日本史(主に平安〜鎌倉初期)について。 あくまでも、独り言で御座います。

潮満ては 水泡に浮かふ 真砂にも 我は生けるか 恋ひは死なすて
音戸1


日輪を招き返さんや――!

瀬戸内沿岸の人って、清盛様好きですよね…?
(↑私の思い込みで無いと信じたい;)
関西〜関東にかけては、何となく偉大な人だとか、凄い人物なのは解るが始末に終えない人格だったのでは?とか、結構冷静に客観視されてる感じの意見を良く耳に致しますけれど、何だか地元では(私の周囲だけだったのかもしれませんが)、無条件に清盛様肯定的な感覚を持って普通〜に生活を送っていたように思います。

安芸国における清盛様の御活躍といいましたら、瀬戸内の海賊討伐に始まり、安芸守に就任後は厳島神社の社殿造営、平家納経の奉納…そして、音戸の瀬戸の開削ですよね〜!
これは史実として定かにされている事では無く、あくまでも伝承として伝えられるものですが、地元人も殆どが史実だと信じて疑わない事柄ではないかしらと思います(私の周囲だけ…???)
「日招き」に関しては、勿論伝説として理解されておりますが、音戸の瀬戸を航路として開いたのは清盛様である、と…。

音戸の瀬戸は、1167年難波〜厳島に至る間の最短路として清盛様の手によって開削されたと伝えられます。
平氏の氏神である厳島神社への航路として、という理由の他に、日宋貿易の為の航路としてという大きな目的があったものと思われます。
日招きに関する伝承によれば、沈みかけた夕日を招き返し、1日で開削工事を終わらせたと言われます。
広島では(ていうか全国でも、ですよね…?????ローカル話題は客観視難しいです;)子供でも知っているような有名な伝説ですけれど、この裏話として
清盛様が恋心を抱いていた厳島の巫女に、
「音戸の瀬戸を1日で切り開く事が出来るのならば応えましょう」
と言われたので、その約束を違えぬ為に、沈もうとしている日輪を金扇で仰ぎ戻し、見事、音戸を開いたという伝承もあったり致します。

開削の際、人柱の代わりに、清盛様は一字一句の経石を海底に沈め、難工事を成功させたと伝えられております。
1184年にその功徳を称えて、清盛様供養の為、海峡脇に「清盛塚」を建立されたと言われております。
画像にはありませんが、清盛塚は現存します。
1184年といえば、清盛様が御亡くなりになられて3年後の事で御座いますね。
当時の人々からどれだけ慕われていたか、想像するだけで何だか嬉しくなってしまいますね。

音戸2


音戸の瀬戸 開削800周年記念として建立された「日招像」の説明碑です。
立烏帽子に直垂姿が素敵…ッ!!
日没の方向に扇を向けて立たれており、今も尚、瀬戸内の海上を見守って下さっているのです〜。

こちらの日招き像は、音戸ロッジよりも更に上の高烏台公園に御座います。
四季折々の花や木が美しく、清盛様のいらっしゃる山頂からは瀬戸内一帯を見下ろせ、とても清々しい気持ちになります。
子供の頃から、何度も立ち寄ってきた場所ですが、何をするでも無く時間を過ごせます。

音戸3


敦盛様の叔父上でいらっしゃる、清盛様。
清盛様無しで、平家一門は…いえ、今日の日本は有り得ないと言っても過言では無いと思われます。
少なくとも、今日の私は居なかっただろうなぁ〜(笑)

□ 平 清盛 □

生   年:1118(元永元)年
没年月日:1181年3月20日(治承5年閏2月4日)
元   服:1129(大治4)年1月
呼   称:六波羅殿、平相国、相国入道、福原殿
法   名:浄海、静海
  父  :平忠盛
  母  :不明
継   母:池禅尼
兄   弟:兄……家盛
       弟……経盛、教盛、頼盛、忠度
正   妻:時子
愛   妾:高階基章娘、常盤御前、厳島内侍
  子  :男子……重盛、基盛、宗盛、知盛、重衡、知度、清房
       女子……徳子、盛子、寛子、廊御方、他

官   位:1129(大治元)年 1月6日…従五位下(12歳)
               1月24日…左兵衛佐
       1135(長承4)年1月5日…正五位下(18歳)
               8月24日…従四位下
       1136(保延2)年4月7日…中務大輔(19歳)
       1137(保延3)年1月30日…肥後守(20歳)
       1140(保延6)年11月14日…従四位上(23歳)
       1146(久安2)年2月1日…正四位下(29歳)
                2月2日…安芸守
       1156(保元元)年7月11日…播磨守(39歳)
       1158(保元3)年8月10日…太宰大弐(41歳)
       1160(永暦元)年6月20日…正三位(43歳)
                8月11日…参議
                9月2日…右衛門督
                12月30日…太宰大弐辞任
       1161(永暦2・応保元)年1月23日…別当、近江権守(44歳)
                9月13…権中納言
       1162(応保2)年4月7日…皇太后宮権大夫(45歳)
                8月20日…従二位
                9月…右衛門得、別当辞任
       1165(長寛3・永万元)年1月23日…兵部卿(48歳)
                8月17日…権大納言
       1166(永万2・仁安元)年6月6日…正二位(49歳)
                10月1日…春宮大夫
                11月11日…内大臣
       1167(仁安2)年2月11日…従一位、太政大臣(50歳)
               5月17日…太政大臣を辞任


音戸5


また、山頂には廃墟のような建物跡も御座います↑
これは何かと申しますと、戦時中、この場所に高射砲台がありまして…ここは弾薬庫だったようです。
広島市内は原爆で殆ど消し去られてしまいましたので、当時の建物を目にする機会は少ない私達ですが、ここは今でも、その姿を留めているのです。

音戸4


「日輪よ、返させ給へ〜!」
↑阿呆な子で本当にすみません……すみませんすみません(恥)

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(※以下、駄文です。)
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※タイトルは、万葉集より読み人知らずの海の歌。
  「塩満者 水沫尓浮 細砂裳 吾者生鹿 戀者不死而」
  意訳:潮が満ちるのと共に波の水泡に浮かぶ小さな砂利のように、
      恋に死ぬ事も無く、私は生きるのでしょうか。

海を見ていると、何となく「それでもいいか…」って思ってしまいますよね。
落ち込む度に鎌倉や熱海や伊豆の海まで突っ走ってしまう愚かな私ですが、慰められるのと同時に、地元の海が恋しくもなります。

繋がっているから大丈夫――。
そう自分に言い聞かせれば、海の広さが眩しくて、自分の小ささを感じられます。
大きな私になれるように…と思っていても、本当はとても小さい私です。
自分の小ささを確認する事で、一歩前へ踏み出す勇気を見つける事も悪くないなと思うのです。
それは、きっと本当の自分と向き合う事ですもの。
後悔だって、時にはとても大切な事なのです。
後悔するから、反省も出来る……。

先生はいつも、
「反省はしても、後悔はするな」と、口癖のように仰られておられました。
私も、それが正しいと思っておりました。
そんな暇があるのなら、“今、何をすべきなのか”という事を考えなければ、と無我夢中で…とにかく走っておりました。
だから私の辞書には、事実上「後悔」という文字は存在致しません。
でも、それって本当に――?
何も出来なかった惨めな気持ちや、消化不良の想いたちを、私は“反省している”という言葉に無理矢理括って、それを納得させる事で更に前へ進もうとしている…のでは無いのかな。

昨年、大切な方が亡くなられた時もそう……でした。
振り返った時、思い出に出来るような記憶ばかりなら良かったのに。
「あの時、私が本心をきちんと話せていたなら――」
今更そんな事を考えても何にもならないと理解していても、考える時には頭から離れないものです。
それでも、自分自身がそんな“後悔をしている”みたいな事を認めたく無いから、絶対に言葉には出来なくて。

……認めてしまおう、と最近思うようになりました。
そんな弱い自分も、私なのです。
強い部分だけを愛していては、私は自分が嫌いになってしまう…。
後悔する時は、思いっきり後悔したらいいじゃない。
だって、良く考えてみれば、それって意外と凄い事だと思うのです。
深い所まで自分の愚かさを知れる、これまでよりも、もっと“反省”という事を理解し実行出来る。
そして、何より、それを次への力に出来る。
マイナスな気持ちも使いようなのです、きっと。
それを根底に抱いてバネとして利用出来るなら、それは私にとっては良い踏台になるのではないでしょうか。

どんな自分も受け止めて、もっと素直に生きたいな…と思います。
海に向かう度に、思います。
うん、頑張ろう…。

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