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<title>■花林　～小枝の音色に誘はれて～</title>
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<description>日本史(主に平安～鎌倉初期)＆源平史跡、伝承地巡りの記録。 あくまでも自分の為の記録で御座います。</description>
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<title>安芸の源氏の御曹司。</title>
<description> 前記事は、福蔵寺さんに伝わる源範頼様墓所について記しました。今回も広島に伝わる別の源範頼様墓所について記したいと思います。今度こそ早めの更新を！と意気込んでおりましたが、色々と家庭の事情が御座いまして、結局またしても１ヶ月以上放置してしまっておりました……どうぞ、私の事は嘘つきどうゝねとでも御呼び下さいませ…いえ、矢張りこのような小心者の事など見て見ぬ振りで御願い申し上げます(涙)本当に、申し訳御座い
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<![CDATA[ 前記事は、<a href="http://doune.blog82.fc2.com/blog-entry-857.html" target="_blank">福蔵寺さんに伝わる源範頼様墓所</a>について記しました。<br />今回も広島に伝わる別の<a href="http://doune.blog82.fc2.com/blog-entry-297.html" target="_blank">源範頼</a>様墓所について記したいと思います。<br /><br />今度こそ早めの更新を！と意気込んでおりましたが、色々と家庭の事情が御座いまして、結局またしても１ヶ月以上放置してしまっておりました……どうぞ、私の事は<span style="font-size:large;">嘘つきどうゝね</span>とでも御呼び下さいませ…いえ、矢張りこのような小心者の事など見て見ぬ振りで御願い申し上げます(涙)<br />本当に、申し訳御座いませんm(_ _)m<br /><br /><a href="http://blog-imgs-53.fc2.com/d/o/u/doune/20120501noriyorisama01.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-53.fc2.com/d/o/u/doune/20120501noriyorisama01.jpg" alt="五日市＞範頼様五輪塔01" border="0" width="500" height="198" /></a><br /><br />広島市佐伯区の養護老人ホーム <strong>喜生園</strong>さん。<br />範頼様墓所といわれる五輪塔は、こちらの敷地内に御座います。<br />無関係者である私が無断侵入するのは失礼と思いましたので、先ずは建物内の事務所に御声を掛けさせていただき、許可をいただいておまいりさせていただきました。<br /><br />喜生園さんが建っているこの一帯の御山は“岡山”といいますが、その別名は“<strong>御曹子</strong>山”とも呼ばれているそうで御座います。<br />御曹司とは即ち、<strong>源義朝</strong>様の御子息様であられる範頼様の意。<br />平家御一門との結び付きが強い厳島から然程遠くもないこの土地でも、源氏所縁の伝承が地名として残っているので御座いますね。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-53.fc2.com/d/o/u/doune/20120501noriyorisama02.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-53.fc2.com/d/o/u/doune/20120501noriyorisama02.jpg" alt="五日市＞範頼様五輪塔02" border="0" width="400" height="266" /></a><br /><br />正門を背に白い建物(老人ホーム)を左手に見ながら、植木が綺麗に整えられた駐車場を挟んだ右手奥の木々の茂る小高い場所を目指します。<br />五輪塔が何処に在るか知っていた訳では無いので御座いますが、何となく彼処かなぁと思いまして……；<br /><br /><a href="http://blog-imgs-53.fc2.com/d/o/u/doune/20120501noriyorisama03.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-53.fc2.com/d/o/u/doune/20120501noriyorisama03.jpg" alt="五日市＞範頼様五輪塔03" border="0" width="500" height="237" /></a><br /><br />細い坂道を少し登った辺りに、“<strong>源範頼の五輪塔</strong>”と記された道標が立っており、その直ぐ近くの右側に柵に囲まれた墓所が御座いました。<br />手前には、“<strong>観音神社　御祭神　源範頼公　五輪塔</strong>”と書かれた案内板が設置されております。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-53.fc2.com/d/o/u/doune/20120501noriyorisama04.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-53.fc2.com/d/o/u/doune/20120501noriyorisama04.jpg" alt="五日市＞範頼様五輪塔04" border="0" width="400" height="266" /></a><br /><br /><span style="color:#993333">□ <span style="font-size:large;">源範頼公五輪塔</span>(みなもとののりよりこうごりんとう) □<br /><br />所在地：広島県広島市佐伯区三宅(喜生園内)<br />建立年：不詳(平安末期？)</span><br /><br />パッと見た瞬間、あれ？何だか想像していた五輪塔と違うなと感じてしまいましたが、大胆ささえ感じさせられる出立ちにはハッと息を飲むような迫力が御座いました。<br /><br />現在は五輪塔がポツンと存在しているだけで御座いますが、こちらには元々範頼様を御祀りする神社があり、“蒲社”もしくは“蒲明神社”“御曹司社”“御曹司大明神”等と呼ばれ、土地の方々から親しまれていたようで御座います。<br />遠江国蒲御厨で生まれ育たれた事から“蒲殿”“蒲冠者”と呼ばれていた範頼様に因んだ呼称で御座いますね。<br />“御曹司山の蒲(御曹司)社”――史実では<a href="http://doune.blog82.fc2.com/blog-entry-293.html" target="_blank">伊豆 修善寺の修禅寺</a>にて幽閉後に自害され、<a href="http://doune.blog82.fc2.com/blog-entry-299.html" target="_blank">修善寺に墓所</a>も作られた事となっておりますが、この地域では御兄様であられる<a href="http://doune.blog82.fc2.com/blog-entry-13.html" target="_blank">源頼朝</a>様に追われて九州へ落ちられる途中、岡山の沖合にて嵐に遭い溺死され、その御遺体が御曹司山に葬られたと伝えられております。<br /><br />明治43年11月、他３社と共に坪井の四宝神社に合祀。<br />然し、その後の風雨によって御社殿は荒廃、再建される事は無かったようで御座います。<br /><br />昭和34年５月、四宝神社は倉重の高山神社と合祀して<strong>観音神社</strong>となります。<br />現在も、観音神社の飛地境内として管理されているそうで御座います。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-53.fc2.com/d/o/u/doune/20120501noriyorisama05.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-53.fc2.com/d/o/u/doune/20120501noriyorisama05.jpg" alt="五日市＞範頼様五輪塔05" border="0" width="500" height="350" /></a><br /><br />その他、この周辺の範頼様伝承に関する地名に、<br />暴風雨によって船の楫が折れた場所を“<strong>楫が面</strong>(かじがめん)、<br />源氏の御曹司が来られていると知り、もてなすために酒樽や酒の肴を持参された時の国司様が範頼様の死を知って引き返された場所を“<strong>樽返し</strong>(たるがえし)”<br />が残されているという事で御座います。<br /><br />厳島を対岸に望むこの山には、今も範頼様が生きられた証が受け継がれているので御座いますね。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-53.fc2.com/d/o/u/doune/20120501noriyorisama06.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-53.fc2.com/d/o/u/doune/20120501noriyorisama06.jpg" alt="五日市＞範頼様五輪塔06" border="0" width="500" height="350" /></a><br /><br />次回は、源平関連から少し脱線致しまして、私事では御座いますが先月のどうゝね家にあった事を記録したいと思っております。<br /><br />* * * * * * * * *<br /><br />明日は、５月２日――旧暦では、平家御一門の方々のが壇之浦に沈まれたとされる慰霊の日で御座います。<br />今年も私は<a href="http://doune.blog82.fc2.com/blog-entry-9.html" target="_blank">下関 赤間神宮</a>に参宮し、<strong>先帝祭</strong>に参加させていただく予定で御座います。<br /><br />* * * * * * * * *<br /><br /><a href="http://twitter.com/dounehiroko" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-15.fc2.com/d/o/u/doune/twitter-banabana.jpg" alt="フォローする" border="0" width="50" height="50" />アカウント「<strong>dounehiroko</strong>」</a><br />更新情報、近況や史跡巡り実況 等はツイッターにて。<br />フォロー、リフォロー、御自由にどうぞ♪<br /><br /><a href="http://kurakka.blog28.fc2.com/" target="_blank"><IMG src="http://blog-imgs-34.fc2.com/d/o/u/doune/kuranikki.jpg"></a><br />↑『蔵日記。』 …… 相棒クラッカーが綴る、どうゝね家の日常。<br /><br /><span style="color:#ff6699"><img src="http://blog-imgs-1.fc2.com/image/e/251.gif"  class="emoji" style="border:none;" />『蔵日記。』はパスワード制で御座います。<br />入室の際、クラさんの御誕生日を半角数字４桁で入力すると閲覧可能となります。<br />クラさんの御誕生日は、<a href="http://doune.blog82.fc2.com/blog-entry-353.html" target="_blank">コチラ</a>から発見して下さいませ<img src="http://blog-imgs-1.fc2.com/image/e/466.gif"  class="emoji" style="border:none;" /></span><br /><br /><a href="http://blogranking.fc2.com/in.php?id=301822" target="_blank"><IMG SRC="http://blog-imgs-21.fc2.com/d/o/u/doune/fc2blogrankingu_karin-kurabana00.gif" ALT="fc2 ブログランキング…こっちも気が向いたらクリックラ、クリックラ♪" border="0"/ align="right"></a><a href="http://history.blogmura.com/" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/d/o/u/doune/nihongurogumura_karin-kurabana00.gif" border="0" alt="にほんブログ村 歴史ブログに参加させていただいておりますクラ！" / align="right"></a> ]]>
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<dc:subject>源平史跡(広島)</dc:subject>
<dc:date>2012-05-01T21:10:50+09:00</dc:date>
<dc:creator>どうゝね ひろこ</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
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<title>こぬ人を まちかね山の 呼子鳥 蒲殿いづこの 御廟とぞ聞く</title>
<description> 安芸といえば、史実伝承共に平家所縁の土地！というイメージが御座いますが(私だけかもしれませんが…)、源平合戦が行われた西海であるが故で御座いましょうか、広島県内には源氏方の史跡、伝承地も多数存在致しております。広島県広島市西区古江上の福蔵寺様も、そのひとつ。こちらには、源範頼様の墓所と伝わる五輪塔が現存しております。範頼様は、御兄様である源頼朝様に謀反の疑いをかけられた事で建久４(1193)年に静岡県伊豆
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<![CDATA[ <a href="http://blog-imgs-37.fc2.com/d/o/u/doune/090504hiroshima-fukuzoji01.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/d/o/u/doune/090504hiroshima-fukuzoji01.jpg" alt="範頼様五輪塔01" border="0" width="400" height="220" /></a><br /><br />安芸といえば、史実伝承共に平家所縁の土地！というイメージが御座いますが(私だけかもしれませんが…)、源平合戦が行われた西海であるが故で御座いましょうか、広島県内には源氏方の史跡、伝承地も多数存在致しております。<br />広島県広島市西区古江上の<strong>福蔵寺</strong>様も、そのひとつ。<br />こちらには、<a href="http://doune.blog82.fc2.com/blog-entry-297.html" target="_blank">源範頼</a>様の墓所と伝わる五輪塔が現存しております。<br /><br />範頼様は、御兄様である<a href="http://doune.blog82.fc2.com/blog-entry-13.html" target="_blank">源頼朝様</a>に謀反の疑いをかけられた事で建久４(1193)年に<a href="http://doune.blog82.fc2.com/blog-entry-293.html" target="_blank">静岡県伊豆市修善寺の修禅寺</a>へ幽閉された後に自害なさったといわれており、<a href="http://doune.blog82.fc2.com/blog-entry-299.html" target="_blank">修善寺の範頼様墓所</a>の存在が広く知られております。<br />然し、幽閉後の範頼様の御消息については諸説あり、確かな事は伝わっていないようで御座います。<br />通説としては修善寺にて御自害もしくは誅殺された事とされておりますが、修善寺から落ち延びられたという説もあり、今も各地に様々な範頼様伝承が残されております。<br /><br />先日、ツイッターにて<strong>蒲冠者 源範頼</strong>(bot)様が、伊予国の範頼様伝承地に関する呟きを纏められており、四国にも範頼様の御墓があるのだという事を知りました。<br />広島にも２ヶ所に範頼様墓所と伝わるものが存在している事を呟きましたら、範頼(bot)様が反応して下さいましたので、本日はその内の１つである福蔵寺様の五輪塔について記す事に致しました。<br />(ツイッターの文字制限、140字以内で説明する自信が御座いませんでしたもので；)<br />本当は、年明けに初詣に行ってまいりました熊野の事を書こうかなと思い、途中まで綴っていたので御座いますが、なかなか言葉が出ず悶々としており……。<br />広島の範頼様伝承地については以前から書こう書こうと思っておりましたので、良い機会をいただく事が出来ました。<br />範頼(bot)様、有難う御座います。<br />熊野の件は、改めて後日記事更新したいと思っております。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-37.fc2.com/d/o/u/doune/090504hiroshima-fukuzoji02.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/d/o/u/doune/090504hiroshima-fukuzoji02.jpg" alt="範頼様五輪塔02" border="0" width="400" height="266" /></a><br /><br /><span style="color:#009900"><span style="font-size:large;">□福蔵寺</span>(ふくぞうじ)<span style="font-size:large;">□</span><br /><br />所在地：広島県広島市西区古江上<br />御創建：不明(奈良時代？)<br />御開山：不明(行基様？)<br />山　号：出生山<br />宗　派：浄土宗<br />御本尊：阿弥陀如来</span><br /><br />福蔵寺様の御創建年代等は不詳で御座いますが、一説には奈良時代の僧 <strong>行基</strong>様作といわれる御地蔵様が安置されている事から、行基様によって開かれたのでは無いかとも考えられているようで御座います。<br />歴史深い御寺様では御座いますが、実際のところ仏像鑑定等では江戸時代辺りまでしか遡る事が出来ないといわれます。<br />それでは何を根拠に、それ以前よりの存在を説かれるのかと問われた時、注目されるのが境内の御本堂裏手に御座います“<strong>蒲冠者範頼御廟</strong>”という事で。<br />この範頼様の御墓については下の方に記したいと思っておりますが、何にせよ、福蔵寺様を考える上で範頼様墓所との関連は切っても切れぬもののようで御座います。<br /><br />江戸時代中期には、広島城下より様々な年代の方々が挙って参詣された事が記録されております。<br /><br /><blockquote><p>　広島市古江上一丁目、広島学院のすぐ下に、それと教えられねばわからぬほど、さびれ果てた寺がある。<br />江戸中期「広島家中、老若男女、貴賎、参詣して群衆おびただし」と特筆されている福蔵寺である。<br />“おびただしい群衆”は「立願せしにかなわずということなし」といわれる地蔵参りの人々であった。<br />寺伝で行基作といわれる地蔵は今もあるが、立願する人はほとんどなくなった。<br />　　　　　　　　(中国新聞社「生きている伝説」による)</p></blockquote><br /><br /><a href="http://blog-imgs-37.fc2.com/d/o/u/doune/090504hiroshima-fukuzoji09.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/d/o/u/doune/090504hiroshima-fukuzoji09.jpg" alt="参考資料" border="0" width="400" height="139" /></a><br /><br />↑私が参考にさせていただいた資料は昭和52年１月発行で御座いましたので、写真に写っているような古い地蔵堂は既に御座いませんでした。<br />現在の御本堂は、昭和62年に鉄筋コンクリート造で建てられたものだそうで御座います。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-37.fc2.com/d/o/u/doune/090504hiroshima-fukuzoji03.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/d/o/u/doune/090504hiroshima-fukuzoji03.jpg" alt="範頼様五輪塔03" border="0" width="400" height="266" /></a><br /><br />さて、範頼様の御墓と伝わる五輪塔で御座いますが、御本堂の裏手隅に御座いました。<br />私は何処かしらと探しながら御堂に向かって右側へ入り、ぐるりとまわって辿り着きましたが、左側から奥へ進めば直ぐの場所に見付ける事が出来ます。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-37.fc2.com/d/o/u/doune/090504hiroshima-fukuzoji04.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/d/o/u/doune/090504hiroshima-fukuzoji04.jpg" alt="範頼様五輪塔04" border="0" width="266" height="400" /></a><br /><br /><span style="color:#663399"><span style="font-size:large;">□蒲冠者範頼御廟</span>(かばのかじゃのりよりごびょう)<span style="font-size:large;">□</span><br /><br />所在地：広島県広島市西区古江上(福蔵寺境内)<br />通　称：かばさん</span><br /><br />源平合戦において大活躍された源氏の御方といえば異母弟の<a href="http://doune.blog82.fc2.com/blog-entry-144.html" target="_blank">源義経</a>様で御座いますが、西国の人々にとっては義経様よりも範頼様の方が馴染み深かったという御話も御座います。<br />平家軍追討の為に安芸国を通過された範頼様は、もしかするとこの場所よりも海寄りである草津辺りに滞陣されたのかもしれませんし、そうでは無かったかもしれません。<br /><br />伝承の詳細は不明で御座いますが、範頼様は草津付近にて御亡くなりになられ、御遺体は輿に乗せられて峠を越え、福蔵寺様の境内へ埋められたと伝えられております。<br />それは一体いつの事であったのかも定かでは御座いませんが、源平合戦の頃と考えるよりは、修善寺幽閉後の事であろうと想像されます。<br />そして、その頃に福蔵寺様が既に存在されていたのか否かという疑問も生じてまいりますが、もしかするとこの時、範頼様の菩提を弔う為に建立されたのでは……と考える事も強引で無いのではと思うので御座います。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-37.fc2.com/d/o/u/doune/090504hiroshima-fukuzoji05.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/d/o/u/doune/090504hiroshima-fukuzoji05.jpg" alt="範頼様五輪塔05" border="0" width="400" height="266" /></a><br /><br />↑横から見ると、このような感じで御座います。<br />パッと見ただけで時代までは判別しかねますが、鎌倉期のものといわれれば、成程そうかも……と納得も出来るような。<br />五輪塔の火輪部分は非常になだらかで御座いますので、何となく元々底面は丸に近い形だったのでは無いかなぁと思います。<br />一般的な五輪塔の火輪部分は底面が四角く反りも御座いますが、こちらは余りそういった形であった形跡が見られず……時代の経過と共に角が欠け落ちたという感じでも無いように感じました。<br /><br />江戸時代、この場所は福蔵寺様の広大な境内地の一角で、浅野泉邸を凌ぐ翆紅園という庭園が作られていたようで御座います。<br />文政２(1819)年、国郡誌の下調べを行われた古江村の庄屋 <strong>為広吾作</strong>様は、書出し帳に“<strong>蒲冠者範頼御廟所御山屋敷境内にある所、往古、この所は福蔵寺境内にありしよし、範頼、何地にて死去せられあり候か、縁起などござなくにつき、相知り申さず候</strong>”と記されております。<br />それを元に作成された<strong>芸藩通志</strong>の項目には、“<strong>五輪石塔にて梵字あり、前列に石碑を建て、蒲冠者範頼墓、享保十八年浅野直道造立と刻す、この地、旧は福蔵寺境内たりしが、のち、直道が家荘となりし時、古蹟淪没せんことを恐れてこの挙をなせり、今は公園に入りたれば人知るもの少し</strong>”と記載されておりました。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-37.fc2.com/d/o/u/doune/090504hiroshima-fukuzoji06.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/d/o/u/doune/090504hiroshima-fukuzoji06.jpg" alt="範頼様五輪塔06" border="0" width="500" height="333" /></a><br /><br />無造作に五輪塔の傍に置かれている石物。<br />左側の物は、五輪塔の空輪と風輪のように見えるので御座いますが、これは一体……？<br /><br /><br />福蔵寺様の直ぐ近くには、広島学院が御座います。<br />中高一貫教育の男子校で御座いますので、同じく中高一貫の女子校に通っていた私は、学生時代に同級生達が良く<br />「今度、学院生と合コンするんじゃ～♪」<br />と嬉しそうに話していた事をついつい思い出してしまうので御座いますが、そんな事はさて置きまして(笑)<br /><br />範頼様の五輪塔は、広島学院が創立されるまでは現在の学院玄関口辺りに建てられていたようで御座います。<br />校舎建設に際し、現在地へ移転されたそうで御座いますが、同時に五輪塔があった部分の土中調査が行われたそうで御座います。<br />伝承では、御遺髪や範頼様愛用の刀が埋められているといわれていたそうで御座いますが、実際に掘り起こした結果、発見された物は無く、下に何かが埋められている気配も感じられなかったようで御座いました。<br />五輪塔は、固い岩盤の上に建てられていたという事で御座います。<br /><br />また、学院の校庭では五輪塔最下段の石が手水鉢代わりに使用されており、かすれた梵字もその四面に残っていると資料には御座いましたが、流石に男子校内へ潜入する訳にはまいりませんので、実態は不明で御座います。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-37.fc2.com/d/o/u/doune/090504hiroshima-fukuzoji07.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/d/o/u/doune/090504hiroshima-fukuzoji07.jpg" alt="範頼様五輪塔07" border="0" width="400" height="266" /></a><br /><br />福蔵寺様の境内には、かつて古田村に存在した古江火葬場にいらっしゃった御地蔵様方が７体並んで立っておられました。<br />六地蔵様の間、中央に迎え地蔵様が立たれております。<br />地元の方々の御霊を守り導き御助けになられた御地蔵様方も、今はその役目を終えられて穏やかに過ごされていらっしゃるので御座いましょうか。<br />それとも、隣接する墓地を見守っておられるのか……範頼様の五輪塔も御守りになられていらっしゃるのかもしれませんね。<br /><br /><blockquote><p><span style="font-size:large;">地蔵尊の由来</span><br /><br />　このお地蔵さんは元古江五十林(現在古江上二丁目)に古江地区住民の火葬場があり、中央の高いのが迎え地蔵<br />その左右各三体は六地蔵の愛称で呼ばれていたご尊形である。<br />昭和四年四月一日に古田村が広島市に合併時の条件として昭和三十七年を最後に火葬場が廃止となり、仮安置の場所より、平成四年に現在地に移転したものである。<br />　　　　　　　　合掌(案内板による)</p></blockquote><br /><br /><a href="http://blog-imgs-37.fc2.com/d/o/u/doune/090504hiroshima-fukuzoji08.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/d/o/u/doune/090504hiroshima-fukuzoji08.jpg" alt="範頼様五輪塔08" border="0" width="400" height="266" /></a><br /><br />福蔵寺様の庫裡と鐘楼は、被爆建物。<br />被爆建物とは、昭和20年８月６日ヒロシマに投下された原子爆弾により被爆した建物で、爆心地より５キロ以内に現存する建造物の事を指しております。<br />鐘楼の鐘は原爆投下時には存在しなかったようで御座いますが(戦争に行ってしまったのかもしれません…)、昭和60年の改修を経て、現在もその時の姿を保たれております。<br /><br /><br />福蔵寺様は、様々な過去と語られぬ歴史の謎を秘めた御寺様。<br />静けさが日常に溶け込んだような雰囲気を感じさせられる、和やかな場所で御座いました。<br /><br /><br />次回は、同じく広島に伝わる、もうひとつの範頼様墓所について記したいと思います。<br />今度こそ、なるべく早めに更新致します～！(^^;<br /><br />* * * * * * * * *<br /><br /><a href="http://twitter.com/dounehiroko" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-15.fc2.com/d/o/u/doune/twitter-banabana.jpg" alt="フォローする" border="0" width="50" height="50" />アカウント「<strong>dounehiroko</strong>」</a><br />更新情報、近況や史跡巡り実況 等はツイッターにて。<br />フォロー、リフォロー、御自由にどうぞ♪<br /><br /><a href="http://kurakka.blog28.fc2.com/" target="_blank"><IMG src="http://blog-imgs-34.fc2.com/d/o/u/doune/kuranikki.jpg"></a><br />↑『蔵日記。』 …… 相棒クラッカーが綴る、どうゝね家の日常。<br /><br /><span style="color:#ff6699"><img src="http://blog-imgs-1.fc2.com/image/e/251.gif"  class="emoji" style="border:none;" />『蔵日記。』はパスワード制で御座います。<br />入室の際、クラさんの御誕生日を半角数字４桁で入力すると閲覧可能となります。<br />クラさんの御誕生日は、<a href="http://doune.blog82.fc2.com/blog-entry-353.html" target="_blank">コチラ</a>から発見して下さいませ<img src="http://blog-imgs-1.fc2.com/image/e/466.gif"  class="emoji" style="border:none;" /></span><br /><br /><a href="http://blogranking.fc2.com/in.php?id=301822" target="_blank"><IMG SRC="http://blog-imgs-21.fc2.com/d/o/u/doune/fc2blogrankingu_karin-kurabana00.gif" ALT="fc2 ブログランキング…こっちも気が向いたらクリックラ、クリックラ♪" border="0"/ align="right"></a><a href="http://history.blogmura.com/" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/d/o/u/doune/nihongurogumura_karin-kurabana00.gif" border="0" alt="にほんブログ村 歴史ブログに参加させていただいておりますクラ！" / align="right"></a> ]]>
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<dc:subject>源平史跡(広島)</dc:subject>
<dc:date>2012-02-15T02:53:33+09:00</dc:date>
<dc:creator>どうゝね ひろこ</dc:creator>
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<title>山のあなたの空へと願ふ、やまとの民に数多幾多の幸ひを。</title>
<description> 新年、明けまして御芽出度う御座います。今年も、ぎりぎり松の内での御挨拶となってしまいました……。すっかり御無沙汰致しておりますが、皆様 如何お過ごしで御座いましょうか。早いもので、一昨年生まれました娘も数えで３つに相成りまして御座います。(実年齢は１歳１ヶ月で御座いますが…)相も変わらず、育児と家事と微妙な仕事に追われる日々で更新も儘ならぬ状態では御座いますが、本年も時間と体力の許す限り、書き続けていき
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<![CDATA[ <a href="http://blog-imgs-37.fc2.com/d/o/u/doune/20120101_01.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/d/o/u/doune/20120101_01.jpg" alt="2012年賀状（広島発）" border="0" width="281" height="400" /></a><br /><br /><span style="color:#FF3366"><span style="font-size:large;"><strong>新年、明けまして御芽出度う御座います。</strong></span><br /><br />今年も、ぎりぎり松の内での御挨拶となってしまいました……。<br />すっかり御無沙汰致しておりますが、皆様 如何お過ごしで御座いましょうか。<br /><br />早いもので、一昨年生まれました娘も数えで３つに相成りまして御座います。<br />(実年齢は１歳１ヶ月で御座いますが…)<br />相も変わらず、育児と家事と微妙な仕事に追われる日々で更新も儘ならぬ状態では御座いますが、本年も時間と体力の許す限り、書き続けていきたいと思っております。<br /><br />ＮＨＫ大河ドラマ「平清盛」も放送が開始され、今年は平家好きにとっては大変美味しい年となる事と胸を高鳴らせて過ごしております。<br />皆様にとっても、この１年が幸多きものとなりますよう、心より御祈り申し上げます。<br /><br />　　　　　　　　<strong>平成24年１月10日　どうゝね ひろこ</strong><br /><br />*　*　*　*　*　*　*　*</span><br /><br /><a href="http://blog-imgs-37.fc2.com/d/o/u/doune/20120110-02.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/d/o/u/doune/20120110-02.jpg" alt="にゃぎ１歳" border="0" width="268" height="400" /></a><br /><br />上の御挨拶にも記しておりますが、昨年11月30日に娘 梛子が１歳を迎えました！<br /><br />何と申しましょうか…この１年間、本当に感謝と感動の連続で御座いました。<br />誕生日前日の夜は、<br />「１年前の今頃は まだ生まれてもいなかったこの子が、今 自分の目の前でニコニコと笑ってヨチヨチと歩いたり、舌っ足らずではあれど言葉を発するようになっているだなんて……」<br />と不思議に思いつつも、誕生の瞬間を思い出して、涙を流してしまいました。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-37.fc2.com/d/o/u/doune/20111130-nagi00.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/d/o/u/doune/20111130-nagi00.jpg" alt="なぎ１歳 御宮詣" border="0" width="400" height="266" /></a><br /><br />１歳を迎えたその日には、産土神様とは別の氏神様である(と私が勝手に信じ込んでいる)宮島 <a href="http://doune.blog82.fc2.com/blog-entry-119.html" target="_blank">厳島神社</a>へ御宮詣りに行ってまいりました。<br />梛子は、生まれて３度目の厳島詣で御座います。<br />厳島神社で神恩感謝の御祈祷を御願い申し上げましたら、合わせて１歳の御祝と今後の成長の御祈念も行っていただけました。<br />有難い事で御座います。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-37.fc2.com/d/o/u/doune/20111130-nagi01.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/d/o/u/doune/20111130-nagi01.jpg" alt="「やしこ」じゃないよ！「なぎこ」だよ" border="0" width="400" height="265" /></a><br /><br />↑<a href="http://doune.blog82.fc2.com/blog-entry-679.html" target="_blank">大聖院</a>様の麓から紅葉谷へ向かう途中、昼食にしようと離乳食を取り出し、ひと口食べさせた途端に鹿さん方が猛ダッシュで急接近!!匂いを嗅ぎ回られる事に恐怖して泣き出した梛子…結局、食事は御預けとなりました(笑)<br /><br />平日で御座いましたが、安芸の宮島は紅葉の盛りで、多くの方々が紅葉谷や厳島神社に来られておりました。<br />母子共に着物を着ていた事もあって沢山の方に御声を掛けていただき、楽しい時間を過ごさせていただきました。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-37.fc2.com/d/o/u/doune/20120110-01.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/d/o/u/doune/20120110-01.jpg" alt="にゃぎ１歳" border="0" width="400" height="279" /></a><br /><br />↑こちらは、１歳記念＆年賀状用にと地元の子供向けスタジオで撮影していただいた写真で御座います。<br />恐らくは七五三用の衣装だったのだろうと思うので御座いますが、御願い申しましたら快く着せて下さいました♪<br /><br />１枚目の画像は年賀状用に加工したもので、背景の御簾と屏風は岩手県奥州市の<a href="http://doune.blog82.fc2.com/blog-entry-366.html" target="_blank">えさし藤原の郷</a>で撮らせていただいた写真の合成で御座いました。<br />余り時間の無い時に10分でザザッと作成＆入稿してしまったので、酷く粗が目立ってしまい……葉書で御送りさせていただいた方には大変見目の悪いもので逆に失礼では無かっただろうかと深く反省致しております；<br /><br /><a href="http://blog-imgs-37.fc2.com/d/o/u/doune/20120110-03.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/d/o/u/doune/20120110-03.jpg" alt="にゃぎ１歳" border="0" width="268" height="400" /></a><br /><br />スタジオのスタッフさん方は、まさか私が平安時代マニアな人間とは思ってもいらっしゃらぬ御様子で御座いましたが(そりゃそうだ！)、マニアな私と致しましては、色々と気になる部分も御座いまして～……柄とか裳とか(苦笑)<br />いつか、汗衫とか細長など着せたいです…！<br />親子で平安装束を着て、熊野古道を歩くのが目下の目標で御座います☆<br /><br /><a href="http://blog-imgs-37.fc2.com/d/o/u/doune/20120101_02.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-37.fc2.com/d/o/u/doune/20120101_02.jpg" alt="2012年賀状（東京発）" border="0" width="400" height="331" /></a><br /><br />何だか、すっかり歴史ブログとは程遠い親馬鹿記事と化してしまいましたが、次回からは また読むのも面倒で退屈な(と友人に言われております…)史跡巡りな内容に戻ります。<br />更新が途絶えがちで申し訳御座いませんが、よろしければ また時々覗きに来てやっていただけますと幸いで御座います。<br /><br />* * * * * * * * *<br /><br /><a href="http://twitter.com/dounehiroko" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-15.fc2.com/d/o/u/doune/twitter-banabana.jpg" alt="フォローする" border="0" width="50" height="50" />アカウント「<strong>dounehiroko</strong>」</a><br />更新情報、近況や史跡巡り実況 等はツイッターにて。<br />フォロー、リフォロー、御自由にどうぞ♪<br /><br /><a href="http://kurakka.blog28.fc2.com/" target="_blank"><IMG src="http://blog-imgs-34.fc2.com/d/o/u/doune/kuranikki.jpg"></a><br />↑『蔵日記。』 …… 相棒クラッカーが綴る、どうゝね家の日常。<br /><br /><span style="color:#ff6699"><img src="http://blog-imgs-1.fc2.com/image/e/251.gif"  class="emoji" style="border:none;" />『蔵日記。』はパスワード制で御座います。<br />入室の際、クラさんの御誕生日を半角数字４桁で入力すると閲覧可能となります。<br />クラさんの御誕生日は、<a href="http://doune.blog82.fc2.com/blog-entry-353.html" target="_blank">コチラ</a>から発見して下さいませ<img src="http://blog-imgs-1.fc2.com/image/e/466.gif"  class="emoji" style="border:none;" /></span><br /><br /><a href="http://blogranking.fc2.com/in.php?id=301822" target="_blank"><IMG SRC="http://blog-imgs-21.fc2.com/d/o/u/doune/fc2blogrankingu_karin-kurabana00.gif" ALT="fc2 ブログランキング…こっちも気が向いたらクリックラ、クリックラ♪" border="0"/ align="right"></a><a href="http://history.blogmura.com/" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/d/o/u/doune/nihongurogumura_karin-kurabana00.gif" border="0" alt="にほんブログ村 歴史ブログに参加させていただいておりますクラ！" / align="right"></a> ]]>
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<dc:subject>雑　記</dc:subject>
<dc:date>2012-01-10T23:15:55+09:00</dc:date>
<dc:creator>どうゝね ひろこ</dc:creator>
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<title>御坂にねばる心意気。</title>
<description> 広島県三次市三良坂町は、吉舎町の後鳥羽院伝説に連なる後鳥羽院の配流経路に関する伝承地で御座います。国郡誌書上帖によれば、行宮として宿泊された吉舎の艮神社を発たれた後鳥羽院は、吉舎から塩野を経て、“粘が峠”という峠を越えられ、三良坂へ入られたと伝えられております。粘が峠は尾庄街道(尾道～庄原を繋ぐ道)唯一の難所であったという事で、どんな険しい場所なのだろう……と、若干の不安を覚えつつ訪ねてまいりました。事
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<![CDATA[ <a href="http://blog-imgs-45.fc2.com/d/o/u/doune/110526mirasaka_nebaridagao0.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-45.fc2.com/d/o/u/doune/110526mirasaka_nebaridagao0.jpg" alt="三良坂＞粘が峠01" border="0" width="400" height="268" /></a><br /><br />広島県三次市三良坂町は、<a href="http://doune.blog82.fc2.com/blog-entry-852.html" target="_blank">吉舎町の後鳥羽院伝説</a>に連なる<a href="http://doune.blog82.fc2.com/blog-entry-822.html" target="_blank">後鳥羽院</a>の配流経路に関する伝承地で御座います。<br /><br /><strong>国郡誌書上帖</strong>によれば、行宮として宿泊された吉舎の艮神社を発たれた後鳥羽院は、吉舎から塩野を経て、“粘が峠”という峠を越えられ、三良坂へ入られたと伝えられております。<br />粘が峠は尾庄街道(尾道～庄原を繋ぐ道)唯一の難所であったという事で、どんな険しい場所なのだろう……と、若干の不安を覚えつつ訪ねてまいりました。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-45.fc2.com/d/o/u/doune/110526mirasaka_nebaridagao01.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-45.fc2.com/d/o/u/doune/110526mirasaka_nebaridagao01.jpg" alt="三良坂＞粘が峠02" border="0" width="400" height="252" /></a><br /><br />事前に私が入手していた情報は、<br />“<strong>粘が峠……史跡碑あり。後鳥羽院も通ったらしい！</strong>”<br />という事のみで御座いまして；<br />あとは、三良坂へ行けば必ず何とかなる!!と根拠の無い自信を持って、まずは<strong>三良坂コミュニティセンター</strong>へ御邪魔させていただく事に致しました。<br /><br />コミュニティセンターの事務所には、三良坂町の案内地図が置いてありました。<br />事務所の方に御質問をさせていただきましたら、御親切にとても快く対応して下さいまして、大変嬉しかったです。<br /><br />その時の御話でも出てきたので御座いますが。<br />インターネットでこの辺りの地名＋後鳥羽上皇で検索をすると“<strong>後鳥羽伝説殺人事件</strong>”という作品名にヒット致します。<br />推理小説を原作とするテレビドラマのようで御座いますが、恥ずかしがら私は存じておらず……。<br />そういえば図書館の小説コーナーで時々タイトルは目にしていたなぁと思い当たるものの、推理物は苦手なので１度も手に取った事が無かったので御座いました；<br />後鳥羽伝説殺人事件は１度だけでは無く何度かドラマ化されているそうで、その度にドラマの舞台として、三良坂でもロケ撮影が行われたそうで御座います。<br />調べてみると、ＤＶＤ化している作品もあるようで御座いますので、是非拝見してみたいと思いました～。<br />あ……“浅見光彦シリーズ”といいますと、あれでしょうか！“熊野古道殺人事件”と同じシリーズなので御座いましょうか。<br />熊野古道殺人事件は、熊野参詣帰りの宿で偶然テレビを付けたら放映していたので、うわーうわー言いながら観た記憶が御座います(笑)<br /><br /><a href="http://blog-imgs-45.fc2.com/d/o/u/doune/110526mirasaka_nebaridagao02.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-45.fc2.com/d/o/u/doune/110526mirasaka_nebaridagao02.jpg" alt="三良坂＞粘が峠03" border="0" width="400" height="258" /></a><br /><br />いただいた地図に粘が峠の場所が記されておりましたので、これはアッサリ辿り着けそうだ！と思ったので御座いますが……何故だかどうしても見付ける事が出来ず、同じ場所をグルグルしたり道を間違えて全然違う場所に出てしまったりして、大苦戦させられる羽目となりました。<br />他にも町内で巡りたい場所が幾つか残っていたので、先ずはそちらを優先させる事となり、結局いちばん最後にギリギリ発見出来たので御座いました。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-45.fc2.com/d/o/u/doune/110526mirasaka_nebaridagao3.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-45.fc2.com/d/o/u/doune/110526mirasaka_nebaridagao3.jpg" alt="三良坂＞粘が峠04" border="0" width="400" height="267" /></a><br /><br />えっと……地図によりますと、粘が峠は線路よりもコミュニティセンター側の位置に印が付けられておりましたが、実際は線路を越えて少し進んだ辺りの分岐の道脇に石碑が建てられておりました。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-45.fc2.com/d/o/u/doune/110526mirasaka_nebaridagao04.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-45.fc2.com/d/o/u/doune/110526mirasaka_nebaridagao04.jpg" alt="三良坂＞粘が峠05" border="0" width="267" height="400" /></a><br /><br /><span style="color:#336699"><span style="font-size:large;">□ 粘が峠</span>(ねばりがだお) <span style="font-size:large;">□</span><br /><br />所在地：広島県三次市三良坂町</span><br /><br />粘が峠は“ねばりがとうげ”では無く、“ねばりがだお”と読むので御座いますね～。<br />これも、コミュニティセンターの方に教えていただきました。本当に有難う御座います。<br /><br />現在はなだらかな坂道に舗装された綺麗な道路が続いておりますが、後鳥羽院が通られたといわれる頃はもっと歩行困難な山道の峠だったものと思われます。<br />メインの広い道路から外れている事もあり、他の車と擦れ違う事は御座いませんでしたので、かつての姿はどのようなものだったのか、後鳥羽院はどのような御気持ちでこの峠を越えられたのだろうと、雨空の下で暫し想いを馳せる事が出来ました。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-45.fc2.com/d/o/u/doune/110526mirasaka_nebaridagao5.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-45.fc2.com/d/o/u/doune/110526mirasaka_nebaridagao5.jpg" alt="三良坂＞粘が峠06" border="0" width="400" height="267" /></a><br /><br />広島の後鳥羽院伝説には、吉舎から三良坂へ入られたという伝承の他にも、吉舎から三玉を経由して入君へ入られ、更に口和町から高野町へ超えて行かれたという“入君経由伝説”が御座います。<br />その他、まだまだ多くの後鳥羽院伝説も伝えられておりますので、訪れた場所から少しずつ記録していきたいと思っております。<br /><br />次回は、同じく三良坂の後鳥羽院伝説から、院ゆかりの地名について記したいと思います。<br /><br />* * * * * * * * *<br /><br /><a href="http://twitter.com/dounehiroko" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-15.fc2.com/d/o/u/doune/twitter-banabana.jpg" alt="フォローする" border="0" width="50" height="50" />アカウント「<strong>dounehiroko</strong>」</a><br />更新情報、近況や史跡巡り実況 等はツイッターにて。<br />フォロー、リフォロー、御自由にどうぞ♪<br /><br /><a href="http://kurakka.blog28.fc2.com/" target="_blank"><IMG src="http://blog-imgs-34.fc2.com/d/o/u/doune/kuranikki.jpg"></a><br />↑『蔵日記。』 …… 相棒クラッカーが綴る、どうゝね家の日常。<br />　2011年７月17日、リニューアル致しました！<br /><span style="color:#ff6699"><img src="http://blog-imgs-1.fc2.com/image/e/251.gif"  class="emoji" style="border:none;" />『蔵日記。』はパスワード制で御座います。<br />入室の際、クラさんの御誕生日を半角数字４桁で入力すると閲覧可能となります。<br />クラさんの御誕生日は、<a href="http://doune.blog82.fc2.com/blog-entry-353.html" target="_blank">コチラ</a>から発見して下さいませ<img src="http://blog-imgs-1.fc2.com/image/e/466.gif"  class="emoji" style="border:none;" /></span><br /><br /><a href="http://blogranking.fc2.com/in.php?id=301822" target="_blank"><IMG SRC="http://blog-imgs-21.fc2.com/d/o/u/doune/fc2blogrankingu_karin-kurabana00.gif" ALT="fc2 ブログランキング…こっちも気が向いたらクリックラ、クリックラ♪" border="0"/ align="right"></a><a href="http://history.blogmura.com/" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/d/o/u/doune/nihongurogumura_karin-kurabana00.gif" border="0" alt="にほんブログ村 歴史ブログに参加させていただいておりますクラ！" / align="right"></a> ]]>
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<dc:subject>源平史跡(広島)</dc:subject>
<dc:date>2011-10-24T02:06:10+09:00</dc:date>
<dc:creator>どうゝね ひろこ</dc:creator>
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<title>きみがゆく みちのなが手を くりたたね…。</title>
<description> またしても、前回の記事から日が経ってしまいました。出来れば８月中に更新したかったので御座いますが、生まれて初めての娘の発熱にドタバタしてみたり、１週間程 東京の自宅へ一時帰宅してみたり、史跡巡りに精を出したり、自分が体調を崩したり、回復してパソコン前に座る度に 掴まり立ちを覚えた娘の妨害を受けたり……日々の変化が新鮮なものばかりで、育児はとても楽しいのですけれど、相変わらず生活ペースが掴めずに苦戦して
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<![CDATA[ またしても、前回の記事から日が経ってしまいました。<br />出来れば８月中に更新したかったので御座いますが、生まれて初めての娘の発熱にドタバタしてみたり、１週間程 東京の自宅へ一時帰宅してみたり、史跡巡りに精を出したり、自分が体調を崩したり、回復してパソコン前に座る度に 掴まり立ちを覚えた娘の妨害を受けたり……日々の変化が新鮮なものばかりで、育児はとても楽しいのですけれど、相変わらず生活ペースが掴めずに苦戦しております。<br />本当は以前のように毎日ジャカジャカと更新していきたいと思っているので御座いますが、なかなか難しいもので御座いますね；<br />せめて、記事トップにスポンサー様の広告が表示される前に次の更新を行なっていかねばなぁ…と思っております。<br /><br />*　*　*<br /><br />さて。<br />前記事で予告致しました通り、今回は広島県三次市吉舎町所縁の和智氏ついて記しておきたいと思います。<br /><br />吉舎の土地と和智氏との繋がりが生じたキッカケは、その祖先である波多野氏が源平合戦で功績をあげた事まで遡る事が出来るので御座いますが、実際に和智氏が吉舎を本拠地を定められたのは14世紀半ばの南北朝期の頃であるといわれております。<br />正直、私の守備範囲外なので読み飛ばしてしまおうかなぁ…と思いつつ資料を眺めていたので御座いますが、波多野氏から和智氏に繋がる間に生じた“<strong>広沢氏</strong>”の初代の御方の御名が<strong>広沢<u>実方</u></strong>様である事に気付きまして。<br />初恋の<a href="http://doune.blog82.fc2.com/blog-entry-416.html" target="_blank">藤原実方</a>様と同じ“実方”様というだけで、妙～に気になってしまったので御座いました(単純)<br />という事で、今回は和智氏について考えるというよりも、その祖 広沢実方様と源平合戦について振り返ってみる……という感じで御座います(笑)<br /><br /><a href="http://blog-imgs-34.fc2.com/d/o/u/doune/110423ushitorasama08.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-34.fc2.com/d/o/u/doune/110423ushitorasama08.jpg" alt="吉舎町＞うしとら神社08" border="0" width="500" height="335" /></a><br /><br />↓まずは、波多野氏広沢氏を経て和智氏を名乗られるまでの流れを簡単に纏めておきたいので御座いますが…ややこしくなってしまうので色々と省略させていただきますと、こういう感じになります。<br /><br /><span style="color:#6666FF"><strong><u>藤原</u>秀郷</strong>様<br />　　　↓<br />　　　↓<br />　　　↓<br /><strong><u>波多野</u>経範</strong>様 (波多野氏 初代)<br />　　　↓<br />　　　↓<br />　　　↓<br /><strong><u>広沢</u>実方</strong>様 (広沢氏 初代)<br />　　　↓<br />　　　↓<br />　　　↓<br /><strong><u>和智</u>実成</strong>様 (和智氏 初代)</span><br /><br />和智氏の御先祖様をぐ～んと遡っていくと、<strong>俵藤太</strong>(<strong>藤原秀郷</strong>)様の御名を発見する事が出来ます(※<strong>尊卑分脈</strong>による為、別説もあるようで御座いますが)<br />という事は、つまり藤原北家の流れを汲んでおられるという事になりますね。<br /><br />藤太様より何代か後、初めて波多野氏を名乗られたのが<strong>経範</strong>様。<br />中流貴族として代々関東の国司を務められていた藤原氏が、経範様の御代の時に藤原摂関家の所領であった波多野荘(神奈川県秦野市辺り)の預所として土着され、在地名をとって波多野氏と称されたもので御座います。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-34.fc2.com/d/o/u/doune/110921-hatanoshi_.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-34.fc2.com/d/o/u/doune/110921-hatanoshi_.jpg" alt="波多野氏略系図" border="0" width="351" height="400" /></a><br />↑娘にグシャグシャにされた資料のコピー裏面に殴り書きした汚いもので御座いますが、系図を部分的に書き写してみました。<br />ちなみに、尊卑分脈では実方様は<strong>遠義</strong>様の御子息とされているので御座いますが、その他の諸氏系図では全て<strong>義通</strong>様の御子息であるという事になっております。<br /><br />源平の争乱に際して、波多野氏はどのように動かれたか…。<br /><br />まず、<strong>保元の乱</strong>の時。<br />波多野義通様は<strong>源義朝</strong>様に仕えられ、その妹御も義朝様の側室となり次男 <strong>朝長</strong>様を御出産されております。<br />朝長様は、三男である<a href="http://doune.blog82.fc2.com/blog-entry-13.html" target="_blank">源頼朝</a>様の御兄様に当たられる御方で御座いますが、頼朝様は正室の御子様で御座いますので義朝様の御嫡男として扱われ、官位も朝長様を上回るものとなりました。<br />それが原因したともいわれておりますが、保元３(1158)年 義通様は、義朝様の御傍を離れて波多野へと戻られております。<br /><br />続いて、<strong>平治の乱</strong>。<br />この時も義通様は義朝様方として参戦なさいました。<br />戦に敗れた義朝様は、朝長様、頼朝様も伴い都落ちなさいますが、頼朝様は途中で脱落し平家方に捕まって六波羅へ送られ、朝長様は落人狩りで負った傷が原因となり死亡、義朝様も部下の裏切りによって尾張国野間で御亡くなりになられております。<br /><br />そして、治承４(1180)年――約20年間の沈黙を破り、源頼朝様が挙兵。<br />義通様の御子息 <strong>義経</strong>(“<strong>義常</strong>”とも)様は、参向を求められていた頼朝様に敵対して平家方につかれる事を選択。<br />結果、治承４年10月17日(1180年11月６日)に頼朝様の追及を受けて自害なさいました。<br />この頃はまだ関係無いよね…と思いつつも、“義経”という御名の御方が頼朝様によって討たれたという事実が、何だか物凄く衝撃的な事に思われて……複雑な気持ちで御座います。<br />その後、義経様の御嫡男 <strong>有経</strong>様は、文治４(1188)年に鎌倉幕府の御家人となられております。<br /><br />その義経様の弟 <strong>忠綱</strong>様は、元は平家方であったようで御座いますが、源氏方に転じて平家方の江田氏を討たれております。<br />忠綱様といえば、<strong>和田合戦</strong>の際にどちらが先陣をきったか<strong>三浦義村</strong>様と争われた事が<strong>吾妻鏡</strong>に記されておりますね。<br /><br /><span style="color:#FF3300"><u>建暦三年五月四日</u><br />四日 甲辰<br /><strong>次將軍家令尋聞軍士等勳功之淺深給。<br />爰波多野中務丞忠綱申云、於米町并政所。兩度進先登云々。<br />米町事者置而不論。<br />政所前合戰者三浦左衛門尉義村先登之由申之。<br />於南庭各及嗷々論之間、相州招忠綱於閑所、密々被仰云。<br />今度世上無爲之條。<br />偏依義村之忠節。<br />然者米町合戰先登事、無異論之上者、政所前先登事、對彼金吾相論難叶時儀歟。<br />存穩便者被行不次之賞、無其疑云々。<br />忠綱申云、勇士之向戰塲、以先登爲本意。<br />忠綱苟繼家業、携弓馬、雖何箇度、盡進先登哉。<br />耽一旦之賞、不可黷万代之名云々。<br />而爲知食彼眞僞、召忠綱、義村等於北面藤御壷内。<br />爲行光奉行。<br />將軍家出御、被上御簾。<br />相州<水干、>大官令<同、>民部大夫行光<直垂、>等、被候廣廂、他人不臨其所。<br />先召義村<紺村濃鎧直垂、>次召忠綱<黄木蘭地鎧直垂、>兩人候簀子圓座。<br />遂對决。<br />義村申云。<br />義盛襲來之最前、義村馳向政所之前於南、發箭之時、雖微塵不飛行其前云々。<br />忠綱申云。<br />忠綱一人進先登。<br />義村者隔忠綱子息經朝、々定等在後陣。<br />而不見忠綱之由申。<br />爲盲目歟。<br />依之被尋于彼時之戰士等、皇后宮少進、山城判官次郎、金子太郎答申云。<br />赤皮威鎧、駕葦毛馬之軍士先登云々。<br />是忠綱也。<br />件馬者自相州所令拝領也。号片淵云々。<br />又義盛親昵伴黨等被索搜之。</strong>　(吾妻鏡による)</span><br /><br /><blockquote><p>義通の子忠綱について、『吾妻鏡』は次のようなエピソードを伝えている。<br /><br />　建保元年(一二一三)、北条時政は、幕府創立以来の重臣和田義盛を二日間の激戦の末これを滅ぼした。<br />いわゆる和田合戦である。<br />この戦いで、波多野忠綱は北条方について御所の西南政所での戦いでその先頭に立ち、駆けつけた三浦義村とともにめざましい奮戦ぶりを示した。<br />和田氏が敗れた原因の一つに、同族の三浦義村の寝返りがあった。<br />戦いのすんだ翌五月四日、早速この度の合戦の論功行賞が行われたが、そのとき波多野忠綱と三浦義村の両人ともに政所前の合戦での先陣は自分であったと主張して譲らなかった。<br />困った北条義時は、ひそかに忠綱を別室へ招き、先陣は忠綱であることは分っている。しかし、このたびの戦いに勝利を得ることができたのは、ひとえに三浦義村の寝返りによる。それ故、先陣の功名は義村に譲ってやってくれ、その代わり後日忠綱にはそれなりに恩賞をとらせるから、と説得したところ、忠綱は「勇士の戦場に向かうは先登をもって本意となす。忠綱いやしくも家業を継ぎ、弓馬に携わる。何度といえども、なんぞ先登に進まざらんや。一時の恩賞に耽り、万代の名を汚すべからず」ときっぱり拒否したので、やむなく両者は将軍や武将の前で対決となり、忠綱、義村ともに自分の主張を述べたが、その戦いに加わっていた多くの武将が、先陣をきったのは、赤革威の鐙に葦毛の馬に乗った忠綱であったと口を揃えた。<br />しかし、幕府は、多くの武将に恩賞を与えたが、忠綱には何も与えなかった。<br />というのは、「無双の軍忠にたいしては御疑いに及ばずといえども、御前において対決のとき、義村をもって盲目と称し、悪口をなすうえは、もって賞を加えず、罪科に準ずべきの由」ではあるが特別をもって罪科だけは許す、という結果に柊わった。<br />　このエピソードに経済的な利益よりも、一門の名誉と戦場での武勇を誇りとする鎌倉時代の武将の面目をみることができる。　(<strong>吉舎町史</strong>による)</p></blockquote><br /><br />波多野義経様を除き、波多野氏は主に源氏方として合戦に参加されており、鎌倉幕府成立後は幕府の有力御家人として、その勢力を伸ばしていかれたようで御座います。<br />波多野義通様の御兄弟や御子息方は、大友氏、河村氏、菖蒲氏、沼田氏、広沢氏を名乗られ、波多野氏の分流として御家を拡げられました。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-34.fc2.com/d/o/u/doune/110423ushitorasama09.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-34.fc2.com/d/o/u/doune/110423ushitorasama09.jpg" alt="吉舎町＞うしとら神社09" border="0" width="500" height="334" /></a><br /><br />波多野氏分流である諸氏の内、吉舎へと繋がるキッカケを作られたのが、私がちょっぴり気になっている広沢余三実方様で御座います。<br /><br /><strong>和智氏系譜</strong>では、実方様を“<strong>広沢流之助</strong>”様とされており、久寿２(1155)年に源義朝様の御子息 <strong>義平</strong>様が叔父である<strong>源義賢</strong>様を討たれた戦の功績によって、保元元(1156)年に武蔵国広沢の地を賜った事から、広沢を称されたと伝えられます。<br />鎌倉幕府の有力御家人である波多野氏に繋がる一族で御座いますので、幕府内でも将軍の随兵や供奉人、近習といった地位を与えられており、吾妻鏡にも屡々その御名を伺う事が出来ます。<br /><br />建久３(1192)年 、実方様が元暦元年12月７日(※平家的には寿永３年12月７日/1185年１月10日)に備前国児島にて行われた<strong>藤戸合戦</strong>において手柄をたてられた功績を評価され、備後国三谷郡12郷(現在の吉舎町、三良坂町、三次市東南部辺り)を与えられる事となりました。<br />元々、備後国は平家の勢力圏内で御座いましたので、平家滅亡後は多くの幕府御家人が備後各地に所領を得る事となっておりますが、広沢氏も例に漏れず、平家所有であった職を得る事で収入を増やしていったものと思われます。<br />ただ、所領を得たからといって、実方様をはじめとする関東の方々が西国へ移住されたという事では御座いませんでした。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-34.fc2.com/d/o/u/doune/110921-hirosawashi_.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-34.fc2.com/d/o/u/doune/110921-hirosawashi_.jpg" alt="広沢氏略系図" border="0" width="231" height="400" /></a><br /><br />吉舎には、承久３(1221)年の<strong>承久の乱</strong>の後、配流となられた<a href="http://doune.blog82.fc2.com/blog-entry-822.html" target="_blank">後鳥羽院</a>が隠岐へと向かわれる途中に立ち寄られたと伝えられる<a href="http://doune.blog82.fc2.com/blog-entry-852.html" target="_blank">艮神社やその他の伝承</a>が御座いますが、後鳥羽院と広沢氏に何か関係があったと考えるのは些か難しい事のように思われます。<br />承久の乱の際の広沢氏の動向は伝えられておりませんが、関東の波多野氏は松田氏、河村氏等の一族と共に皆幕府方として動かれていたようで御座いますし、実方様の御孫様である<strong>広沢実村</strong>様は承久の乱の恩賞として三谷郡西方を賜ったという説もあるようで、三谷郡全域に支配権を拡大された人物といわれております。<br />実際、現地でも“後鳥羽伝説は、伝説であって史実では無い”と断言されているように、矢張り現実的に裏付けを考えて結び付けるにはやや強引なようにも思われますね……。<br /><br /><blockquote><p>　　　<span style="font-size:large;">承久の乱と広沢氏の西遷</span><br /><br />　頼朝の死後、将軍家の権威が後退して有力御家人の主導権争いが激しくなる中で、頼朝の妻政子の実家である北条氏が力をのばした。<br />また、京都においては後鳥羽上皇を中心に、幕府に対する不信感がつのり朝廷政治の復権が叫ばれていた。<br />さらに鎌倉幕府三代将軍実朝の暗殺で、ますます朝廷と幕府の関係が悪化していった。<br />そうした混乱の中、承久三年(一二二一)後鳥羽上皇は北条義時追討の院宣(上皇の出す命令)を発し、畿内・西国武士・諸寺の僧兵を中心に幕府討伐の兵を挙げたが、戦いは幕府軍の一方的な勝利に終わった。<br />乱後、幕府は後鳥羽上皇を隠岐島へ遷し、一族を各地へ追放する一方、院方加担者の所領三千余か所を没収して勲功のあった武士や祈祷で功を挙げた寺社に与えた。<br />また広大な後鳥羽院領を後高倉院に付した。<br />承久の乱は僅か三か月余りの戦いではあったが、幕府の一方的な勝利により、武士の台頭、公家の地位の衰退という歴史の流れは一挙につよまった。<br />　この戦いで、芸備両国では安芸国守護宗氏、厳島神主佐伯氏や備後国踊喜村(比婆郡口和町)一分地頭葉山氏が上皇方として行動しており、また前に述べたように三次の地頭佐々木三吉氏も院方に付いて戦い、三次を追放されているが、その他の武士の動向ははっきりしていない。<br />　この承久の乱での関東の広沢氏の対応は不明であるが、惣領家である波多野氏や一族の松田・河村氏が幕府方に味方している(『承久記』)ことや、「和智氏系譜」の実高の三男実村の肩書に「三谷郡西方を領す」とある事から、承久の乱で実村も幕府方について従軍し、その恩賞として先の「三谷郡一二郷」を併せて三谷郡残りの「三谷郡西方」を追加されたものと考えられる。<br />承久の乱で新たに所領を与えられた地頭のことを新補地頭といい、これを契機に関東から新領地である西日本へ移住してくる武士たちが多くなる。<br />　(中略)<br />　広沢惣領家は、新たに得た「三谷郡西方」を実村に与えて備後国三谷郡へ移住させ、同時に関東の広沢惣領家である「三谷一二郷」の代官に実村を任命してその支配を任せたものとみられる。<br />広沢氏の備後国移住について『芸藩通志』は「正中年間(一三二四～一三二五)に始めて当郡に来り、初め和知郷に居りし故和知を以て屋号とし」と、三谷郡への移住を鎌倉末期の一四世紀初めのこととしている。<br />しかし後で述べるように『とはずがたり』によれば、それより以前の乾元元年(一三〇二)には、広沢氏はすでにこちらへ移住しているだけでなく、江田・和智の両家に分流して暮しているし、「和智氏系譜」も実村の二男実成を初めて「和智流」としていることからみて、少なくとも一三世紀後半には和知郷へ移住していたとみられる。<br />しかし、その所領の支配権は安定したものではなかったようである。<br />すなわち、弘安二年(一二七九)亀山上皇が、備後国三谷郡を祇園神社へ長日大般若・常灯料所として寄進する(「祇園社記」)。嘉元三年(一三〇五)同じく亀山上皇が、備後国三谷郡を祇園神社修造料所として寄進する(「社家条々記録」)といった史料から、最初広沢実方が得ていた惣領家領三谷郡一二郷は、何らかの理由で一時期同氏の手を離れていた可能性がある。<br />　　　　　　　(三次市史による)</p></blockquote><br /><br /><br /><strong>芸藩通志</strong>によりますと、広沢氏が初めて三谷郡に入られたのは正中年間(1324～1326年)の頃の事と記録されております。<br />実方様が所領を得られてから、実に130年以上の歳月を経ての事。<br />実村様が移住された場所は、三谷郡西北部の和知で御座いました。<br /><br />13世紀後半、実村様は２人の御子息にその所領を分割して相続なさいました。<br />御兄弟の御兄様である<strong>実綱</strong>様は江田荘を受け継がれて“江田”を名乗られ、<br />弟様の<strong>実成</strong>様は和知荘を受け継がれ“和智”を名乗られました。<br />この２つの広沢氏分流の内、和智氏となった実成様とその御子孫の方々が、吉舎の地に色濃くその文化と歴史を築き遺されていく事となるので御座います。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-34.fc2.com/d/o/u/doune/110423ushitorasama10.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-34.fc2.com/d/o/u/doune/110423ushitorasama10.jpg" alt="吉舎町＞うしとら神社10" border="0" width="267" height="400" /></a><br /><br />画像で使用している写真は、吉舎町の歴史民俗資料館にて撮らせていただいたもので御座います。<br />歴史民俗資料館では、吉舎やその他の後鳥羽院伝承についても詳しく学ばせていただく事が出来ました。有難う御座います。<br /><br />現在、吉舎町内には由緒ある寺院や文化財が数多く存在しております。<br />その多くは和智氏の遺された遺産といわれ、町内に現存する10箇所以上もの山城跡は、戦国時代を中心とする和智氏の戦いの古跡なのだそうで御座います。<br /><br /><br />実方様という御名前に惹かれて、思いもよらぬ踏み込み方をしてしまいましたが…何とも中途半端で支離滅裂な記事となってしまいまして、申し訳御座いません；<br />多くの地でいえる事では御座いますが、吉舎町もまた、源平合戦を転機として大きく変化、繁栄された記憶を、現代に至っても強く感じられる町だと思いました。<br />御一方御一方それぞれの選択が未来を紡ぎ、繰り返されて後世が生まれ、過去は歴史として記憶されていく――振り向けば、奇跡では無い瞬間等 無いのでは無いかとさえ考えさせられます。<br />勿論、選択によっては失われる未来というものも存在する訳で……生命とはなんと尊く、重いもので御座いましょう。<br /><br />* * * * * * * * *<br /><br />＜御注意＞<br />※本文の旧暦日付の括弧内に記している年月日は、ユリウス暦に変換したもので御座います。<br />　当ブログは、基本的に“ユリウス暦1582年10月５日＝グレゴリオ暦1582年10月15日”を境に、ユリウス暦とグレゴリオ暦を切り替えて変換、表示するように致しております。<br />※｢今日は何の日｣という風に、現代の暦に歴史上の日付を反映させて考える場合、私はグレゴリオ暦に変換して考える事に致しております。<br />※過去記事については上記の通りでは無い場合も御座いますので(色々と考え悩んでいた時期も御座いました為)、何かの参考にされる際は、どうか情報を全て鵜呑みになさらず、御自身で改めて御調べになられますよう御願い申し上げます。<br /><br />* * * * * * * * *<br /><br /><a href="http://twitter.com/dounehiroko" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-15.fc2.com/d/o/u/doune/twitter-banabana.jpg" alt="フォローする" border="0" width="50" height="50" />アカウント「<strong>dounehiroko</strong>」</a><br />更新情報、近況や史跡巡り実況 等はツイッターにて。<br />フォロー、リフォロー、御自由にどうぞ♪<br /><br /><a href="http://kurakka.blog28.fc2.com/" target="_blank"><IMG src="http://blog-imgs-34.fc2.com/d/o/u/doune/kuranikki.jpg"></a><br />↑『蔵日記。』 …… 相棒クラッカーが綴る、どうゝね家の日常。<br />　2011年７月17日、リニューアル致しました！<br /><span style="color:#ff6699"><img src="http://blog-imgs-1.fc2.com/image/e/251.gif"  class="emoji" style="border:none;" />『蔵日記。』はパスワード制で御座います。<br />入室の際、クラさんの御誕生日を半角数字４桁で入力すると閲覧可能となります。<br />クラさんの御誕生日は、<a href="http://doune.blog82.fc2.com/blog-entry-353.html" target="_blank">コチラ</a>から発見して下さいませ<img src="http://blog-imgs-1.fc2.com/image/e/466.gif"  class="emoji" style="border:none;" /></span><br /><br /><a href="http://blogranking.fc2.com/in.php?id=301822" target="_blank"><IMG SRC="http://blog-imgs-21.fc2.com/d/o/u/doune/fc2blogrankingu_karin-kurabana00.gif" ALT="fc2 ブログランキング…こっちも気が向いたらクリックラ、クリックラ♪" border="0"/ align="right"></a><a href="http://history.blogmura.com/" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-21.fc2.com/d/o/u/doune/nihongurogumura_karin-kurabana00.gif" border="0" alt="にほんブログ村 歴史ブログに参加させていただいておりますクラ！" / align="right"></a> ]]>
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<dc:subject>源平史跡(広島)</dc:subject>
<dc:date>2011-09-23T20:27:51+09:00</dc:date>
<dc:creator>どうゝね ひろこ</dc:creator>
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