日本史(主に平安〜鎌倉初期)について。 あくまでも、独り言で御座います。

新宮に十郎様の御住まいを訪ねて。
行家様屋敷跡01


和歌山県新宮市熊野地。
一見、ただの住宅地の中にある駐車場なので御座いますけれど、こちらは源行家様の御屋敷があったと伝えられている場所で御座います。

 義盛は即ち新宮十郎行家にして丹鶴姫の弟に當る。
新宮にて成長せり。
其の屋敷跡なるもの、新宮町下熊野地の入口里道の東方に在り。
       (東牟婁郡誌 上巻による)



道路に面したフェンスに、新宮市によって説明板が設置されている限りで、他に これといったものを見付ける事は出来なかったのですけれど…うぅん、確か この周辺に石碑か何かが在るという情報があったような気がするのですけれど;;
ここで、行家様は長い年月を過ごされたので御座いますね。
どんな御屋敷だったので御座いましょうか。
川が流れ、海の近い この場所で、行家様が送られた日々は、とても穏やかなものであったのでは無いかしらと私には思えてなりません。

説明板はカラーで大変見やすく、解りやすいもので御座いました。
簡単な略系図も記されており、これならば歴史に疎い方でも、頼朝様や義経様から見て、行家様が どういった御立場であられたのかが一目瞭然で良いなと感じました。

   新宮十郎行家(源義盛)屋敷跡

 このあたり1丁(約百米)四方にわたって源平時代の武将新宮十郎行家の屋敷があったと伝えられている。
現在、遺跡らしいものは見い出せないが、江戸時代初期の「新宮古図」に記されている。
 行家は別の名を源義盛といい、源為義の十男で為義と新宮の神官鈴木重忠の娘(熊野別当の娘との説もある)との間に生まれたといわれている。
保元・平治の乱で兄弟を早く失ったが、ただ一人生き残った。
兄義朝の子である源頼朝や義経、義賢の子木曽義仲の叔父にあたる。
また丹鶴姫(鳥居禅尼)は行家の実姉であり、紀宝町鮒田の地で生まれたといわれている弁慶も義経をとおして行家との関わりが深い。
 行家は新宮に居住し、平家追討の令旨を諸国の源氏に伝え、峰起を促したことで有名である。
源平の合戦が続く中、頼朝や義仲とともに戦ったり、平家打倒に大きな役割を果たし、多くの人物と関わった珍しい武将である。
 平家滅亡後は頼朝と対立する義経と行動をともにしていたが文治2年(1186年)5月、和泉国(今の大阪府)で捕えられ最後をとげた。
       平成16年3月 新宮市



行家様屋敷跡02


熊野の新宮は、行家様、鳥居禅尼様 縁の地で御座います。
御2方は、同母姉弟――御母様は、第15代熊野別当 長快様の娘様である立田女房様、もしくは 熊野速玉大社の神官 鈴木重忠様の娘様であるといわれております。
どちらにせよ、生まれながらに熊野との繋がりを持たれておられた事は確かなようで…その後の人生も また然り。

新宮にて生まれ育たれた鳥居禅尼様は、“丹鶴姫”“たつたはらの女房”等と呼ばれ、熊野別当家に深く関わられた御方。
新宮では、専ら“丹鶴姫”様と呼び親しまれておりますね。
御出自、夫、御子様については諸説御座いますが、一般的には 後の第19代熊野別当となられる行範様と結婚され、夫に先立たれ出家された後も、残された子供達を立派に育てられたといわれております。
その御子様には、第22代、第23代熊野別当となられる行快様、範命様、それに第21代熊野別当 湛増の妻となられた娘様がいらっしゃいました。
元々、平家との結び付きの強かった熊野別当家が源氏方となった一因には、源氏の血を引かれる鳥居禅尼様の存在が大きかったのでは無いかと考えられます。

弟の行家様は新宮で生まれたという御話もあるようで御座いますが、平家物語に“新宮十郎”を名乗られていた事が知られるように、平治の乱後の長い期間を新宮にて過ごされた事が伝えられております。
ちなみに、その頃の行家様の御本名は“源義盛”様で御座いました。
治承4(1180)年、源頼政様に召し出されて京に赴き、八条院の蔵人となって“行家”と改名。
以仁王様の令旨を各地の源氏に伝達するという重役を任じられ、諸国に潜む源氏の方々を訪ね歩かれる事となります。
そして、晩年の逃亡では再び熊野を目指されており…結果的に、それは叶わずに終わってしまいましたが、行家様にとって矢張り熊野は最後の拠り所であったので御座いましょうね。
熊野へ帰れば姉が居る、熊野へ帰れば あの懐かしい景色が この姿を隠してくれる、穏やかに暮らせる日々が待っている…そんな想いを抱かれながら、御最期の時を迎えられたのかもしれません。

行家様屋敷跡03


↑説明板には、なんと素敵な牛若様と弁慶様の絵までもが…!
これまた非常に解りやすい、五条大橋の場面で御座いますね〜。
牛若様の薄衣を薙刀でからめとっておられる弁慶様が凛々しゅう御座います。

そういえば…弁慶様と熊野との繋がりは、新宮にも伝えられております。
弁慶様の御出自については、田辺の出生地伝説出雲国の出生地伝説が特に有名かとは存じますが、新宮にも弁慶様の御出生に関する伝承や遺跡等が語り継がれております。
速玉大社の御宝物殿前にも、それについて記された説明板が出ておりますが…このブログでは未だ記事にした事が御座いません。
新宮の弁慶様伝承については、もう少し追及してみたいと思っておりますので、また幾度か熊野を訪れた後に纏められたらと思っております。

新宮周辺は、行家様、鳥居禅尼様関連の史跡の他、頼朝様寄進と伝わる神倉神社の石段やら、佐野王子北条政子様宝筐印塔やら…割と源氏方の方々の形跡等を垣間見る事が出来る所が多いかなという気も致しますが……あ…いや、そうでも無いかも…(どっち…)

三山信仰の熊野は源平両氏のみならず、皇族、貴族の方々等、幅広い関わりを持つ地で御座いましたので…源氏と平家の史跡だけを考えてみるにしても、恐らくは微妙に時代が違うものなのだろうなと思います。
平家の方々が熊野参詣に訪れられた頃と、源氏の方々が参詣や御寄進を行われた年代は、狭い範囲では御座いますが、若干のズレが生じていて当然かと…。
だからこそ、熊野では源氏縁の遺跡もあれば、平家縁の遺跡も見られるので御座いましょう。
新宮で最も有名な平家の遺業は、平重盛様が梛の木を御手植えなさった事では無いでしょうか。
今も、速玉大社の御神木として聳えられる梛の大木を見上げる度に、私は過去の色々な出来事に想いを馳せてしまいます。

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