
神奈川県鎌倉市に残る史跡を巡って――。
本日は、鶴岡八幡宮や江ノ島と並んで 鎌倉の名所に数えられている長谷の大仏様について。
実は先日、7〜8年振りに拝ませていただいて参りました。
私が関西に在んでいた頃、海外留学をしていた妹が帰国をする際に成田空港に到着をするというので 広島から母と伯父と祖父が迎えに駆け付けたので御座いますが、東京、鎌倉へ行ってみたかった私は、「私も可愛い妹様を御迎えしなくては…!」と ちゃっかり便乗して上京した事が御座います。
その時に、伯父がレンタカーで鎌倉を散策させてくれまして…初めての鎌倉で御座いましたので、先ずは有名所へという話になって、こちらへも参らせていただいた事を覚えております。
えー…数年振りの大仏様というのに、例の如く出足の遅い私が こちらに到着したのは、拝観時間ギリギリの事で御座いまして……;
これは真っ暗で難しいかなと思っておりましたら、ところがドッコイ!(笑)
何とも素敵かつ幻想的にライトアップされた大仏様に御会いする事が出来て、むしろ得をしてしまったような気分を味わわせていただきました♪

□ 高徳院(こうとくいん) □
所在地:神奈川県鎌倉市長谷
御創建:不詳
御開基:不詳
御開山:不詳
宗 派:真言宗→臨済宗→浄土宗
山 号:大異山
御本尊:阿弥陀如来(=大仏)
正式称:大異山高徳院清浄泉寺
通 称:鎌倉大仏、長谷大仏
国宝 長谷大仏(鎌倉大仏)様を御本尊とされる高徳院さんは、その堂々たるいでたちから、さぞや御立派な御経歴を御持ちなのであろうと思われるので御座います…が、御開山やその詳細な起源等は大きな謎に包まれており、吾妻鏡等の史料にも判然とした記録が余り残されておりません。
伝承によれば、大仏様建立のきっかけは 頼朝様の誓願によるものといわれております。
頼朝様は、建久6(1195)年に奈良の東大寺供養に参列されておりますが、その際に東大寺の大仏様に感銘を受けられたので御座いましょう。
然し、吾妻鏡の記録によると 実際に大仏殿の造営が始まったのは、東大寺の件から4年後に頼朝様が御亡くなりになられ、更にそれから39年の月日が過ぎた頃の事で御座いました。
時は、三代目執権 北条泰時様晩年の頃。
嘉禎4年3月23日(1238年5月8日)、諸国を勧進し 浄財を集められたという淨光様という御坊様によって、行われたようで御座います。
嘉禎四年三月二十三日
廿三日 戊戌
雨降、未三點、大風、人屋皆破損、庭樹悉吹折、申尅属晴、西風又烈、御八講結願、頗魔障也。
今日相摸國深澤里大佛堂事始也。
僧浄光令勸進尊卑緇素企此營作<云云>
それから5年の後の寛元元年6月16日(1243年7月4日)、大仏殿が完成し、大仏様の御開眼となったようで御座います。
泰時様は大仏様の完成を見る事無く、前年に御亡くなりになられておられます。
寛元元年六月十六日
十六日 辛酉
未尅、小雨雷電。
深澤村、建立一宇精舎、安八丈餘阿彌陀像、今日展供養。
導師、卿僧正良信。
讃衆十人、勸進聖人淨光房、此六年之間、勸進都鄙。
卑尊莫不奉加。
ここで完成した大仏様は木造であった事が伺えますが、その9年後の建長4年8月17日(1252年9月22日)には、銅造の大仏様が建立された事が伝えられております。
建長四年八月十七日
十七日 己巳晴
將軍家御惱、猶以不快之間、御祈祷事、可致懇篤之由、被仰諸寺諸社、又被奉神馬於二所三嶋社等畢。
於鶴岡、可被行仁王會事有御立願<云云>。
今日當彼岸第七日。
深澤里、奉鑄始金銅八丈釋迦如來像。 (吾妻鏡による)
当初の木造の大仏様は一体どうなってしまわれたのか…。
それらを今に伝える手段は何ひとつ残されておりませんが、恐らくは 天災、火災等によって、消失もしくは酷く傷まれた為に、より丈夫な銅を用いて造営されたのでは無いかと考えられております。
元々あったといわれる大仏殿は、建武2(1335)年、志安2(1369)年の台風によって倒壊。
明応4(1495)年には大津波によって流されてしまわれたといわれ、それ以降に大仏殿は建立されていないようで御座います。
そして、それが そのままの状態で現代まで残されているのだといわれております。
大仏様は、阿弥陀如来。
高さ12.38m、総重量121トンで、鎌倉に残る仏像で唯一、国宝に指定されている仏様で御座います。
ちなみに、体内は空洞になっており、体内拝観も可能で御座います。
内部は非情に真っ暗で広さにも限度が御座いますが、頼朝様の守仏と伝わる仏像や祐天上人像を見る事が出来、何より御仏の体内を感じさせられるような不思議な感覚を味わう事が出来ます。
高徳院は当初、真言宗派の寺院で御座いましたが、後に臨済宗に属して建長寺末寺となられております。
明応4(1495)年の大津波では大仏殿だけで無く、伽藍等も押し流されてしまったようで、その後は暫くの間 廃寺となっていたようで御座います。
それを再興されたのが、江戸 増上寺の祐天上人によって再興されたという事で御座います。
再興は正徳年間(1711〜1716年)の頃といわれ、その後の高徳院は浄土宗に属し、現在に至っております。

初めて来た時、ここでリスさんを見掛けて 大変びっくりしたもので御座います(笑)
鎌倉、江ノ島には、沢山野生のリスさんがいらっしゃいますね〜。
未だに写真に収められた事が無いのですけれど、可愛いのでじーっと見詰めているうちに いつも逃げられてしまいます;;

かつて存在したという大仏殿は、発掘調査によって 幅44m、高さ40m程度のものであったと推測されております。
予想以上に大きい建物であったようで御座いますね……それ程までに御立派な大仏殿が流されてしまったのでは再建も容易では御座いませんし、正直かなり凹んでしまいそうですよね;
私は、鎌倉の山や空を背景に背負われた、今の大仏様の御姿も好きで御座います。
大切に、護られる御仏も神々しいですが、このように私達と同じ空気に触れ、人々の笑顔の横で佇まれる御姿には、仏様でありながらも 身近な存在に感じられる事が出来て、素敵だなぁと思います。

タイトルは、近代女流歌人 与謝野晶子さんの御歌。
境内には、この歌碑も御座います。
* * * * * * * *

私は1週間に数回鎌倉へ行く事も珍しく無い位なのですが、矢張り 観光を楽しまれていらっしゃる方々を御見掛け致しますと、ついつい 釣られるように御土産屋さんを覗いてしまいます〜。
鎌倉には、御気に入りの御店が沢山御座いますが、たま〜に こんな如何にもな御土産をゲットして帰る事も…(笑)
最近の鎌倉には、源氏を思わせる御土産が意外と少ないと思うのです;
Comment
へ〜、大仏さまは何回か行きましたが、夜のライトアップは
知りませんでした。
とても素敵な写真ですね!
私が写したのとは大違い(汗)
鎌倉のお土産も気になります。
私が前回、小町通りで買ったのは鶴岡八幡宮の鳥居
がデザインされた創作ようかんです。
見た目も味もよく結構好評でした。
歴史ブログランキングに参加されているのですね。
投票させていただきました。
知りませんでした。
とても素敵な写真ですね!
私が写したのとは大違い(汗)
鎌倉のお土産も気になります。
私が前回、小町通りで買ったのは鶴岡八幡宮の鳥居
がデザインされた創作ようかんです。
見た目も味もよく結構好評でした。
歴史ブログランキングに参加されているのですね。
投票させていただきました。
しずか | URL | 2007/12/30/Sun 01:55[EDIT]
ライトアップは拝観時間内の暗い時間帯に必然と行われているようで(笑)、ギリギリな時間に行くと見られるようです〜。
高徳院の方も、折角来られたのだから…と少し位の時間オーバーは大目に見て下さっているようです。
でも、大仏様の前で浪漫ちっくに時間を過ごしているカップルの方々には複雑な目線を送っていらっしゃいました(苦笑)
小町通りに、鳥居デザインの羊羹があるのですね〜!
知らなかったです。
今度見掛けたら、買ってみます♪←甘いものには目がない私。
あ、ランキング投票有難う御座います///
さり気なく参加しているので、余り順位は良く無いみたいで…嬉しいです〜(苦笑)
高徳院の方も、折角来られたのだから…と少し位の時間オーバーは大目に見て下さっているようです。
でも、大仏様の前で浪漫ちっくに時間を過ごしているカップルの方々には複雑な目線を送っていらっしゃいました(苦笑)
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今度見掛けたら、買ってみます♪←甘いものには目がない私。
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さり気なく参加しているので、余り順位は良く無いみたいで…嬉しいです〜(苦笑)
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