日本史(主に平安〜鎌倉初期)について。 あくまでも、独り言で御座います。

はつ花。
嗚呼、愛しの実方様。


□ 藤原 実方(ふじわらのさねかた)

生  年:不詳
没年月日:長徳4年12月12日(999年1月7日) or 長徳4年11月13日(998年12月4日)?
実  父:藤原定時
実  母:源雅信女
養  父:藤原済時
  妻  :鈴木重豊女(側室?)
  子  :朝元、賢尋、貞叙、義賢、長快、女
通  称:藤中将
俗  称:実方兵衛佐、実方中将
官  歴:天禄3(972)年、左近将監
     天延3(975)年、侍従
     天禄4(973)年、従五位下
     永観2(984)年、左近少将
     右兵衛佐、左近衛権左、左近少将、右馬頭
     正暦2(991)年、右近中将
     正暦4(993)年、従四位上
     正暦5(994)年、左近中将
     長徳元年正月13日(995年2月15日)、陸奥守
     長徳元年9月27日(995年10月23日)、正四位下


藤原実方様は、藤原北家 小一条流の左大臣 藤原師尹様の御孫様で、侍従 藤原定時様の御子様で御座います。
実父 師尹様が早世されてしまった為、叔父様でいらっしゃる藤原済時様のもとに養子に入られておられます。
その御生涯について、余り多くの事が語られている訳では御座いませんが、実方様にまつわる有名な伝承の幾つかは、後々の時代まで様々な文献に登場する事となっております。
中でも、私にとって特に身近な作品といえば、平家物語源平盛衰記で御座いましょうか。
平家物語を読まれていても、作中に実方様の御名前が登場している事を知らないと仰られる方は意外と多いような……;

実方様は円融天皇、花山天皇一条天皇に仕えておられた御方。
寛和2年6月(986年7月)には内裏歌合に出詠され、その歌才を院や主上からも認められていた事から、優秀な歌人として御名を馳せていらっしゃいました。
家集に実方朝臣集があり、勅撰和歌集へは67首の御歌が入選されております。
藤原範兼様の後六々撰にて“中古三十六歌仙”の御1人に数えられております。
現代に伝わる実方様の御歌で最も有名なのが、小倉百人一首にも収録されている
かくとたに えやはいふきの さしもくさ さしもしらしな もゆるおもひを
で御座いますね。
以前、大姫(源頼朝様女)様について記した際、強引な解釈を重ねてタイトルとして使用してしまいましたが、御拾遺和歌集実方集には詞書に“女に初めてつかはしける”と御座いますので、実際はもっとときめきを感じられながら詠まれた御歌だったので御座いましょうね〜(笑)

風流で恋多き公達であったといわれ、清少納言とも恋の御歌を交わされていた事から御2人が恋仲であられたという説や、源氏物語の主人公 光源氏のモデルであったという説も御座います。
枕草子にも実方様の御名前を幾度か伺う事が出来、それが清少納言との恋仲説を浮き立たせているようにも感じられますが……その辺りについては、また機を改めまして記そうと思っております。

御歌の他、舞の名手としても有名であったと伝えられ、一条院の御時、賀茂の臨時祭に舞手として選ばれた際のエピソードが 鎌倉中期成立の説話集 十訓抄に描かれております。

 一条院の御時、実方中将臨時の祭の試楽に遅く参りて、かざしの花を給はらで、舞人に加ふとて、竹の台にすすみよりて、呉竹の枝を折りてさしたりける、めでたきよし人々ほめあひけり。
是より後、試楽に竹の枝をさすとかや。


賀茂祭の舞人に選ばれていた実方様は、舞楽の予行演習に遅刻されてしまい、その為に挿頭として冠に付ける造花をいただけませんでしたが、直ぐに舞人に加わろうと 御花の代わりに自ら呉竹の枝を折って冠に付けられたという事で御座います。
これを観た人々は、素晴らしい事だと賞賛されたという事で…実方様の風流さを引き立てる説話で御座いますね。

 むかし、殿上のをのこども、花見むとて東山におはしたりけるに、俄に心なき雨のふりて、人々、げに騒ぎ給へりけるが、實方の中将、いと騒がず、木のもとによりて、かく、
 さくらがり 雨はふり来ぬ おなじくは 濡るとも花の 陰にくらさん
とよみて、かくれたまはざりければ、花より漏りくだる雨にさながら濡れて、装束しぼりかね侍り。
此こと、興ある事に人々思ひあはれけり。
又の日、斉信大納言、主上に
「かゝるおもしろき事の侍し」
と奏せられけるに、行成、その時蔵人頭にておはしけるが、
「歌はおもしろし。實方は痴なり」
とのたまひてけり。
この言葉を實方もれ聞きたまひて、ふかく恨みをふくみ給ふとぞ聞え侍る。
 (撰集抄による)


↑こちらは、撰集抄巻第18“實方中将櫻狩歌事”段の全文で御座います。
前半部分だけを見ると、きゃ〜実方様 素敵っと浮かれてしまいそうになってしまうのですけれど(笑)
…そんな雅な公達 実方様を侮辱されたのが藤原行成様。
それを伝え聞いた実方様は、行成様に対して深い恨みの念を抱かれたと語られております。
ここで、実方様の後々の未来に、大きな亀裂が入ってしまったというので御座いましょうか。

長徳元(995)年、宮中で行成様と口論になった際、怒った実方様が主上の面前で行成様の冠を払い捨てられる…という事件を起こされてしまいます…。
この時、行成様は慌て乱されず冷静に対処なされた事から蔵人頭に昇進し、実方様は主上より“歌枕見て参れ”と陸奥守に命じられ、左遷されられた――…と伝えられております。
一説には、これは左遷等では無く、実方様の御希望による御栄転であられたのでは?ともいわれているようで御座いますが……。

 大納言行成卿いまだ殿上人にておはしける時、実方中将いかなる憤か有けん、殿上にて参会て、いふ事もなく行成の冠を打落して、小庭になげ捨てけり。
行成少しもさわがずして、とのもり司をめして、
「冠取りて参れ」
とて、冠して、守刀よりかうがいぬき取りて、びんかいつくろひて居直りて、
「いかなる事にて候ふやらん、忽ちにかうほどの乱罰に預るべき事こそ覚え侍らね。
 その故を承りて後の事にや侍るべからん」
と、ことうるはしくいはれけり。
実方はしらけてにげにけり。
折しも小蔀より主上御覧じて、
「行成はいみじき者也。
 かくおとなしき心あらんとこそ思はざりしか」
とて、そのたび蔵人頭あきたりけるに、多くの人を越えてなされにけり。
実方をば中将をめして、
「歌枕見て参れ」
とて、陸奥国の守になしてぞつかはされける。
やがてかしこにて失せにけり。
 (十訓抄による)


一条院御宇、大納言行成の末殿上人にて御座ける時、参内の折節、実方中将も参会して、小台盤所に著座したりけるが、日比の意趣をば知ず、実方笏を取直て、云事もなく、行成の冠を打落、小庭に抛捨たりければ、もとゞりあらはになしてけり。
殿上階下目を驚して、なにと云報あらんと思けるに、行成騒がず閑々と主殿司を召て、冠を取寄せかうがい抽出して、髪掻なほし冠打きて、殊に袖掻合、実方を敬して云けるは、いかなる事にか侍らん、忽にかほどの乱罰に預るべき意趣覚えず、且は大内の出仕也、且は傍若無人也。
その故を承て報答後の事にや侍るべからんと、事うるさくいはれたりければ、実方しらけて立にけり。
主上折節櫺子の隙より叡覧有つて、行成は勇々しき穏便の者也とて、即蔵人頭になされ、次第の昇進とどこほりなし。
実方は中将を召て、歌枕注して進よとて、東の奥へぞ流されける。


↑源平盛衰記では、この件が詳しく記されておりますが…口論どころか、実方様が一方的に悪者のように描かれている感じで…御座いますね…。
実方様贔屓の私には、むしろ行成様の方が腹黒悪人に映ってしまいそうで恐ろしゅう御座います(涙)

十訓抄、盛衰記では、どちらも 実方様が強引かつ一方的に突然、理不尽な振る舞いをなされたと御座いますが、古事談では、口論の末であったと記されております。
この時の事は…個人的にでは御座いますが、何だか どうしても腑に落ちなく…感じられてなりません。

盛衰記によれば、陸奥守となられた実方様は それから3年の間 名所名所を訪ね歩かれたという事で御座います。

実方三年の間名所名所を注しけるに、阿古野の松ぞなかりける。
正く陸奥国にこそ有と聞しかとて、此彼男女に尋問けれ共、教る人もなく知たる者もなかりけり。尋侘てやすらひ行ける程に、道に一人の老翁あへり。
実方を見て云けるは、御辺は思する人にこそ御座れ、何事をか歎給と問。
あこやの松を尋兼たりと答ければ、老翁聞て最情ぞ侍る、是やこの
 みちのくの あこやの松の 木高に 出べき月の 出やらぬ哉 
と云事侍り。
此事を思出つゝ都より遥々尋下り給へるにやといへば、実方さにこそと云。
翁日、陸奥出羽一国にて候し時こそ、陸奥国とは申たれ共、両国に分れて後は出羽に侍也、彼国に御座して尋給へと申ければ、即出羽に越て阿古野の松をも見たりけり。
彼老翁と云けるは、塩□大明神とぞ聞えし。
加様に名所をば注して進せたれ共、勅免はなかりける。


されば実方中将、奥州へながされたりける時、此国の名所にあこやの松と云所を見ばやとて、国のうちを尋ありきけるが、尋かねて帰りける道に、老翁の一人逢たりければ、
「やや、御辺はふるい人とこそ見奉れ。当国の名所にあこやの松と云所やしりたる」
ととふに、
「またく当国のうちには候はず。出羽国にや候らん。」
「さては御辺しらざりけり。世はすゑになて、名所をもはやよびうしなひたるにこそ」
とて、むなしく過んとしければ、老翁、中将の袖をひかへて、
「あはれ君は“みちのくの あこやの松に 木がくれて いづべき月の いでもやらぬか”といふ歌の心をもて、当国の名所あこやの松とは仰られ候か、それは両国が一国なりし時読侍る歌也。十二郡をさきわかて後は、出羽国にや候らん」
と申ければ、さらばとて、実方中将も出羽国にこえてこそ、あこやの松をば見たりけれ。
 (平家物語 高野本による)


この件は平家物語にも述べられておりますが、実方様は陸奥国の名所 阿古屋の松を見ようと尋ね歩かれましたが、見付からなかった為 仕方無く帰路につかれていた道中、出逢った御老人に阿古屋の松の場所を尋ねられます。
御老人は、それは出羽国の事では無いかと告げましたので、この翁は御存知無いのだと悟った実方様は、世も末で名所も今は名所に非ず…と空しく立ち去ろうとなさいますが、そこで翁は
「もしかして、貴方は“みちのくの あこやの松に 木がくれて いづべき月の いでもやらぬか”という御歌を頼りに阿古屋の松を尋ねていらっしゃるのでしょうか」
と実方様を引き止め、その御歌が詠われた時分には陸奥国と出羽国が1つの国であった事から、阿古屋の松は出羽国にある事でしょうと教えて下さり、それを受けて出羽国へ向かわれた実方様は、無事に阿古屋の松を拝む事が出来たという事で御座います。

そして…。
実方様が馬で奥州名取の笠島道祖神御前を通られた際、下馬の礼をとられなかった為に神罰によって落馬され、御亡くなりになられたと……伝えられます。

終に奥州名取郡、笠島の道祖神に被蹴殺にけり。
実方馬に乗ながら、彼道祖神の前を通らんとしけるに、人諌て云けるは、此神は効験無双の霊神、賞罰分明也。
下馬して再拝して過給へと云。
実方問て云、何なる神ぞと。
答けるは、これは都の賀茂の河原の西、一条の北の辺におはする、出雲路の道祖神の女也けるを、いつきかしづきて、よき夫に合せんとしけるを、商人に嫁て、親に勘当せられて、此国へ被追下給へりけるを、国人是を崇敬ひて、神事再拝す、上下男女所願ある時は、隠相を造て神前に懸荘り奉りて、是を祈申すに叶はずと云事なし。
我が御身も都の人なれば、さこそ上り度ましますらめ、敬神再拝し祈申て、故郷に還上給へかしと云ければ、実方、さては此神下品の女神にや、我下馬に及ばずとて、馬を打て通けるに、神明怒を成て、馬をも主をも罰し殺し給けり。
其墓彼社の傍に今に是有といへり。
人臣に列て人に礼を不致ば被流罪、神道を欺て神に拝を不成れば横死にあへり。
実に奢る人也けり。
去共都を恋と思ひければ、雀と云小鳥になりて、常に殿上の台盤に居、台飯を食けるこそ最哀なれ。
 (源平盛衰記による)


この御最期についても…様々ないわれが御座いますが、現地 名取には実方様の御墓と伝えられる場所があり、京から遥か北の奥州にて御隠れになられたと伝えられております。
生年不詳につき、確かな享年は不明で御座いますが、年齢は40歳程度であったといわれます。


実方様の御家系は、源平合戦期に至ると 紀州の熊野別当家 湛快様や湛増様に繋がる事となっております。
田辺の伝承によれば、武蔵坊弁慶様にも…。
実方様の奥方は、熊野速玉神社の禰宜職の御子孫である紀州左近将監 鈴木重豊様の娘。
熊野は、花山法皇にも縁の深い土地で御座いますね。

熊野と実方様、実方様と花山法皇の繋がり…それから、実方雀の事 等についても、また改めて記す予定で御座います。

* * * * * * * *
(※以下、かなり駄文で御座います)

……あぁ…書いている事は、いつもと大差御座いませんのに、こんなに緊張したのは初めてで御座いますー。。
自己紹介項目に載せている“初恋の御方”の事を書く勇気を出したので御座いますが…早々と“藤原実方様”というカテゴリを築いておきながら、長い事1件の記事も上げずに放置し…ブログを始めて1年以上経って、ようやっと…で御座いました;
あぁぁ…やっぱり私にとって、実方様は特別な御方なのだなぁと改めて実感させられてしまうばかりで御座いますー…///
緊張して、上手く纏められません!(※言い訳です…申し訳御座いません;;)

私が実方様の事を口にすると、大抵の方は
「実方様って、誰?」
「実方様って、何した人?」
「実方様の、どこが好きなの?」
と聞いて来られます……いえ、歴史上の人物を好きだと言えば、大抵聞かれる事では御座いますけれど(敦盛様でも聞かれてしまいますし/苦笑)
上から2つまでならば、ある程度は答えられますが…3つ目の質問は…答えられないですよね;;
何で好きなのか、だなんて……そんなの私が知りたいよ!って思ってしまいます(笑)
本当に…気が付いたら、何故か実方様だったのですもの…理由等判りません;
ちなみに、平家物語先攻でも百人一首先攻でも無い辺りが、自分でもかなり謎なところで御座います。
中学生に上がった頃から実方様に夢中になって調べ始めておりましたが、一体 きっかけは何であったのか……真に不思議な感覚で御座います。。

余り、実方様について長々と語ってしまうと、いつも あれだけ敦盛様敦盛様〜と騒いでおきながら どうしたの…と引かれてしまいそうで御座います(苦笑)
でも、私は基本的に浮気者で御座いますし(開き直る)、1度でも本気で好きになった御方を嫌いになる事は出来ませんので…どうやっても、自分の中では特別な御人なので御座いましょう。

…もしも。
私が、実方様にひと言だけ、御伝え出来る術があるのだとしたら、それは
かくとたに えやはいふきの さしもくさ さしもしらしな もゆるおもひを
…なので御座いますよ、実方様。


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Comment

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ついに!?
おお〜!
とうとう実方さまだね!!

平家物語にも出てたっけー・・・。。
ごめん、私も気付いてなかったです;
実方さまについては、小出しで書いていくんだよね。
いろいろ勉強させてね。
モチヅキ | URL | 2008/02/29/Fri 19:55[EDIT]
>モチヅキさん
はい〜…ついに実方様です(笑)
いえいえ、何だか趣味と妄想に突っ走りそう(というか手遅れ?)な感じですが、生暖かく見守ってやってくださると嬉しいですー///
よろしければ、この機会に是非 実方様にハマっちゃって下さいませ♪
どうゝね | URL | 2008/03/01/Sat 20:55[EDIT]
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