
三重県多気郡明和町斎宮は、かつて“竹の都”と呼ばれた斎宮跡地。
国の史跡に指定され、現在も発掘調査が続けられている貴重な場所で御座います。
近鉄 斎宮駅から いつきのみや歴史体験館前を通り過ぎて、更に道路を進んで行きますと、目の前に こんもりと繁った森が見えました。
近くまで行くと、その入口には鳥居が立てられており、何の神社かなぁと思いました。

遠目に見ても、近くで見ても、神社に見えて仕方が無かったのですが(笑)、こちらは“斎王の森”と呼ばれる場所。
そういえば、斎宮歴史ロマン広場に そんな再現も御座いましたっけ!と思い、早速 足を踏み入れてみる事に致しました。
地元では、古くから斎王様の御殿があった場所だと言い伝えられてきたそうで御座います。
こちらに至る前に、内院跡を見てきたばかりだった私は、一体 斎王様の御殿は幾つ在ったのだろうか…と考えてしまいましたが、どうやら発掘調査の結果は“内院跡では無さそう”という事であったようで…。
斎宮廃絶の後は、伝説の“幻の宮”として長い間語り継がれてこられたようで御座いますので、具体的な斎王様の御殿の場所までは正しく伝わらなかったのかもしれません。
次代が移り変わって行く中で、この場所だけが かつての斎宮の面影を留めているとして残され、この場所を守り抜いて伝えていく為に 生じていった言い伝えなのかもしれませんね。
伝承と真偽が必ずしも一致するという事は稀なのかもしれませんが、基となる事実があり、そこに生きる方々の想いがあってこその、伝承で御座います。
源平の伝承地巡りをしている際に、良く真偽の程を気に掛けておられる方と御話する機会が御座いますが、正直 私と致しましては かなりどうでも良い部分であったりも致します…。
それを追及されたい方も勿論いらっしゃる事は存じておりますし、私も全く気にならないといえば嘘になります。
然し、私は学者でも研究者でも御座いませんので、失礼ながら 今の世まで受け継がれ、語り継がれている その土地の“文化”として捉えさせていただくようにしております。
私が気になるのは、そんな文化が芽生えた当時の様子や思想の方で…そういった面から、私が得た情報の裏付けとなる事柄や背景等が見えてくると良いなぁと…。
万が一、これで御気を悪くなさる方がいらっしゃいましたら、誠に申し訳御座いません;
ただ、“真偽を問う事”と“信じる事”は別で御座いますので……私は、どんな伝承地を訪れても“ここは信じられない”等と思った事は1度も御座いません。
信じているからこそ、続けている事は御理解いただきたく思います。
……と、何だか話が逸れてしまいましたね;申し訳御座いません。。

森の中には、神宮司庁による案内板が…!
元々は旧斎宮村の所有地だったようで御座いますが、現在は伊勢神宮 内宮の神宮司庁によって管理されているようで御座いますね。
案内板
ここ三重県多気郡明和町大字斎宮字楽殿の地一帯は 皇大御神に近侍して神宮祭祀に奉祀せられた斎王御所の奈良時代以来の遺跡である
斎王制度は遠く崇神天皇の御代に起源して天武天皇以後その制度も確立し歴代皇女または女王を斎王にたてられる例であった
吉野時代後醍醐天皇以後戦乱のため中絶し再興を見なかったこの由緒深い遺跡の顕彰保存のため 明治維新百年を機とし北白川房子神宮祭主の御染筆を碑文に刻して永く後世に伝えるものである
昭和四十三年十一月三日 神宮司庁
史跡斎宮跡
斎王の森
斎宮は廃絶されたのちは、幻の宮として伝承に面影をとどめたにすぎなかったが、この森の一画だけが古くから「斎王の森」と呼ばれ残されてきた。
郷土の先人達も、この森を中心に斎宮跡の保存顕彰に努めてきた由緒ある地である。
この森は昭和33年まで旧斎宮村の村有地であったが、以後伊勢神宮に寄附され現在では神宮司庁により管理されている。
明和町・明和町教育委員会

こちらは、斎王宮址碑。
手前に小さな門が設けられており、思わず斎王様の御墓!?と とんでもない勘違いをしてしまいそうになってしまいましたが(申し訳御座いません…)、とても丁寧に整備、管理されている事が窺えて、あたたかい気持ちになりました。

斎王の森は、史跡公園として整備されており、井戸跡や堀立柱建物跡等の復元も行われておりました。
実は…至る所で“堀立柱建物”や“堀立柱塀”という文字を見掛けておきながら、建築学に疎い私は 余り想像が出来ておりませんでしたので、ここへ来て ようやっと何と無くイメージを描く事が出来たように思います。
また、こちらには第10代 斎王様であられた、天武天皇の皇女 大伯皇女様の歌碑も建立されておりました。
わがせこを 大和へやると さ夜ふけて
あかとき露に わがたちぬれし
これは、大伯皇女様が同母弟の大津皇子様の御身を案じて詠まれた御歌。
万葉集 巻第2に収録されている和歌で、大津皇子様が秘かに伊勢に下向された帰り際に詠まれた御歌の内の1首で御座いますね。
原文は“吾勢祜乎 倭邊遣登 佐夜深而 鷄鳴露尓 吾立所霑之”
“私の弟を大和へ帰してやるというので、夜が更けても、明け方の露に立ったまま濡れていました”

日暮れ直前に訪れた事もあって、コントラストの強い光景が記憶に焼き付いております。
夕陽の射込む斎王の森は、何とも幻想的な雰囲気に包まれておりました。
史跡斎宮跡
昭和54年3月27日 国指定 文部省
当地区は、古くから「斎王の森」として地元の人々に言い伝えられ親しまれてきたところであり、斎宮跡保存運動の中心地ともなってきたところである。
この由緒ある斎王の森周辺を、史跡斎宮跡のシンボル地区として環境整備を実施し、地元の人々や見学者の学びと憩いの場として活用できるよう史跡公園化をはかった。
園内には、発掘調査で発見された平安時代前半の堀立柱建物跡(20棟)井戸跡(1基)道路跡等を復元整備したが、これらの遺構から当時隆盛をきわめた斎宮の面影をしのんでいただければ幸です。
明和町・明和町教育委員会


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