日本史(主に平安〜鎌倉初期)について。 あくまでも、独り言で御座います。

木漏日のおつる合間に苔蒸すは、光滴る ゆやの御社。
天寧寺前の熊野社01

新選組局長 近藤勇さんの御墓と 副長 土方歳三さんの供養塔のある、会津若松市の天寧寺さん。
その御参道である石段から細い道路を挟んだ向かい側に御座いましたのが、こちらの御社――熊野神社で御座いました。

“熊野神社”という御名の神社には、御挨拶もせず通り過ぎる事の出来ない私。
天寧寺さんを訪ねている間、石段下で待たせていた母に、
こちらの神社にも、ちょっとだけ御挨拶をして来ます…!
 あと3分だけ、待ってて下さいー

と告げて、意気揚々と鳥居を潜って石段を上りました。

天寧寺前の熊野社02

□ 熊野神社(くまのじんじゃ)

所在地:福島県会津若松市東山町石山
御創祀:不詳
御祭神:不詳


現地で詳しい事を調べる為の時間も無く、御由緒や御祭神について等 殆ど何も分からなかったので御座いますけれど、この辺りの産土神様なのかもしれませんね。
または…天寧寺さんと至近距離である事から、もしかすると 明治期の神仏分離以前までは、天寧寺さんの鎮守社として御祀りされていた神社だったのでは無いかなぁとも考えられるような気が致します。

何も分からない場合は分からないで、境内や御社の雰囲気に集中出来るのが良いですね。
住宅街から少しだけ上った こちらは、とても静かで穏やかな空気の流れる神聖な場所で御座いました。
石段の苔蒸した感じとか、木々のざわめき、小鳥のさえずり…短い参拝時間の中で、色々なものを感じさせていただきました。

天寧寺前の熊野社03

境内には、未だ紫陽花の御花が咲いておりました。
そういえば、この4日前に訪れた日光の地でも、紫陽花が見掛けられましたね〜。
数年前の初秋、平泉の高館を最初に訪れた時にも紫陽花が咲いておりました。
今年も梅雨の頃に、紫陽花の季節が終わちゃう〜;;と焦りながら、鎌倉の長谷寺さんを訪ねたり、偶然?那智山の満開な紫陽花を楽しんだり致しましたが、そういえば3月に免許取得の為に山形滞在していた時にも、関東以西よりも開花時期が随分とズレた御花を見る事が出来ましたっけ…。
よし、今度から うっかり鑑賞したい御花を見逃してしまったら、少し遅れて東北へ行けば良いんだ!……等と、考え始めたりする私は 実に単純な思考の持主で御座います;
良く考えれば、全然そういう問題では御座いませんでした…(反省)

天寧寺前の熊野社04

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お日市後の、熊野社で。
熊野神社01

会津若松で宿泊したホテルの近くに、熊野神社が御祀りされてありました。
民家や商店の並びに静かに佇まれる、とても小さな神社では御座いましたが、何と無く 雰囲気が好きだなぁと思いつつ、御挨拶をさせていただきました。

熊野神社02

□ 熊野神社(くまのじんじゃ)

所在地:福島県会津若松市大町
御創祀:不詳
御祭神:伊奘冉尊、伊奘冉尊


会津の伝統的文化の1つに、“お日市”と呼ばれる祭礼が御座います。
お日市とは、古いものは約400年の歴史があるという、各町内で行われてきた産土神、神社、仏閣の夏の御祭の事。
祭礼日に“その限りの”を開いた事から、祭礼、縁日の事を お日市と呼ぶようになったそうで御座います。
昭和30年代頃までは盛大に執り行われていたという お日市で御座いますが、時代と経済の発展と共に荒廃気味になっていったといいます。
然し、会津の大切な文化遺産である お日市を各町内で復活させようという動きが近年になって盛んになって来られたのだとか…!
地域の方々によって受け継がれた お日市は全部で45、現在 毎年7月1日から9月8日にかけて各地で開かれるそうで御座います。
会津若松市役所さん発行の、若松市内のお日市の場所と日程を纏めた“会津若松 お日市まっぷ”を駅の観光案内所でいただいていたのですが、その中には この熊野神社の お日市の事も記されておりました。

熊野神社の お日市は、7月24日。
以前は7月18日に行われていたようで御座いますが、現在は延命地蔵尊と合わせて執り行われるようになって、その俗称を“大町夏祭り”と呼ばれているそうで御座います。
御社前の通りが歩行者天国となり、露店が出店される中、子供神輿や子供祭囃子で賑わうようで御座います。
御利益は町内安全、家内安全、身体堅固との事で…大町の、産土神様なので御座いましょう。

時間の都合により、殆ど何も調べられなかったのが心残りで御座います…;
今回利用させていただいたホテルが とても快適で御座いましたので、次に若松を訪れる際にも是非利用させていただきたいなと思っており…その折には、また こちらにも御参りしたいと思っております。
その時には御祭神や御由緒等、もう少し詳しく調べて参りたいとも思います。

熊野神社03

町中の通りに面した場所に御祀りされていらっしゃる神社で御座いましたが、境内には吃驚する程 大きな蜘蛛の巣が掛かっていたり、御参道脇は少々荒れた草叢になっていたり…という感じで御座いました。
最近は神社の存続も大変な問題と耳に致しますし、土地故の事情も御有りでしょうから、私のような余所者が口を挟むべき事では無いのですけれど、余所者からしれみれば こんなに良い場所であるからこそ、少し勿体無いかなぁー…という気持ちも否めませんでした;

熊野神社04

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あすかの聖域。
わかやま…やまがた……わかやま…やまがた…やかわま………わまが…た…?
相変わらず、山形滞在中の私で御座いますが、一昨々日より熊野な内容で更新している内に、自分が今居る場所を言い間違えるようになりました
どれだけ頭が弱い子なのだろうかと自分で自分に幻滅しながらも、もう直ぐ自動車学校を卒業出来てしまうようなので、もうちょっと長居したいなぁー…と寂しく思っている今日この頃で御座います〜///

折角、山形に居るのだから こちらで訪れた神社や史跡等について記せたら…と思うのですけれど、自動車学校のカリキュラムは意外に中々ハードで御座いまして……撮影してきた画像を全然処理し切れておりませんー;
と申しましたら、友人に史跡巡りをしている余裕があるのかい?とさり気無く突っ込まれてしまいましたが……何を仰る御嬢さん、私は路上教習中にも付近の史跡探しを怠ってはおりませんのよッ(←実際、知らなかった史跡を教習中に幾つか発見しちゃいました/笑)

えっと……そんな訳で、本日も熊野新宮市の王子社について記しておきたいと思います。
そういえば、来月の今頃は先月のリベンジで熊野へ参る予定で御座います〜。
免許取得後1年間はレンタカーを借りられないという御話を聞いていたのですが、調べてみますと最近は借りられるレンタカー屋さんも多いのですね。
わぁ〜熊野を車で走ってみたいなぁ!と思うのですが……流石に取得直後ですし、いきなりひとりで長距離走行に挑戦するのは恐ろしいなぁと。。
でも乗らないと乗れなくなってしまいそうですし;
い、いえ!事故を起こしてからでは遅いですし、矢張り 熊野へ行く前に、1度 広島へ帰って 母の車で練習させてもらうべきで御座いますね…!

阿須賀王子01


こちらは、和歌山県新宮市に御座います 阿須賀神社
新宮でも特に起源を遡る御社といわれており、熊野速玉大社神倉神社と並ぶ古社として数えられ、熊野最古の神社という説も御座います。

御社殿の背に聳える御山は蓬莱山。
標高48mメートル、南北110m、東西90mで、北側が熊野川に面している円錐形の御山…というよりも丘のような感じで御座います。

阿須賀神社の周辺――特に境内は、びっくりする程 清浄な神域で御座いました。
これは私の勝手な想像で御座いますが、阿須賀の御社は、元々 蓬莱山に対する自然信仰の祭祀場として設けられた御拝所であったのでは無いかなぁと思います。
古代、この周辺が未だ海であった頃、蓬莱山は斎なる神様の御島として仰がれていたのでは無いかと…何と無くでは御座いますが、思わされる感じが致しました。

阿須賀王子02


↑御参道脇には“神武天皇熊野神邑顕彰碑”が建てられておりました。
これは大正時代の建立のようで御座います。

   阿須賀王子

 『長寛勘文』に引く「熊野権現御垂跡縁起」に、「阿須加の社」とみえる古い社ですが、王子社としては、『中右記』天仁二年(一一〇九)十月二十七日条に初見し、この日藤原宗忠が奉弊しています。
修明門院の参詣に随行した藤原頼資の日記の承元四年(一二一〇)五月四日条によると、奉弊ののち、神職の祢宜が衣冠姿で祝詞を述べ、官人が禄を支給し、次いで祢宜が御正体(鏡に仏体を刻んだ懸仏)を懸け、経供養が行われ、神楽が奉納されています。
足利義満の側室・北野殿の参詣に、先達をつとめた僧実意の日記の応永三十四年(一四二七)十月一日条では「あすかの社」と記されています。
江戸時代には、「飛鳥社」と書かれ、鳥居・門・拝殿等を備えた神社で、速玉大社の摂社でした。
明治時代には、速玉大社から独立して阿須賀神社となり、現在に至っています。



阿須賀王子03


□ 阿須賀神社(あすかじんじゃ)

所在地:和歌山県新宮市阿須賀
御創祀:孝昭天皇53年3月(紀元前423年4月)
御祭神:家都御子大神、事解男之命 、熊野夫須美大神、熊野速玉大神
旧 称:阿須賀王子、阿須賀社、飛鳥社、熊野三所権現


社伝によりますと、阿須賀神社の御創祀は 紀元前…!
神武天皇による御創建以前より自然信仰の対象であったと思われる那智山は別と致しましても、本宮や新宮よりも遥かに起源の古い御社という事になりますね。

熊野最古の御社といわれる伝承として“あすか”の地は、神倉山に降りられた熊野大神が、次に遷られた場所であるといわれております。

阿須賀の御社が王子として文献に見られるのは、中右記 天仁2年10月27日(1109年11月21日)の条が最初のようで御座います。

寅刻出宿所、参阿須賀王子奉幣、廿町許行出海浜、西行廿町許地有翠松列、南見白浪、畳遙見雲水茫々、是日域之南極也、望南面全無別島、 (中右記による)

江戸時代には、速玉大社の境外摂社となっており、
明治期に至ると速玉大社の摂社から外れ、社名も“阿須賀神社”と改称されたようで御座います。

昭和20年、太平洋戦争の際、空襲によって御社殿が焼失。
現在の鮮やかな御社殿は、戦後の再建だそうで御座います。

   熊野新宮 阿須賀神社

熊野三所権現と称され第五代孝昭天皇五十三年三月の創祀、始め切部玉那木の渕に降りられ飛鳥の森に鎮座又十代崇神天皇の御代家都御子大神には岩渕貴禰谷より音無ノ里に遷らせらる。
当社は三山に準じ歴朝名族の崇敬殊に深く近郷末社少なからず東京飛鳥山は元享二年豊島景村が当神社を勧請す。
南面海河口にあって、浅州処を守護、航海、延命生産、発達の御霊力を蔵さると云はれ書記に記す熊野神邑は当初の古名にて神威発祥神迹を垂れ給ふ。
近年当境内より多数の考古学的遺蹟、遺物が出土され、熊野最古の原始信仰形態を実証し権現発祥源として確認された。



阿須賀王子04


阿須賀神社の境内摂社には、阿須賀稲荷神社が御祀りされております。
以前、熊野の奥宮ともいわれている奈良県十津川村の玉置神社について記した際、"三柱神社”に御祀りされている御稲荷様=三狐神=みけつかみ=御饌津神という事で少し語っておりますが、玉置山権現縁起には、三狐神は天狐、地狐、人狐であり、熊野新宮の飛鳥を本拠とする事、そして御本地は極秘の口伝だとされておりました。
その三狐神の本拠が この地であるとしますと、この阿須賀稲荷神社も かつては三狐神として御祀りされておられたのでは無いかなぁと考えられるように思います。

また、阿須賀には古代中国――秦の時代の方士様 徐福の宮様が上陸なさったという伝説が語り継がれており、境内には石碑や説明書、それから“徐福宮”という境内社も御座います。

阿須賀王子05


境内には、歴史民俗資料館も御座います…が、タイミングが悪く 未だ中に入れた事が御座いません;;

蓬莱山からは、弥生時代から中世頃までの様々な遺物が出土しているそうで御座います。
平安期以降の遺物からは、当時の仏教的思想や神仏集合文化が伺える遺物等も多くあるそうで御座いますので、興味津々で御座います。
こ、今度こそは…!という事で、遺跡に関する事は またいずれ、直接訪れた後に改めて更新したいと思っております〜。

阿須賀王子06


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その艶やかな石肌に、浄土への兆しを感じて。
那智の黒石


↑これは大分以前に、携帯で適当に撮影していた画像なので非常に見辛いので御座いますが(申し訳御座いません;)、熊野那智大社の御参道脇の御店にて購入した那智の黒石で出来た招き猫さんで御座います。
私の妹は かなりの招き猫マニアで御座いますので(彼女のテリトリー=実家の応接間は凄いです…何百体もの招き猫がひしめき合っております。マニアックな姉妹ですよね;/笑)、御土産に…と思って選んで参りました。

“御土産”とは、一体いつ頃からある文化なので御座いましょうか。
良く良く考えますと些か不思議なもののように思われる気も致しますが、住み慣れた土地を離れて 初めて訪れた土地の物を記念に持ち帰るという習慣は、命懸けで旅をしなければならなかった当時からしてみると、余計な荷物にもなりかねないので御座いますが、それでも持ち帰る…という事に、自分自身への戒めや祈念の心、それから故郷の身内に知らぬ土地のものを見せたい、という想い等が込められていたのかもしれません。

一般的に、御店で売っている“おみやげ”の発祥は、御伊勢様であるといわれております。
伊勢御参宮の折、御宮様の下では 様々な参拝記念の品等が売られていたので御座いましょう。
現在は“御土産”と書きますが、そもそもは“御宮下”と記されていたようで御座います。
私の地元 広島県広島市安芸区矢野町の姫宮神社について記した際、私の生まれ育ったさこ(※矢野町内でしか通じない単語で御座いますが、集落、部落の同義語だと思われます)の名も“宮下”と書いて“みやげ”と読みますと記しましたが、意味合い的に何か関連が…!?と妙に勘繰ってしまいます(笑)

話は戻りまして…。
この那智黒石ですが、とても歴史深〜い那智の特産品なので御座います。
古くから、熊野参詣の折に海岸沿いに大量に落ちていた黒石を拾って記念に持ち帰られていたり、山肌に見付けた黒石を掘り出して持ち帰られたりされていたようで…。
誰かが拾っているのを見れば、相乗効果で皆が拾うようになり、そこに後白河法皇の熊野参詣が熊野詣の一大ブームへ火を付けたので、平安末期頃には 熊野へ詣でたら記念に黒石を…という習慣が出来上がっていたのかもしれません。
那智黒石を、はじめて史料に伺えるのが紀伊続風土紀の記述。
殆どが口伝による伝承では御座いますが、参詣者の口コミによって広まった那智の黒い石は、いつしか“那智黒石”という名で呼ばれるようになったようで御座います。

パッと見、とても固そうな黒石なので御座いますが、御店の店頭には 招き猫の他にも色々な縁起物を象った置物が置かれており、更には 硯や灰皿 等といった実用的なものまで並べられておりました。
中でも、那智黒石で製作した碁石は高級品なのだとか…!
うわぁー…因島に持って行って本因坊秀策様の墓前に御供えしたい……(過去に江戸時代に手を出していた事がバレバレで御座いますが、地元の英雄で御座いますので)

ちなみに…熊野の御土産の定番といえば、先ず思い付くのが“那智黒”という黒飴で御座いますが、実はこれは那智黒石で作られる碁石を象った事に由来しているそうで御座います〜。
私は飴が少し苦手なのですが、那智黒だけは良く舐めさせていただいております。
喉に良いのですよ♪

各地を旅する際には、御土産を選ぶのも楽しみの1つで御座いますよね。

* * * * * * * *

御土産とは別で御座いますけれど、歴史ある社寺にて そこに縁のある方や物に肖った御守等をいただくのも、私の密かな楽しみで御座います。
しばしば社寺の記事と共に載せてもおりますが、折角の機会で御座いますので、今まで載せていなかったものの一部をここで御紹介してみたいと思います〜。
何かの御参考にしていただければ幸いで御座います。

上賀茂神社の栞


↑こちらは、京の上賀茂神社の授与品の栞で御座います。
小倉百人一首 98番の“従二位家隆”様こと藤原家隆様の御歌が記されております。

家隆様は、藤原光隆様の御子息で、当時 藤原定家様と並び称されていた歌人で御座いました。
寂蓮法師の養子となって、藤原俊成様に歌を学ばれております。

   風そよぐ ならの小川の 夕暮れは
     みそぎぞ夏の しるしなりける


この“ならの小川”とは、上賀茂神社の中を流れる御手洗川の事で御座います。
御本殿東に“奈良社”という摂社が御座いますので、“奈良の小川”と呼ぶようで御座います。
また、“なら”には“奈良”と 楢の木の“楢”の意が掛けられております。

“風そよぐ、奈良の小川の夕暮れは、禊の神事のみが夏である事を証明しておりますね”

同じように、もう1種類 女性歌人の和歌が記された栞も御座いました。

いろいろと、


その他にも、こんな感じで…色々と素敵な授与品をいただいて来ております。

右下の修禅寺の“生命の護り笛”は、いつも持ち歩いている匂い袋の中に偲ばせておりますが…何というか、見れば見る程にナイスネーミング…いえ、切なくなってしまいますね(涙)
私なんかよりも、源頼家様に持たせて差し上げたかった…!と、どうしようも無い事を考えてしまうので御座いますー;;

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一期一会の精神に、誠心を。
年明け旅行中の私…今頃は、熊野三山への御参りを済ませて 一息ついている頃かなぁと思われます(末来系/笑)

私は 色々な神社仏閣を巡る際、各社寺の御朱印をいただくようにしております。
最近はスタンプラリー感覚で御朱印を集められていらっしゃる方も多いようで御座いますが、本来 御朱印とは神仏習合の時代に寺社へ納経をされた際の御印としていただけるものであったといわれております。
それが時代の流れと共に簡略化し、いつの頃からか 写経を納めずとも納経帳を持参すれば御朱印と御本尊の御名を記していただけるようになっていったようで御座います。
神仏分離後は、神社も御寺さんも、それぞれの伝統に従って御朱印を護られてこられたようで、今では大抵の場合 社務所、寺務所へ御伺いして「御朱印を御願い致します」と御朱印帳を持参すれば、御朱印をいただく事が出来るようになりましたが、現在でも“納経をされない方に対しては御朱印を差上げる事は出来ません”という方針を続けられる厳格な御寺さんも御座います。

また、浄土真宗の寺院では御朱印はいただけないのが一般的で御座います。
以前、地元で浄土真宗の御寺さんを訪れた際に、
「御朱印帳持ってるんでしょ、書いてもらったら?」
と御寺の方がいらっしゃる前で 一緒に居た母が言った時には、何を言い出すのかとかなり恥ずかしい思いを致しました…あわわ、知らぬとは怖い事で御座います;
私は極めて神道寄りな考えを抱いておりますが、実家の宗教は浄土真宗で御座いまして、私が小さい頃に通っていた幼稚園も浄土真宗の御寺さんの幼稚園で御座いました。
母も浄土真宗安芸門徒の家に生まれているのだからそれ位知っていて欲しかったですー…と心の中で呟いたものの、御朱印の存在すら私が見せるまで知らなかったようで御座いますので、実際そういうものなのかもしれませんね。
浄土真宗では、宗祖 親鸞様が その師 法然様との出逢いを通して、生涯の教えを開かれていかれたと伝えられます。
人と人、人と聖地の出逢いも、一期一会であると同時に、そこから何を得、どう生きるかという事が大切で御座います。
沢山の社寺を巡って遊戯感覚、趣味感覚で御朱印を集めて回る事に、それらの意義を見出す事は出来ないという御考えから、浄土真宗の御寺さんでは御朱印を行われていないので御座いましょう。

私も、様々な社寺を参拝させていただく中で、同じ御朱印を受けられていらっしゃる方々に対して大いに疑問を持たされてしまう事がしばしば御座います。
古来より“印”というのはとても大切にされて参りましたが、神社でも、御寺さんでも、それは同じ事。
押し分けていただける御朱印というのは、とても大切なものなので御座います。
御朱印は、神璽=神様の印 と表される事も御座いますので御印に神様を宿すという意味も御座います。
その為、御札等と一緒に神棚、仏壇に御祀りされる場合も多いですね。
“たかが判子”と捉えた感覚で、それを集めて回る事は 社寺に対してだけで無く、そこに御祀りされている神様、仏様に対しても失礼な行為なのでは無いかと……思うのです。
私も含め、御朱印を集めていらっしゃる方には、いただいた御印を決して粗末に扱われる事の無いよう 礼節を守って参詣して参りたいですね。

そんな私の御朱印帳で御座いますが、どの御朱印帳も 必ず熊野三山(熊野本宮大社熊野速玉大社熊野那智大社)から始まるようにしております。
そうすれば、自分が何度熊野を詣でているか御朱印帳の冊数を数えれば一目瞭然で御座いますので、後白河法皇の参詣回数を越える!という目下の目標の達成にも より力が入るという感じで御座いまして……法皇様に対抗しよう等と恐れ多くも大胆な目標を掲げる不埒者で申し訳御座いません(苦笑)

御朱印帳は、文房具店等で求める事も出来ますし、それぞれの社寺の授与所にていただく事も出来ます(置かれていない社寺も御座いますが)
御朱印帳には凝った装丁のものも多く、オリジナルの御朱印帳を作られていらっしゃる社寺も少なく御座いません。
私も、1冊目は鳩居堂さんの和紙装丁の可愛らしい御朱印帳で御座いましたが、2冊目以降は、色々な神社にていただくようになりました。
中でも御気に入りの3冊、丁度 現在私が滞在中で御座います、熊野三山の御朱印帳の表紙等を御紹介してみたいと思います〜♪

本宮 御朱印帖


こちらが、本宮の御朱印帳。
御社殿上に描かれた八咫烏さんの御紋が、何とも愛らしいので御座います〜!

開いた最初の頁には、本宮大社の御由緒等が記されております。
裏表紙には、本宮大社の御朱印が刺繍されており、更にはビニールカバーまで付いておりまして、大変有難い装丁となっております。

新宮 御朱印帖


こちらは、新宮 速玉大社の御朱印帳。
かけられているビニールカバーは、本宮のものとは少し違って まるでブックカバーのように開きやすい作りになっております。
両面共に、素晴らしい装丁で、キラキラして見えます〜。
中には、御由緒書が最初の頁のカバー下に挟み込まれており、こちらも大変有難い事で御座います。

ちなみに、新宮では神倉神社の御朱印もいただく事が出来ます。

那智山 御朱印帖


そして、こちらが那智大社の御朱印帳。
本宮、新宮の御朱印帳と比べると、若干大きめなサイズで御座います。

御社殿の奥に聳える那智の黷が、何とも神秘的で素晴らしく美しい表紙になっております。
現在の御社殿とは配置が違いますが、昔はこのような感じであったのかもしれませんね。
裏面には一対の八咫烏さん。

開くと、矢張り 最初の頁には御由緒が記されており、なんと“吸取紙”が…!
各所で御朱印をいただく度に、反対側に生乾きの墨や朱肉が付かないように半紙等を挟んでいただいておりましたが、最初から このように準備があれば社寺の方の御手間を省く事が出来ますよね。
これは、とても勉強になりました。
この御朱印帳は既に一杯になって神棚に預けてありますが、現在使っている御朱印帳でも この時の吸取紙は引き続いて使用させていただいております。

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