
琵琶の湖に浮かぶ、笙の島――竹生島。
古来より 神を斎く島と崇められ、神仏習合で成り立ってきた聖地で御座います。
予てより 参拝したいと望んでおりましたが、先日 やっと訪れる事が出来ました。
帰路では台風直撃に遭ってしまいましたけれど、それはそれで良い経験で御座いましたし、行けて良かったと心から思っております。
そして、何気に“日本三弁財天様”制覇で御座います


長浜港よりクルーズ船“べんてん”で約30分。
初めての琵琶湖に「これは、本当に湖なのかしら…潮の香りはしないけれど、まるで海のよう……!」と感動し、船の周囲を飛び回る鳥さん達を眺めたり 船内に流れる紹介ビデオ等を鑑賞しておりますと、あっという間に竹生島港に到着しておりました。
竹生島に上陸した瞬間、この島全体に漂う神聖な空気に思わず圧倒されました。
以前読んだ源平史跡紀行を纏めた本で得ていた竹生島の印象とは180度違うもので、例えていうならば モノクロ写真が鮮やかなカラー写真になったような…そんな衝撃で御座いました。
平経正様が 木曽軍討伐の折に立ち寄られたという理由が、言葉では無く感覚的に理解出来るようなー……なんていう思い込みも大切ですよね(笑)

竹生島は、琵琶湖北部に位置する 周囲2キロメートル、面積0.14平方キロメートルの小さな島で御座います。
北の高峰は標高197.6メートル。
島全体が花崗岩の一枚岩から成っているのだそうで御座います。
その上に覆いかぶさっている緑樹は、まるで島全体を包み込むように自生されており、琵琶湖に浮かぶ神秘な景勝は 琵琶湖八景の1つに数えられております。

参拝受付を済ませ、“祈りの階段”と呼ばれる165段の石階段を真っ直ぐに上って行きますと、宝厳寺さんの弁財天堂へ辿り着きます。
竹生島は元々 神仏習合の聖地で島全体が境内となっているものと思われますが、小さな島で御座いますので 神仏分離後も何処までが御寺さんの境内で、何処からが神社の境内で…という区切りは付けられていないようで御座います…というか、繋がっております。
そんな神仏習合色が色濃く残る斎の島だけに、何から何まで不思議で神秘的な雰囲気に包まれているように思います。
御参道脇に設けられた“瑞祥水”という井戸。
作られて未だ新しいこちらもまた、神様の島ならではの由縁で掘られたそうで御座います。
瑞祥水の由縁
本日は、ようこそ竹生島宝厳寺に御参拝頂き誠にありがとうございます
この「瑞祥水」は御本尊弁大天様の御宣託により平成十四年十一月に掘られた霊水であります
折りしも、昭和六十二年頃より川鵜の異常繁殖によって緑樹は枯れ、山崖は崩れ、全島に亘って大きな被害を受けております
加えて山からの湧水が枯れ果て参詣の諸聖、寺内関係者の飲料水はもとより環境衛生の確保も困難という事態になっておりました
そんな折、夢枕にございましたのが、ここに井戸掘れとの御本尊様よりのお告げの声でありました
しかしながら、このような湖中の小島での井戸工事は前例が無く、また通常の井戸の観点より考えれば水が出る可能性は低いといわれ、また一枚岩盤の島なれば、その工事さえも困難が予想されるという悪条件での工事でございましたが、深さ230メートル(湖底下約130m)より御本尊様の御宣託どおり清浄水が出たのであります
ここに御参拝の諸聖皆々様の御健康をお祈りし、この瑞祥水を御飲用くだされたく存じます
平成十五年四月吉日 竹生島 宝厳寺 管主敬白
鷲宮神社の光天之池も平成の御神威で御座いましたけれど、未だ未だ 現代日本にも色々な神秘が御座います。
それは、現代社会人としては信じ難い事でもあるように映るのかもしれませんが、目を塞いだり心を逸らしたりしなければ、意外と身近に感じられる事なのかもしれませんよね。
そう考えると、毎日がとてもわくわくする瞬間の連続だと思えて 楽しいです。
↑画像左下の御堂は、“天狗堂”で御座います。
開基当時、竹生島には多くの天狗さんが住み着いており、行基様の行を手助けしていたと伝えられます。
その天狗の頭領である行神房という天狗さんは、行基様の傍を片時も離れる事無く、
「我死すとも、永くこの島の守護を誓う」という言葉と共に、指の生爪を剥いで差し出したそうで御座います。
この御堂には、その行神房様を守護神として御祀りされているといわれております。
ちなみに、その爪は宝物殿にて拝観する事が出来ます〜。
爪といわれなければ、爪だとは思えない位に大きかったです…!

□ 宝厳寺(ほうごんじ) □
所在地:滋賀県長浜市早崎町
御創建:神亀元(724)年
宗 派:真言宗
山 号:厳金山
御本尊:千手千眼観世音菩薩、大弁才天
御開基:行基菩薩
宝厳寺さんは、西国第30番の霊地で御座います。
御本尊である千手観音は行基様の自作であるといわれ、弁財天像は聖武天皇の自作だと伝えられております。
西国三十番 観音霊場
厳金山 宝厳寺
当山は神亀元年(七二四)、聖武天皇が天照皇大神から「江州湖中に小島あり、弁才天降臨の聖地なり。堂塔伽藍を建立して祭供すれば、国家泰平五穀豊熟万民利益多からん云々」の御神託を受け、勅使を僧行基のもとに遣わし詔を下して、この島に堂塔を開基せしめられたものである。
行基菩薩は勅命を奉じて入島し、まず第一宝殿を建立して、みずから弁財天女を彫刻し、ご自作の等身大千手観世音菩薩を安置奉拝されたのである。
爾来、しばしば天皇の行幸があり、また伝教大師、弘法大使、慈覚大師も来島され、錬行、ご修法になったことも明らかに寺伝に残されている。
かくして法燈は連錦として千二百五十余年の今日にいたっているのである。
その後三回の火災、地震、また時代の変遷により、盛衰もあって堂塔の数は往昔のおもかげはないが、観音堂は慶長八年(一六〇三)、豊臣秀頼が父太閤の遺命により、片桐旦元を普請奉行として、京都東山の阿弥陀ヶ峯に営まれた豊国廟から移築寄進されたとするもので、豪華けんらんといわれた桃山様式の代表的遺構である唐門は国宝である。
崖造りの渡廊下は秀吉の日本丸と名付けられたご座船を移築されたもので、船廊下とよばれ、重要文化財として壮麗を極めている。
また現在の弁才天本堂は、昭和十七年十月に落慶したもので、京都日野の法界時阿弥陀堂、広島の厳島神社と同じ、平安後期、藤原時代の工風による、桧皮葺の優美華麗な大殿閣である。
本尊大弁才天は、厳島、江の島とならぶ“日本三弁才天”のひとつであるが、本殿は本邦における弁才天降臨の根本道場とされている。
観音堂は、西国三十三ヶ所観音霊場の第三十番札所として、はるばる巡礼たちが、湖をわたり参拝するものが後をたたず、香煙がたちこめ、ご詠歌の声鐘がひびいている。
月も日も 波間に浮ぶ 竹生島
船に 宝を つむ心地して
古くは平経政が琵琶を弾いて戦勝を祈願し、謡曲「竹生島」で“緑樹影沈んで、魚木にのぼる風情”と詠われ、狂言「竹生島詣」など数々の音曲に、美しく神々しいこの島がたたえられ、いまもなお神秘とロマンがいっぱいに秘められているのである。
御本堂は、神仏分離から70年程後の1942年に建立されたそうで御座います。

御本殿前には五重石塔が建てられており、こちらは重要文化財に指定されております。
比叡山中かあら採掘される小松石で作られているのだそうで、鎌倉時代の特徴が見られます。
重要文化財
宝厳寺五重石塔の説明
初重塔身の四方には四仏が配され、台石の格狭間の形や各重笠石の反りの形状などから鎌倉時代の特徴が見られます。
五重石塔で重要文化財の指定を受けているものは、全国で七基しかなく、これはその一つです。
豪雨による土砂崩れにより水没し、未だ発見されていないため、相輪の下部のみが後補のものとなっています。
また、ここには“竹生島流棒術発祥の地”と記された石碑も御座いました。
棒術格好良さそうだなぁと思って見ておりましたら、目敏く“源平合戦”という四文字熟語(笑)を発見してしまいました↓
由来記
竹生島流棒術の流祖は難波平治光閑と言う人で竹生島弁才天を信心し長刀一流を夢想奉納し源平合戦に出てその長刀で能く働きを極めたが戦の最中長刀の込本から折れその柄を長刀の手で遣い大勢を討取ったと言う是れから棒術を編み出し弁才天の冥恩であるとして竹生島流棒術と称した棒術の前身の長刀は難波流と言う

三重塔は、文明16(1484)年の建立。
江戸初期に焼失した三重塔の再建だそうで御座います。
とても鮮やかで綺麗な装飾が印象的で御座いました。

三重塔向かいには、素敵な宝物殿!!が御座います〜。
経正様、経正様…と釣られるように入りましたらば、ついに念願の経正様御縁と伝わる御宝物を拝む事が出来ました〜///
「玄上の琵琶の撥」
平安時代(後期) 竹生島宝厳寺蔵
「平家物語」に出てくる琵琶の撥である。
寿永2年(1183)平経正が来島し、戦勝祈願の為、琵琶をひいた。
それがこの撥である。
宝物殿内は撮影出来ませんので画像で御紹介する事が出来ないので御座いますが(宝厳寺さんの公式サイトにも宝物殿のページはあるのですけれど、残念ながら画像は掲載されていないようで御座います)、あぁ…これが有名な 経正様が残されたという撥なので御座いますね…!!と齧り付いて見入ってしまいました。
宝物殿から出た時点で私の心は天に召されたかのように安らかになっておりましたが(笑)、折角で御座いますので 御寺の方に経正様が琵琶を奉じられたという弁天堂について聞いて参りました。
何分800年以上前の伝承で御座いますので確かな事は誰も判りませんが、今の御本堂付近に矢張り弁天様を御祀りした御堂があって そこで琵琶を奏でられたのかもしれないですね、という事で御座いました。
また、経正様は宮崎(都久夫須麻神社向かいの際)にて琵琶を弾じられたともいわれており、白龍の伝承等を考えますと そちらの方が可能性が高いかもしれないと仰っておられました。
とても丁寧かつ御親切に御話をさせていただけまして、嬉しかったです。

こちらが、竹生島寺 西国33ヶ所観世音奉安殿。
観世音菩薩は33の身に姿をあらわし、悩める人々を救われるという観音経の所説に基づいて設けられたのが、33ヶ所の霊場で御座います。
この奉安殿では、西国33ヶ所の観世音菩薩を1ヶ所に御祀りしてあり、こちらに御参りする事で 西国巡礼を経たのと同じ御霊験を得られるといわれているそうで御座います。

↑豊臣秀吉様の御座船 日本丸を利用して作られた船廊下。
天井を見上げると、何となく 元 船…という感じが伝わってまいります。
こちらを抜けると、都久夫須麻神社の御社殿に直行で御座います〜。
という訳で、明日は 続☆竹生島 で都久夫須麻神社について記したいと思います。
※タイトルは、宝厳寺さんの御詠歌。
竹生島に弁才天が御祀りされている事に気付かれた花山法皇が、宝船を心に浮かべられて詠まれたようで御座いますね。
流石は、花山法皇で御座います〜!
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