日本史(主に平安〜鎌倉初期)について。 あくまでも、独り言で御座います。

やまのあなたのそらとおく、さひわひすむと ひとのいふ。
須磨寺 源平の庭2


熊谷次郎直実「敵に背を向け逃げるとは卑怯なり、戻られよ!」

須磨寺 源平の庭1


平敦盛「……ッ!」


* * * * *

さて。
そろそろ、敦盛様を愛してやまない私の想いの丈を語らなければなりますまい……(止しなさい)

一ノ谷〜須磨の、敦盛様縁の他の史跡等は、又別の機会に記す事に致しまして、今回は、平敦盛様と一ノ谷の戦いと須磨寺の史跡について。

須磨寺2


□ 平 敦盛 □

生   年:嘉応元(1169)年
没年月日:元暦元(1184)年2月7日(3月20日)
  父  :平経盛
  母  :不明
位   階:従五位下(無官大夫)


須磨寺1


敦盛様といえば、「平家物語」の敦盛最後の段ですね……。
熊谷次郎直実様との組討が有名で御座います。
これを元に、謡曲「敦盛」や、歌舞伎の「一谷嫩軍記」等が作られております。

後世の人々に愛され、哀れまれた敦盛様ですが、実はその人生の殆どは、記録として残されておりません。

須磨寺3


■ 一ノ谷の戦い ■

指揮官:▽源氏…源範頼・源義経
     ▼平氏…平知盛・平忠度
勝利軍:源氏軍
戦死者:▼平氏…平通盛・平忠度・平経俊・平清房・平清貞・
        平敦盛・平知章・平業盛・平盛俊・平経正・
        平師盛・平教経・平敦盛 他
捕 虜:平重衡

前哨戦
寿永3年2月4日:▽鎌倉軍は矢合せを7日と定め、出発。
          (源範頼…大手軍5万6千余騎/源義経…搦手軍1万騎)
          ▼平氏は福原に陣営を敷き、東に生田口、
           西に一ノ谷口、山の手に夢野口という防御陣を
           築いて応戦体勢を整える。
              ↓
          ▽搦手を率いて丹波路を進む義経軍は三草山の陣に
           夜襲をかける
          ▼平資盛、有盛率いる平家軍は敗走。
            =三草山の戦い
     2月6日:▽義経率いる搦手軍は鵯越でを二分する。
           大半兵を夢野口へと向かわせ、義経は70騎程を
           率いて険しい山道を西へと進み、一ノ谷陣営の
           背後へ到着。
          ▼福原で清盛の法事を執り行う平氏一門の元へ
           後白河法皇からの使者が和平勧告。
生田の戦い
     2月7日:早朝
          ▽熊谷次郎直実・直家(小次郎)父子と
           平山季重らの5騎が塩屋口の西城戸にて先駆け。
           名乗りを上げて合戦開始。
          午前6時
          知盛、重衡の守る生田口の陣の前に、
          源氏の大手軍5万騎が布陣。
          ▼平氏軍は約2千騎で白兵戦を展開。
           生田口、塩屋口、夢野口で激戦。
逆落とし
          ▽70騎を率いる義経は、一ノ谷裏手の断崖絶壁を
           駆け下り、平家の陣に突入し、火をかける。
          ▼予想外の奇襲に、一ノ谷の陣営は混乱する。
           平氏の兵達は海へ敗走。
          午前11時
          ▽一ノ谷から煙が上がるのを見た範頼は、
           大手軍に総攻撃を命じる。
          ▼知盛軍は応戦するが、撤退となる。
           総大将・宗盛は、安徳天皇や建礼門院(徳子)等を
           乗せた舟を屋島へ向けて敗走。


須磨寺4


■ 熊谷次郎直実 ■

生年月日:永治元(1141)年2月15日(3月24日)
没年月日:承元2(1208)年10月25日(12月4日)
実  父:熊谷直貞
養  父:久下直光
出  身:武蔵大里郡熊谷郷(埼玉県熊谷市)

源頼朝の挙兵の時、平氏側につき、平知盛の部下であったが、後に源氏側につき平氏とは敵対する。
出家の動機については諸説言われておりますね……。

ちなみに……私も行き付けの、京都の御香老舗「鳩居堂」は、直実様の直系の御子孫の御家系なのだとか!
こちらに伝わる「六種の薫物」(むくさのたきもの)は平安朝より伝わる伝説の御香なのですよ〜。
源氏物語にも数種類出て参ります。


須磨寺5


何だか画像を無視して書き連ねてしまっておりますが、今回の写真は全て、須磨寺で撮影したもので御座います。
敦盛様と直実様、そして義経様、弁慶様に縁の御寺様として有名です。

須磨寺6


↑こちらが、敦盛様所有であったと伝えられる須磨寺蔵の「青葉の笛」と高麗笛で御座います。
青葉の笛、という呼称は割と後の時代の事なのですよね…。
平家物語では、笛の名は「小枝」(さえだ)となっております。
私も、小枝と呼ばせていただいております。
困った事に、チョコレート菓子の「小枝」を見ても「さえだ」と読んでしまうレベルにまで病気は進んでおります(恋の病)

須磨寺7


私は、敦盛様と同じ空気を知りたかった……。
同じ景色を見て、同じ音を感じて、同じ時代に生きていたかった。

貴方の愛した笛の音を、私にも奏でる事が出来たなら…。
そう思ったのが、花林さんに出逢う全てのきっかけでありました。

敦盛様の笛は、能管なのか龍笛なのか少々悩ましかったのですけれど(篳篥の名手と書かれている文献も有りますし…;)恐らくは龍笛であろうという資料を信じ、笛についても勉強し始めました。
雅楽器は高額商品が多く、竹製の龍笛は安い物でも十何万円です。
花梨製の笛を選んだのは、価格面…という事も勿論有りましたけれど、薦められたプラスティック管よりも、天然素材の笛と会話をしたかったから。
花梨製と一言に申しましても、生き物ですから、一本一本、持っている顔や色が違います。
最初に見せていただいた花梨の笛は、正直、私の抱いていたイメージとは違う感じが致しました。
何本か見せていただいて、最後に出された花林さんを一目見た瞬間、
「あ…これだ」と思いました。

現在、神社の雅楽会で御稽古をつけていただいておりますが、最初は全然
花林さんの気持ちが解らなくて、音も出ず、かな〜りしょんぼりしながら
通っておりました;
初めて音を出せた日、神社の境内から怪しくスキップで飛び出しながら、笑顔が隠せませんでした。
凄く凄く嬉しくて……その日の日記の始めの一行には『ねぇ聞いて下さい、敦盛様!』と書かれておりましたよ…まぁ、何て解りやすい私(笑)

須磨寺8


敦盛様について、史実とは大変言い難いですが、多くの伝説が残されております。
何気に多いのが、妻子有り、という内容でー……あとは落人伝説かな;;
一番有名なのが、妻とされる玉織姫でしょうか。
良く、古典芸能の演目にも登場しますよね。
北の方と言われる事も。
息子も娘も居たとか居ないとか………どれも説話なのですけれど。
うぅ……私は元来、恋愛に嫉妬という感情は無縁だと思っておりましたけれど、あぁあ…ちょっとジェラシィかもしれませ…ん(涙)
嫉妬というよりも、きっと憧れなのです。
私は、玉織姫になりたかった…←図々しいな!

京都の五条大橋横に「扇塚」が御座いまして、それについて語ると更に長くなるので今回は控えますが…。
簡単に言えば、敦盛様の北の方(幼名が玉織姫)が、敦盛様の没後、御寺に篭られ亡き夫の供養をしつつ作られたのが、京扇のはじめ…という事になっているようで御座います。
私は舞踊をやっておりましたので、京扇を新調する為に良く京都へ参りまして……その度に、玉織姫を思い出して複雑な心持になりました。
扇塚を初めて見た時というのが、扇を買った後、五条までふらふらと歩いていた時の事なのですが、当時の私は扇塚の存在を知らなくて…偶然(え、運命?←※病気です)だったのですが、何だか泣けてきてしまって、その場でしゃがみ込んでしまいました…(重症だと思われます;;)

須磨寺 首塚1


又しても、画像を無視した内容ですみません;

↑こちらが、須磨寺内に御座います、敦盛様の首塚で御座います…。

須磨寺 首塚2


こちらの首塚(五輪塔)は、敦盛様の菩堤を弔う為に建立されたものです。
須磨浦公園には「敦盛塚」として胴体が祀られております……いずれ、そちらの事も。

須磨寺 首塚3


須磨寺宝物殿には、敦盛様所有の武具や笛の他に、直実様手彫とされる敦盛様の像(上の方にある画像がそれです…)、弁慶の鐘、その他、敦盛様を扱った作品に縁するものを常時展示されております。

須磨寺 首塚4


↑敦盛様な絵馬…公達っぷりが素敵です。

須磨寺 首塚5


↓こちらは、敦盛様の首を洗ったとされる首洗い池で御座います。
亀さんとか、いらっしゃいます…。

須磨寺 首洗池


平家御一門の中でも、かなりの人気者でいらっしゃる敦盛様への愛を、こんな所で語っても良いものなのかと悩んでしまいますが(今更…)、本当に大好きなんです…よ。
でも、私が好きな敦盛様っていうのは、所詮は史実・説話に基づいて私が想像の中で(妄想?)作り上げた“平敦盛”という偶像に過ぎない……私にとっては、とても都合の良い存在でしか無いのだと思います。
だからこそ、どんな些細な情報も知りたいと思って史実や説話を追求してしまうのだと思います……何てストーカー紛いな自分…(恐怖)

直実様に討たれる際の「ただとくとく首をとれ」という、敦盛様の生を絶つ潔さに惹かれている事は事実です。
私は昔から何度も、刃物を持った誰かに追われる夢を見ているのですが、決まって最期はアッサリと諦めて立ち止まって相手を向き直るのです。
そこで目は醒めてしまうので、殺されたのか如何か定かではありませんが、敦盛最期の段を初めて読んだ時はデジャヴに近いような、不思議な感覚に陥りました。
私が、敦盛様に求めているものって、何なのでしょうねー…(遠い目)

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