
一昨日まで2日間、関西に行って参りまして…2日目は元ルームメイト ゆりちゃんと京都を堪能して参りましたが、その前日は高野山へ行って参りました。
先日の羽黒山もそうで御座いましたが、古来より霊場として栄えてこられた高野山も また女人禁制の御山…。
心が常に800年前な私には きっと一生行けない場所なのだわ…!!と長い間、極力近寄らぬよう心掛けて参りましたが(苦笑)、それでも気になって仕方が無かったのは事実。
然し、つい1ヶ月前 誘惑に負けて羽黒山を参詣させていただいて来たばかりで御座いますし……ここはひとつ、現代人として生まれてしまった幸運に感謝をしつつ、勇気を出して1度だけでも参詣させていただいては如何だろうか
と都合良く解釈する事に致しまして、思い切って向かわせていただきました。思い切って詣でた高野山は、とてもとても…とても!素晴らしい聖地で御座いました。
流石は、熊野と共に“紀伊山地の霊場と参詣道”として世界遺産に登録されている場所で御座います。
熊野の霊場と似ている部分も確かに感じられるのですが、絶対的に違う部分も強く感じられました。
率直に抱いた感想と致しまして“私は、ここが好き!大好き!!”とか“実際に辿り着いて尚、この場所に堪らなく憧れる”等と…兎に角 始終興奮しっ放しで御座いましたので、この感動をどうすれば上手く表現する事が出来るかしら…という感じでは御座いますが、高野山の寺社、史跡等については、また落ち着いた頃に改めて記す事と致しまして…。
本日は、今まさに真盛りで御座いました高野山の桜に因んで、桜の和歌を幾つか記しておきたいと思います〜。

桜の御花は、全体に実るように撓わに咲き誇る美しさが絶賛される 春の代名詞で御座います。
散り逝く姿までもが優雅で華やかで…その姿を観る者は、儚さや切なささえ抱かされるもので御座います。
風に乗ってひらりと舞う1枚は、まるで蒲公英の綿毛のように何処までも心を運んで行くようにも思われて。
散り落ちた先では、重なり合うように同じ枝木で生まれた花弁同士が再び地面に大きな花を咲かせ、最期まで私達を魅了し続けてくれますね。
そして、花が去れば瑞々しい新緑が芽吹き、より一層鮮やかな春の息吹と命の輝きを感じさせられるので御座います。
平安期に入る頃までは、花といえば“梅”で御座いました。
以前、池上梅園の梅花と共に梅を詠まれた御歌について幾つか記しましたが、中世以降――現代に至っても、花といえば“桜”というのが すっかり常識になりましたね。
平安期以前は梅のように春の花として愛でる習慣が無かったと思われがちな桜花でも御座いますが、古事記や日本書紀に登場される木花之開耶姫は開花した桜のように美しい姫という意味であると説かれております。
古代から日本では桜が見られておりましたが その殆どは山桜で御座いましたので、渡来種である雅な梅花と比べれば、当時の高貴な方々にしてみれば余り魅力的では無かったのかもしれません;
万葉集においても、春の御歌として詠まれているのはダントツで梅の御花が最多で御座いますが、桜を詠まれた御歌というのも実は多く収録されております。
人の手によって植えられたものとは違い、自然の野山で見事に咲き誇る桜の姿に心奪われる御方は、古代にもいらっしゃったので御座います。
貴族の御邸等に梅と共に桜が植えられるようになったのも、この頃の事からでは無いかと思われますが、万葉集は様々な身分の御方が作られた御歌が採られておりますので、もしかすると本当はもっと それ以前の時代から、桜が美しい御花である事を日本人は知っていたのでは無いかな〜と、色々な事を想像してみたり致しております。
そんな事を考えながらも、矢張り桜を迎える季節というのは とても新鮮なもの。
日本人の心を掴んで離さない桜の木には、古来より様々な言い伝え等も伝えられていたりして……考えれば考える程に、身近な筈の桜が不思議な木に思えてしまいますね。
前置が長くなってしまいましたが、先ずは 万葉集 巻第10“春の雑歌”より桜を詠まれている御歌を。
作者、作歌年代等は 共に不明。
原文は“櫻花 時者雖不過 見人之 戀盛常 今之将落”で御座います。
桜花 時は過ぎねど 見る人の
恋の盛りと 今し散るらむ
“桜の花は 咲いて未だ間も無いというのに、見る御方が恋しがっている盛りである内に…と、もう今にも散ってしまうのでしょうね”
はじめて聞いた時は、何だか切ない御歌だと思いましたが、何度も繰り返している内に、何と潔い御歌であろうかと感じるようになりました。
散り際でさえも美しい桜で御座いますので、花の命を早めてまで その変化を見せ付ける事が出来る…最期の時まで人を惹き付ける事を忘れない…見事とも思える力強さ感じます。

万葉集巻第8巻“春の雑歌”より若宮年魚麿様の詠まれた長歌と、その反歌。
詞書は“桜の花の歌一首と短歌”
長歌の原文は“□嬬等之 頭挿乃多米尓 遊士之 蘰之多米等 敷座流 國乃波多弖尓 開尓鶏類 櫻花能 丹穂日波母安奈尓”
をとめ等の かざしのために みやびをが かづらのためと しきませる
国のはたてに 咲きにける 桜の花の にほひはもあなに
“乙女達の髪飾の為に、雅男の挿頭の為に、天皇の治め給う この国の遠い彼方に咲いている桜の花の美しさは、あぁ…何と美しい事でありましょう!”
そして、それに対する反歌の原文が“去年之春 相有之君尓 戀尓手師 櫻花者 迎来良之母”
こぞの春 会へりし君に 恋ひにてし
桜の花は 迎へ来らしも
“去年の春に御逢いした桜の君を恋しがっておりましたのに、その桜が また今年になって、私を迎えているように見えます”

続いては、建礼門院右京大夫集より、小侍従様と右京大夫様の御歌の遣り取り。
小侍従様は、石清水八幡別当の大僧都 光清様の娘で、藤原伊実様の妻。
女性同士で交わされる御歌も素敵で御座いますよね。
“風といとふ花”と題されており、詞書に“内の御方の女坊、宮の御方の女坊、車あまたにて、近習の上達部、殿上人具して、花見あはれしに、なやむことありてまじらざりしを、花の枝に、紅の薄様にかきて、小侍従とぞ。”と御座いますので、先ずは小侍従様より届けられた御歌。
さそはれぬ 心の程は つらけれど
ひとり見るべき 花の色かは
“誘いを受けなかった貴女の心の程が憎いのだけれども、この花の美しさは ひとりで観るべきでは無いと思うのよね”
帝に仕える女房と中宮様御付の女房とが、側近の上達部や殿上人を御連れになって、沢山の牛車で御花見に行かれた際、右京大夫様は風邪気味であった為に参加されなかったようで御座います。
小侍従様は右京大夫様を心配なさるのと同時に、一緒に桜を観られなかった事を とても残念に思って、せめて…と思って桜の花の枝に御歌を付けて届けて下さったようで御座います。
それに右京大夫様が返された御歌が、こちら。
詞書“風の気ありしによりてなれば、かへしに、かくきこえし。”
風をいとふ 花のあたりは いかゞとて
よそながらこそ 思ひやりつれ
“風を厭う花の辺りに、風邪気味の私が寄るのは如何かしらと思って、遠くからだけれども その花を想っていたのよ”
もしも、この御2人が現代の御知り合い同士であったとしたら、風邪気味で会社の御花見に出られなかった右京様に、小侍従様が桜の御花を写メって送信されている感じかしら…と妙な想像をしてしまいました…す、すみません、資盛様(笑)
***
もう1首。
詞花和歌集より、私が1番好きな桜の御歌。
作者は、伊勢大輔様。
詞書“一条院御時、奈良の八重桜を人のたてまつりて侍りけるを、その折御前に侍りければ、その花をたまひて、歌よめとおほせられければ、よめる”
いにしへの 奈良の都の 八重桜
けふここのえに 匂ひぬるかな
これは百人一首にも入選しておりますし、その他の歌集にも収録されておりますので、とにかく有名で御座いますね〜!
上東門院彰子様が一条天皇の中宮であられた時分に、未だ新参であった伊勢様は奈良から届いた八重桜を受け取る御役目を紫式部様より譲られ、藤原道長様の命によって その場で詠まれたと伝えられます。
“古の奈良の都にあった八重桜が、今日この平安の都の宮中で美しく咲き薫っております”
この御歌を題材とされた佐久間智代先生のデビュー作品『都桜』も大好きで御座います〜♪
* * * * * * * *
昨日、今日は、ちょっと春を満喫した気分で更新させていただきました。
春の内に春らしい記事も…と思いまして(笑)
明日以降は、再び山形の関連記事に戻ります。
※という訳で…明日は 酒田市飛島の平家伝承について。
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