
白虎隊士の方々の御霊が眠る飯盛山は、またの名を“弁天山”とも呼ばれます。
墓所まで続く石段沿いに立並ぶ御土産屋さんの間を脇に抜けると、有名な重要文化財のさざえ堂や宇賀神堂があり、更に下へと下って行きますと、朱い鳥居の立つ厳島神社へと行く事が出来ます。
弁天様を異名を持つ飯盛山の、元々の御顔は こちらだったのでは無いでしょうか。

厳島神社らしい、堂々とした両部鳥居が大変立派で御座いました。
猪苗代湖より続く清らかな水際に御社が建てられ、弁天様が信仰されてこられたという事に、不思議な程 安堵感を覚えます。
広島人にとって、矢張り“厳島神社”は特別な存在。
母は、
「えー、厳島神社だってー!?」
と、何やら驚きの混じった声を上げておりました。
「宮島から勧請されたんかもしれんねぇ〜」
と返してみたのですが、母には余り意味が通じていなかったようで御座います…(苦笑)

□ 厳島神社(いつくしまじんじゃ) □
所在地:福島県会津若松市一箕町八幡字辨天下
御創建:栄徳年間(1381〜1383年)
主祭神:市杵島姫命
旧 称:宗像神社
厳島神社は、永徳の頃(1381〜1383年)に、石塚、石部、堂家の御三家によって建てられたという宗像神社に起源する御社。
御祭神 市杵島姫命は弁天様と習合されておりましたので、弁天様としても信仰されていたので御座いましょう。
元禄13(1700)年、会津藩主 松平正容様によって所領や鳥居、仁王門が寄進されました。
また、この頃に青銅製の大仏様も建立されているようで御座います。
…この大佛様は、明治期の神仏分離に際して七日町の阿弥陀寺さんへと移されておりますが…第2次世界大戦の際に金属供出で持っていかれてしまい、残念ながら現存されておりません。
嚴島神社
當社は宗像三女神の一にして古くから人々の信仰が厚かった、市杵島姫命である。
会津の領主芦名直盛公の時代、石塚、石部、堂家の三家によって社殿が建てられたるものとして時は栄徳年間のことである。
別當は正宗寺である、降って元禄十三年には会津藩主松平正容公は御神像及び土地を寄進され、明治の初期に嚴島神社と改めたこの山を飯森山と呼ぶ、別名の辨天山は、この神社にあやかるものである。

厳島神社の傍には、とても奇麗な御水が流れております。
パッと見た時は御神池のように見えておりましたが、良く見ると こちらは水路になっているようで…水の流れに逆らうように視線を遣れば、直ぐ向かいの岩には人工的に掘られたと思われる洞穴があり、御水は そこから流れ出て来ておりました。
この洞穴は、戸ノ口堰洞穴と呼ばれるもの。
今から350年程前に、猪苗代湖より会津地方に御水を引く為に起工されたものだそうで御座います。
飯盛山にて哀しい御最期を遂げられた白虎隊士の方々は、この洞穴を通って飯盛山に辿り着いたと伝えられております。
水量は想像以上に多くて…遠目からでも、洞穴の中は とても真っ暗で御座いました。
透明な御水に深みを拝みつつ、どんな想いで ここへ抜けられた事だろうかと思いました。
150メートル続くという暗闇を水勢に負けぬようにと懸命に進み、ようやく見つけた光の先に待ち構えていたのは、弁天様だけでは無かったので御座いますね…。

戸ノ口堰洞穴に近い陸上には、戸ノ口堰水神社が御座いました。
厳島神社に比べると、ひっそりと…ただ静かに佇むように建てられている小さな御社で、余り詳しい事も分からなかったので御座いますが、恐らくは洞穴が完成した少し後に御祀りされた神社なのでは無いかなと思われます。
戸ノ口堰洞穴
今から約400年前元和年間猪苗代湖の水を会津地方に引くため郷士八田氏が起工し、元禄年間まで工事が続けられ後天保3年会津藩士佐藤豊助が藩命により飯盛山の山腹約150mを人工的に穴をあけ、水田2500ヘクタールの灌□に供し使役人夫5万5千人と3ヶ年の歳月を費して遂に完成した。
白虎隊士二番隊は戸の口原に布陣している味方軍応援のため派遣されたが戦に利あらず、お城の安否を確かめようと□城の途中隊士20名が通過した洞穴である。

弁天様の近くには、子育地蔵様の御堂が…もう少し下ったところには、飯盛山霊牛神堂が御祀りされておりました。
霊牛神堂前には、“飯盛山霊牛神堂由来”と記された石碑が建立されており、そこから飯盛山という名称となった御由来を読み取る事が出来ました。
飯盛山霊牛神堂由来
当山厳島神社御祭神は会津平を守護し給う弁財天におわします
風土記にいう
「永徳年間この社造作の始め 童女赤飯を牛に駄して来り役夫に振舞い食えども盡きず のち南へ行くこと数十歩にして見えず その地を牛ヶ墓といい、山を飯盛山とよぶ」
と さる昭和四十八年癸丑元旦先代山全正成神霊夢枕に現れ
「此の神を□い清めて弁天社の案内神を祀らん」
と書く
謹みて按ずるに霊牛神に他ならず
よって願いを立て御神体を奉して御神徳を仰ぐものなり
昭和五十六年十月



広島から出雲方面へ抜ける山陰道の途中、石見国の一之宮 物部神社に詣でさせていただきました。
石見といえば、石見銀山。
そういえば、最近 世界遺産に登録されましたね〜!という事で、折角だし立ち寄ってみたいですね〜と母に告げたところ、前にも行ったから別に行かなくても良いという返事が;
私も行っているらしいのですが、物心付く以前の事を覚えている筈も無く……。
銀山に興味があるのかと聞かれると、いえ 別に…と いう程度で御座いますし、母には
「石見銀山にも、何か源平に関係があるん?」
と聞かれてしまいましたが、石見銀山の発見は鎌倉末期といわれておりますので、源平合戦の頃には未だ その存在も重要視されていなかったのでは無いかなと思われます。
ただ、石見の温泉津町の地名が元暦元(1184)年に源範頼様の下文案に記されている“温泉郷”に由来されているという点は気になっております。
それから、石見銀山は妙見大菩薩様の御神託によって発見されたという伝説があり……その辺りも、個人的に興味が御座いますので…また、機会を見付けて調べに&遊びに行ってみたいかなと思います。

物部神社の第一印象は、思った以上に静かで落ち着いた神社であるという事と…それから、鳥居が大きい!という事で御座いました。
流石は石見の一之宮。
出雲国 一之宮である出雲大社と同じ位の大きさで御座いましたが、こちらの凄い点は 木製であるという事…!
近寄ってみるまで、金属に見えておりましたので驚きました〜。

□ 物部神社(もののべじんじゃ) □
所在地:島根県大田市川合町川合
御創建:継体天皇8(513)年
主祭神:宇摩志麻遅命
物部神社 御社殿の御創建は、継体天皇8(513)年の事。
元々は、神体山である八百山が信仰の対象御となっておりましたが、この年に天皇の勅命によって建立されたと伝えられます。
御祭神は、宇摩志麻遅命。
饒速日命の御子神様で、物部氏の祖神様といわれております。
宇摩志麻遅命は、神武天皇の大和平定に忠誠を尽くし、物部の兵を率いて、尾張、美濃、越国を平定されました。
その後、鶴に乗って 大和の天香具山に似た現在の御社殿背後の八百山に降臨され、ここに宮居を築かれたそうで御座います。
そして没後、この地に御祀りされるようになった…という事で。
物部神社の凄いところは、御祭神の御墓が境内に存在している事で御座います。
御本殿の裏、八百山の山中には 今も宇摩志麻遅命の御墓が伝えられており、御参りする事が出来るようになっております。
相殿には、右座に饒速日命、韴霊神、
左座に天御中主大神、天照大神、
客座に鎮魂八神こと高皇産霊神、神皇産霊神、魂留産霊神、生産霊神、足産霊神、大宮売神、事代主神、御食津神と別天神の天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、宇麻志阿斯訶備比古遅神、天之常立神が御祀りされております。
物部氏の祖神様を御祭神とする石見国 一之宮である事から、文武両道の神様、国土開拓の神様として崇敬を受け、歴代領主からも篤い信仰を寄せられました。
鎌倉末期以降、石見銀山の争奪戦等により3度の消失に遭い、宝暦3(1753)年に再建。
文政元(1818)年の修理を経て、安政3(1856)年に改修され、現在に至っているそうでございます。
春日造としては全国一の規模を誇り、島根県内では出雲大社に次ぐ大きさという事で、県の文化財にも指定されております。
御由緒
御祭神宇摩志麻遅命は、物部氏の御祖神として知られております。
御祭神の父神である饒速日命は十種神宝を奉じ、天磐舟に乗って大和国哮峯に天降り、御炊屋姫命を娶られ御祭神を生まれました。
御祭神は父神の遺業を継いで国土開拓に尽くされました。
神武天皇御東遷のとき、忠誠を尽くされましたので天皇より神剣韴霊剣を賜りました。
また、神武天皇御即位のとき、御祭神は五十串を樹て、韴霊剣・十種神宝を奉斎して天皇のために鎮魂宝寿を祈願されました。(鎮魂祭の起源)
その後、御祭神は天香具山命と共に物部の兵を率いて尾張・美濃・越国を平定され、天香具山命は新潟県の弥彦神社に鎮座されました。
御祭神はさらに播磨・丹波を経て石見国に入り、都留夫・忍原・於爾・曽保里の兇賊を平定し、厳瓮を据え、天神を奉斎され(一瓶社の起源)、安の国(安濃郡名の起源)とされました。
次いで、御祭神は鶴に乗り鶴降山に降りられ国見をして、八百山が大和の天香具山ににていることから、この八百山の麓に宮居を築かれました。(折居田の起源)

物部神社の手水石は、富金石もしくは含金石と呼ばれる、珍しい砂金を含んだ石で出来ているのだそうで御座います。
良く見ると勾玉の形がとられており、また こちらを流れる御神水は、御神井から湧き出る清水という事で、平安期の古文書に“石見国安濃郡川合郷に甘露降る”と記され、朝廷に献上された後に元号を改められた故事が伝えられております。
境内の御参道脇には、可愛らしい対の鶴さんもいらっしゃいました〜。
御祭神が鶴に乗って降臨された事に肖っておられるので御座いましょう。
物部神社の御神紋も“日負鶴”という、真っ赤な太陽を背負った鶴さんの御姿で、全国で唯一の御紋なのだそうで御座います。




八雲立つ 出雲八重垣 妻込めに
八重垣造る その八重垣を
高天原を追放された素盞鳴尊は八岐大蛇を退治し、救った櫛稲田姫様を妻に娶って須賀の地に宮殿を構えられました。
これは、その際に素盞嗚尊が詠まれたとされる御歌で、短歌の起こりともいわれております。
“幾重にも重なる雲の出でる出雲の国に、八重垣を築くかのように雲が立っております
妻と共に暮す新居に、私も八重垣を築きましょう…あのような八重垣を”
――島根県松江市、八重垣神社。
出雲大社の主祭神 大国主大神の御父様であられる素盞嗚尊、そして櫛稲田姫様の夫婦神を主祭神として御祀りされる この神社は、その名の通り御2人が“八重垣”を築いて御住まいになられたと伝えられる場所…“愛の巣”跡地に御祀りされた神社で御座います。
出雲大社よりも古い起源を持つ出雲国の縁結びの御社としては、余りにも有名で御座いますね。
個人的な御話で御座いますが、素盞嗚尊(=須佐之男命)と櫛稲田姫様(=奇稲田姫命)は、平素より大変御世話になっております神社の御祭神。
そして、以前私は 島根の“八重垣”に結び付く御方に、苦しみの中から救っていただいた事が御座います。
今となっては直接御伝えする事も出来ない、私が これまでにいただいた沢山の御縁と温かい御心の数々に感謝の気持ちを、いつか この八重垣神社に届けたいと、予てより望んでおりましたので、この度の旅行を利用して 松江にも足を運んで参りました。
念願であった御社への参拝、心より嬉しく思っております。

鳥居を潜り、随神門を抜けようとした時、ふと…随神様方に違和感を覚えました。
何だか、やけにカラフルで 直線的な獣に跨がっておられると思いましたら…あれ?…獣は張りぼて…のような。
厳粛な印象を抱いていただけに、ここで ふっと肩の力が抜けて、リラックスした気分で御参りする事が出来ました。

境内に入って直ぐの場所には、神社の案内図が御座いました。
何と無く、想像していた感じとは違うなぁと思いましたが、これは 思い入れが深い場所では いつも感じる事で御座いますので(笑)、余り気にせず進む事に致しました。

□ 八重垣神社(やえがきじんじゃ) □
所在地:島根県松江市佐草町
御創建:不明(※神代)
御祭神:素盞嗚尊、櫛稲田姫、大己貴命、青幡佐久佐日古命
旧 称:佐久佐神社、八重垣大明神
主祭神の他、素盞嗚尊の御子神様といわれる大己貴命(=大国主大神)と青幡佐久佐日古命を配祀されております。
社伝によれば、八岐大蛇退治に際して櫛稲田姫様を隠される為、素盞嗚尊が佐久佐女の森の大杉を中心に八重垣を囲って避難させた場所が、現在の御社殿奥に御座います森なのだそうで御座います。
大蛇退治後、須賀の地に居を構えられた御2人が 避難地として八重垣を築かれていた この地にも御宮を築かれ、御夫婦生活を始められた場所であるといわれております。
神代の時代に創建されたと伝えられる この御社は、長い歴史の中で朝廷、有力武家等、様々な方面からの崇敬を受け、現在も縁結びの御神徳が有名な神社として全国から多くの参詣社が募る神社として続いておられます。
八重垣神社由来記
早く出雲の八重垣様に縁の結びが願いたい
という歌は出雲において最も古い民謡で御祭神も八岐大蛇を退治し、高天原第一の英雄素盞嗚尊と国の乙女の花とうたわれた稲田姫の御夫婦がおまつりしてあります.
素盞嗚尊が八岐大蛇を退治になる際斐の川上から七里を離れた佐草女の森(奥の院)から安全な場所であるとしてえらび大杉を中心に八重垣を造って姫をお隠しなさいました
そして大蛇を退治して、
「八雲立つ出雲八重垣妻込めに八重垣造るその八重垣を」
という喜びの歌をうたい両親の許しを得て
「いざさらばいざさらば連れて帰らむ佐草の郷に」
という出雲神楽歌にもあるとおりこの佐草の地に宮造りして御夫婦の宮居とされ縁結びの道をひらき椋奪結婚かつ正式結婚の範を示し出雲の縁結びの大神として又家庭和合、子孫繁昌、安産災難除、和歌の祖神として古来朝廷国司、藩主の崇敬が厚く御神徳高い神国出雲の古社であり名社であります.
境内には夫婦椿、傑作な狛犬、神社回り日本最古の壁画 鏡の池、八重垣連山(百穴)等あります.

境内には、御本殿を守られるように幾つかの摂末社が並んでおりました 。
御本殿の向かって右側には、脚摩乳社、伊勢宮、荒神社が、
左側には手摩乳社、貴布弥社、山神社、社日社が 御祀りされておりました。
八重垣神社は小泉八雲氏も訪れられた史跡でも御座います。
小泉氏は、佐久佐女の森を“神秘の森”と称されたのだとか…。
小泉八雲ゆかりの地 ―― 八重垣神社
八岐大蛇退治ゆかりの神社。
縁結びで名高いこの神社の「鏡の池」は稲田姫が飲料水を得、また姿を写されたところと言われている。
明治24年、陽春の4月5日、小泉八雲は西田千太郎と共に行楽と取材を兼ねて松江郊外の神社めぐりを人力車に乗って行った。
とくに「鏡の池」には興味を示した。
著書 知られぬ日本の面影・八重垣神社 松江観光協会

八重垣神社には、寛平5(893)年に宇多天皇が出雲国庁を造営された際に描かれたと伝わる壁画が遺されており、国の重要文化財にも指定されております。
壁画は、元々 御本殿の壁画として描かれていたもの。
素盞嗚尊と櫛稲田姫様を中心に、天照大神、市杵嶋姫命、脚摩乳神、手摩乳神の6神の御像が描かれております。
この天照大神の御美しさと申しましたら…!
思わず、空を見上げて両手を伸ばしたくなってしまいます(笑)
壁画の解説
この壁画は神社界日本最古のもので、元、本殿銅版に描かれてあり、寛平五年八月国庁御造営の際の巨勢金岡の筆と伝えられ、雄大な筆力は類例のない壁画として我国絵画史上最も貴重なものとされています。
壁画の板は槍鉋で削り白土を用い植物等の色素で彩色し、素盞嗚尊・稲田姫命・天照大神・市杵嶋姫命・□摩乳・手摩乳の六神像が描かれ、昭和四十一年九月本殿から美術院国宝修理所長西村公朝他技官□数来社しこの収蔵庫に移され専門家拝観者の絶賛のものであります。
壁画と八重垣古墳群
寛平五年(平安時代)巨勢金岡の六神像があり、筆力雄渾我が国絵画史上類例のない国家重要文化財があり、専門家拝観者の絶賛の的である。
尚、神社前方(五分内)に八重垣古墳群があり世に百穴と称せられ出雲文化をしのばせる神の里があり、民族発祥の中心地でもある。
○木枯や神のみゆきの山の跡 (松平雪川公)
○青垣に参集たる諸人の 出雲文化の神の里
(縁結びの大神<素盞嗚尊 櫛稲田姫> 出雲八重垣神社御神徳略記 による)

貴布弥社傍の宮橋を渡り、奥の院 佐久佐女の森を目指します。
森の入口手前には、“古代結婚式発祥の地”と記された看板があり、その脇を進むと結婚式場があるようで御座いました。
縁結びの御神徳が伝えられる御祭神が、御夫婦生活を営まれた縁深い地で挙げる結婚式……さぞや特別な意義を感じられる事で御座いましょうね〜。

佐久佐女の森には、鏡の池と呼ばれる御池が御座います。
こちらは、櫛稲田姫様が 大蛇から隠れる為に この森に御籠りをされた時に、飲料水として使用され、また水鏡として身嗜みを整えられたといわれる神秘の泉。
櫛稲田姫様が御姿を写された御霊池として、縁結びの占いが行われる場所で御座います。
この占いの事は、良く観光情報誌等にも取り上げられておりますので、カップルや独身女性に大人気の占いスポットにもなっております。
私の前後にも、独身と思われる乙女方が真剣に櫛稲田姫様に御参りし、占いに取り組まれておられました。
鏡の池(縁結び占いの池)
この池は、稲田姫命が八岐大蛇の難を避けるため、森の大杉を中心に八重垣を造って御避難中、日々の飲料水とし、又御姿を写され美容調整された池で神秘的な池で鏡の池(姿見の池)といいます。
こんこんと湧き出る清水は昔ながらの面影をしのばせ、稲田姫命の御霊魂が底深く滲透しているところから縁結び占いの池として信仰されております。
占い用紙に百円か十円硬貨をのせ浮かべてお祈りします。
用紙が早く沈む(十五分以内)と良縁が早く
遅く沈む(三十分以上)と縁が遅いといわれ又近くで沈むと身近な人と、遠くで沈むと遠方の人と結ばれるといわれております。
御神徳の広大な出雲の縁結びの大祖神であります八重垣大神さまの御加護により、良縁を得られ、二人の晴れ姿を、この神秘の森、鏡の池に写され、末永く御繁栄されますよう念願いたします。
又池やその周辺は古代文化埋蔵地帯として国より指定されております。
お詫び
鏡の池は背後の山の水が湧き出ているもので、年中枯れることは有りません。
水量が多い時は透明に澄み、少ない時は緑の濃淡を表す清い池です。
残念ながら現在濁っておりますのは不心得者がかき回した為でございます。
一度構われると暫くは濁りが残ります。
やりたくない金網の設置も大規模に混ぜない為の哀しい予防なのです。
警察にもお願いしてあり、今は逃げても不心得者には今度も人生の重要な時々に厳しい神罰が何度も下るでしょうが、何よりも参拝頂いた皆様が鏡の池が濁った水のイメージで帰られる事が本当に残念でなりません。
神社も鏡の池を清浄に保つ為により一層の努力が必要であり、また、金網など無くして、本来の自然な清らかな池で占いをして頂ける世の中になるよう毎日祈念し続けて参ります。

折角、念願の八重垣神社に来られましたので、参拝記念に私も占ってみる事に致しました〜。
単純に占いに興味があっただけで、別に恋愛運を占いたいという気持ちは全く無かったので御座いますが(敢えていうならば、仕事の縁について知りたいという気持ちは御座いました)、一緒に居た私の母は 私が これを目的に八重垣神社を目指したのだと思ったようで御座います;
あはは…いつまでも独身で御免なさい…でも、多分 私は生涯独身ですのでー…。
私も母も独身で御座いますが、きっと母も もう結婚するつもりは無いのであろうと思われます。
母にも、良い機会だし占いだから〜と勧めてみましたが、笑って誤摩化しつつ傍観に徹しておりました(苦笑)
占いの方法は、御池に占い用紙を浮かべて その上に10円もしくは100円硬貨を乗せ、沈むまでの経緯を見て結果を知るというもの。
占い用の和紙は、授与所にていただきます。
10円玉を乗せた和紙を鏡の池に浮かべると、先ず白い文字が現れました。
これは、御神籤的で御座いますね〜。
私は“開運のきざしあり 東と南 吉”と出ました。
おお…兆しが……!?
そして、硬貨を乗せた和紙が いつ、どの辺りで沈むかというのが占いのポイント。
15分以内に沈むと早く良縁に恵まれるといわれ、30分が経過しても沈まない時は縁が遅くなるそうで御座います。
また、近くで沈めば近くの方と、遠くで沈めば遠方の方と縁があるのだそうで…。
30分も、沈まない用紙を見守るのは流石に切ないかなぁ〜と思っておりましたら、10分とたたぬ内に沈んで行きました。
沈んだ場所は、最初に浮かべた場所よりも ずっと自分に近いギリギリの辺り……え、そんなに身近に誰か居ましたっけ……;
意外な結果に、暫しポカンとしておりましたが、母が私の反応を探っている様子が伺えたので、妙な勘違いをされても面倒だと思って
「まぁ、占いですから…当たるも八卦、当たらぬも〜…ですよねぇ」
と意味の分からない事を言ってしまいました…変な娘で御座いました;;
ちなみに…この占い、オンラインでも楽しめるようで御座います〜。
↓矢張り、直接 鏡の池に浮かべる感触や感動と比べますと、少し気持ちは劣りますが、予行演習等にいかがで御座いましょうか(笑)
『八重垣神社 鏡の池占い』…http://www.san-in-tabi.net/uranai/uranai.html

八重垣神社には、椿の木を幾つも見る事が出来ました。
椿は、蓮と薔薇と並んで 私が大好きな御花。
御花が咲き誇る時期に、また来てみたいなぁと思います…が、冬期の山陽→山陰経路は積雪や道路の凍結等で かなり困難が予想されます…いっそ、関西から直接山陰を目指すべきで御座いましょうか(遠い目)
沢山ある椿さんの内、3本は連理――“夫婦椿”と呼ばれており、一身同体、愛の象徴として縁結びと繋がる神秘の椿さんとして大切にされております。
不思議な事に、枯れてしまっても 境内の何処かに新たな連理の椿さんが生まれるのだとか。
年によっては、二葉の葉が現れる事もあるそうで御座います。
連理玉椿
「出雲八重垣、祈願をこめて、末は連理の玉椿」
連理玉椿(夫婦椿ともいう)は昔稲田姫命が二本の椿の枝を御立てになられた。
それが芽を吹き出し一心同体、愛の象徴として神聖視されるようになり、木が枯れても境内には二股の椿が発生すると伝えられ、現在境内に三本の夫婦椿があります。
年により二葉の葉も現れることもあります。
東京資生堂の花椿会は此の玉椿の名木を神聖視し、発展されておりここにも美容調整の御神徳があります。

こちらは、狛犬さんも印象的で御座いました。
ビシッと決めておられるのに、何処か愛嬌のある感じが堪らなく愛おしく感じられます///



島根県出雲市の商業施設 シェルピア中ノ島の思ひ出横丁ぶらり。
同敷地内の割烹温泉ゆらりは、中国地方最大級の100%天然温泉掛け流し温泉施設で御座います。
出雲大社への参詣前夜、母と一緒に ゆらりの御湯に浸かりに訪れさせていただきました。
その際、御土産も ちょっと見て行きたいなと思いまして、ぶらりにも立ち寄らせていただいたので御座いますが、入って吃驚!建物内は昭和30年代の町並が再現されており、とても素敵なレトロ商店街になっておりました〜。

再現されている時代は少し違いますが、横浜や門司にあるレトロ街を思い出します。
心が平安中期〜末期な私に言わせれば、平成も昭和も明治大正も江戸時代も、歴史として考えるには ごくごく最近の事で、それ程古めかしいという印象は受けないのですけれど、流石に この身体は未だ そんなに長生きをしてはおりませんので(…)、いつもよりも若干アナログな雰囲気が新鮮だなぁとは思います(←素直さが足りない私…)

そんな 思ひ出横丁の どぶろく6丁目と7丁目の間に、何ともファンシィな神社が御祀りされておりました。
その名も、どぶろく神社!
神社好きの私は、ここを素通りする事は出来ませんな…という事で、早く夕飯を食べに行こうと言う母を待たせて、いそいそと参拝させていただく事に致しました。
元々、温泉に直行するつもりで出て参りましたので、カメラはホテルに置いて来てしまっておりまして;
こういう時、携帯電話があると大変便利で御座いますね♪

□ どぶろく神社(どぶろくじんじゃ) □
所在地:島根県出雲市平田町(シェルピア中ノ島 思ひ出横丁ぶらり内 どぶろく町)
御創建:平成16年
御祭神:湯引之尊
近寄ってみると、ターバンを巻かれ、カモ〜ンと手招きをされている謎の御婆様らしき御神像が……!?
何やら異国情緒漂う その御姿に疑問を感じてジーっと凝視してしまったのですけれど、なんと この御婆様が、この どぶろく神社の御祭神 湯引之尊なのだそうで御座います〜。
どぶろく神社祭神
「湯引之尊(ゆびきのみこと)」の云われ
当どぶろく神社にお祀りされております祭神は「湯引之尊(ゆびきのみこと)」と称され、森羅万象の根源である大地の源(みなもと)を司る神であります。
平成十五年の春、当地を切り開きつつありました、さる荒くれ者の夢まくらに老婆が立たれ、
「汝この地の丑寅(うしとら)の辺(あたり)に立ち、湯引け、湯引けと神謡を唱えたまえ。然らば、大地に神泉の御徴(みしるし)顕れ、そこを鍛入れせんとすれば、忽ちに豊穣(ほうじょう)の名湯が沸きたたん。」
とのお告げがありました。
当の荒くれ者は、そのお告げ通り現地に立ち、
「湯引け、湯引け」
と神謡を唱えたところ、大地より神光が浮き立ち、その箇所を定めて掘削を始め、平成十六年四月十日に、隣接する「割烹温泉 ゆらり」の源泉が沸き上がった次第であります。
爾来、この夢枕に立たれた老婆を「湯引之尊」として奉り、悪病退散を祈願する「一式飾り」をもってご神体とし、泉鵺の安寧を願い、人々の生活や酒の仕込みには欠かせない、純一な清水の確保と五穀豊穣を祈願するため、当施設内に「どぶろく神社」を建立して、大地の源の平穏を祈願いたしております。
近時、この湯引之尊を祈願された上で、福良雀の身体を撫でられ、ゆらりの名湯に浴されますと、健康な身体の維持が出来、心配事も自然に消え去ると人口に膾炙(かいしゃ)されております。
どうぞ、この機会に是非、湯引之尊に参詣され、健康な身体と心の安寧のお蔭を戴かれますようご案内を申し上げます。
尚、善男善女の募金箱へのご厚志は、当館より社会福祉施設や被災地の方々へ寄付をさせて戴いておりますことを申し添えます。
館主謹白

どぶろく神社の御前には、狛犬ならぬ狛福良雀さんが…!
ただ…私、ひと目見て これを鳩さんだと思い込み、
「うわ、可愛い〜!阿吽の鳩さんじゃ〜!」
とペタペタ触ってしまいました…;
あぁあぁぁぁ…以前から、初恋の藤原実方様関連で散々主張しておりますが、雀ちゃんは私が世界中の生物の中でいちばん可愛いと思っている存在で御座います。
その私が、縁起が良いとされる福良雀さん達を、鳩さんと間違えてしまうなんて……これは由々しき事態、許すまじき事で御座います…きっと修行が足りないので御座います(←何の)
「福良(ふくら)雀」の云われ
通常の神社に祀られる狛犬に代わり、神殿前に安座されている「雀」は、「福良(ふくら)雀」と申します。
門前にも掲示いたしておりますように、日本酒発祥の起源は、雀が稲穂を池に落としたことによる逸話に因み、古くから「福」を招く鳥とされ、常に人々の生活風景の一端を彩って来た「雀」を、大地の平穏を司る「湯引之尊」の「ご化身」として、昔から親しまれて来た「福良雀」とし、人々の生活を近くで見守って戴くことを願い、神前にお祀りさせて戴いております。
どうぞ、善男善女におかれましては、お困りの病やご家族のご心配事等の平穏をお祈りされ、福良雀の身体をお撫で下さいませ。
さすれば、「湯引之尊」のご化身たる「福良雀」が、ご祈願された病気の治癒や心配事の厄払いを施され、やがて皆様方に「福」をもたらされることと信じております。
善男善女の皆様には、この機会に「福良雀」に願いを託され、「福」のお蔭をご拝領なさいますようご案内申し上げます。
館主謹白
何だかんだ申しつつ、しっかり湯引之尊に御挨拶をし、福良雀さんを撫でて、ゆらりの温泉に浸かって帰った私…。
特に御願事等は御座いませんけれど、心配事が自然と消えるというのは有難い御神徳で御座いますね〜(笑)

神社の近くには、ひらた町の無形文化財である一式飾で鉄腕アトムの世界が形作られておりました。
一式飾を見たのは初めてだったのですが、身近にある材料を使って制作されており、手作り感溢れる斬新な文化だなぁと思いました。
小学生の頃は、夏休みに限らず工作に勤しんでおりましたので、こういう作品を見ていると ついつい創作意欲が沸いてしまいます。
ひらた無形民俗文化財
一式飾の由来
一式飾はその呼称が示すとおり
生活用品のうち自転車器具、陶器、茶器、仏具など一式を自由に使い分けて
歌舞伎、映画、テレビ上の人形、船、動物など奇抜な構想と技巧をこらして飾る
ひらた独特の郷土芸術であります。
一式飾はもともと神に奉り寛政五年に天満宮の御幸式に奉納したのに始まり
毎年七月二十日から三日間天満宮の夏祭りに町内競って一式飾を奉納し今日まで受けつがれています。
ひらた一式飾保存会

そして その真横には、唐突に鬼太郎さんのゲゲゲな世界が!
真っ先に目に入った記念撮影コーナーで御座いますが…鬼太郎さん、硝子棚に半分以上隠れてしまっておりますね…(苦笑)

私は鬼太郎さん好きなのですが…というか…今更な気も致しますが、私は日本のオカルトには全般的に食い付く性質で御座います///
鬼太郎さんの事がどれ位好きかと言いますと、1987年のオリジナル特撮ビデオ作品「妖怪奇伝 ゲゲゲの鬼太郎 - 魔笛 エロイムエッサイム - 」を所持しており、月に数回は おやつを食べながら鑑賞している程度…という感じで御座いましょうか(中途半端…)
最近は、ウェンツ君が鬼太郎さん役を演じられた作品が公開されておりますね。
それはそれで楽しませていただいておりますが、矢張り鬼太郎さんは身長130センチメートルで無くっちゃ…という事で、私の中で実写版は和田求由さん演じる鬼太郎さんがベストだなぁという印象を持っております。
悪魔くんとの夢の共演作品というところが、堪らなく美味しいので御座います(マニアックで申し訳御座いません;;)
えぇと…鬼太郎さんコーナーの壁には、鬼太郎さんと その仲間達の秘密が紹介されておりました。
水木しげる鬼太郎大百科のアレで御座いますね…過去にコミックボンボンに掲載された妖怪解体新書の解体図は、瞳がつぶらで カラフルな図面になっておりましたのが妙に恐怖心をそそりましたが、相変わらずの素敵設定で御座います。
……さぁ、何処からツッコもう?という気分になりますね☆(笑)
鬼太郎さんの左目は、いつも髪の毛で隠れて見えませんが、その奥には目玉の御父様のベッドがあったり。
御父様にはコンピューターが内蔵されていたり。
…あれ、妖怪って何だっけ?という気分になりますね☆(笑)

最近、CM等でも大人気の目玉の御父様。
「目玉だし、親父だし、喋るし、意味解らん!!」
と怒る知人も居りますが、えっと…目玉ですが、御父様には口が御座いますから、喋るのは当たり前かと――…。←と言ったら、更に意味が解らないと地団駄を踏んでおりました;
わ、私に言われてもー;;

ゲゲゲな皆様を見ていると、そういえば 鳥取にも暫く行っていないなぁーと思い出されます。
久々に、水木しげるロードを まったりと歩いて、砂丘で転んでみたいもので御座います(笑)
今回は、出雲に来たんだから 出雲っぽい御土産を買って帰ろう!と心に決めておりましたが、地元の友人と東京の職場の御土産には、ついつい『目玉親父のプリンのタマゴ』と『鬼太郎ずもう 串だんご』を選んでしまいました。
どちらも、とても美味しかったです〜(御土産に渡しておきながら、ちゃっかり自分も食べている私…)




今夏の帰省の際、母と一緒に島根県の出雲大社参拝に出掛けて参りました。
広島と島根は隣同士といえば隣同士なので御座いますが、山陽と山陰の境界は深く…(笑)
広島島根間は交通の便も余り発達しておりませんので、ゆっくりドライブも兼ねて1泊2日の小旅行を楽しんで参りました。

御久しぶりな出雲大社…最後に来たのは、確か中学2年生位の頃だったように思います。
久々過ぎて、すっかり記憶から色々と抜け落ちておりましたが、長い御参道を進んでいる内に何と無く境内の様子に懐かしさを感じる事も出来ました。
幼い頃には分からなかった大社の素晴らしさや魅力が、この歳になって ようやっと理解出来たのだなぁと実感させられる時間でも御座いましたね…(苦笑)
御参道脇にモニュメントや土俵、それから祓社がある事にも、初めて気が付いたように思います;
祓戸四柱神を御祀りする祓社は、出雲大社を参拝する前に身を祓い清める為の御社。
瀬津比□神、速開都比□神、気吹戸主神、速佐須良比□神の4柱の神々を御祭神とする摂社で御座います。

出雲大社といえば、向かって左から綯い始められる巨大な注連縄。
注連縄は、天の岩戸事件の後に天照大神が再び岩戸に入るのを防ぐ為に、太玉命が戸を塞いだ尻久米縄に由来しているといわれております。
一般的に、神社の注連縄は右から綯い始められておりますが、出雲大社をはじめとする島根の神社では、左始まりの注連縄を設置されるところが多いようで御座います。
御祈祷や奉納行事等が行われる拝殿の注連縄は、神楽殿に次ぐ大きさの注連縄で御座います。
また、出雲大社の拝殿では、“二礼、四拍手、一拝”の作法で参拝を行います。
□ 出雲大社(いずもおおやしろ) □
所在地:島根県出雲市大社町杵築東
御創祀:不明(※神代)
主祭神:素戔嗚尊?→大国主大神
旧 称:杵築大社
通 称:出雲大社(いずもたいしゃ)
神代からの歴史と浪漫、そして縁結びの御神徳で大人気の出雲大社。
普通は“いずもたいしゃ”と呼ばれておりますが、正式には“いずもおおやしろ”と称される大社で御座います。
現在、主祭神は大国主大神とされておりますが、寛文6(1666)年に毛利綱広様が寄進された銅鳥居には“素戔嗚尊者雲陽大社神也”と刻まれており、当時は出雲国経営の神である素戔嗚尊を主祭神として御祀りされておられた様子が伺えます。
出雲大社の御創建は神代の事と伝えられており詳細は不明で御座いますが、神話によりますと、大国主大神が国譲りを行われた際に代償として求められ造営された宮殿が出雲大社の起源とされております。
明治4年、出雲大社と改称。
延喜式神名帳には“出雲国出雲郡 杵築大社”と記されており、古くからの名称は杵築大社であった事が伝えられます。

今回の旅及び出雲大社参拝の目的は、60年に1度という出雲大社御本殿特別拝観に参加させていただく事で御座いました。
御盆の時期と重なっていた事もあり、テレビ等でも朝早くから かなりの行列となると言われておりましたので、1日目は準備の為に近くのホテルに宿泊し、翌日の早朝に出雲大社へ参拝して特別拝観の手続きをさせていただく事に致しました。
拝殿にて御挨拶を済ませ、銅鳥居前のテントにて整理券をいただきます。
○注意事項
・御本殿は最も神聖なところです。
服装は下記を厳守して下さい。
襟・袖付シャツ、長ズボン、スカート、和装、靴等
(但しTシャツ、ジーンズ、ジャージ、短パン、カーゴパンツ、短いスカート、スパッツ、作業着、サンダル、ミュール、裸足等は不可)
・御本殿の階段は高段差・急傾斜ですので、ご承知おき下さい。
・撮影は固くお断り致します。
・酒気を帯びての拝観はお断り致します。
・御社殿に傷をつけないで下さい。
・建物に手を触れないで下さい。
・境内は禁煙です。
・火気や危険物は持ち込めません。
・拝観料は頂いておりません。
・祭典や天候等により、止むを得ず拝観を中止する場合がありますので、予めご了承下さい。
※御本殿は信仰上特別な場所であり、国宝であります。
上記のような制限をしております事をご理解下さい。
↑広島を発つ前に出雲大社のホームページで注意事項を確認しておりましたので、母も私もスーツを着用して向かわせていただきました。
真夏の良い御天気の下、上下スーツで赴くのは正直とても大変で御座います。
何だか母と一緒に仕事に行くみたいで不思議な気分だなぁとは感じましたが、それはそれで面白い経験で御座いますね(笑)
神聖な場所へ立ち入る事を御許しをいただき、神様の御住まいに御招待をいただけるという形で参拝させていただく訳で御座いますので、正装で臨むのは当然の事。
神社側で とても厳しく取り締まっておられましたので、私の背後に座っていた男性方は酷く御不満の御様子で御座いましたが、感謝すべき立場にありながら その事を理解されていない態度ばかりとられているというのは勿体無い事だなぁと思わされました。
普通、神社の御本殿の内部まで拝観させていただける機会というのは何処の神社でもある事では御座いません。
神様も、御神徳も、姿形に見えないものを崇め奉ってきたのが、この国の信仰なので御座います。
それを、規律さえ守れば60年に1度の機会に無料で拝ませていただく事が出来るという……これは、とても大変な事で御座いますよね。
折角こんな素晴らしい御縁を結ばせていただく事が出来るのですから、矢張り どれだけ心が浮き立とうとも、落ち着いて真面目に拝見させていただこうと思い、順番の時間を待ちました。
この度の特別拝観は、平成25年に行われる御本殿の御遷宮に先駆けて行われた特別行事で御座いました。
今回の御遷宮では、国宝である御本殿の建物自体は建替えられませんが、屋根の葺き替えが行われます。
その間、御祭神 大国主大神を仮の御住まいとして御仮殿…現在の拝殿に御遷しされ、平成25年5月に再び元の御本殿に御還りいただく予定となっているそうで御座います。
【御本殿】
出雲大社は、数々の御試練を克服され、国土経営の大業を成し結ばれた「大国主大神」をお祀りするお社です。
大国主大神は国づくりされた国土を天照大神に奉還され、その御功績をお称えになられた天照大神が特に諸神に御造営を命じられたお住まいの宮殿が、最古様式の神社建築である御本殿です。
現在の国宝御本殿は、延亭元年(一七四四年)に御造営され、古今を通じて日本第一の宮殿の様相を失わず、古くから「天下無双の大廈」と称えられてきました。
御本殿の構造は、古代様式である「大社造」の典型で、屋根は切妻、殿内へは妻入り、妻側の梁間が正面となっています。
御本殿を形作る周囲八本のお柱はすべて円柱で、殿内の中心には心御柱(御神座)があります。
御神座は南向きではなく、西向きに御鎮座されています。
鏡天上には“八雲”が描かれています。
また高欄のついた縁は四周を廻り、正面の御扉前の縁先には、木階十五段と浜床がしつらえられています。
○高 さ 24メートル
○心御柱 長さ11.8メートル 径1.1メートル
○宇豆柱 長さ15.5メートル 径0.87メートル
○側 柱 長さ11.8メートル 径0.727メートル
○縁 前面3.64メートル 左右後幅2.73メートル
○千 木 長さ7.9メートル 幅0.76メートル 厚さ0.21メートル
○勝男木 長さ5.45メートル 周囲2.67メートル
○屋 根 厚さ0.91メートル 面積177坪
(「特別拝観のしおり」より)
特別拝観は、正面の階段を上って右回りに御本殿をぐるりとまわり、再び正面に戻ったところで神職さんに御本殿に関する説明を受けながら、縁側に座って内部を覗き見させていただいて、退場というもの。
ほんの僅かの時間では御座いましたが、とても貴重な経験をさせていただきました。
御本殿内部の向かって右奥に、西を向く方向で御神座が鎮座されている事に驚きました。
注連縄の向きといい、御鎮座の方向といい…出雲大社には、一般的な神社とは正反対な事が多いのだなぁと感じました。
天上に描かれた八雲の絵は、想像以上に色鮮やかでハッキリとしたもので御座いました。
江戸期から1度も手を加えられていないという事で、この八雲の絵についても様々な不思議が語られているという事で御座います。

境内、境外の摂社には、御祭神 大国主大神の后神、御子神等に縁の深い神々、そして それに次ぐ御祭神を御祀りする御末社が数多くございます。
御本殿の真後ろの辺りに鎮座される素鵞社の御祭神は、素盞嗚尊は天照大神の弟神様素である戔鳴尊。
出雲国肥河上で八岐大蛇を退治された物語が有名で御座いますね。
大国主大神の親神様として…旧主祭神として、御本殿の背後に御祀りされているので御座いましょうか。
御本殿を挟むように東西に御祀りされる十九社には、八百萬神が御祀りされております。
こちらは、旧暦10月の神在祭の期間に全国の神々が宿所として御座になられる御社。
普段は、全国各地それぞれの神々を遙拝する為の参拝所になっております。

御参道を歩いている時、御神池が見えましたので、待ち時間に行ってみました。
「夏だし、午前中だから、もしかすると蓮の花が咲いているかも…」
と母と話しながら近寄りましたら、丁度タイミング良く蕾が開いておりましたので、暫く こちらで蓮の華を鑑賞させていただきました〜。
私の母は、写真を撮るという趣味が全く無い人で御座いましたが、私が いつも三代くん(※私のデジタル一眼レフの愛称/3代目の一眼だから、三代くんと命名致しました…単純ですね;)を手放さない事に触発されたのか、職場勤務10周年の機会にNikonのコンパクトデジカメをいただいて来たようで御座います(笑)
余り数は撮らない母で御座いますが、写真を撮る時間や楽しさを親子で共有出来るというのは、とても幸せな事で御座いますね。

境内の西門を出、川を渡ると、神楽殿が御座います。
こちらに掛けられているのが、全国的に有名な 出雲大社で最も大きな注連縄。
その長さは13メートル、重さは5トン…め、目の前にしても、想像のつかぬ巨大さ、重さで御座いました;

神楽殿向かって左側にある鏡の池には、綺麗な黄色い睡蓮が沢山咲いておりました。
再び神楽殿の前を通り掛ると、何やら沢山の方々が 注連縄の下でピョンピョンと飛び跳ねておりました…。
何事かと思って見ていると、どうやら注連縄の隙間に御賽銭を投げ入れ、挟まって落ちて来ないと喜ばれている御様子。
5円玉や50円玉、100円玉、500円玉が多く投げられておりました。
10円は“とおえん”=“遠縁”になってしまうという事で、避けられているようで御座います。
鳥居に石を投げて乗っけるのと同様な俗信による行為であろうとは思われますが、沢山の人が居る中での これは、ちょっとした迷惑行為…危ない事で御座いますね。
私同様に、その様子を遠目に見ていた御年配の方が、
「神聖な神社で、あんな事して…罰が当たるんだから!」
と怒っていらっしゃったりも致しました。。
一概に、いけない行為だとは申しませんが…時と状況を考えて行動していただけたら良かったかな、とは思います。

御参道近くには、大黒様=大国主大神と因幡の白兎さんの像、幸魂、奇魂に向かう大国主大神像が御座いました。
大国主大神が兎さんと見詰め合っている御姿が、何とも素敵で可愛らしく感じました。
兎さんは無傷の御様子で御座いましたので、傷が癒えた後の 八神姫が選ぶのは貴方様で御座いましょうと語る場面辺りかなぁと思いました。
幸魂 奇魂
時に海を照して依り来る神あり
吾在るに由りての故に汝その國
造りの大業を建つるを得たり
吾は汝が幸魂奇魂なり
大國主神これ吾が幸魂奇魂なり
けりと知りぬ
古事記また日本書紀に述べるところであります。
出雲大社の御祭神大國主大神はこの幸魂奇魂の“おかげ”をいただいて神性を養われ「ムスビの大神」となられました。
生きとし生けるものすべてが幸福となる「縁」を結ぶ“えんむすびの神”と慕われるゆえんであります。
およそ人が人であるということは幸魂奇魂というムスビの“みたま”をわが身にいただいて霊止すなわち人として生かされているからであります。
大神からいただいたこの“いのち”を感謝して大切に正しくこれを生かしきりましょう。
出雲大社ではこの御神教にちなんで
さきみたま くしみたま
まもりたまひ さきはへたまへ
と唱して御神縁を祈念いたします。
この「ムスビの御神像」は大國主大神が有難く「幸魂奇魂」を拝載される由縁を象徴しております。

画像には御座いませんが、境内の西奥に御座います彰古館は、まるで昔の学校のような外観。
ここでは沢山の大黒様に出逢う事が出来ます。
大社に関する史料等も展示されており、大変興味深く拝観させていただきました。
母が言うには、私は小さい頃にも何度か入っているそうなのですが…うぅ〜…記憶が;;
1階出口周辺に展示されていた雅楽器には、ついつい夢中になってしまいました。
ケースの中の龍笛を見て、どんな音を奏でるのだろうかとワクワクして、とても龍笛が吹きたくなってしまいました(笑)
今回の帰省には龍笛を持って帰っていなかったので、少し寂しく感じられました///
未だ未だ下手な素人で御座いますが、未熟ながらも花林さんの存在が私の中で とても大切なものとなっている事を愛しく、嬉しく思います。







