
紀伊熊野参詣路に残る熊野九十九王子の1社。
こちらは、新宮市の旧浜王子――浜王子神社で御座います。

□ 浜王子神社(はまおうじじんじゃ) □
所在地:和歌山県新宮市熊野地
御創祀:不詳
御祭神:稲飯命、三毛入野命
浜王子の御創建については不詳で御座いますが、伝承によると神武天皇が東征の際、熊野灘で嵐に遭われた時に、人柱ならぬ“神柱”として2柱の神様が身を沈められたと伝えられます。
こちらには、その神様方…稲飯命、三毛入野命が御祀りされていらっしゃるのだそうで。
浜辺寄りの地で御座いますし、かつてはこの辺りまで海であったのかもしれません。
この御社の辺りは御島であったという事とも考えられますし、古くから海の神様として信仰されてこられたので御座いましょう。
鎌倉期辺りの史料等では、浜王子という王子は伺えないようで御座います。
恐らくは、熊野信仰が盛んになるにつれ、海の神様=航海の神様=熊野参詣者の神様と捉えられるようになり、熊野権現の王子社として大切にされてこられたのでは無いでしょうか。
史料の上で初めて浜王子の名が見られるのは、文明5(1474)年の九十九王子記の記述で御座います。
後白河院や藤原定家様の頃には、未だ王子としては信仰されていなかったのかもしれませんね
。
明治期に王子神社となりますが、明治末期の神社合祀の際に阿須賀神社に合祀されたようで御座います。
大正15(1926)年に復興。
広大な境内を有し、現在の王子ヶ浜もこの頃は社地であったそうで御座います。
戦後、住宅地として開発されていった事で社地は随分と少なくなってしまったようで御座いますが、村社であったようですし、現在も付近の方々の氏神様のような存在になっているのでは無いでしょうか。
王子時の名残を留める社名“浜王子神社”として今に至っております。
浜王子
承元四年(一二一〇)五月四日、新宮参拝を終えた修明門院は、那智山に赴き、その道筋で、阿須賀・高蔵・佐野・一乃野王子に参拝していますが、この王子社の名は当時の記録に見当たりません。
湊にあった高蔵王子(新宮市)が、道順からすれば、この王子社のようにも思われます。
浜王子の名が登場するのは、文明五年(一四七三)の『九十九王子記』からです。
江戸時代には、浜王子社といわれ「方三尺六寸余(約百二十センチメートル)」の小さな祠と、五尺(約六十五センチメートル)の鳥居があったことが、『紀伊続風土記』の記載によって知られます。
明治時代には王子神社となり、明治十二年(一八七九)の調べでは、境内の坪数が七十八坪(約四十三平方メートル)ありましたが、その後の神社合祀で、阿須賀神社に合祀されました。
大正十五年(一九二六)に復興され、その後、王子神社として存続しています。
和歌山県指定文化財
史跡 浜王子跡
指定年月日 昭和三十四年一月八日
王子ヶ浜に近い当神社が浜王子跡で、祭神は稲飯命と三毛入野命である。
神武東征のみぎり、海神の怒りをしずめるため、この二人の命が海中に身を投じた神話によるといわれている。
古来から海の神を祀る海浜の宮であったと思われるが、熊野信仰の発展とともに、熊野神の御子神を祀る王子社として知られるようになった。
古代の王子社としての記録はないが、文明五年(一四七三)の『九十九王子記』には「浜王子」として記されているのが初見。
元亨二年(一三二二)、武蔵国豊島郡の領主豊島太夫景村が、当社の分霊を自領の飛鳥山に移し祀ったともいう。
海辺の熊野参詣道の成立や古道としてのルート、性格を考えるうえで貴重である。
平成三年一月五日 和歌山県教育委員会 / 新宮市教育委員会

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