日本史(主に平安〜鎌倉初期)について。 あくまでも、独り言で御座います。

父の背中は遠すぎて――、
頼家さま


□ 源 頼家(みなもとのよりいえ)

生年月日:寿永元年8月12日(1182年9月11日)
没年月日:元久元年7月18日(1204年8月14日)
  父  :源頼朝
  母  :北条政子
兄弟姉妹:千鶴丸、実朝(同母)、大姫(同母)、乙姫(同母)、貞暁
  妻  :若狭局(正妻)
  子  :一幡、公暁、栄実、禅暁、竹御所
幼  名:万寿
法  名:法華院殿金吾大禅閤
通  称:左金吾、金吾将軍、鎌倉殿
官  歴:建久8年12月15日(1198年1月30日)、従五位上、右近衛権少将
     建久9年1月13日(1198年2月27日)、讃岐権介
     建久9年11月21日(1198年12月27日)、正五位下
     建久10年1月20日(1199年2月23日)、左近衛中将
     正治2年1月5日(1200年1月29日)、従四位上
     正治2年10月26日(1200年12月11日)、左衛門督
     建仁2年1月23日(1202年2月24日)、正三位
     建仁2年7月22日(1202年8月18日)、従二位、征夷大将軍宣下
     建仁3年1月23日(1203年3月15日)、正二位


頼家様は、“左金吾”、“金吾将軍”等とも称されておりますが、金吾=衛門府の別称で御座いますので、左衛門尉に任じられて以降の通称で御座いますね。

頼家様御誕生は、寿永元(1182)年。
源頼朝様の御嫡男として御生まれになられました。
その際、出産の無事を祈願して作られたと有名なのが、鶴岡八幡宮御参道である若宮大路の段葛で御座いますね。
比企能員様の御邸で生まれた事もあって比企家との関わりは深く、乳母を務められたのも、正妻として迎えられたのも比企氏の御方で御座いました。
頼家様にとっては、実の親兄弟よりも 比企一族との関わりの方が深いものであられたようで御座います。
建久8(1197)に、姉 大姫様を亡くされておられますが、頼家様にとってはどのような御気持ちで見送られた血縁者の死だったので御座いましょうか。

建久9年12月(1199年1月6日)には、御長男 一幡様が誕生され、比企一族との絆は より一層強いものとなったのでは無いかと思われます。

建久10年1月13日(1199年2月9日)、父 頼朝様が急死された事により、家督を継ぐ事となりました。
母方の祖父でも御座います北条時政様は、頼家様の独裁政治を阻止する為に、将軍により政権を無くし、13名の有力御家人(北条時政様、北条義時様、和田義盛様、三浦義澄様、比企能員様、安達盛長様、大江広元様、梶原景時様、三好善信様、中原親能様、八田知家様、足立遠元様、藤原行成様)の合議制による政治体制に切り替えました。
これを疎ましく思われた頼家様は、身近な家臣数名に鎌倉中勝手自由の権限を与えられております。

同じ年の7月24日(正治元年6月30日)には、乙姫様も死去…。

さてさて…。
吾妻鏡の記事で、頼家様の頃に やたらと出てくるのが“有御鞠”…蹴鞠狂いといわれる程に蹴鞠に夢中になられた頼家様で御座いますが、どうやら度が過ぎたようで御座いまして……御家人衆に不信感を抱かせる要因の1つにもなっていたようで御座います;

また、蹴鞠好きと並んで挙げられるのが、頼家様が安達景盛様の留守中に、愛妾を強奪してしまったという事件で御座いますね。
頼家様は、景盛様がそれを恨みに持っている事を知って兵を挙げようとなさいますが、それを身を挺して諌めたのが母 北条政子様であったと伝えられます。

建仁三年正月二日
二日 壬申晴
將軍若君、<一幡君>御奉幣鶴岳宮、被奉神馬二疋被行御神樂之處、大菩薩詫巫女給曰、今年中、關東可有事、若宮不可繼家督、岸上樹、其根已枯、人不知之、而特梢縁<云云>。
其後將軍家、御行始隼人入道宅、於此所、有御鞠始。
伯耆少將、北條五郎、六位進、冨部五郎、比企彌四郎、細野兵衛尉、<已上布衣>等參會、今夜御逗留


建仁2年7月22日(1202年8月18日)、征夷大将軍宣下。
源氏嫡流として期待されていただけに、その独裁的な行動が周囲には不評であったようで……風当たりが強くなり、向けられた視線に反発するように、頼家様は蹴鞠に夢中になられていったのかもしれません…。
私は蹴鞠は未経験で御座いますので、とてもいい加減な憶測しか出来ないのでございますが、鞠を蹴るのは自分自身…上達すればする程に、鞠は己の思うがままに そして空間を操る事が出来たのかなぁと……何となく考えてみたり致します。

そんな中、頼家様が急な病で床についたのが 翌年7月(1203年9月)の事。
危篤に陥られるまでに、重い病だったようで御座います。

建仁三年七月二十日
廿日 丙戌晴
戌刻將軍家、俄以御病惱。
御心神辛苦、非直事也<云云>


建仁三年七月二十三日
廿三日 己丑
御病惱既危急之間、被始行數箇御祈祷等、而卜筮之所告、靈神之崇<云云>


……ちなみに、頼家様が重病となられる2日前、建仁3年7月18日(1203年9月2日)の吾妻鏡の記事には、“御所御鞠也”と御座いまして……倒れられる直前まで、頼家様は蹴鞠には夢中になられておられたので御座いますね。。
体の不調等は感じられておられなかったのか、御無理をなされておられたのか…。

建仁三年八月二十七日
廿七日 壬戌
將軍家御不例、縡危急之間、有御讓補沙汰、以關西三十八箇國地頭職、被奉讓舎弟千幡君。<十歳>
以關東二十八箇國地頭并惣守護職、被充御長子一幡君、<六歳>爰家督御外祖、比企判官能員、潜憤怨讓補于舎弟事募外戚之權威、挾獨歩志之間、企叛逆、擬奉謀千幡君并彼外家已下<云云>、


将軍の危篤に際して、時政様と政子様は 千幡(実朝)様と一幡様とで、地頭職の相続を譲与するよう定めてしまいますが、この北条家のやり方に対して、比企家は強く反発。
北条氏討伐を目論む比企家の陰謀を北条側は事前に察知、逆に 騙し討ちをかけて比企能員様を殺害してしまわれました。
その直後、北条の軍勢が比企邸に攻め込み、結果 比企一族は滅亡。
頼家様の妻 若狭様も 御子の一幡様も 共に御亡くなりになられました。

建仁三年九月五日
五日 庚午
將軍家、御病痾少減、憖以保壽算而令聞若君并能員滅亡事給、不堪其欝胸、可誅遠州由、密々被仰和田左衛門尉義盛及仁田四郎忠常等、堀藤次親家、爲御使、雖持向御書、義盛、深思慮、以彼御書、献遠州、仍虜親家、令工藤小次郎行光誅之將軍家、彌御心勞<云云>

それから数日が経った 建仁3年9月5日(1203年10月18日)、頼家様は危篤状態から脱し、奇跡的に回復なさいました。
然し、気が付いた時には もう、御自身を護り慕う方々や 愛する妻子、乳母等は この世におられなかったので御座います……。
頼家様は生き返られたのに、病気でも無い まして罪も無いような女性、幼子までが殺されてしまった事を知り、酷く御怒りになられたとか…当然で御座います。

その後の9月7日(1203年10月20日)、頼家様は不本意ながら、政子様によって出家させられてしまい、その3日後に千幡様が将軍職を継がれる事となりました。

建仁三年九月二十九日
廿九日 甲午霽
左金吾禪室<前將軍>、令下向伊豆國修禪寺給。
巳尅進發給。
先陣隨兵百騎、次女騎十五騎、次御輿三帳、次小舎人童一人<負征箭騎馬>後陣隨兵、二百餘騎也


9月29日(1203年11月9日)、頼家様は伊豆修善寺に幽閉。
現地に残る伝承では、頼家様は特に悪行や周囲の者を困らせるような事は起こされておらず、むしろ里の子供達と触れ合われたり…と、穏やかな日々を送られていたといわれております。

元久元年七月十九日
十九日 己卯酉尅
伊豆國飛脚參著、昨日<十八日>、左金吾禪閤、<年卅三。>於當國修禪寺、薨給之由、申之<云云>
  (吾妻鏡による)


然し…その翌年、元久元年7月18日(1204年8月21日) 北条氏の刺客によって暗殺。
修禅寺の門前虎溪橋近くに御座います、箱湯に入浴中の所を殺害されてしまったという事でございます。享年23歳。

頼家様の御祖父様に当たる、源義朝様も野間にて入浴中に殺害されておりまして……何とも悲しい因縁のように感じられてなりません…。

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(※以下、駄文です)

本日、歯を2本抜いて参りました……。
痛いです…痛いです…痛いですー(涙)

私は骨格が子供の頃から殆ど成長していないので、子供の歯から大人の歯に生え変わった時、大人の歯が全部ちゃんと並んで生えてきておらず;
歯並びが余り良くない上に、生え切れずに歯茎の中で横になったまま埋まった歯が数本御座いますので、親知らずを除いても 普通の方より4本以上の歯が隠れている状態なのだそうで御座います。。

今回の抜歯は1年以上前から歯医者さんに「いつか抜かなければ…」と言われ続けておりましたので、仕事や生活に支障の無い時期を選ぶのにかな〜り時間をかけてみたり(笑)、随分 逃げまくってしまいましたが、今日ようやっと覚悟を決めて行って参りました。
表面に見えない歯を抜く時って、歯茎を切らねばならないので大量に麻酔が必要なのですね;;
歯医者さんから戻って数時間が経ちますが、未だ はっきりと喋る事が出来ませんー。
出血も止まっていないので、↑の記事を書きつつも 「痛い痛い」と連呼しておりました。

明日は消毒の為に通院、来週には抜糸という事で、暫くは この苦痛が続くようで御座います;;
……微妙な痛い話ですみません(苦笑)

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