日本史(主に平安〜鎌倉初期)について。 あくまでも、独り言で御座います。

斎宮の野々宮。
竹神社01


三重県多気郡明和町斎宮には、“多気郡”の地名の由来にも関わりがあるといわれる竹神社が御座います。
多気…“たき”は“たけ”、つまり“竹”から変じたもので、“多気”の地名が用いられるようになった和銅6(713)年以前までは、“竹”と呼ばれていたようで御座います。
多気郡には竹連氏という豪族が居り、竹神社には その竹連氏の祖神様を御祀りされているのだとか…。

竹神社02


竹神社が御祀りされているのは、いつきのみや歴史体験館斎宮歴史ロマン広場から近鉄線の線路を挟んだ向こう側…斎宮駅の改札側で御座います。

元々は、現在の斎宮歴史博物館の南に隣接する場所に鎮座されていたようで御座いますが、2度目の遷宮で現在地へ御祀りされる事となられたそうで御座います。
現在の御鎮座地は“野々宮”と呼ばれていたといわれる場所。
伊勢国の野々宮…伊勢に群行前に、京 嵯峨野にて斎王様が暫く滞在なされた野宮を連想されられる地名で御座いますね。

竹神社03


神社傍の道路沿いには、“斎宮城跡”と記された碑が建立されておりました。
斎宮に御城…一瞬、斎王様の居城!??と意味不明な想像をしてしまいましたが(苦笑)、勿論そんな筈は無く。

現在 竹神社が在る場所は、弘治年間(1555〜1558年)に野呂三郎氏の居城として築城された御城の跡なのだそうで御座います。
一緒に掲げられていた説明板によりますと、野呂氏は勝手に徳政を敷いて狼藉を働いた為に、国司である北畠材親氏に追討されてしまったという事で御座いました。

竹神社04


□ 竹神社(たけじんじゃ)

所在地:三重県多気郡明和町斎宮
御創祀:孝徳天皇御代(645年〜654年)
御祭神:長白羽神、天照大御神、建速須佐之男命、八柱神、応神天皇、地主神、火産霊神、宇迦御魂神、大己貴命、天棚機姫命、八千々姫命、瀬織津姫神


竹神社の御創祀は、孝徳天皇御代(645年〜654年)の頃。
垂仁天皇御代(紀元前29〜紀元後70年)に この地へ留まる事を定められた豪族が、孝徳天皇の次代に至って竹郡を創建された日に御祀りされた事に始まるといわれております。
氏神様であり、土地の守り神様として大切にされてこられたので御座いますね。
その後、暫くの間は史料等にも存在が確認されていないようで御座いますが、斎王制度の確立と共に、地名は“竹の都”から“斎宮”へと変わっていきました。

現在の鎮座地である野々宮という地名の由来は、斎宮の内院、中院、外院に御祀りされていたといわれる17の御宮の内の1社であったのでは無いかと考えられております。

天武天皇御代(673年〜686年)の時、斎王様は大伯皇女様、頭は麻績氏で御座いました。
その麻績氏の祖が、長白羽命――竹神社の主祭神で御座いますね。
そんな繋がりから、この野々宮も斎王様に縁の地といわれ、毎年6月には斎王祭が行なわれているのだそうで御座います。

明治41年、元々御祀りされていた場所から同東裏へ遷宮。
その3年後に、現在地の野々宮に合祀移転され、竹神社の単称となりました。

竹神社05


御社殿の向かいには、神宮の遥拝所が御座いました。
成程、神宮に御仕えされた斎王様縁の聖地のひとつといわれている神社で御座いますから、納得で御座いますね。

また、境内には 謡曲「絵馬」と竹神社に関する案内板も立てられておりました。

   謡曲「絵馬」と竹神社

 「伊勢参宮名所図会」に毎年大晦日に伊勢の斎宮で絵馬をかける行事が載っているが墨絵馬は雨を、白馬は日照りの占方を示すという。
謡曲「絵馬」は、この行事を節分の夜とし、老翁と姥が人民快楽のため二つの絵馬をかけ並べ国土安穏を祈るというものである。
もとの参宮道の、この辻に絵馬堂があり、「絵馬川」という小川に「絵馬橋」もかゝっていた。
絵馬堂は明治の終りごろ廃され、その折斎宮の加藤氏に譲られたが、終戦直後腐朽のため堂が焼却された。
絵馬は佐々木氏が譲りうけ、大正のはじめ竹神社に寄贈したものが現在、竹神社の神宝となっている。
かっての行事を伝える貴重な絵馬といえる。
       謡曲史跡保存会



   石灯篭と礎石の由来

此自然石灯籠は池村氏神の其一つ饗庭の森八王子の宮の富夜灯であった
嘉永七年の遷宮に際し氏子が記念に造ったものである。
之を造るには当時伊勢の国で有名な自然石灯篭を各地に見学し、又伐石の採取には池村の山林中をくまなく探し求めた
殊に台石の立石に使われている石は運搬中誤って二ッ池底に転落したものを師走の寒中に池の堤に大割木を山と積み焚置いて温を取り氏子等が交代で池庭にもぐり該石に縄をかけ之を引揚げたと撰者は祖父から聞かされている
斯様にして造りあげたという当時如何に氏子等の敬神思想の高かつたことがうかがわれる
昭和三十七年池村より此宮に移転した自然石灯篭としては県下で稀に見る大灯篭である

   礎石

自然石灯篭の基礎石積の裏面に大なる礎石が使われている
此礎石は丹生上田野の常明寺の礎石である(鈴木敏雄先生立証)
 丹生大明神の儀軌に曰く
延暦二十一.歳次壬午 沙門空海今参詣天照皇太神宮之砌依法楽常明寺
彼寺 善記元年.歳次壬丑.継体天皇ニ天明在天照皇太神宮後勅託
建立七間一宇 瓦屋云々とあり
此常明寺の礎石なり
此礎石は撰者が田津田村大字津留(丹生上田野)岡山氏より譲り受けて此宮の御手洗場の側に景石として置きたるものを石工が何心なく使用せるもので幸にも礎石の表面を外部に出したは幸いというべし
三重県下に於ての重要遺物である
       渡辺勝蔵撰



竹神社06


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Comment

 秘密にする

竹を多気、昔の人は言葉遊びが好きだったんですかね?(^^)

名前が変わっていくってお話は色々と聞きますからね♪

前、記事にあった夕日が差し込むクラさんの姿がとても素敵でした(*´∀`)

そういえば、自分は絵馬って書いたことないんですよね・・今度書いてみようかな?
GAN | URL | 2008/12/10/Wed 01:05[EDIT]
>GANさん
昔の日本は言葉の表記よりも、“音”が大事だったようで御座います。
日本は言霊の国とも言いますが、確かに言葉に魂が宿っているという考え方は今でもありますよね〜。
結婚式等の場では、忌み言葉とか重要視しますし、受験生に“転ぶ”とか“滑る”とか言うと怒られますし…。
地名も、元々は別の意味があったのに、語呂が良いように変わっていったりしている場合が結構多いようで御座います。
日本の言葉は、奥が深いですね〜。

あ、GANさんは絵馬を書かれた事が無いのですか…?
では是非、来年の初詣の際に♪
でも、絵馬って別に書いて奉納する必要は無いそうで御座いますよ〜。
元々は、参拝者が本物の御馬さんを奉納されていたのですが、それが簡略化されて板に描かれた御馬さん=絵馬を奉納するようになったようで…。
現在は、逆に神社の授与所で絵馬をいただけちゃうので、不思議だなぁ〜と思っております(笑)
神社でいただいた絵馬は、記念に持ち帰って御家に飾っても良いのだそうで御座います。
どうゝね | URL | 2008/12/12/Fri 02:09[EDIT]
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