
神奈川県横浜市戸塚区に伝わります、藤原実方様の伝承について。
↑は、JR戸塚駅前の周辺案内地図の一部で御座います。
ちょっと見え難いのですが、○印を付けております場所には“実方塚”と記されております。
こう見ると、駅から結構近そうに見えるのですけれどー…実際行ってみると、そうでも無いなぁと感じられます(苦笑)
その上、実方塚は、近年 何度か移転をされているようで御座いまして。
…どうやら、私の持っていた地図は古かったようで……付近に辿り着いたのは良いものの、どうしても実方塚を発見出来ず、彷徨ってしまいました;
近くに“実方塚”というバス停もあるのですけれど、バス停付近に何か案内が出されている訳でも無く、御近所を歩かれていた現地の方々に何度か御尋ねしたので御座いますが、意外と知っている方になかなか出会う事が出来ず、
「えー…実方塚っていうバス停はあるけど…本当に、そういう塚があるんですか?」
と逆に聞き返されてしまったり……凹;
1時間以上ウロウロしていたのですが、なかなか見付からず…日暮れも近いのに困ったなぁ、拒まれているのかしらと泣きそうになっておりましたら、犬の御散歩をなさっていた奥様が通り掛りましたので、縋るように御尋ね致しましたら、なんと御存知という事で!!
大まかな場所を教えていただいたので、今度こそ頑張って辿り着こうと意気込んでおりましたら、
「御散歩の途中だから、一緒に行きましょう。女の子ひとりじゃ、ちょっと怖いところだからね」
と言って、連れて行って下さったので御座います〜///
有難い事に、実方塚の旧所在地も教えて下さいましたので、併せて記しておきたいと思います。

①実方塚は、元々この山の中にあったそうで御座います。
私が調べていた情報にも、小高い山の歩道脇にひっそりと…と付記してありましたので、恐らくはこちらの事であったので御座いましょう;
都市計画によって道路拡張の為に移動される事となったようで御座いますが、その道路というのが↑こちらの綺麗な車道なのでは無いかと思われます。
人が生活をする上で便利な環境を作る事を否定は致しませんけれど、どんどんと近代的に変わっていく故郷に対する想いと、それは良く似ていて…。
私のような余所者が意見する等 大変おこがましい事とは存じますが、古くより伝わるものの形が元のそれを失われてしまう事を思うと、矢張り手放しでは喜べない心地が致します。
かつて実方塚の両脇には、目印のように大きな松の木が2本立っていたのだそうで御座いますが、どちらも枯れてしまったそうで御座います。

②こちらが、最初に移動されていた場所だそうで御座います。
現在地に移されるまでの仮設であったそうなのですが、何だか随分と民家や道路寄りであったようで…それはそれで、身近に感じられて素敵で御座いますね。

①の道を下って少し進んだ正面の足元には、小さく“左 実方塚”と書かれた道標が…!?
私、この道も3度位通っていたのに……と軽く落ち込みました(苦笑)
い…いえ、とても有難い事で御座います…見落としていた私が愚かだったので御座います;;
この道標碑の直ぐ左側から続いております細い小道を登って行きますと、実方塚に辿り着く事が出来ます。

↑ストロボ撮影+明るさを調整しておりますが…日暮れも近かった事もあって、実際はもっと暗い道程で御座いました。
私を案内して下さいました奥様とワンちゃんは、元気良く上へ上へと駆けて先導して下さいましたので、とても心強くて嬉しかったです。
有難う御座います〜///

③そして…こちらが、実方塚の現在地。
□ 実方塚(さねかたづか) □
所在地:神奈川県横浜市戸塚区上倉田町
実方塚は、実方様の供養碑並びに その御子孫と伝わる実方氏一族の墓所で御座います。
こちらに伝わる伝承によれば、実方様は東下りの途路、病気になられ この付近にて御亡くなりになられたと伝えられております。
つまり、実方様は陸奥国へ赴かれる以前に儚くなられてしまった…と。
これは どんな説話等にも伝えられていない、現地ならではの伝説で御座いますが、伺った当初は大変驚きました…。
随分とまた飛躍した伝承だなぁとも思えるので御座いますが、全く考えられないという事も無いような……気がしないでも無いような…(?)
主を失われた一族の方々は、実方様の菩提を弔う為に この地に留まられたという事で御座います。
実方様は、御早くに実の御父様を亡くされておられますので、家族を大切にしておられたようだともいわれております。
もしかすると、実方様は任地国へ御家族を伴っておられたのかもしれませんね…。
ただ、その後 実方様の御子孫を名乗る御後裔が歴史上に御名を残されておりますので、もし仮に そうであったとしても、全てでは無かったので御座いましょう。
また、御亡くなりになられたのは実方様では無く、実方様に付き従っておられた御方であったともいわれております。

実方塚は、とても綺麗に整備されており、縁の方々に とても大切にされている事が良く分かりました。
実方様を祖と仰ぎ、感謝と尊敬の念を抱かれている御家系の存在…客観的に見て、羨ましくもあり、嬉しくも感じられる事実で御座います。
移設工事の際、発掘調査も行われたようで御座いますが、残念ながら実方様に関する遺物は発掘されなかったようで御座います。

実方塚
正四位下右近衛中将藤原實方朝臣
一条天皇 長徳元年(九九五年)
陸奥守となり東に下る
御歌
かくとだにえやはいぶきのさしもぐさ
さ志もしらじなもゆるおもひを
實方塚移設記念碑
正四位下右近衛中将 藤原實方朝臣 御歌
桜がり 雨はふりきぬ おなじくは
ぬるとも花の かげに宿らん
中古三十六歌仙の一人侍従・右馬頭・左少将を歴任、正暦五年(九九四年)右近衛中将となる實方朝臣は蔵頭の行成卿と時の才女、清少納言をめぐり仲が悪く右記の歌のことで争い行成の冠を笏でたたき落し一条天皇の怒りに触れ陸奥守(宮城県)に左遷され歌枕を求め訪ね歩いた。
出羽国・千歳山阿古耶の松を訪れての帰り、陸奥国・名取郡笠島の道祖神前で落馬が元で彼の地にて没す。
長徳四年(九九八年)没後、墓前には西行法師・松尾芭蕉などの歌人が訪れそれぞれ歌を遺している。
日本史文献より
平成十五年(二、〇〇三年)都市計画道路に位置するところから移転を余儀なく實方良穂が土地提供し實方稔が地権者となりこの地に安置する
旧塚の構造遺跡調査等は裏面に記録する
平成十七年(二、〇〇五年)四月 實方 稔書 (表面)
永い歴史と維持管理を続けてきた實方塚は都市計画道路、桂町と塚遠藤線と下永谷・大船線との交差点に当り仮設後この地に安置、既存の塚は三基から成り交差点上の旧塚から北の方向(下永谷・大船線)の道路上に点在し旧塚は現在の交差点上に有り一番北の一号塚までは八十米で中間の二号塚まで五十米、標高は海抜五十米の山頂に一直線上に配列、交差点路面より十六米の高さに有り、調査面積は二九五〇平方米におよび塚形成は三塚共、同じで山頂の地山を基壇状にした上に盛り土し築造され高さは一、二米の円形で基壇状部の直径は五〜六米で以前はこの旧塚の左右に高さ三十米有余の巨木(松樹二本)がそびえ名物な時代とあり明治・昭和の時代にそれぞれ枯死した、
工事に先駆け、横浜ふるさと歴史財団に依り調査名西見谷遺跡発掘調査が行われた
その結果實方に関する遺品となる物は全く無く、何時の時代かに一族が供養塔として建てたものと思われる、
永い歴史の行事として年二回、春秋實方佛の供養を続け平成十年(一九九八年)に一千年祭を催し又、同時期には墓の所在地宮城県名取市及び分骨されたと伝えられる山形県千歳山、萬松寺の一千年祭祀にも参加し交流を深めており改めて尊さを新たにし移設にあたり實方の由来と調査結果等を印しこれからも我々一族の祖先として弛みない尊敬の念を誓い続けるものである。 實方一族 (裏面)
なんと!
名取の実方様墓所や山形の千歳山萬松寺さんとも交流を深められていらっしゃるので御座いますね〜。
そういえば、名取の墓所には 実方様の御子孫らしき方が詠まれた御歌が奉られておりましたっけ…。

道すがら、案内をして下さった奥様が
「この辺りには、実方さんが多いのよ〜」
と言われましたので、
「え……“実方”…さん?“実方”っていう苗字の方がいらっしゃるんですか……?」
と御聞き致しましたら、
「うん、そうそう。前の地区長さんも確か“実方”さんって…。
あ、ほらほら、この御宅も“実方”さんでしょ?ほら、こっちも。多いのよ、この辺りには。
御子孫だって聞いてるんだけど……」
言われて ふと通りがかりの御宅の表札をチラリと拝見致しましたら、た…確かに“実方”さん…!!!
“藤原”さんでは無く、“実方”さん…なのですね〜!
不思議は不思議で御座いますけれど…でもでも、良く考えれば これは平家伝承地等にも見られる事…。
平家伝承地では、“平”姓を名乗ると源氏の追手に見付かるという懸念から、様々な姓に変えられて過ごされ伝わってこられたという場所が多いですね…勿論“平”姓や“平家”“平良”という姓も御座いますが。
例えば、平重盛様の御子孫伝承地には“小松”さんとか…“重盛”さんという御宅も御座いますよね。
ただ、実方様は別に姓を隠される必要等は無かった訳で……御子孫なのであれば、何故 現地に留まられたのか…また、何故に“藤原”姓を名乗られなかったのか――と疑問は湧き出でるばかりで御座います。
……等と、考え込んでおりましたら、
「詳しい事は解らないんだけど、昔この辺に実方さんっていう都の人が逃げ落ちて来たって聞いたような…追手に見付からないようにここまで来たのよね、確か…」
え……実方様落人伝承で御座いますか………!??
後で調べましたところ、どうやら実方様が謹慎中の御身であられた事から、京の藤原御一門に遠慮してか、藤原姓では無く“実方”を名乗るられるようになったという事で御座います。
戸塚地域には“実方”姓の御方は結構いらっしゃるのだそうで…皆様、実方様もしくは実方様縁の御方の御末裔であると伝えられているようで御座います。

えぇと…私は戸塚駅より徒歩で向かったので御座いますが、それなりに起伏のある地形で御座いますので、バスで向かう方が無難かと…;(笑)
“実方塚”というピンポイントな停留所名が素敵で御座いますね!
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