
初詣に御勧めな関東の御社特集(?)第3弾は、以前より個人的に 気になって気になって気になって……仕方の無かった不思議な神…社…千葉神社について記したいと思います。
私と千葉神社――…特に、これといって目に見える縁がある訳では無いのですけれど、千葉へ行くと何故か 必ず私は この場所へ来てしまうのです……。
私は方向感覚には割と自信がある方なのですが、どういう訳だか 千葉近郊は何度訪れても道に迷ってしまいます;
地図を片手に歩いていて何で迷う必要があるのか…自分でも非常に謎なので御座いますが、迷いつつも仕方無く気の向く方向へ進んで行きますと、必ず この門前に出るので御座います………目指していた訳で無くとも。
それで、ここへ着いた途端に 目指していた場所の位置を理解出来てしまうのです…。
この外観を最初に見た時は、まさか ここが神社だなんて夢にも思わず…;
古代中国の庭園入口か御寺さんか何かなのだろうと思って、深く追及せずにおりました。
いつものように源平史跡巡りの一環として、千葉氏縁の千葉神社に頼朝様も参詣されている…との情報から、千葉神社とやらに行ってみようと思い立ちまして、千葉駅をスタート致しましたところ、矢張り例に漏れず迷ってしまいまして;;
またしても、この門前に着いて 地図を見直しましたらば、あれ…此処って、此処じゃない?という事で……初めて、こちらが 千葉神社である事を認識致しました。
うぅん……何の御導きなので御座いましょうね;

□ 千葉神社(ちばじんじゃ) □
所在地:千葉県千葉市中央区院内
御創祀:不詳(天暦6年/953年 以前)
御祭神:北辰妙見尊星王(=天之御中主大神)
旧 称:千葉妙見宮、北斗山金剛授寺(※真言宗/神仏集合時)
通 称:妙見本宮、千葉大妙見、妙見様
千葉神社の御祭神、北辰妙見尊星王=天之御中主大神は北辰(北斗七星)の神である妙見様。
妙見信仰は仏教じゃないの?と思わず口走ってしまいそうにはなりますが、古来より妙見様は 神仏集合時代、妙見菩薩として信仰されておりましたので、確かに仏教色の強い信仰なので御座います……。
御創祀年代は定かでは御座いませんが、妙見様を信仰されておられた平良文様によるものと伝わります。
同じ頃に妙見様と関わりのあったといわれる人物に、良文様の甥である平将門公の名を源平闘諍録に伺う事が出来ます。
第十二の末子良文村岡の五郎、将門が為には伯父為りといへども、養子と成り、其の芸威を伝ふ。
将門は八箇国を随へ、弥凶悪の心を構へ、神慮にも憚らず、帝威にも恐れず、壇に仏物を侵し、飽くまで王財を奪ひしが故に、妙見大菩薩、将門が家を出でて、良文が許へ渡りたまふ。
此れに因つて良文、鎌倉の村岡に居住す。
五箇国を領じて、子孫繁昌す。 (源平闘諍録による)
源平闘諍録は平家物語を元に創作された異本と考えられておりますが、坂東平氏、千葉氏に近い内容が見られる事から 鎌倉期以降に千葉氏縁の方によって編まれた作品ではないかと思われます。
鎌倉幕府の有力御家人として有名な千葉氏は 平良文様直系の御子孫といわれており、良文様が妙見様に戦勝祈願されていたという故事から、千葉家では代々氏の守護神として信仰されるようになり、長保2年9月13日(1000年10月13日)妙見菩薩様を御本尊とする寺院 北斗山金剛授寺(千葉妙見宮)が建立されたようで御座います。
その後、覚算大僧正によって伽藍が整えられ、それ以後 千葉氏一族より 一層篤く信仰されるようになりました。
千葉氏宗家では代々、元服式はこちらで行われる事がしきたりとなっていたようで御座います。
平安末期〜鎌倉初期の頃には、源頼朝様が千葉常胤様の案内でこちらを御参詣され、自筆の願文や武具等を奉納された事が伝えられております。
えぇと…妙見信仰と良文様、千葉氏との関連、逸話 等については、また機会を改めまして色々と記していけたら、とは思っておりますー…が、妙見信仰は神仏習合だけで無く、諸宗密教とも複雑に絡んでおりますので、私自身 未だ勉強中で御座いまして…が、頑張ります。。
天正19(1591)年には、徳川家康様が御参詣され、篤い加護を与えられました。
そして 明治2年、神仏分離令に際して 神社として存続される事となられ、寺名から“千葉神社”に改められ、御祭神を天之御中主大神という称に定めて現在に至っております。
妙見菩薩と天之御中主大神は、かつてより 久しく同一の存在として考えられておりましたので、現在でも“千葉の妙見様”として多くの方に信仰されておられます。
御由緒
千葉神社の主祭神・天之御中主大神さまは昔から妙見尊星王として広く崇敬されております。
千葉氏の祖・平良文が、この妙見尊に祈願して、戦うごとに御加護をいただき、常に大勝利を得ておりましたので、千葉家では代々守護神として熱烈な信仰をささげてまいりました。
このような関係から、現在地には千葉家三代忠常により先に御分霊が祀られ(年代は不詳)、その後、忠常の次男、覚算大僧正により立派な伽藍整備がなされ、一条天皇の眼病平癒の勅願所としての功とも相まって長保二年(一、〇〇〇)旧暦九月十三日、『北斗山金剛授寺』なる寺号を賜り中興開山されました。
さらに、千葉家七代常重により大治元年(一、一二六)には、この信仰の頂点に立つ御本霊を千葉城より御遷し申し上げることにより合祀され、以後、厄除開運・八方除・身上安全の妙見様の本宮として、全国の善男善女の深い尊崇を集めてまいりました。
源頼朝も当社に参詣し、自筆の願文、太刀、武具などを奉納して、ついに武運を開くに至りました。
また、日蓮上人が宗門弘通の誓願をたてて当社に参籠した時に、ありがたい奇瑞をいただきましたので「この妙見尊こそはわが宗門の守護神である」と賛嘆され、誓願成就の後に、細事法華経を自筆して奉納されました。
徳川家康も当社に深く崇敬の誠をささげ、大久保石見守に命じて祭祀の料田として、永代二百石を寄進され、十万石の大名と同等の格式を賜わりました。
その後の代々の将軍家より神領、特権を許され、御霊徳はいよいよ高くかがやき、其の御名は千葉の妙見様として四方八方にあまねく知られてまいりました。
特に八月の妙見大祭(8/16〜8/22)は勇壮な神輿振りや二段打ち大太鼓の特殊神事が有名で、盆歌にも「千葉の妙見さんの孔雀の鳥が、稲穂くわえて羽根ばたき」と広く各地で歌い継がれてまいりました。
殊に八月二十二日夜の“宮入り”は、まことに壮観そのもので、朱塗りの大神輿が無数の提燈の光に照らし出されて、万余の人波の上に浮びもまれる光景は、立錐の余地なきほどの拝観者の胸奥に一大感動を沸きおこさずにはおりません。
また、この大祭は「一言妙見・厄除開運大祭」としても広く知られ、妙見様が特に御神威を発揮される此の期間中に御加護をいただこうとして昇殿祈願を希望される人々が年々ふえております。

こちらは、亀岩さんで御座います。
北斗は玄武、北の守護として考えられておりますし、妙見様は亀に乗っておられるという伝承も御座いますね。
そういえば…京都の玄武神社に辿り着いた時も、不思議な迷い方をしていたなぁ……と思います。
そういえば…北方や玄武と名のつく場所とは何かしらの縁があるのか、割と良く出会しているので御座いますが、東方、南方は皆無といってしまって良い程に偶然辿り着く事は御座いませんねー。
北と西って、陰陽的には“陰”を示す方角で御座いますが……;

御本殿向かって左側には、摂社である千葉天神社が御座います。
天神様で御座いますので、御祭神は 菅原道真公。
天神様がこちらに勧請創祀されたのは、寿永元年9月25日(1182年10月24日)の事と伝わります。
源平合戦の真最中の頃で御座いますね…個人的には、この3日後の記録として吾妻鏡に記されている 妙見大菩薩への源氏呪殺祈祷の噂が気になるところで御座います。
こちらは千葉神社の境内社でありながらも、県内最大の天神様なのだそうで、天神様と妙見様の御神力を同時に授かる事が出来るという信仰から、現在でも幅広い世代から尊信されているようで御座います。
特に 受験シーズンは、凄いようですね〜。

境内の池には朱塗橋が架けられており、水際には弁天様が御祀りされておりました。
弁天様も、七福の神様の中ではダントツで巡り合わせの多い神様で御座いますので、何だか嬉しかったです。

その他にも沢山の境内社が御座いました。
香取神社、姥神社、星神社、石神社、稲荷神社、金刀比羅宮、八幡神社、日枝神社、三峯神社、神明社、御嶽神社、西之宮…ズラリと並ぶ御社は、圧巻で御座います。

妙見尊星王を御祀りする千葉神社では、一般的な神社で行われている厄祓とは また違った御祓である“八方除”の御祈祷が有名で御座います。
一般的な厄年の御祓も勿論行われておりますが、星祭厄年の厄祓は方角的な意味が含まれておりますので、何処の神社でも受けられるというものでも無いのが特徴と申しましょうか…勿論、こちらの他にも八方除の御祈祷をしておられる神社も各地に御座います。

冒頭にも記しました通り、私的に千葉のこの辺りは不思議な土地で御座います…。
小さい頃より、千葉に対して妙な憧れ…と申しますか、何か以前から知っているような懐古感を抱いてはおりました…が、私の親類縁者に千葉県の方は1人も居りませんし、私自身 千葉には何の接点も御座いません。
不思議に思って千葉神社の境内に入ってみても、これといって何かが起こるという事も無く…どちらかといえば、何か違和感を覚えるような…(嫌な意味では無いのです、すみません;;)
意味の判らない感覚では御座いますが、生きているとこういう事もあるのだなぁー…と消化不良な解釈をしております(苦笑)

