日本史(主に平安〜鎌倉初期)について。 あくまでも、独り言で御座います。

母娘の絆を結ぶ庵。
誓願寺さんの直ぐ近く、同じく新京極に御座います 誠心院さんには、和泉式部の御墓と伝えられる供養塔が御座います。

和泉式部墓所と伝えられるものは全国に数多く遺されておりますが、それを裏付ける確かな史料というものは実在しておりません;
誠心院さんの寺伝によりますと、こちらの初代住職は和泉式部(法名/誠心院専意法尼)であり、藤原道長様の建立という事で御座います。
洛中という事もあって、一般的には最も有名な墓所の1つだと思われます。

和泉式部墓所


□ 誠心院(せいしんいん)

所 在 地:京都市中京区新京極六角下ル中筋町
宗  派:真言宗泉涌寺派
山  号:華嶽山
御 創 建:1027(万寿4)年
御 建 立:藤原道長
御 開 山:和泉式部(法名/誠心院専意法尼)
御 本 尊:阿弥陀如来
旧  称:誠心院(じょうしんいん)、小御堂
通  称:和泉式部寺
正式名称:東北寺誠心院


誠心院は、少し前までは“じょうしんいん”と読むのが正式だったようで御座いますが、先代住職さんの時分より“せいしんいん”と呼ばれるようになったそうで御座います。

娘である上東門院(藤原彰子)に仕えていた和泉式部の為にと、道長様によって法成寺内東北院内に庵を建てられた事が起源となっているそうで御座います。
鎌倉期には鴨川の氾濫の被害に遭い、京都御所の東から一条小川の誓願寺南隣に移転されたようで、泉涌寺の末寺になったのもこの頃であったと伝えられます。
豊臣秀吉の都市改造政策によって天正年間(1573年〜1592年)の頃、現在の場所へと移されました。
明治4年には、境内に新京極通りが敷かれ境内が二分される事となり、山門、堂宇等を失われました。

   誠心院

華嶽山東北寺誠心院と号する真言宗泉涌寺派の寺で、通称和泉式部の名で知られている。
寺伝によれば、関白藤原道長が、女の上東門院(藤原彰子)に仕えていた和泉式部のために、法成寺東北院内の一庵を与えたのが当寺の起りといわれている。
当初、御所の東側にあったが、その後一条小川(上京区)に再建され、さらに天正年間(一五七三〜九一)この地に移された。
和泉式部は、平安時代の代表的な女流歌人で、才色兼備で知られ、代々の勅撰集に収められている和歌は二四七首に及んでいる。
本堂は小御堂みどうと呼ばれ、堂内には、本尊阿弥陀如来像をはじめ、和泉式部、藤原道長のそれぞれの像を安置している。
境内には、式部の墓と伝える法篋印塔及び式部の歌碑が建てられている。
また、傍らの梅の木は、式部が生前愛木した「軒端のきばの梅」に因んで、後に植えられたものである。
     京都市



誠心院には、江戸期に作成された和泉式部に関する絵画や文書等が遺されております。
和泉式部(誠心院専意法尼)墓所といわれる法篋印塔も公開されており、賑やかな新京極の町並からも気軽に望む事が出来ます。
高さ約4メートル、幅約2.4メートルの この石塔は、謡曲「誓願寺」の舞台にもなっており、1313(正和2)年の改修建立だそうで御座います。

この石塔は正和二年(一三一三年)に改修建立されたもので、高さ約四メートル、幅約二.四メートルあります。
江戸時代の名所絵図には、石塔と共に、傍らにあった軒端の梅が描かれています。
和泉式部を慕い多くの旅人が参拝したようです。
近年、整備の機会を得、新京極通りから直接参拝できるようになり、毎日多くの女性が訪れる様になりました。
案内図の通り、境内には、和泉式部歌碑をはじめ、「二十五菩薩」「式部千願観音」「神変菩薩」「六地蔵尊」の石像があります。
ごゆっくりとお参り下さい。
     合掌 誠心院



墓所入口の門横には、知恵授け、恋授けの鈴成り輪が御座いまして、若い女性が回している光景を良く目に致します。
公式サイト様の説明によりますと、“和泉式部の古い灯篭の竿と台座を使った、鈴なりの輪です。魔尼車とも呼ばれ、一回回せば経典を一回読誦した功徳が得られます”との事で御座います。
そ、そんな簡単に功徳が得られてしまって良いものなのでしょうか…(苦笑)


恋に生きた女性 和泉式部…その彼女の出家の要因となったといわれる、先立った娘 小式部内侍。
どちらも、共に百人一首に収められている歌人で御座いますね。

あらざらむ この世のほかの 思ひ出に
     いまひとたびの あふこともがな


こちらが百人一首56番目の、母=和泉式部の和歌。
もうじきに私は死ぬのでしょうね…あの世への思い出として、今一度 貴方に御逢い出来たなら…

おほえ山 いく野の道の とほければ
     まだふみもみず 天の橋立


そして 同じく百人一首60番、娘=小式部内侍の和歌。
大江山(大枝山)を越えて幾つも野(=生野)の道を通って行く、それが あんまり遠いので、未だ天の橋立を踏んでもおりませんし、丹後の母の文も見ておりません

小式部内侍も、和泉式部と同じく恋多き歌人であったといわれております。

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