高野山 奥の院へと続く御参道沿いには、壮観とも思える程に数多くの石塔が所狭しと立ち並んでおります。
皇族、将軍家から 名も無い方々に至るまで、身分を問わず あらゆる信仰者の方々が、こちらに御墓、供養塔、祈念碑等を建立されてこられました。
高野山周辺では“骨上せ”という風習があるそうで御座います。
亡くなった方の遺髪を奥の院に納め、その菩提を供養するというものなのだそうで御座いますが、他界の後は空海様の御傍に…という願いは、高野山信仰の方々にとっては何よりも真摯な願いであった事と思われます。
古来より、山は死者の魂が集う場所といわれております。
仏教聖地である高野山の奥の院付近は、空海様が入定に選ばれた地であり、今も尚そこにいらっしゃるとして何処よりも浄土を近く感じられる聖域なので御座いますね。
いつの頃から、この地に こうした供養塔が建てられるようになったのかは定かでは御座いませんが、恐らくは平安後期辺りからポツポツと御参道に沿って石塔が置かれるようになったのでは無いでしょうか。

20万基もの石塔等がひしめき合うといわれる石塔群の中で、私が先ず目指して御参りさせていただいた御墓が、こちら――一の橋を渡り表参道に入って直ぐ右手の道…ゴルドン婦人の御墓の先、左上辺りに御座います 高野山熊谷寺さん管理の墓所で御座いました。
こちらは、見真大師(親鸞聖人)の宝篋印塔、九条兼実様墓所、覚信尼(親鸞聖人女)墓所……そして 平敦盛様と熊谷次郎直実様の供養塔が建立されている墓地で御座います。
実は、私の高野山参詣の最大の目的は、こちらを御参りする事で御座いました…///

綺麗に仲良く並ぶ2基の五輪塔。
向かって左側が敦盛様、右側が直実様の供養塔で御座います。
五輪塔といえば…この石塔は空海様が考案された墓塔であるといわれており、高野山が発祥の地では無いかとも考えられているようで御座いますね。
空海様は、宇宙は“地、水、火、風、空、識”の6つの要素、即ち“六大体大”によって構成されるといわれ、その内の“地、水、火、風、空”の“五大”を物質的な存在であると示されました。
そこへ“智”であり“覚”であり“心”でもある“識”の存在を加えられて“六大”となり、そうして初めて全ての事が成り立つとされるという御考えで御座います。
五輪塔にはこれらの要素が その形の中に組み込まれており、体を表す“地輪”、血液を表す“水輪”、体温を表す“火輪”、呼吸を表す“風輪”の五大要素によって五体で生きる人も宇宙であるという事を説かれ、そこに全ての“識”を表す“宝珠形”を加える事で、魂の入った1人の人間を表していると考えられます。
一般的に、供養塔として建立されている場合が多いようで御座いますが、墓石として使われる事も勿論御座います。

こちらは、直実様建立と伝わる敦盛様の供養塔。
地輪部分に刻まれた日付には、元暦元年2月7日(寿永3年2月7日/1184年3月20日)と記されておりますね。
これは一ノ谷合戦の日…即ち、敦盛様の御命日で御座います。
“直實立”とありますので、一瞬 元暦元年に建立!??と驚いてしまいましたが、流石にそうでは無いと思われます(苦笑)
熊谷寺さんの記録によりますと、建久元(1190)年 敦盛様の七周忌に際して 直実様が追悼の念から法要を営もうと法然様の指示で高野山に登り、父祖の菩提寺であった智識院(現 熊谷寺さん)に寄寓されて敦盛様の位牌及び石塔を建立されたという事で御座います。
これが、その時に建立された石塔であるか否かは 御寺の方にも伺ったので御座いますが、定かでは無いようで…。
というか…私には、もう少し後の時代の建立では無いかなぁという感じに見えるので御座いますが……うぅん。。
(※私は専門家では御座いませんので、間違っておりましたら誠に申し訳御座いません…;;)

そして、こちらが直実様の供養塔。
直実様は14年間この地に留まられ、敦盛様、源平合戦死者を供養されたといわれます。
そして承元2年9月14日(1208年10月25日)に熊谷郷の庵にて念仏往生された後、御嫡子 直家様が亡父の遺命によって登山され、高野山にて法要を営まれたと伝えられます。
…という事は、直家様による建立?とも思いましたが、“塩津城主”と記されている事から、もしかして近江国の熊谷氏によって建立されたものなのでは無いかと推測しております。
塩津城主といえば熊谷兵庫直高様かなぁとも思いますが、こちらもハッキリとした事は不明で御座います。申し訳御座いません。
ちなみに…一方的な親しみから勝手に“直実様、直実様”と御呼びしておりますが、既に御出家された後の事で御座いますので、正しくは“蓮生法師”と記すべきで御座いますね…すみません…;

↑右寄りの2基が、敦盛様と直実様の五輪塔。
左寄りに並ぶ宝篋印塔が、親鸞様、兼実様、覚信尼様の供養塔と思われます。
この裏手は、熊谷寺さんの先師墓が並んでおりました。
全ての塔前にて御参りをさせていただいた後、 拝見を御願いした上で色々と観察させていただいておりますが、御墓は決して見物の対象とすべきものでは御座いませんので…。
あくまでも、目的は御墓参り。
墓前で手を合わせていると、自然と様々な想いが込み上げて参ります。
いつも感じる事ではあるのですが、御墓と向き合う事は 自分自身と向き合う事でもあるような気が致します。
それは 敦盛様の御墓でも、私の祖先の御墓でも同じ事で……。
御墓は語り掛けても直接的に御返事をしてくれる存在では御座いませんが、不思議と墓所では何かしらの発見や感動をさせていただく事が多いように思います。
御墓は、日常の中で 最も“死”というものを感じさせられる場所でも御座いますね。
“死”を感じる事は、“生”を感じる事でも御座います。
私の記事では、御2方の五輪塔に夢中になり過ぎて他の方々の石塔を蔑ろにしているような感じに見えてしまいそうで御座いますが(…)、そ…そんな事も御座いません…よ…?
九条兼実様といえば、源平争乱の時代を生きられた公卿様で御座いますね〜。
40年間書き綴られた日記 玉葉が有名で御座います。
源平両氏との関係や距離感については、いずれ深く考えていきたい課題の1つで御座いますので、いずれ兼実様についても詳しく触れる機会があるかと思います。
それから…親鸞様については、私の実家が浄土真宗で通っていた幼稚園も浄土真宗の御寺さんで御座いましたので、幼い頃より親鸞様の教えこそが仏教の全てだという感覚も記憶しております。
高野山と親鸞聖人とは、とても深い結び付きが御座います。
御縁の寺院、伝承等も御座いますので、明日は親鸞聖人について記したいと思います。

皇族、将軍家から 名も無い方々に至るまで、身分を問わず あらゆる信仰者の方々が、こちらに御墓、供養塔、祈念碑等を建立されてこられました。
高野山周辺では“骨上せ”という風習があるそうで御座います。
亡くなった方の遺髪を奥の院に納め、その菩提を供養するというものなのだそうで御座いますが、他界の後は空海様の御傍に…という願いは、高野山信仰の方々にとっては何よりも真摯な願いであった事と思われます。
古来より、山は死者の魂が集う場所といわれております。
仏教聖地である高野山の奥の院付近は、空海様が入定に選ばれた地であり、今も尚そこにいらっしゃるとして何処よりも浄土を近く感じられる聖域なので御座いますね。
いつの頃から、この地に こうした供養塔が建てられるようになったのかは定かでは御座いませんが、恐らくは平安後期辺りからポツポツと御参道に沿って石塔が置かれるようになったのでは無いでしょうか。

20万基もの石塔等がひしめき合うといわれる石塔群の中で、私が先ず目指して御参りさせていただいた御墓が、こちら――一の橋を渡り表参道に入って直ぐ右手の道…ゴルドン婦人の御墓の先、左上辺りに御座います 高野山熊谷寺さん管理の墓所で御座いました。
こちらは、見真大師(親鸞聖人)の宝篋印塔、九条兼実様墓所、覚信尼(親鸞聖人女)墓所……そして 平敦盛様と熊谷次郎直実様の供養塔が建立されている墓地で御座います。
実は、私の高野山参詣の最大の目的は、こちらを御参りする事で御座いました…///

綺麗に仲良く並ぶ2基の五輪塔。
向かって左側が敦盛様、右側が直実様の供養塔で御座います。
五輪塔といえば…この石塔は空海様が考案された墓塔であるといわれており、高野山が発祥の地では無いかとも考えられているようで御座いますね。
空海様は、宇宙は“地、水、火、風、空、識”の6つの要素、即ち“六大体大”によって構成されるといわれ、その内の“地、水、火、風、空”の“五大”を物質的な存在であると示されました。
そこへ“智”であり“覚”であり“心”でもある“識”の存在を加えられて“六大”となり、そうして初めて全ての事が成り立つとされるという御考えで御座います。
五輪塔にはこれらの要素が その形の中に組み込まれており、体を表す“地輪”、血液を表す“水輪”、体温を表す“火輪”、呼吸を表す“風輪”の五大要素によって五体で生きる人も宇宙であるという事を説かれ、そこに全ての“識”を表す“宝珠形”を加える事で、魂の入った1人の人間を表していると考えられます。
一般的に、供養塔として建立されている場合が多いようで御座いますが、墓石として使われる事も勿論御座います。

こちらは、直実様建立と伝わる敦盛様の供養塔。
地輪部分に刻まれた日付には、元暦元年2月7日(寿永3年2月7日/1184年3月20日)と記されておりますね。
これは一ノ谷合戦の日…即ち、敦盛様の御命日で御座います。
“直實立”とありますので、一瞬 元暦元年に建立!??と驚いてしまいましたが、流石にそうでは無いと思われます(苦笑)
熊谷寺さんの記録によりますと、建久元(1190)年 敦盛様の七周忌に際して 直実様が追悼の念から法要を営もうと法然様の指示で高野山に登り、父祖の菩提寺であった智識院(現 熊谷寺さん)に寄寓されて敦盛様の位牌及び石塔を建立されたという事で御座います。
これが、その時に建立された石塔であるか否かは 御寺の方にも伺ったので御座いますが、定かでは無いようで…。
というか…私には、もう少し後の時代の建立では無いかなぁという感じに見えるので御座いますが……うぅん。。
(※私は専門家では御座いませんので、間違っておりましたら誠に申し訳御座いません…;;)

そして、こちらが直実様の供養塔。
直実様は14年間この地に留まられ、敦盛様、源平合戦死者を供養されたといわれます。
そして承元2年9月14日(1208年10月25日)に熊谷郷の庵にて念仏往生された後、御嫡子 直家様が亡父の遺命によって登山され、高野山にて法要を営まれたと伝えられます。
…という事は、直家様による建立?とも思いましたが、“塩津城主”と記されている事から、もしかして近江国の熊谷氏によって建立されたものなのでは無いかと推測しております。
塩津城主といえば熊谷兵庫直高様かなぁとも思いますが、こちらもハッキリとした事は不明で御座います。申し訳御座いません。
ちなみに…一方的な親しみから勝手に“直実様、直実様”と御呼びしておりますが、既に御出家された後の事で御座いますので、正しくは“蓮生法師”と記すべきで御座いますね…すみません…;

↑右寄りの2基が、敦盛様と直実様の五輪塔。
左寄りに並ぶ宝篋印塔が、親鸞様、兼実様、覚信尼様の供養塔と思われます。
この裏手は、熊谷寺さんの先師墓が並んでおりました。
全ての塔前にて御参りをさせていただいた後、 拝見を御願いした上で色々と観察させていただいておりますが、御墓は決して見物の対象とすべきものでは御座いませんので…。
あくまでも、目的は御墓参り。
墓前で手を合わせていると、自然と様々な想いが込み上げて参ります。
いつも感じる事ではあるのですが、御墓と向き合う事は 自分自身と向き合う事でもあるような気が致します。
それは 敦盛様の御墓でも、私の祖先の御墓でも同じ事で……。
御墓は語り掛けても直接的に御返事をしてくれる存在では御座いませんが、不思議と墓所では何かしらの発見や感動をさせていただく事が多いように思います。
御墓は、日常の中で 最も“死”というものを感じさせられる場所でも御座いますね。
“死”を感じる事は、“生”を感じる事でも御座います。
私の記事では、御2方の五輪塔に夢中になり過ぎて他の方々の石塔を蔑ろにしているような感じに見えてしまいそうで御座いますが(…)、そ…そんな事も御座いません…よ…?

九条兼実様といえば、源平争乱の時代を生きられた公卿様で御座いますね〜。
40年間書き綴られた日記 玉葉が有名で御座います。
源平両氏との関係や距離感については、いずれ深く考えていきたい課題の1つで御座いますので、いずれ兼実様についても詳しく触れる機会があるかと思います。
それから…親鸞様については、私の実家が浄土真宗で通っていた幼稚園も浄土真宗の御寺さんで御座いましたので、幼い頃より親鸞様の教えこそが仏教の全てだという感覚も記憶しております。
高野山と親鸞聖人とは、とても深い結び付きが御座います。
御縁の寺院、伝承等も御座いますので、明日は親鸞聖人について記したいと思います。
Comment
何というか、時代の香り漂う墓石の並んでる様子を見ると。
不思議と穏やかな気持になります♪
それぞれに歴史や物語はあるんですねぇ、自分はもっぱらそんな様子を想像するだけで終わってしまいますが(;^^)
不思議と穏やかな気持になります♪
それぞれに歴史や物語はあるんですねぇ、自分はもっぱらそんな様子を想像するだけで終わってしまいますが(;^^)
GAN | URL | 2008/05/14/Wed 21:57[EDIT]
長い時代を経て現存している御墓って、なんだか不思議な感じがしますね〜。
当時は御墓というか供養塔が多いので、その下に屍が埋もれているという訳でも無いですし、魂だけが後世の方々によって御祀りされていると思うと、気持ちが形として残っている為か あたたかい気分になったり…。
そこに供養されている方や、建立された方、いろんな方々の人生があって、その中で1つの御墓が作られて今に至っているだなんて、考えると凄い事ですよね…!
古い御墓を見ると、何となくでも色々と想像する事が出来て…とても素敵な事だと思います。
当時は御墓というか供養塔が多いので、その下に屍が埋もれているという訳でも無いですし、魂だけが後世の方々によって御祀りされていると思うと、気持ちが形として残っている為か あたたかい気分になったり…。
そこに供養されている方や、建立された方、いろんな方々の人生があって、その中で1つの御墓が作られて今に至っているだなんて、考えると凄い事ですよね…!
古い御墓を見ると、何となくでも色々と想像する事が出来て…とても素敵な事だと思います。
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