日本史(主に平安〜鎌倉初期)について。 あくまでも、独り言で御座います。

錣を引いた海は今、
錣引


屋島――現在の香川県高松市牟礼町牟礼には、屋島の合戦にて 藤原景清(=伊藤景清=平景清)様が 平家物語に記されている“錣引”を行われたといわれる伝説の場所が御座います。

こちらには、案内板のみが立てられているだけで、特に何か史跡的なものが残されているという事も御座いません。
恐らくは、土地の方々の口伝による伝承地なので御座いましょう。
錣引で残るようなものがあれば それはそれで妙な御話で御座いますし、特にこれといって何も無い事で、不思議と納得させられる気がしないでも無いなぁと感じます(笑)
当時の面影…等と考える以前に、当時この辺りは陸地では御座いませんでしたので…ここが海だったのよね、と想像するばかりで…否が応でも時間の流れを感じさせられるような気が致します(苦笑)
ちなみに、“錣引”直前の件である那須与一様の扇の的当て史跡である祈り石駒立岩は、どちらも歩いて5分とかからない距離に御座います。

是をもて扇をたてたらば、九郎判官さるなさけある男なれば、近く打寄せて興に入んずらんとはかりて、船の艫屋形に簾をかけて、その中に能登守教経、上総悪七兵衛景清以下惣じて十余人、究竟の手たりの精兵をととのへて、近付よりたらば、一矢にい落さんと巧みて、さらぬ様にもてなして、渚近くさし寄せたれば、判官先に心えて、はるかに引退てぞ見られける。
蘇武が胡国に囚られし事も、一百の城をかまへたりけるに、九十九の城おとして、今一の城を攻落さんとしたるに、美女を出て扇をたてて射させけるに、心ゆるしをやしたりけん、生ながらとられて、十九年の春秋をぞ送りける事どもぞんぢし、平家のはかりごと賢かりけれども、源氏それに落ざりけるこそいみじけれ。
去程に平家の方より、はし船に弓取一人、打ものもちたる一人、楯付一人、以上三人乗せてするりと押し寄せて、渚に下りて楯を付きて、敵をよせよと招きたり。
判官これを見給ひて、先若党一あてあてよとのたまへば、常陸国住人水深屋十郎、同弥藤次、同三郎、武蔵国住人金子十郎、同余一、究竟の者五騎連てをめいてかく。
真先に水深屋が進むを、楯の陰より黒つはの征矢の、塗のの十二束三ぶせあるを能引て放ちければ、水深屋が馬の草分に、矢筈隠るる迄こそ射こうたれ。
馬がはぬれば足をこしてひらとたつ、太刀を抜て額にあてて飛でかかるに、楯の陰より大の男の大長刀持ちて走り向ふを、水深屋十郎しばしむかひあひけるが、大長刀に叶はじとや思ひけん、かいふして迯げけり。
やがて追かけたり、大長刀をば左の脇にはさみて、右の手を差のべて、水深屋が甲のしころをつかまんつかまんとするが、二三度取はづしけるが、追懸てむずととらへて、ゑいとひく。
水深屋一すまひすまふやうにぞ見えける、鉢付の板よりしころをつと引ちぎりてぞ迯げたりける。
残の四騎は馬を惜みてかけず、どうれうどもが馬のかげに迯入てかへり見れば、たけ七八尺ばかりなる大の男が、左の手には大長刀を持て、右の手にはしころをさげて、あざ笑ひてぞ立たりける。
「我をば誰とか見る、わらべの云なる上総悪七兵衛景清とこそ申なれ」とて帰りにけり。

平家は是をもて少し色直りたり。 (平家物語 長門本による)


↑これは昨日の高野本からの引用とほぼ同一の場面なので御座いますが…読み本系の長門本では少々経緯の事情が違うようで…。

巻第20まである長門本で御座いますので、当然 他諸本よりも内容に膨らみがあるのですが、この場面においては先ず扇の的を掲げた美女 玉虫御前の存在が挙げられますね。
彼女を起用した時点から、扇の的当て自体が平家の謀であった事が長門本には伺えます。
しかも、ここには能登殿(平教経様)の御名前まで…。
吾妻鏡によれば、一ノ谷の合戦にて御亡くなりと伝わる能登殿で御座いますが、平家物語では壇ノ浦の合戦まで生きて登場されております。
それはまぁ、良いのですけれど…;
…この扇の的の件以前に、能登殿は菊王丸様を亡くされており……戦意喪失されていたのではー…という疑問が浮かぶのですが、長門本において菊王丸様の御最期に関する記述は実にアッサリとしたもので御座いまして、敵方に御首を取られるより先に舟へと連れ戻されてはおりますが、その死によって能登殿がどうした的な事は描かれていないので御座いました…うぅん;;
別に、菊王丸様の仇討という事でも無く……切替の早い御方設定なのかなぁ…。
というか、むしろ ここでは、義経様がその策を見抜かれた事がポイント…なのだろうかとも思うのですが。
この後の“弓流”でちょっと残念な場面を演出する為に、ここでガガッと!でもさり気無ーく、義経様の賢さを示されている……?等と、色々…考え込んでしまいます;

何だか景清様からは離れた話題になってしまいましたけれど(笑)、語り本系である諸本と、読み本系である長門本等を比べるのは、いろんな発見があってとても面白いですし、双方に古説が伴うだけに興味深く感じられます。
長門本は、何だかアッサリしているかと思えば、そこまで語る…?というような事もあったりするのですが、そこに不思議とメリハリのようなものを感じたり、音読して初めて生きるリズムのようなものがあったりして…目が離せませんね。

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こんばんは!

高松ですか〜!
三年前に行きましたが懐かしい気持ちがします。
この時、数時間しか屋島に滞在できなかったので
見逃してしまった史跡の数が・・・
いつかリベンジしたいです!
しずか | URL | 2008/02/16/Sat 01:12[EDIT]
>しずかさん
高松〜…私も1年以上行ってないので、画像発掘して あぁ懐かしいなー…なんて思ってしまいます(笑)
私も、四国へ行く時は実家(広島)から日帰りで行く事が多いので、半日以上ゆっくりした事が無いような気がします;;
今度は、もっとゆとりを持っていかねば〜…と。。
四国には、沢山 源平縁の史跡が隠れているので、面白いですよね〜♪
どうゝね | URL | 2008/02/16/Sat 20:28[EDIT]
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