日本史(主に平安〜鎌倉初期)について。 あくまでも、独り言で御座います。

竹間に注ぐ、御霊の光。
殿墓


福岡県北九州市門司区大字黒川には、“殿墓(とのばか)”と呼ばれる平家の武将のものと伝えられる墓地が御座います。
門司港駅から西鉄バスで20分程、八木田の停留所で下車。
そこから民家脇の小道を上ったところに↑のような案内板があり、一見何ともアバウトな感じの地図のようでは御座いますが(笑)、割とそのまんまな感じに進んで参りますと 殿墓に辿り着く事が出来ます。

道なりにしか進めないので迷いようは無いのですけれど、思いっきり民家前を通過致しますので、そちらの番犬さん方に只管 威嚇され続けてしまいました。。
犬とは仲良くなれる自信があっただけに(何処からくる根拠だか…;)、本気で吠えられて思わず立ちすくんでしまい、立往生しておりましたら御家の方が出ていらして、事情を御話致しまして通らせていただいきました……何て迷惑な私…すみません…凹。

殿墓


民家前を抜けますと、目の前には竹薮が見えて参ります。
距離的には、本当に目と鼻の先位の近さで御座います。

殿墓04


余り御天気の良い日では無かったのですけれど、日暮れ前でも仄暗い薮の入口で御座います。
ストロボ撮影(↑)をしてしまうと妙に怖い感じに写ってしまいますけれど、実際は そんな恐怖感のようなものは感じませんでした。
むしろ、すらりと聳える竹の木々に囲まれて、天井から僅かに差し込む薄明かりが綺麗だなぁ…と思っておりました。

以下、案内板の表記内容で御座います。

   殿墓

 十八基の五輪塔は、平家の武将平休息とその同族の墓と伝えられています。
 伝承によると、一門の武将休息は安徳天皇の命を受け、宇佐八幡宮に戦勝を祈願しましたが、帰路、平家一門が壇ノ浦の合戦で滅亡したことを知りました。
嘆き悲しんだ休息たちは、壇ノ浦に近い黒川の山間部に落ちのび、平家一門の菩提を朝夕弔いました。
平家残党の追求が緩やかになってから里に下り、田畑を耕す生活に入ったといわれています。
のちに源氏の目をおそれ八木田と姓を改めました。
この姓は耕地の中央に居を構え、八方に樹木を植えて風を防いだことにちなんだものといわれています。
     北九州市教育委員会



平休息(たいらのやすおき)様は……平家物語 その他 文献等でも見られぬ御名前で御座います故、存じ上げませんが…説明から察するには御一門、もしくは御縁の方のようで御座いますね;;
御名から御家系を探る事も難しく、その存在自体、今となっては分からない御方で御座います。

主上より直々に…では無いのでしょうけれど、宇佐神宮へ戦勝祈願の参拝を命じられ、その帰路に壇之浦合戦にて平家御一門の滅亡を知ったという事で……。
八幡様はどちらかといえば源氏方の氏神様で御座いますが、壇ノ浦決戦迫る時期に 何故 敢えて宇佐八幡宮への御祈祷が出されたので御座いましょう。
また、帰路にて報を得たとして、そのまま大分まで引き返すなり、遠方へ逃れるなり法はあったで御座いましょうに、わざわざ この地まで戻られて来られたというのは……御一門の最期を その目で見るまでは信じられなかったからなのかもしれませんね…。

殿墓


10メートル程かと思われる細道に沿って、18基の御墓が里の方を向いて並んでおります。
1基1基の御墓に手を合わせながら御参りさせていただきました。
御墓には全て、丁寧に手入れがなされておりまして、地元の方々が大切に護られている御様子を伺う事が出来ました。

* * * * * * * *

殿墓


こちらは、八木田停留所付近に御座いました貴船社。
実は、殿墓へ向かう最初の路地を見付けられず、この御社の付近をフラフラと往来しておりましたら、御宮さんの直ぐ下にいらっしゃった御婆様が親切に教えて下さいまして…。
無事に御参りして戻って来れました時には、既に御婆様の御姿は見えませんでしたので、こちらの御宮に御挨拶をさせていただいて参りました。
拝殿前には土俵も御座いまして、何とも暖かな風情を感じさせていただきました。

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