日本史(主に平安〜鎌倉初期)について。 あくまでも、独り言で御座います。

紅白の色を重ねる麓の社で。
通矢


こちらは、広島県広島市佐伯区湯来町下地区の“通矢”と呼ばれる集落に御座います、河内神社
湯来に伝わる壇の浦以後の源平合戦において、落ち延びて来られた平家軍が居城として築かれたといわれる平家城跡の麓に位置しております。

“通矢”という地名は、その源平の戦の際に矢が激しく行き交った事に由来していると伝えられております。
読みは、そのまま“とおりや”で御座います。

通矢


□ 河内神社(こうちじんじゃ)

所在地:広島県広島市佐伯区湯来町大字下(通矢)
御創建:承応4(1655)年
御祭神:弥津波能売命
旧 称:河内宮、河内大明神


河内神社の御祭神は弥津波能売命、相殿には大国主神が御祀りされております。
弥都波能売神といえば古事記に登場される水神様。
日本書紀では罔象女神と表されておりますね。
御神体として“石神”と呼ばれる自然石が御祀りされているようで御座います。

御創建は江戸初期、承応4(1655)年で御座います。
正徳5(1715)年の佐伯郡寺社に“通矢 河内宮”、宝暦12(1762)年には下村差出帳に“壱社河内 社壇 4尺四方 通りや”と記録されております。

明治7(1874)年、明治15(1882)年に再建。
現存する両再建棟札には、中央に“奉上棟天御中主命社門栄久守護所”とあり、両脇に“象岡女神 手置帆負神”と“五帝龍王 彦狭智神”と記されているようで御座います。
これは、一般的な棟札に伺える形式で御座いますね。
中央の天御中主命は、水天宮妙見様としても崇められる根源の神様で御座います。
両脇を守護される神様は、岡象女神手置帆負神五帝龍王彦狭智神
岡象女神は火塞の神様、五帝龍神は四方と中央の守護神様で御座います。
手置帆負神と彦狭智神は、共に土木の神様として信仰されておりますね。
平たく解釈するならば、“上棟に際しまして、久しく栄える事が出来ますように御守り下さい”という感じで奉る御札で御座いましょう。
現在の一般家屋等の上棟式で行われる神事でも、似たような内容の棟札が奉られるという事で御座いますが、私は家を建てた事が御座いませんので実際に見た事が無くて…なので、ついつい神社等で見える位置に取り付けられていると、まじまじと見入ってしまうので御座います(苦笑)
ちなみに…こちらに残る棟札で最も古いものが、寛政8(1796)年の舞太刀及び太鼓寄進の棟札で、中央には“奉寄進 河内大明神”と記されております。

明治11(1878)年の神社明細帳に、河内神社は“川井八幡神社 摂社”として掲載されているようで御座います。
川井八幡神社は、湯来町大字川井に鎮座される神社で御座います。

大正5年にも再建が行われておりますが、その際の再建棟札の中央には“奉棟上天神地祇八百万神知意満足所”と記されているそうで御座います。
両脇には“手置帆負神 屋船久久遅命”“彦狭智神 屋船豊宇気姫命”…屋船久久遅神伊邪那岐命伊邪那美命の御子で木の神様、屋船豊受宇気は“豊受姫神”、伊勢外宮の御祭神で御座いますね。

昭和47年に神社修復、平成2年の改築を経て、現在に至っているようで御座います。

通矢


河内神社は江戸期の創建で御座いますので、平家城の平家伝承や源平合戦伝説とは直接の関係は御座いません。
ただ、矢張り伝承地に建立された神社であるという事は少なからず影響を与えているようで御座いまして…御社殿内には、源平合戦に関する内容の絵馬が多く奉納されておりました。

↑上段の絵馬は左が“武人討合”、右が“馬上一騎討”で御座います。
そして、下段左が“武士、夷人”、右が“騎馬武人”で御座います。
いずれも明治期の御奉納で御座いました。

通矢


↑絵馬に敦盛様を発見してしまい、随分と冷静さを失ってしまって色々と勘違いをしている事が一目瞭然で御座います(すみません…しっかり私;;)

未熟者の私は、この時 何をみても源平にしか見えていなかったので御座いますが(苦笑)、画像上段が明治11年奉納の“大蛇退治”…大蛇退治といえば須佐之男命ですけれど、神様というよりは武人に見えますよね。
平家というよりも、大蛇退治は源氏方の印象が強いですね。
源為朝様とか八幡太郎義家様とか…。

下段左側は、明治11年奉納の“一ノ谷の戦”敦盛様、直実様の件を描いたもので御座いますね。
この構図とは毎日向き合っておりますので、これだけは迷う事無く断言出来てしまいます(愛)

その御隣は…私には、奮闘する敦盛様に見えてしまうのです…。
波打ち際で、笛を銜えた若武者が大柄の髭武者を押し倒しているようなのですけれど――…こちらも明治期の御奉納で詳細は不明で御座いますが、“武人討合”の銘が付けられているようで御座います。

通矢


↑そして、ここでも勘違い画像……勘違いというか、思い込みが激し過ぎるというか…妄想多き変人で申し訳御座いません;;

上段左側が“騎馬武人”、下段左側は“馬誉め”、上段右側が“父子の別”となっております。
何処が頼朝様と義経様ですってー!?と己の首根を掴みたい衝動に駆られます;
……兄弟の対面場面かなと思ったのです…申し訳御座いません(涙)

騎馬武人と馬誉めのいちばん右側の御方を義経様かなぁと思ったのは、笹竜胆の鎧を着ていらっしゃるから…というだけの理由で御座いました。
義経様かどうかは分かりませんが、源氏方の軍勢っぽい気が致しますね。

下段右の“牛若丸と弁慶”は、いちばん新しい奉納絵馬。
寄進年月は、平成2年12月吉日という事で御座いました。

通矢


御社殿に左側より伸びる細い小道の先に見える、木々の連なりが平家城跡。
この奥に向かって…もしくは 林中より放たれた矢が、この辺りを飛び交っていただなんて、今の長閑な風景からは想像し難い光景で御座います。

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Comment

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ま〜素敵な絵馬だこと!
こういうのを発見したやはり私も
大喜びしてしまいますよ〜
写真も綺麗に撮れていますね。
私が撮るとどうも反射しちゃって
うまく撮れません(涙)

しずか | URL | 2008/06/21/Sat 22:42[EDIT]
>しずかさん
ね〜!素敵ですよね!
こんなに源平物を描かれた絵馬が奉納されている神社が、広島の奥地にあったのだなぁと知って驚きました。

絵馬や案内板って、正面から撮るの難しいですよねー…照明が当たっていたりすると特に反射しちゃって(涙)
私はなるべく高感度設定にしてストロボ無しで撮影するようにしています〜。
光量不足だったりで、どうしても駄目な時は、いろんな角度から撮りまくっちゃいますね(苦笑)
どうゝね | URL | 2008/06/23/Mon 18:27[EDIT]
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