日本史(主に平安〜鎌倉初期)について。 あくまでも、独り言で御座います。

海を捨て、山奥へと逃れられた御一行を追って。
平家谷01


広島県の沼隈町横倉地区は、別名“平家谷”と呼ばれており、平通盛様主従、小宰相の伝承が伝えられる平家の里で御座います。
沼隈町は、広島県沼隈郡沼隈町…だと思っておりましたら、2年程前に福山市に編入されたそうで、現在は 広島県福山市沼隈町となっております。

近くまで行きますと道路に案内標識が出ており、その先にも要所要所に案内が御座いますので、迷う事無く辿り着く事が出来ました。

平家谷02


沼隈町横倉は、平家の谷。
1185(寿永4)年 屋島の合戦に敗れた後、能登原に陣を敷き 敷名泊付近で繰広げられたという能登原の合戦で再び敗れた平家一門は、長門へと落ちて行きました。
その際、通盛様主従の御一行は山を越え、この谷まで逃げ落ちて来られたと伝えられております。
平家の主なルートは海上で御座いましたし、壇ノ浦決戦以前のこの時 平家軍の本拠地は長門国の彦島に御座いましたのに、何故 通盛様御一行は上陸の後、味方の待つ長門へ向かわず 山の奥へ奥へと御隠れになられたので御座いましょうか。

史実では、通盛様は1184年3月20日(寿永3年2月7日) 一ノ谷の合戦にて討ち取られ、京の八条河原にて晒し首にされており、
小宰相は一ノ谷の合戦の後、通盛様の後を追って入水自殺されております。
こちらの伝承によりますと、この御2人は屋島の合戦時にも生存されていた事になりますが、そのような史実は残されておらず…真相は謎で御座います。
ただ、通盛様に付き従っていた方々が落ちて来られた可能性というのは、割と大きいのでは無いかと思うのですが…。

そういえば…平家谷について調べていて、意外に多く見られたのが“1185(文治元)年、屋島の合戦に敗れた平家の…”から始まる説明文で御座いまして…細かい点まで突っ込んでは失礼かしらと思いつつも、ちょっと惜しいなぁと思ってしまったり致しました;すみません。。
口煩いようで申し訳無いので御座いますが、“平家”の里なのですから、矢張りここは“寿永4年”と表記しておきたいところで御座いますね。

   はるかなる歴史の里
   心のふるさと平家谷


 そよぐ風の中、あふれる森の精気が漂い、小鳥のさえずる声が聞こえます。
生まれ育ったこのふるさとに、とても愛着を覚えます。
 私達は歴史や文化を学びながら、かけがえのない財産・伝統を引き継いでいきたいと、みんなで考え汗を流しています。
   「平家ロマンの里づくり」
  一、教育・文化・福祉の振興
  一、生活環境の整備
  一、産業の振興 



平家谷03


↑八日谷ダムは、平家谷への入口で御座います。
私が生まれるよりもずっと以前にダム建設が行われてしまっている為、ダムの底にあった風景がどのような景色であったのかと私は知る事が出来ないのがとても残念で御座います…。

“八日谷”という名称は、能登原の合戦にて敗走して来た平家武者達が8日間隠れ通したといわれる谷間である事から、呼ばれるようになったそうで御座います。

平家谷04


八日谷ダムの底には、通盛様縁と伝えられていた史跡 刀岩があるそうで御座います。
天然記念物という事で御座いますが、今はもうダムの底で……天然記念物なのに、ダムの底…凹。。

   刀岩(天然記念物)

 高さ一間半(二、七メートル)幅一間(一、八メートル)ぐらいの切り立った岩が「刀岩」と伝えられている。
 この谷の奥へ逃れて行く平通盛が、己の武運を試そうと、この岩に刀を打ち立てたという。
岩にはそれを裏書きするような形の窪みと、岩をそいだような跡が遺っていた。
 昭和三八年のダム建設により、この堤防の底となった。
   一九八五年 四月 通盛公八百年祭実行委員会



平家谷05


↑ちょっと季節外れな、鯉幟の説明板で御座いますね。
時期外れで御座いましたので、鯉幟が泳いでいる姿は拝見出来ませんでした〜(苦笑)

この里での基本色は赤色――落ちて尚、官軍を示したという事では無いと思いますが(主上同伴では無いようですし…)、源氏の旗色である白は御法度とされており、平家谷内に示された案内板等も、あからさまに白色を避けて作られております。
白を使わない代わりに主に水色を使っているようで御座いまして、↑この説明板も白抜きでは無く、水色抜きになっておりますね。
平家谷には白い花は咲かず、白い鳥も降り立たないといわれております。

私は里を訪れた時、赤のノースリーブに白の上着を羽織っておりましたが、何となく…その土地の望まない、むしろ拒んでいる色を身に付けて行動するのは無礼だと思いましたので、上着を脱いでまわる事に致しました…ら、ちょっと日焼けしてしまいました…日焼け止め塗ってたのにー(涙)

平家谷06


平家谷には、色々と興味深い平家縁とされる史跡が数多く遺されております。
一気に書いてしまっても良いのですが、1日分の記事が長すぎるという御意見もいただいておりますので(すみません;;)、本日より数日に渡って少しずつじっくり御紹介していきたいと思っております〜。

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Comment

 秘密にする

お久しぶりです。
もう8月ですね。
お里帰りの予定は、たちましたか?

私はと言いますと、
ひろこさんへのお手紙を出しもせず、世をはかなんでおります。
ほんとは、いろいろ語りたいのですが・・・。
かなり、重ーい手紙が届いてもよろしければ、
半年遅れの年賀状とともに、投函させていただきますが。
うーん、どうだろう?
初めてのお手紙がコレじゃ、引かれるよね・・・ってな具合です。

そんなこんなで、
一年前の記事に今さらですが、地元の話題だったのでここにコメントしてみたり。
でわでわ。
えいりあん | URL | 2008/08/02/Sat 23:48[EDIT]
>えいりあんさん〜!
わぁ〜!御久しぶりです。
コメント嬉しいです///

今年も、6日の式典に参加する為に参加する為に広島に戻るのですが、次の朝に仕事があるので日帰りになってしまう予定です(;、;)
でも実家にも帰りたいですし、御墓参りにも行かなくちゃなので、次の週に1週間かけて帰省しようかなぁと考えてます〜。
えいりあんさんは、この夏はどんな風に過ごされるのでしょうか?
色々御話聞きたいです。
もしも、御時間の都合が合えば、帰省の際に会いに行きたいですね〜…って、それは流石に御迷惑かなぁi-201

御手紙、是非是非送って下さいませ〜。
年賀状も見たいですし、御手紙も凄く気になります。
引いたりしませんから、大丈夫ですよ。
御待ちしております。
どうゝね | URL | 2008/08/04/Mon 10:26[EDIT]
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