日本史(主に平安〜鎌倉初期)について。 あくまでも、独り言で御座います。

日本の歴史に、御香の歴史あり。
そらだきもの、こゝろにくゝ薫りいで、名香の香など匂ひみちたるに、
 君の御追風いと殊なれば、うちの人々もこゝろづかひすべかめり
” (源氏物語「若紫」による)



御香04


こちらは、私がいちばん最初に買った“鳩居堂”さんの“六種の薫物”の御線香詰合で御座います。
“六種の薫物”とかいて、“むくさのたきもの”と読みます。
その名の通り6種類の御香を指したもので、うち4種類は源氏物語にも登場している 平安時代から伝わる伝説の御香なので御座います。

□ 六種の薫物(むくさのたきもの)

 ・黒方(くろぼう)…四季を通じ、及び 祝事の際に用いる / 作者:藤原冬嗣
 ・梅花(ばいか)……春 / 作者:藤原冬嗣
 ・荷葉(かよう)……夏 / 作者:源公忠
 ・菊花(きっか)……秋 / 作者:不明
 ・侍従(じじゅう)…冬 / 作者:藤原冬嗣
 ・落葉(おちば)……冬 / 作者:不明


私がいちばん好きな香りは、贅沢にも“黒方”で御座いました。
どの御香も素敵に馨しさで御座いすけれど、矢張り どれよりも厳かかつ静寂が似合う御香で御座いましたので…。

それから、いちばん戸惑ったのが菊花の香り。
菊花は秋香…菊の花をイメージさせる香りと、それから これが御線香であった事も相乗効果であったので御座いましょう…。
私が、菊花の香りから連想させられたのは 過去に亡くしている友人達の笑顔と…死顔で御座いました。
静かに煙る空気の中、ただ菊の香が漂っていて――…涙が止まらなくなってしまったのを今でも覚えております。
それ以来、私は菊花を焚く事は控えておりますが……決して、悪い香りという事では無いので御座います。
菊花を御好みの御方には、大変失礼な意見で御座いますね…申し訳御座いません。
“菊”は日本の象徴で御座いますので、どちらかといえば かなり御目出度い香りなのだと思います;


この御香は、京都市中京区に御座います 老舗“鳩居堂”さんにて販売されているもので御座います。
どうして、私がこの御香をはじめに選んだかと申しますと…先ずは 平安期から伝わる香りを気軽に試せるように御線香にしてセット売りされておられた事が1つと…、
それから、鳩居堂さんは、平敦盛様を討たれた熊谷次郎直実様の御末裔 直心様が、寛文3(1663)年に薬種商を創業された事に始まる御店であるという事で御座いましたので、妙に気になってしまいまして…(笑)

“鳩居堂”という屋号も、直実様が源頼朝様より与えられたという家紋“向鳩”に因んだものなのだそうで御座います。

鳩居堂さんは和風文具が大変豊富で、東京にも銀座に御店が御座いますね。
いつ訪れても、外人の御客さん率が高いですが、素敵な商品が沢山並んでおりますので、私もしばしば利用させていただいております。

* * * * * * * *

さて…順序が逆にはなってしまいましたけれど、ここで簡単に御香の歴史についても触れておきたいと思います。
日本の文化を語る上で、御香とは とても大切な存在であると私は思っております。
現代人の生活に御香は必要不可欠…という事は無くなってしまいましたけれど、それでも皆無という訳では御座いませんよね。
墓前や仏壇に御線香を立てる事や、仏式の御葬儀に参列した際には御焼香をあげますし、トイレや玄関等に置かれる芳香剤も、置香と同義のものと考えて良いと思います。

日本の御香は、古来 中国より伝えられたものであるといわれております。
年代は、恐らく仏教伝来と同時期では無いでしょうか。
はじめは仏事に使用される祭具として用いられていたようで御座います。

御香が初めて文献に登場するのは、日本書紀の記述。
推古3年4月(595年5月)に、淡路島に“沈香”の香木が漂着した事が記されております。
島の人は 沈香を知らなかった為、薪に交ぜて寵で焼きましたところ、その煙からとても良い香りが薫ってきたという事で御座います。
これが、現在も正倉院の御宝物として伝えられている“蘭奢待”で御座います。

奈良時代末期の天平勝宝6(754)年頃、鑑真様の渡来の際、沈香、安息香等の香料が伝えられ、それらと蜜と薬を調合する事によって“薫物”と呼ばれる練香が作られるようになりました。
この時も未だ、御香は仏教の祭具として使用されていたようで御座います。

それが貴族を中心に日常に用いるようになったのが、平安時代の頃。
“空薫物”と呼ばれ、部屋全体や衣服、髪、紙 等に薫りを薫き染める事で、その人物のセンスを伺ったり、存在を示したり…それから、御風呂に入るという習慣の無かった当時と致しましては、体臭隠しの意味も含まれていた事で御座いましょう。
貴族の男女は、成人すると御簾越しでしか対面が適わない為、薫りで相手を判断するという事も重要であったので御座います。

先に御紹介致しました“六種の薫物”は、この頃に重用された御香で、全て練りの御香で御座いました。
貴族の公達や姫君は薫物の調合に様々な工夫を凝らし、それぞれ独創性に富んだ 御香を作られていたようでも御座います。
平安貴族の遊びとして挙げられる“貝合”や“歌合”等と並んで、“薫物合”も また、貴族の嗜みの1つで御座いました。

それから、現在も人気の“匂い袋”が用いられるようになったのも、この頃の事。
懐や袂に忍ばせて薫りを持ち歩いたり、大切な方への贈物にしたり…この点は、現代と同じで御座いますよね。

平安末期、鎌倉初期になりますと、“体身香”という服用香も登場するようになりました。
この頃には、早くも源氏物語の研究が行われておりますので、もしかした〜ら、源氏物語 宇治十帖の君に憧れて作られ…た?……等と、ついつい余計な事を考えてしまいます;
美味しくは…無いと思うので御座いますが……効果の程は如何であったので御座いましょう(苦笑)

鎌倉時代には、沈香一木を燻らすのみという至ってシンプルな焚き方をされるようになり、それが“組香”へと発展していきます。
武家社会の中では、雅さを追及する事よりも 伝来当時の仏教的思想を彷彿させられるような意味合いも重視されたのかもしれません。
戦の前には、沈香の薫りを聞いて精神を統一させ、甲冑にも香を薫き染めて出陣に臨んだという事もあったようで御座います。

戦国時代、安土桃山時代に至ると、最早 御香は貴族だけの文化では無くなり、一部の上級武士を中心に大きく発展していく事となります。
茶の湯や能楽等、現在“日本文化”として嗜まれている習慣の殆どが、この時代に形成され、時代の流れと共に変化、発展されております。
御香もその内の1つ。
茶道、華道 程に有名では無いかもしれませんが、“香道”として現在も諸宗派によって受け継がれている由緒正しい文化で御座います。

私の匂袋。


にほんブログ村 歴史ブログへ

ただし、むすぶ、悠久の森の欠片。
糺の森1


“下鴨神社”こと、賀茂御祖神社の境内には、3万6千坪の広さを誇る“糺の森”と呼ばれる森が御座います。
元々は、約150万坪もある原生林だったそうで御座います。

緑に映える鳥居のなんと美しい事で御座いましょう…!
蚕ノ社と並んで京では最古の部類とされるこちらは、下鴨神社の御社殿と共に世界文化遺産に登録されております。

糺の森2


昨日の記事に、糺の森の呼称の由来は 蚕ノ社の“元”から遷されたものであると記しましたが、この他の由来として 下鴨神社 御祭神である賀茂建角身命が、この森で人々の訴えを受け、諸悪を糺したという伝承も伝えられているそうで御座います。

さてさて。
下鴨神社、糺の森は古の時代から幾度と無く、物語や詩歌管弦の題材にとりあげられてきた名所で御座います。
私が先ず連想するのは、源氏物語で御座います〜。
下鴨神社には今宮神社とはまた違った源氏物語の御神籤が御座います〜♪
男性は束帯、女性は女房装束(十二単)をイメージした恋神籤で、御香が焚き染められているのですー。

源氏物語第十二帖“須磨”の段。
右大臣家の勢力が増していく中、光源氏朧月夜との件で既に官位を剥奪されており、流罪を下されて東宮の御立場を悪くしてしまう前に…と、自ら都を落ちて須磨に下る決意を致しました。
下向が近付き、源氏君は左大臣家に居る正妻 葵上と、息子である夕霧、それから紫上を訪ね、別れを告げます。
そして出発前夜、亡き父 桐壺院の御陵へ参る為、北山へ出向きました。
その途中、源氏君は入道宮(藤壺)にも御挨拶に伺っております。
月の出るのを待って三条宮を出発し、御陵へと向かいました。
親しい数人の侍と、供を5〜6人連れただけの一行の寂しさに家従達は悲しんだといいます。
その中の1人、右近衛将曹は 昔の斎院の御禊の日に大将の仮の随身になって従って出た蔵人を兼ねた経歴の持主で御座います。
然し、今年 上る筈だった位階も進められず、蔵人所への出仕を止められ、官を剥奪されてしまった為に、この度の須磨下向に動向する事となった者で御座いました。
その将曹が、下加茂社を遠目に見渡せる場所まで来た時、昔を懐かしんで源氏の馬の口を取って

ひきつれて 葵かざせし そのかみを
     思へばつらし 賀茂のみづがき


と詠いました。

皆を引き連れ、葵の花を翳して加茂の御祭に参加した……
   あの日を思い返すと辛いのです


それを聞いて、未だ若い彼の心中を思うと源氏君も苦しいと思われるので御座いました。
そして、源氏の君も馬を下り、

うき世をば 今ぞ離るる 留まらむ
     名をば糺すの 神にまかせて


と詠まれました。

辛いこの世と、今離れます…
   後に留まる私の名は、糺の神様に御任せ致して


こんな状況に陥っても、このように文学的かつ優美な和歌を詠まれる源氏君に、将曹は感激したという事で御座います。

この頃、源氏君は26〜27歳で御座いました。

***

また、糺の森は枕草子にも登場致しておりますね。

枕草子第一七七段“宮にはじめてまゐりたるころ”として、中宮定子清少納言へ詠んだ和歌に、

いかにして いかに知らまし いつはりを
     空にただすの神 なかりせば


というのが御座います。

どうすれば、あなたの偽りを知った事でしょう、
   もし天に糺の神が居られないのだとしたら……


糺の森3


南楼門の手前にある相生社には、神秘的で微笑ましいと有名な御神木、連理の賢木さんがいらっしゃいます。
この画像では良く判らないですね……申し訳御座いません;;

連理の賢木さんは、2本の木が寄り添い支え合うように交わり、1本の木となっている事から、縁結び祈願をされる方が多いようで御座います。

   京の七不思議

  連理の賢木 縁結びのご神木


このご神木は、右側のお社「相生社」、縁結びの御神威によって二本の木が一本に結ばれたものと言い伝えられている。
このことは、縁結び、安産子育て、家内安全のご神徳の現れであり、謡曲などに相生とうたわれ、京の七不思議として古くから有名である。
又、このご神木は四代目であり、代を次いで境内糺の森の神域に生まれるのが不思議である。



また、連理の賢木さんは、“京の七不思議”の1つにも数えられている不思議スポットでもあるようで御座います(笑)
2本の木が1本になったのは、縁結びの神様の御神威によるものであると伝えられ、この木が枯れた時は、糺の森内の何処かにまた新しい連理の賢木さんが誕生するのだといわれております。
現在の御神木は、4代目なのだそうで……先代以前の賢木さんは、どの辺りに生えていらしたのだろうかと思うとワクワク致します。

こちらの参拝には手順が御座いまして、直ぐ近くに案内が建っております。
私は、他の方が祈願していらっしゃるのを傍らで見ていた事しか無いので、正確に覚えていないのですが…;

糺の森4


↑糺の森には、君が代にも出て参ります さざれ石も御座います。
割と神社では良く見掛けるような気が致しますね〜。

糺の森5


にほんブログ村 歴史ブログへ

おぼつかな 誰に問はまし いかにして はじめもはても 知らぬわが身ぞ
ただいまです、東京〜(笑)
本日に日付が変わった頃に、西から大都会へと戻って参りました。
最終の東京行き電車に乗って、ダラダラと鈍行で帰ってきたのですが、何だか短いようで長い旅路だったように思えます。
矢張り西の人間には、西の地と気が必要なのね…と、しみじ〜み感じました。スッキリ!

旅行中も何気に更新しておりましたが、実は全部タイマーで事前に仕掛けておいたものでしたので、今回の熊野で得た情報や感じた事柄等は、また後日、更新していきたいと思います。

今日は御昼から仕事だったので大分休めたのですが、未だ荷物の整理とか、ルームメイトちゃんへの挨拶(深夜帰宅だったので未だ会えていないのです;)とか御座いますので、今日は久々?に堪能した私の自室でも公開してみようと思います。

宇治>源氏物語1


ちょっと散らかっておりますが、几帳やら衣架やら…。

宇治>源氏物語2


畳の繧繝縁(うんげいべり)がアクセントなのです。
繧繝縁とは、花、菱形に織られた布地の事です。

宇治>源氏物語3


えーっと、外観です……。
都内のアパートにしては洒落ておりますよね〜(目逸…;)

宇治>源氏物語4


ごめんなさい、最初からバレバレだと思いますが、私の私室というのは真赤な嘘で御座います(今更?)
いや、末来の私の部屋と申しましょうか…!(!?)
どんな部屋に住むつもりだよって、たま〜に突っ込んで下さる方もいらっしゃいますが、ぶっちゃけ、こういう部屋が理想です。
至って本気なのですが、誰も信じてくれません……くそー見てろよー(笑)

↑の素敵な御部屋は、京都は宇治に御座います「源氏物語ミュージアム」の展示で御座いました。
源氏物語」の中で、私が特に好きなのが、宇治十帖です。
世代交代した主人公、光源氏の息子の薫君と孫の匂宮を中心に繰り広げられる御話部分ですが、私の好みは断然、薫君で御座いますNE!(誰も聞いて無いよ)
生来、体からかぐわしい香りが漂っているという不思議な体質……そういうのをフェロモンっていうのかしら?と思いつつも、薫君の性格とか言動にいちいちときめいてしまいます。
匂う兵部卿る中将という事で、匂宮の君様なのですね〜素敵。
光源氏の子では無いのでは、という素性の疑惑や抱える悩みを誰にも言えず、出家も考える程に真面目な御方…護ってあげたくなってしまいますよね(笑)

※タイトルは、そんな薫君の和歌で御座います。
  訳すまでも無い位、そのまんまの意味ですが、
  「一体、誰に問えば良いというのでしょう…、
   出生も終焉もわからない我が身、おぼつかないことだなぁ…」

にほんブログ村 歴史ブログへ

行き暮れて 木の下蔭を宿とせば 花や今宵の主ならまし
先年の大晦日、宮島へ向かう折に須磨へと立ち寄りました。
目的は、えっと…敦盛様に年末の御挨拶をと思いまし…て……(笑)

JR須磨駅から須磨寺に向かう途中に御座います「現光寺」さん。
ドドン!と目立つ“源氏香”の文字が印象的で御座いますね〜。
私は御香好きなので、源氏香にはビビビと反応してしまいます。
着物や帯、茶道具や和小物の柄でも、源氏香柄は特に好きですね〜。

――という事で、
源氏物語縁のこの御寺さんについて少し記録しておこうと思います。

げんこーじ1


   おはすべき所は行平中納言の
      藻潮たれつつわびける家居近き
   わたりなりけり海面やや入りて
      あわれにすごげなる山なかなり


げんこーじ2


□ 現光寺(げんこうじ)

所 在 地:兵庫県神戸市須磨区
宗  派:浄土真宗西本願寺派
御 本 尊:阿弥陀如来
創 建 年:1514(永正11)年
開  基:浄教上人
通  称:源氏寺

「源氏寺」とも呼ばれるこの御寺は、源氏物語須磨の巻」で、数人の従者と京より須磨に退去した光源氏が侘住まいしたと古くから言われている由緒ある御寺です。
元々は「光寺」とという名称だったようですが、源平合戦の際に改名したと伝えられます。
安徳天皇と共に留まった平家の陣が近かった為でしょうか。

阪神大震災で倒壊してしまった為、現在の綺麗な御堂や境内は、最近再建されたものだそうです。


げんこーじ3


境内には松尾芭蕉殿の句碑も御座います。

  見渡せば眺むれば見れば 須磨の秋

三段切の名句ですね。

* * * * * * * *

光源氏も素敵ですが、
私が源氏物語で一番好きなのは、宇治十帖の方だったり致します。
宇治は、平等院やら源平合戦の史跡やら源氏物語浪漫やら…と大変魅力的な土地ですよね〜。
今度、その辺りの史跡巡りの記録等も記したいと思います。

※タイトルは、薩摩守忠度(平忠度)様が、一の谷で討ち取られた時、箙に結び付けれていた和歌です。
須磨繋がりという事で……。
忠度様に関しても音川での出生から語りたい事だらけです(愛)

にほんブログ村 歴史ブログへ
Copyright © ■花林 〜小枝の音色に誘はれて〜. all rights reserved.
ホームページ アフィリエイト レンタルサーバー FC2ブログ 専門学校