
山口県の源平史跡――満珠と干珠。
水平線に被さるように前後に並ぶ この2つの島は、壇ノ浦の合戦の際に、源氏軍が兵を集めた場所であると言われております。
満珠、干珠を望むならば、最も景観の素晴らしいと評判の豊功神社へ行って参りました。

□ 豊功神社(とよことじんじゃ) □
所在地:下関市長府宮崎町4-1
御創建:1602(慶長7)年
御祭神:応神天皇
武内宿禰
大国主大神穂田元清
毛利秀元(以下、歴代長府藩主)
毛利光広
毛利綱元
毛利元朝
毛利元矩
毛利匡広
毛利師就
毛利匡敬
毛利匡満
毛利匡芳
毛利元義
毛利元運
毛利元周
毛利元敏
1602(慶長7)年、長府藩初代藩主毛利秀元様が、この地に城を構えた際、安芸国より毛利氏の守り神様であった宮崎八幡宮を勧請して中殿に祀り、左に櫛崎八幡宮を移し、そして右には高良大明神を祀って宮崎八幡宮と称しました。
後には、松崎八幡宮と改称されております。
1854(天保5)年、毛利秀元様の霊位に豊功大明神の称号が許され、
1866(慶応2)年、忌宮神社境内に御社が建てられ、豊功明神社と名付けられました。
明治10年、豊功神社と改称され、
大正6年には、忌宮神社境内から豊功神社を移して、櫛崎、松崎、宮崎の神社と合祀し、社号を廃して豊功神社となりました。
昭和44年、火災により本殿が焼失してしまいましたが、
平成13年11月10日、無事に再建されたという事で、とても綺麗な御社殿で御座います。
毎年、秋に行われる観月祭には、多くの方々がここから望む名月を楽しまれているそうで御座います。
瀬戸内海に浮かぶ満珠、干珠と、水面にうつろう月の光……さぞ、美しい事でしょうね〜。
ちなみに、こちらでの初の日の出は大変見事なのだそうで、各地から大勢の方が集まられるそうで御座います。

豊功神社由緒
豊功神社は 神話伝説の島として知られる満珠 干珠 の二島を展望する絶景の此の地に鎮座する旧県社で 祭神は応神天皇 武内宿祢 穂田元清毛利秀元 をはじめ長府藩歴代の藩公を祀る古くより櫛崎八幡宮の鎮座地であることが文書にも見えるが 慶長七年(一六〇二)秀元公が当地に城を構えるにあたり 毛利氏の守護神 宮崎八幡宮を安芸国より勧請して中殿に祀り 左に櫛崎八幡宮を遷し 右に高良大明神を祀って宮崎八幡宮と称し のちに松崎八幡宮と改称した
天保五年(一八三四)毛利秀元の霊祠に豊功大明神の称号が許され 慶応二年(一八六六)豊功霊神をはじめとする霊社が忌宮神社境内に創建されて豊功神社と名づけられ 明治十年豊功神社と改称
大正六年松崎神社と合祀し此の地に移遷 昭和四十四年火災により社殿焼失 仮社殿のまま今日に至る
昭和五十七年八月より境内の環境整備を進め境内社大黒神社 串崎稲荷社 秋葉社を建立
海側一帯を展望台小公園として その景観を提供元旦は初日の出を拝む人々で賑わい 野外活動の場として知られつつある付近には史蹟も多く 櫛崎城跡 毛利藩校(現豊浦高校)毛利水軍々船修理ドック跡など歴史の町長府の古いおもかげを偲ぶことができる

↑左側の画像、龍神社で御座います。
この地には、古から龍神の祠と伝えられているのだそうです。
右に写っているのは、祈願之鐘。
古来神道の“清らかな音色(笛、太鼓、鐘 等)には神様が現れる”という音霊信仰に基づきまして、清らかな音を満珠、干珠に響かせて祈願出来るようになっております。

満珠(まんじゅ)、干珠(かんじゅ)は、下関市長府沖に浮かぶ無人島で御座いまして、長府の忌宮神社の飛地境内となっております。
忌宮神社土地台帳や海上保安庁海図では、陸側が満珠で沖側が干珠だそうで御座いますが、
国土地理院発行の地図によると、陸側が干珠、沖側が満珠とされております。
ちなみに、2島の樹林が天然記念物の指定された際には、矢張り陸側方が満珠、沖側が干珠となっておりまして……?????
実は、余りハッキリと判らないのが現状なのだそうで御座います。
下関では、2島をセットで“満珠、干珠”と呼んでいるようです。
決めちゃえば良いのに〜と思いがちな所では御座いますが、満珠と干珠は日本書紀にも名前の見られる古の浪漫溢れる神様の御島で御座います。
島名も、神功皇后伝説が由来となっております。
2つの島が在って、2つの名前があるのに、呼ぶ時は括りで……何だか、双子のようで夫婦のようで…素敵で御座いますね♪

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