日本史(主に平安〜鎌倉初期)について。 あくまでも、独り言で御座います。

ゆめよりもはかなき世のなかを。
熊野にて。


□ 和泉式部(いずみしきぶ)

生 年:不詳(974/天延2年説、976/貞元元年説 等諸説あり)
没 年:不詳(978/天元元年頃?)
 父 :越前守大江雅致
 母 :越中守平保衡女
 子 :小式部内侍(父は橘道貞)、永覚(父は敦道親王)
 夫 :大江雅致→敦道親王(正妻では無い)→藤原保昌


中古三十六歌仙の一人で御座います〜。
母は三条皇太后昌子内親王(冷泉院皇后)の女房であったと伝えられ、幼少時代は その宮邸で育ったものと考えられております。
御許丸と呼ばれる女房として昌子内親王に仕えたとも。
大江雅致の推挙により和泉守となった橘道貞と、和泉式部は結婚致しました。
和泉式部”という通称は、夫の任国が和泉だった事と、父が式部丞であった事によるものだと思われます。

夫がある身では御座いましたが、恐らく両親と同居であったであろうと考えられる和泉式部は、冷泉院縁の人物との接触も多かったようで。
冷泉院第三皇子である弾正宮為尊親王と恋愛関係となります。
然し、身分違いである筈の親王との熱愛が噂された為に、親からは勘当を受ける事となってしまい、更に 為尊親王は1002(長保4)年6月、儚くも26歳の若さで亡くなられてしまいます。

しのぶべき 人もなき身は ある時に あはれあはれと 言ひやおかまし

死んだって偲んでくれる人も居ない身ですから、生きている間に愛しい事言い残しておかなくてはいけないのだわ……”

後拾遺集では、詞書が“世の中つねなく侍りけるころよめる
和泉式部集では“世間はかなき事を聞きて”となっております。
誰かが亡くなった事を知って詠まれた歌のようで御座いますが、それが誰であるのかは解りません。


夫 橘道貞との間には、娘=小式部内侍を授かっておりましたが、1004(寛弘元)年、夫が陸奥守となり赴任する事となった際、和泉式部は道貞を“はなれにたるをとこ”と称しており、疎遠となる様子が伺えます。

為尊親王の1周忌が近づく春、弟宮(同母弟)の敦道親王と恋におちます。
宮の邸へ入る事となった和泉式部……これが1つの事件でも御座いまして、和泉式部と入れ替わりに宮妃が邸を出るという騒ぎになったようで御座います。
有名な和泉式部日記は この頃に記されていたもので、敦道親王との愛情の記録ともいわれる程で御座います。
ですが、又しても幸せな日々は長くは続かず、敦道親王は1007(寛弘4)年 27歳の若さでこの世を去られました。
2人の間には男子が1人生まれており、その子は後に永覚と呼ばれる法師になったと伝えられます。

あまてらす 神も心あるものならば 物思ふ春は 雨なふらせそ

天照神にも御心がおありなのならば、物思いに耽る春には雨を降らせないで下さい

和泉式部続集に御座います、敦道親王哀傷歌群の内の1首です。
詞書は“雨のつれづれなる日

1008(寛弘5)年10月に敦道親王の服喪を終えた和泉式部は、翌年の葵祭の頃、娘の小式部と共に一条天皇中宮である藤原彰子(上東門院)のもとに女房として出仕致しました。
その頃、彰子に仕えていた周辺の人物には、紫式部伊勢大輔赤染衛門等が居たようで御座います。わぁ、著名人揃いで御座いますね〜!!
紫式部日記にも、和泉式部の事が記されておりますが、

和泉式部といふ人こそ、面白う書き交しける。
されど、和泉はけしからぬ方こそあれ。
うちとけて文走り書きたるに、そのかたの才ある人、はかない言葉のにほひも見え侍るめり。
歌はいとをかしきこと、ものおぼえ、歌のことわり、まことのうたよみざまにこそ侍らざめれ。
口にまかせたることどもに、かならずをかしき一ふしの、目とまる詠み添へ侍り。
それだに人の詠みたらん歌なん、ことわりゐたらんは、いでやさまで心は得じ。口にいと歌の詠まるゝなめりとぞ、見えたるすぢに侍るかし。
恥づかしげの歌よみやとは覺え侍らず


とあり……;
ヒィー!!いつの時代も、モテる女性は他の女性から好印象は持たれないものなので御座いましょうか〜…そんな悩みとは一生無縁だと思いますけれど、女同士って怖いなぁーと思ってしまいますね…(苦笑)

宮仕えを始めて3〜4年の後、40歳を過ぎたであろう頃の和泉式部は藤原道長家司 藤原保昌と再婚する事となります。
1013(治安3)年頃、丹後守となった夫と共に任国に下ります。

1025(万寿2)年には小式部内侍が死去。
娘に先立たれた彼女の辛い気持ちを詠んだ御歌が幾つか残されております。

とどめおきて 誰をあはれと 思ふらん 子はまさるらん 子はまさりけり

“(親である私と貴女の子供達とを)置いて逝って、一体誰を哀れと思っているのでしょうか
 親である私よりも、子供たちの方なのでしょうね
 親より子と死に別れる方が辛い……私もそうですよ”


後拾遺集より。
詞書“小式部内侍なくなりて、むまごどもの侍りけるを見てよみ侍りける

女流歌人としてだけでなく、平安王朝歌人としても大絶賛される和泉式部。
特に情熱的な恋歌に対しては、いつの世でも高い定評が御座います。

そういえば……以前、私の知り合いの方が、
「和泉式部が萌えキャラだって言う男の子が居るんだけど、何故かしら?」
と仰っておりまして、意味も解らずに盛り上がった事が御座います。
萌えキャラの概念はイマイチ理解出来ていないのですが、何とな〜く男性から好かれるタイプの女性なのかしら???と思ってしまったり。
どんな御方だったのかなと考えれば考える程、私の中で和泉式部が凄い女性に仕立てられていくようで御座います……うぅん、どこまで想像したら良いのかしら(笑)

※タイトルは、和泉式部日記の冒頭文より。
 
にほんブログ村 歴史ブログへ

Comment

 秘密にする

Track Back
TB*URL

Copyright © ■花林 〜小枝の音色に誘はれて〜. all rights reserved.
ホームページ アフィリエイト レンタルサーバー FC2ブログ 専門学校