいて舞ひければ、男舞とぞ申しける。しかるを中頃より、烏帽子・刀をのけられて、水干ばかり用ゐたり。さてこそ白拍子とは名づけけれ

白拍子とは、平安後期に流行した歌舞で、今様を歌い舞う職業を総称したもので御座います。
時代が下るほど、断層の麗人のような姿で舞う女性を指したり、遊女や慰安婦の代名詞となったりもしておりますが、元々は男性も居たようです。
本来は声明拍子の名称の事ですので、拍子や伴奏を伴わないものであるとされております。
即興で歌い舞う事も多かったようで、才能や実力の他にも、順応性等が必要だったのではないでしょうか。

後白河法皇が今様大好きだった事は有名ですけれど、貴族や平家御一門辺りの上流階級の方々にも随分と好まれていたようです。
立烏帽子に白水干+長袴、腰には太刀を差し、手には蝙蝠を。
現代に例えるなら、宝塚のスターみたいなもの…になるのかなぁ???

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(※以下、駄文です)

徹夜明けで…とっても身体がガタガタです(苦笑)
貫徹してしまうと、身体中から血の気が引いてしまうので、今日はずっとブルブル震えております;;
おまけに、初雪が降るかも…って、今更ですかー…(遠い目)

私は、春の生まれですので皐月の空が恋しいです。
五月晴の青と、新緑の緑、そらから花を待つ蕾の色――大好きです。

季節的には、春よりも秋の方に魅力を感じるのですが(基本、マイナス嗜好なので、儚く暮れて行く印象にグッときます。虫も居なくなる頃ですし;)
日本人ですので、矢張り四季はそれぞれ愛おしく感じますね。

四季の歌

春を愛する人は 心清き人
  すみれの花のような 僕の友だち

夏を愛する人は 心強き人
  岩をくだく波のような 僕の父親

秋を愛する人は 心深き人
  愛を語るハイネのような 僕の恋人

冬を愛する人は 心広き人
  雪をとかす大地のような 僕の母親

春夏秋冬愛して 僕らは生きている
  太陽の光浴びて 明日の世界へ


↑最近、何故かずっと口ずさんでるんですよね…(笑)
楽譜、探そうかな…多分、持ってる筈…。

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花嫁とパパ 2007/03/17/Sat 11:34
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